落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

仕事納め

2008年12月26日 | diary
ふいー。終わった終わった。

今年は仕事ではとくに収穫とか進展なんとゆーものはさっぱりなかったけど、プライベートではいろんなところに行っていろんな人に会ったり話を聞いたり、ちょこちょこと新しい世界に触れる機会を持てた一年だった。
来年は何かしら回収できればいいんだけど、世の中そんな悠長なこといってる場合じゃないんだよねー。
どうなるのかなあ。
きっとなるようにしかならないんだけどね。


横浜・萬珍樓點心舗にて。

クリスマスなのに

2008年12月24日 | diary
【飯島愛さん死亡】ブログでエイズの怖さを訴え続け

飯島愛とぐりはちょうど同世代。
彼女がTVに登場したころはバブル経済の末期、AV嬢からタレントに転身し生き馬の目を抜くというTV業界をチャラチャラとサバイブしている彼女の姿は、毎日汚れたツナギを着てもくもくと力仕事をしていた学生時代のぐりの目にはちょっとイタい存在だった。あのころ、若さをひけらかして楽しむことをためらわず時代の波に乗っていった彼女のような子がいわゆる「ジュリアナ世代」なんて呼ばれる表の女の子たちだとすれば、本音ではそんな思いきりのよさを羨みつつもマネはできないししたくもないわとつっぱらかっていた「文科系女子」なんて裏の女の子たちもいた。ぐりは後者である。同じ大学の少し後輩にあたる辛酸なめ子も後者だろう。

TV業界でアルバイトをするようになって枕営業なんて言葉を知り、2時間ドラマの世界の話が事実だと知って、飯島愛のようなAVやポルノやグラビアなどセクシュアルなジャンルからタレントや俳優に転身していった人々を見る目が変わったことをよく覚えている。
TV業界とはほんとうにほんとうに厳しいセクハラの嵐が朝から晩まで常に吹き荒れる業界である。その当時のぐりは若いだけで色気のカケラもないぼんくらだったけど、初対面の挨拶が「初めまして。ねえ、あんた処女?」なんていう照明技師とか、毎朝「おはよー。どう最近、ヤッてる?」というのが決まり文句の車輌部とか、仕事の合間の雑談が毎日毎日夜の武勇伝とか、もう会話の相当な割合が下ネタというのがごく当たり前の職場環境だった。とにかく寄ると触るとエロ話ばっかしやってる人たち、というのがぐりのTV業界人の印象である(この時点でエロを口に出さない業界人=ムッツリということに勝手に決定)。最初は面食らったけど慣れれば猥談ぐらい何ともない。
そんな環境で、自らの肉体やセックスを商品にした経歴がどれだけ過酷な重荷になるかというのは、実際その環境に触れて初めて気がつく。ただでさえ社会からの心ない偏見や誤解にさらされながら働く彼女たちを、誰よりもひどい偏見や誤解で苦しめるのは紛れもなくTV業界だと思う。それに堪えぬき、はねのけて頑張っている彼女たちの強さは、到底ぐりのような根性なしにはそれこそ絶対にマネはできない。

飯島愛は入れ替わりの激しいTV業界で10年以上にわたって一線で活躍した。その彼女が去年引退を発表したときの「夢も目標も見出せない」という言葉はぐりの胸にはかなり痛かった。
30代半ば、若いころから必死に突っ走り続けた女性も強くしたたかに見えて寂しさに疲れてしまうことがある。自分が何をやってるのか、何がしたいのか、どこに行きたいのか見失ってしまうこともある。その気持ちはおそらく多くの女性が容易に理解できるのではないだろうか。だから辞める、という彼女の決断は勇気でもあったと思う。ただ、辞めてどうするという明確なビジョンがなかったのは苦しかったろうと思う。

STDとHIV予防啓発活動に力を注いでいた彼女。ひとりで亡くなって何日も経っているのがよりにもよってクリスマスイブに発見された彼女。悲しすぎる。
まだ死因や詳しい状況はわからないけど、せめて自殺でなければいいなと思う。事故でも病気でも自殺でも死は死に変わりはないけど、自殺なんて結末だけはあまりにも悲しすぎるから。


109のツリー。

郷に入れば

2008年12月23日 | diary
けんか両成敗…携帯使用で殴り合いで逮捕

に香港では電車内でもみんな平気で携帯電話で通話する、と書きましたが。
電車やバスなどの公共交通機関で携帯電話を使うなというルールは、ぐりが知る限り日本限定だったと思う。香港に限らずどこの国に行っても、誰でも普通に通話してる。そんなにあっちこっち行ってないから正直自信ないですけど、たぶん。
以前、海外に長く住んでる日本人の知人が帰省中に電車内でうっかり通話したら、見ず知らずの人にものすごい剣幕で叱られたという話を聞いたことがあるけど、客観的に見たら怒ってる人の大声とか態度も相当場違いだったんではないかなと思われ。そういうテメーは何様なんだとゆー。
日本独特の恥の文化の延長だと思うんだけど、「他人の迷惑」に異常に敏感なんだよね。自分が迷惑を被れば直接「やめてよ」といって済むところを先回りして、迷惑は誰が誰にかけても絶対NO!寄ってたかってみんなでダメー!の大合唱。

その話をまさに香港の地下鉄内で同行者としてたら、「じゃあペースメーカーとか医療機器に影響がある、っていうのはどうなの?」と眉をひそめて訊かれた。
これはインターネットで検索すればいろんな議論がでてくるんだけど、影響はほんとにあるらしいです。ただ、それが公共交通機関内で起きて健康被害に発展したという実例はまったく知られていない。確率的にいえばペースメーカーを装着した人と電車に乗り合わせるなんてまあそうそうないかもしれない。
だから病院内などの医療機関の周囲・内部での携帯電話など電波を発する機器の使用は規制されるべき、というのは正しいルールなんだけど、公共交通機関でまでみんなして目くじらたててダメダメいわなきゃいけないってほどんことはないみたいです。
でも、ぐりの知りあいでペースメーカーを使用してる人はやっぱり携帯電話が怖いそうで、一応周りの人にはそのことを伝えて配慮してもらって、電車は常に優先席付近に乗車、近くで使ってる人がいればそっとお願いして切ってもらったりするといってました。それはそれで大変だし、あながち日本独自のルールったって必要としている人は実際いるんだよね。無意味ってことでもない。

それにしても優先席に座って携帯使ってる人ってホントに多いよね。あれだけでっかく告知してあるステッカーがなんで目に入らないのかすっごい不思議。携帯命!なのかなあ。
こないだも電車に乗ってたら酔っぱらった男の人が優先席で携帯使ってる人をすんごい大声で罵倒してて、車両内の空気めちゃめちゃ凍ってたけど、怒鳴ってた本人はあとあと覚えてるもんなのかな?恥ずかしいやろーあれはー。
ぐりは基本的に携帯はマナーモードで優先席付近では電源オフ、車内ではメールやネットはしても(ゲームはしない)通話はしません。緊急時は一瞬出て下車してから折りTel。フツーにルール通り。
別に聖人君子ぶってるわけじゃないけど、せいぜいその程度のルールを受け入れたところで損はしないし、大体どこでもかしこでも常に●●が必要、●●命、なんて状態の方がぐりは受け入れ難い。携帯に限らず。だからうちにはいろんなものがない。エアコンとかノートパソコンとか固定電話とか電気ポットとかデジカメとか、べつになくても生きていける。
できたら何にもなくてもどこでも生きていける、原始人みたいな人に憧れてたりもしてね。ガチで目指すのは無理だけどさ。


映画館のツリー。

屋上屋

2008年12月21日 | diary
今日ちょっと覗くだけ〜と思って地元の商店街に行きましたらば、意外なことに既にセールが始まっとりましてー。
普段あんましショッピングしないので、セールの時期とかに疎いんですけど、普通年明けからじゃなかったでしたっけ?でも昨日からやってるらしーです。なぜか。
それで時間が早かったせいなのか不景気だからか、どこも人が少なくて閑散としてて、でもセール始まったばっかりで品物は豊富という、入れ食い状態なワケ。買うでしょうコレわ。買わないと男が廃るでしょう。男じゃないけど。
それで買っちまいました。ロングドレス。定価¥20,000ちょっとのが¥4,000て買うよね普通?

しかし買ってから気づいた。またロングドレスかよ自分。と。
実はロングドレスが好きで、ついついほいほいと買ってしまうとゆー悪癖があり。着もしないロングドレスがうちには何着もある。そんなに持ってたってロングドレスなんかそうそう着る機会ないのに、見たら買う。試着してOKだったら買う。そして買ってから後悔する。あっても着ないのにー。
¥4,000ならいいじゃんとも思うのだが、無駄遣いは無駄遣い。はうー。
それにしても¥20,000が¥4,000になるてどーゆーこっちゃ。原価はいったいなんぼやねん。ちなみに中国製。そこのショップの商品はインド製とかネパール製が多いんだけど、このドレスは中国製だった。

なんてなことをつらつら書いてますが、本音をいえばトクしたわー。今日はいいことあったわー。なんてほくほくしてたりもします。
現金なり。


横浜・萬珍樓點心舗にて。

知ってるつもり

2008年12月20日 | movie
『BOY A』

少年時代に罪を犯し、長い服役を終えて釈放されたエリック(アンドリュー・ガーフィールド)はジャックという新しい名前と架空の経歴を与えられ、保護監察官テリー(ピーター・ミュラン)の指導のもとで社会復帰への第一歩を歩みだす。
運送業の仕事も順調、恋人(ケイティ・ライオンズ)もできて順風満帆の青春を取り戻したジャックだが、周囲を欺いている罪悪感に苛まれ悪夢に苦しむようになっていく。

名作。
傑作です。
素晴しい。
素晴し過ぎる。
あのー。とりあえずすっごいシンプルな映画です。登場人物も人物関係も台詞も美術装飾も必要最少限。構成も単純。無駄な説明はいっさいなし。それなのにいいたいことはものすごくめいっぱい伝わる。超ストレート。
冒頭、主人公がジャックという新しい名前を自分につけるシーンから物語は始まる。観客には彼が過去に何をしたのかは知らされない。だが14年という刑期と、保釈直後には警察の護衛までつくという特異な状況から、それが単なる非行などと呼べるようなレベルの罪ではなかったことは容易に推察できる。
彼が下宿に引越し、就職し、仕事仲間と親しくなり恋をするのと同時進行で、服役前の少年時代のシーンがインサートされる。そのパートの展開はごくゆっくりしたもので、彼の身に何が起きたのかはやはりなかなかわからない。
何かをしたことは確かで、それが重大な犯罪だったことはわかる。それなのに観客はどうしても、彼に更生してほしい、幸せになってほしいと願わずにはいられない。

本来ならば犯罪者をとりまく第三者としてはあり得ない感情かもしれない。今の日本ではとくに、無意味なほどの感情論に支配された被害者意識という名の虚妄ばかりが商品化され、世論の偏りにひきずられて裁判の量刑すら年々重くなっていくというていたらくである。
しかし映画は、「ほんとうにわかる心の声」を実に丁寧に濃やかに再現している。現場でいったい何が起こったのかは結局のところ本人にしかわからない。それなのに、部数や視聴率を稼ぐために不確実な情報を垂れ流すマスコミに踊らされた人々は、まるで自分がそこでそれを見ていたかのように、犯罪者を悪魔だの鬼だの狂人だのときめつけ、罵り、貶める。そんな行為に目的なんかありはしない。ただそうしたいからそうするだけ。そうしたところで誰の何が報われるわけでもない。
でもほんとうにわかるのは、目の前で見て、触れている実像でしかない。人々はジャックを見て、彼に触れ、心を動かされる。なぜなら彼には未来があるからだ。悲しいことに被害者にはそれはない。なぜなら被害者はもうそこにはいないからだ。

現実はそこまで牧歌的なものではないだろう。
ジャックの更生も平坦な道程ではない。最終的には予想されるべきカタストロフが彼を襲う。残念ながら、遅かれ早かれそれは来るべきものなのだろう。誰にもそれから逃れる術はない。
それは現実かもしれない。しょうがないことかもしれない。しかしそれが現実かどうかを選ぶのはこの社会を生きているわれわれひとりひとりの手に委ねられているのであって、“社会の敵”たる犯罪者ではないのだろう。
腐ったリンゴを端から排除して踏みつぶし捨て去り続ける社会と、たとえ過去に何があろうとも赦し受け入れていく社会と、どちらを選びたいかという選択肢。
純粋に好きずきで選んでいいのかどうかまではぐりにはわからない。けどどっちが平和かと問われれば、後者の方が平和な世の中なんじゃないかと思う。
結局は平和がいちばん大切だと思うんだけど。