ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

気候大異変

2006年02月19日 | 千伝。
NHKドキュメンタリー「気候大異変」を観て、天変地異の大惨事には、人間というものは、本当に小さな生き物です。

勝ち組も負け組みも待ち組みもあったもんではありません。

人間の一生、企業の営み、地球環境等々・・あれこれと思い巡らしてしまいました。

昨日、植村直己さんの業績を顕彰して設けられた2005年度「植村直己冒険賞」が、大阪市の永瀬忠志さん(50)が授与されました。

この方、同年代で同志社大学時代にサハラ砂漠をリヤカーを引いて横断した若者でした。

当時、この方と同じような思考を持つK君という人物が大阪のO大探検部にいて、卒業後も、ずっとアルバイトをして、金を貯めてはボルネオの密林やネパールの秘境によく出かけていました。

マラリアに罹ったり、30歳目前に、彼は無名のまま突然亡くなりました。

定職も持たず世界を放浪する若者に対しては、「輝く青春、みじめな老後」という言葉がありました。

「苦労続きでも、終わりが良ければ、全て良しのはず」

過去は過去。一応、外資にもマスコミにも、その組織の末端に身に置いて働いていた時期もあります。

リストラを何度も繰り返す企業にしがみつく保身の会社員が、幸福だとは、とても思えません。

リストラを行って経営統合やら合併だと笑顔で握手の経営者には、保身という「いやらしさ、きたなさ」を感じます。

スカウト(ヘッドハウンティング)されて転々と主に外資系企業を渡り歩き、あちらこちらの役員、社長になる方もいらっしゃいます。

ぼくから見れば、彼らは無責任で、そういう人物のほとんどを信用したくありません。企業には、社員もいればアルバイトもパートもいます。

機会があるたびに、転々と企業に飛び移り(もしくは敵前逃亡)、業績を上げ、地位も収入を上げていきます。

彼ら自身も、その組織のリストに載った人材の登録商品まがいのような契約という代物です。

それは、ヘッドハンターの組織が、手を替え品を替え、花形となる彼らのキャリアを粉飾するのに似ています。

決して、善良なる選択とは思えないのです。

たとえ契約社会なれども、善良な人間は、そんな選択、報酬、成功、人生を選びません。

地球の温暖化を止められないのは、人間や企業や国家の強欲と金銭欲です。

そりゃ、家族愛のためにも、お金は欲しいですが・・(笑)

「善きことを思い、善きことを行うと、善き結果が生じる」というのは、ほんとうに正しいと思うのです。

「学び続ける者が、最後に自分の人生に打ち克つ」と思います。

喩えば塵を一杯出すと金が逃げていく。
節約家は大尽で吝嗇家は小人とある。

何とか、残りの人生は、京都議定書のように生きてみたいものです。

百天、萬天から福が舞い降りてきますように。