『BOY A』
少年時代に罪を犯し、長い服役を終えて釈放されたエリック(アンドリュー・ガーフィールド)はジャックという新しい名前と架空の経歴を与えられ、保護監察官テリー(ピーター・ミュラン)の指導のもとで社会復帰への第一歩を歩みだす。
運送業の仕事も順調、恋人(ケイティ・ライオンズ)もできて順風満帆の青春を取り戻したジャックだが、周囲を欺いている罪悪感に苛まれ悪夢に苦しむようになっていく。
名作。
傑作です。
素晴しい。
素晴し過ぎる。
あのー。とりあえずすっごいシンプルな映画です。登場人物も人物関係も台詞も美術装飾も必要最少限。構成も単純。無駄な説明はいっさいなし。それなのにいいたいことはものすごくめいっぱい伝わる。超ストレート。
冒頭、主人公がジャックという新しい名前を自分につけるシーンから物語は始まる。観客には彼が過去に何をしたのかは知らされない。だが14年という刑期と、保釈直後には警察の護衛までつくという特異な状況から、それが単なる非行などと呼べるようなレベルの罪ではなかったことは容易に推察できる。
彼が下宿に引越し、就職し、仕事仲間と親しくなり恋をするのと同時進行で、服役前の少年時代のシーンがインサートされる。そのパートの展開はごくゆっくりしたもので、彼の身に何が起きたのかはやはりなかなかわからない。
何かをしたことは確かで、それが重大な犯罪だったことはわかる。それなのに観客はどうしても、彼に更生してほしい、幸せになってほしいと願わずにはいられない。
本来ならば犯罪者をとりまく第三者としてはあり得ない感情かもしれない。今の日本ではとくに、無意味なほどの感情論に支配された被害者意識という名の虚妄ばかりが商品化され、世論の偏りにひきずられて裁判の量刑すら年々重くなっていくというていたらくである。
しかし映画は、「ほんとうにわかる心の声」を実に丁寧に濃やかに再現している。現場でいったい何が起こったのかは結局のところ本人にしかわからない。それなのに、部数や視聴率を稼ぐために不確実な情報を垂れ流すマスコミに踊らされた人々は、まるで自分がそこでそれを見ていたかのように、犯罪者を悪魔だの鬼だの狂人だのときめつけ、罵り、貶める。そんな行為に目的なんかありはしない。ただそうしたいからそうするだけ。そうしたところで誰の何が報われるわけでもない。
でもほんとうにわかるのは、目の前で見て、触れている実像でしかない。人々はジャックを見て、彼に触れ、心を動かされる。なぜなら彼には未来があるからだ。悲しいことに被害者にはそれはない。なぜなら被害者はもうそこにはいないからだ。
現実はそこまで牧歌的なものではないだろう。
ジャックの更生も平坦な道程ではない。最終的には予想されるべきカタストロフが彼を襲う。残念ながら、遅かれ早かれそれは来るべきものなのだろう。誰にもそれから逃れる術はない。
それは現実かもしれない。しょうがないことかもしれない。しかしそれが現実かどうかを選ぶのはこの社会を生きているわれわれひとりひとりの手に委ねられているのであって、“社会の敵”たる犯罪者ではないのだろう。
腐ったリンゴを端から排除して踏みつぶし捨て去り続ける社会と、たとえ過去に何があろうとも赦し受け入れていく社会と、どちらを選びたいかという選択肢。
純粋に好きずきで選んでいいのかどうかまではぐりにはわからない。けどどっちが平和かと問われれば、後者の方が平和な世の中なんじゃないかと思う。
結局は平和がいちばん大切だと思うんだけど。