落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

双子を捜して

2016年01月10日 | movie
『消えた声が、その名を呼ぶ』

1915年、第一次世界大戦下のオスマン・トルコ。アルメニア人の鍛冶職人ナザレット(タハール・ラヒム)はマルディンの街で父母兄弟と妻、双子の娘と幸せに暮らしていたが、夜半、街を襲ったオスマン軍に連行され、砂漠の中での土木作業に従事させられる。1年以上の過酷な労働の末に虐殺を免れたナザレットだが、声を失ったうえ故郷のアルメニア人は残らず連れ去られ、家族の行方もわからなくなっていることを知る。
今もトルコとアルメニアを含めた欧米各国の間で歴史認識を巡る軋轢となっているアルメニア人虐殺事件を背景にした物語。

大好きなアトム・エゴヤンの傑作『アララトの聖母』(レビュー1レビュー2)でも描かれたアルメニアの悲劇(ハフィントンポストの記事)。まず知識人が捕らえられたあと、一般市民が集団で拉致され満足な水や食糧もないまま砂漠を行軍させられ、飢えや寒さや虐待の中で命を落としていった。当時180万人いたとされているトルコ国内のアルメニア人のうち、わずか3年前後の短期間で150万人が犠牲になっている。
この事件を知る人はいまとなってはあまり多くない。だから、これだけ大勢の人がたいした抵抗もなく殲滅されてしまう事実を、うまく想像するための根拠は充分じゃない。大の大人がたくさんいて、それでこれだけ広範囲のコミュニティがそっくり失われ、二度と回復できないほどの大虐殺が、どうしてこんな簡単に起こり得るのだろうかと。
でもそれは起こってしまった。

この映画で事件が描かれるのは、前半の一部だけである(8年間の物語のうちの3年間)。
それでも、オスマン軍に連れ去られた主人公がどんな目にあい、どんな過程を経て生き残り、全身全霊をかけて愛する娘たちを探す旅路のなかに、当時のアルメニア人の生活や習慣や考え方など、事件の素地となった民族性が丹念に再現されている。この映画を観ていると、実際に見聞きし体験しない人間にとって、戦争や戦時下での人権侵害に対する危機感を我がこととして覚悟することの難しさがリアルに伝わってくる。まさかそんなことにはならないだろう、まさかそんなことは自分にはふりかからないだろう。理由もなく楽観的でいたくなってしまうのが人情なのかもしれない。

アルメニア語、アラビア語、トルコ語、スペイン語、英語など多言語で描かれていて、主役もフランス人のせいか、台詞の大半が同時録音でなかったのが残念でした。芝居と声があってない。
あと主役が若過ぎた。なんかベビーフェイスなの。かわいいの。どんだけひどい目にあってても、その苦悩が表情になかなか刻まれない。
製作期間7年、6ヶ国の合作映画でロケも5ヶ国に渡って行われた超大作だけど、正直、完成度はな・・・なんというかあと一歩、って感じでした。ただこの事件を知るにはいい教材になるかもしれません。



どこにいくの?

2016年01月09日 | lecture
沿岸環境関連学会連絡協議会第31回「海岸環境の保全・再生と防災・減災」というシンポジウムに行ってきた。
といってもなんのこっちゃわからんという方もおられると思いますが、要するに東日本大震災で被災した東北沿岸部でびしばしとつくられつつある防潮堤はいったいどーなんだという問題を、法律・津波工学・土木工学・海洋環境学・都市環境学・水産資源・造園学・教育・まちづくり・民俗学・生態系など多分野のスピーカーがそれぞれの立場から発言・討議する会で、驚くなかれ今回が初回だそうである。5年めで初回てどーなんだ。

それはまあさておき。
実はずっと防潮堤の問題はものすごく気になっていた。
去年の年末も宮城県気仙沼市を訪問したが、訪問するごとに防潮堤建設はずいずいと進んでいる。もちろん嵩上げや高台移転事業も進んでるし、災害公営住宅もどんどんできあがっていっている。既に引越しを済まされた方もいらっしゃるし、街の風景も5年前に比べればそりゃビックリするくらい変化している。5年も経つんだから当たり前っちゃ当たり前だ。その一方で、津波で倒壊したまま・半壊したまま手つかずになっている場所もまだまだある。


たとえばここは気仙沼市から仙台行きの高速バスのバス停で私もよく利用している場所だが、完全に破壊された屋内にも泥まみれの什器類が山積みで放置され、5年前からぱったりと時が止まったかのような情景が残されている。画像はGoogleマップのストリートビューから拝借したが、去年末に行ったときもそっくりこのままだった。場所は津波の報道で何度もメディアに露出した河北新報の元気仙沼支局のすぐ目の前だから、街中も街中、震災前でいえば気仙沼市街のど真ん中である。

こんな風に復興事業から置き去りになっている場所もごまんとある一方でなんだかやけに順調に進んでいる防潮堤。これまでも長い長い間、日本各地で港湾施設の保全管理すら満足に行われず、被災後は地震と津波と地盤沈下で破壊されてしまった漁港の補修さえままならないのに、こればっかり着々と捗るのはなぜなのか。釈然としないものを感じるのは私だけではないはずである。
しかも住民の合意形成のプロセスはどこからどうみても不透明、何度も現地に足を運び地域の方ともいくらかは親しくさせていただいている人間にとってそこは口に出してものを訊くのも憚られる、あたかもタブーでもあるかのような、「防潮堤」という事業のまわりにまるで見えないバリアでもあるような感じがして、どうしても「ねえ、防潮堤どうなってるの?」「みんなどう思ってるの?」なんて口が裂けてもまあ訊けない。
困ったな、でも知りたいなと思い続けてた人間にとって、今日ほど有益な機会はなかったです。行ってよかったです。ホントに。行く前はあまりにも専門的過ぎてついてけなかったらどうしようとか思ってたけど、杞憂でした。確かに土木工学とかはむちゃくちゃマニアックだから、聞いてても理解できてるかどうか自信なかったけど、1日通して聞いてみて、この問題の全体像の一端のようなものはうっすら見えたような気分にはなれた。

とりあえずレジュメのタイトルとスピーカーはこんな感じ。

○ 海岸をめぐる法制度と環境管理:井上智夫(国土交通省水管理・国土保全局海岸室室長)
○ 津波の科学と防災・減災の考え:今村文彦(東北大学・災害科学国際研究所)
○ 防護施設の粘り強さとその効果:有川太郎(中央大学理工学部)
○ 土木学会防災アセスメント小委員会による検討報告:岡安章夫(東京海洋大学・海洋環境学部門)
○ 海岸防潮堤のあり方:横山勝英(首都大学東京・都市環境学部)
○ 水産生物を育む沿岸環境の修復と整備の取り組み:桑原久実(国立研究開発法人 水産総合研究センター本部研究開発コーディネーター)
○ 海岸植生から見た復興・復旧事業 砂浜海岸と海浜植物:松島肇(北海道大学大学院農学研究員)
○ 沿岸地域における持続可能な社会形成のための教育(ESD)と意思決定:阿部正人(一般社団法人 環境復興機構特任研究員)
○ 「里海」地域づくりからの視点:田中丈裕(NPO里海づくり研究会議)
○ 「水の女」について 海岸の行動主義と磯場センチメントの欠如:千葉一(東北学院大学民俗学)
○ 生態系を利用した防災・減災(EcoーDRR)における潮流:古田尚也(IUCN日本リエゾンオフィスコーディネーター・大正大学地域香草研究所)

これだけの人間が朝は9時半から夕方5時半まで駆け足でずーっと喋るんだから、細かい内容については省きます。
ただこのプログラムがよくできていて、どっちかといえば前半が行政やらゼネコン系専門家からの防潮堤事業の“ご説明”で、中盤が今回の被災地とそれ以外の地域からの現場報告、後半が防潮堤計画に疑問をもっていて実際に被災地を含め地域でも活動しているサイドからの意見、という構成になっていた。わかりやすいです。

ざっくりいえば政府やらゼネコンは「防潮堤ありき」でしかモノを考えていない。確かに避難路も大事です、でも防潮堤も絶対必要なんです、どっちかだけじゃダメなんですという。だからそのためにこれこれのシミュレーションをして、こんな感じでうまいこといってます、そりゃ今回の震災で壊れた防潮堤もありました、その教訓を生かしてこんな対策をすれば大丈夫ですと。
だが来場者からは「建設中の防潮堤の杭が支持基盤に届いてるか行政に確認したらチェックする予定もない、完成してからやるかもと回答された」なんて証言が出てきたりする。リスクとコストを足して高さをシミュレーションしてるというけど、高台移転や少子高齢化による人口減少によってリスクは変化してしまうし、そのシミュレーションに加算されるべき防潮堤建設によるデメリットは複雑過ぎて評価が難しいなどという。

この地域の基幹産業はいうまでもなく水産業である。それなのに防潮堤ができたあとの環境負荷や沿岸生活への悪影響を誰もシミュレーションしてないなんてはずがない。都合が悪いから黙っているのだ。防潮堤も含めた人工構造物の耐用年数はせいぜい50〜70年、次に津波がきたときにはもう役に立たなくなっている可能性すらあるのに、本来あるべき自然の海を失ったうえに、この建設にかかる莫大なコストと維持費を負担するのは国民と被災した方々とその子や孫など未来の世代である。
これで何をどう納得せよというのだろうか。無責任にもほどがある。

この点で対照的なのが気仙沼市唐桑町の大沢地区と舞根地区。大沢は初めから議論すらせずに防潮堤をつくったので工事はもう終わっている(去年夏の画像)。ここは住民の大半が高台移転することに決まっていて、またその多くが定置網漁業関連の漁業者(=地域全体でいっしょに働いている)であることがこの結果と関わっているのではないかと思う。
それに対して舞根はまったく逆で、最初から防潮堤の計画がなかった。海を見下ろす場所に高さ40mの高台を造成してほぼ全員が転居。なのでこないだ見に行ったら家はほとんどできあがって引越しも始まっていた(去年秋の画像)。浸水でできた湿地は干潟として残すという。ここは2012年に国連のフォレストヒーローズにも選ばれたNPO森は海の恋人の畠山重篤さんが住んでいる地域である。
すぐ目と鼻の先に近接した地域でも、価値観が違えば選択はここまで違ってしまう。

同じ気仙沼市の小泉地区で防潮堤計画を見直そうと活動されている地元の小学校の先生からは、東北の田舎での「合意形成」がいかに難しいかという話があったが、これこそ今回最も確認したかった話でもあった。
行政と地域住民とでは「言語」が違うからそもそもコミュニケーションに無理がある。合意形成といってももともとの地域の人間関係から議論にはなりにくいし、議論の場に出てくるのは“家長”ばっかりだから、これからを担う若者や女性の意見は決して反映されない。そんな場で未来志向の話なんかできるわけがない。狭い入江に分断された三陸ではそれぞれの浜の独立性が尊重されるため、隣近所の地区との干渉を避けがちになり情報共有もない。そもそも話しあうだけのスキルも環境もないのに結論を急かされる。
もうこの話に防潮堤問題の根源が集約されてます。建てる方は合意形成を水戸黄門の印籠か錦の御旗ででもあるかのようにふりかざすけど、フタを開けてみればそんな合意に中身なんかなかったってことです。どこの地域でもみんな必死に葛藤してるんだろうと思う。けど個人的には、こんなの中身のある合意だとはちょっといえないと思う。

この画像がその象徴のようなものだ。

気仙沼市の沖ノ田川というところの新しい護岸だそうである。リンクのGoogleマップをご確認いただければわかるように、ここはのどかな田園風景が広がる綺麗な田舎のごくささやかな小川である。震災のときはこの小川を津波が遡上して周辺も被害をうけた。だからこうなったというのだが、いったい誰がこんな風景を何のために求めるのか。この画像を紹介した横山先生も「なんでこうなっちゃったんだろう」と苦笑しておられたが、ここにかかったコストと今後の維持管理と、二度と取り戻せない風景を思えば笑い事ではない。

しかし気仙沼の大谷海岸のように地域の人々の努力で事業が見直しに至った地域もあるし、いまからでも決して遅くはないということもできなくはない(苦)。
聞いていて影響力のある専門家の方々の動向の鈍さが気になってしょうがなかったけど、コストも環境負荷も低い生態系を基盤としたグリーンインフラストラクチャーは世界的な潮流でもあるのだし、もっともっとたくさんの人が関心をもってはたらきかけに関わってくれたらなと思う。
次回もあるそうなので。

沿岸環境関連学会連絡協議会
防潮堤.net