明日から、10連休だとか、もうすぐ「令和の時代」だとか、明るい大きなニュースです。
毎日365日が連休でもある認知症の高齢者にとっては、全く関係なく、それを支えている現場の介護職にとっても無縁です。
2025年(令和6年)には、認知症の高齢者人口は、約800万人にもなるというのに、それでも、令和の時代は、日本の黄金期となるとの未来予測もあります。
少子化、労働人口減少が、よい方向に導くとのこと。
昭和から、平成に変わったときは、英国に居て、テレビニュースを観て知りました。
当時は、昭和天皇が危篤時から、英国メディアが大騒ぎ・・・特にタブロイド紙の報道は、戦争犯罪人として天皇ヒロヒトを糾弾したひどい報道でした。
「死んだら、喜んでダンスを踊ろう」とか、それでも、日本では知り得なかった大正天皇と昭和天皇の親子関係、皇室のタブーや経済界、解放同盟のタブーを制約なしで日本の闇部分を報道していたのが、記憶に残っています。
かなりショッキングな日本関連のニュースを意図とした報道ばかりでした。
当時の日本は、Japan as No.1 として、世界中から嫉妬と羨望の注目を浴びていた国でした。
中国は、とても貧しい国という印象で、中国人は「何故、敗戦国の日本が豊かになって、中国は貧しいんだ」という声を聞いたものです。
・・・僅か30年で、中国が、こうも変わるとは?
喪に服した平成の始まり、それでも、平成の時代は、もっと大きな明るい希望のある、世界は、日本の時代になると信じていました。
経済停滞、失業者増加、年間自殺者3万人超え、昭和の中流意識から所得格差拡大の平成へ。
平成の30年間・・・その間、「失われた10年」とか、「失われた20年」とか言われたものです。
それでも、「平成ありがとう」と振り返ります。
さて、一昨日、地元のパワースポットでもある文珠山の山頂に平成最後の「文」という灯りが点きました。
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福井、鯖江の両市にまたがる文殊山(もんじゅさん)で二十四日夜、「児(ちご)の火」がともされた。標高三六五メートルの山頂付近に「文」の文字が幻想的に浮かび上がった。文殊山は、奈良時代初めの七一七年に泰澄大師が開いたと伝わる。児の火は江戸時代の書物に記されている行事だが、由来は詳しく分かっていない。文殊山を広く知ってもらいたいと一九九八年から、登山愛好者でつくる「県文殊会」が電飾で再現している。会員らは午後六時半ごろ、「文」の字をかたどった電球四十八個を一斉に点灯した。眼下で北陸新幹線の高架橋工事が進む中、薄い青色の山肌にオレンジ色の文字が浮かんだ。
(中日新聞記事より抜粋)
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奈良時代、東大寺荘園開田指揮におとずれた僧「行基」が文殊山頂上に到着したことを住民に知らせるため、山頂で火を炊いたとの言い伝えに基づいているとのこと。
この文殊山(標高365M)・・・不思議な山で、文殊観音様の横顔にも似て、遠くから眺めていると、とても大きな山に見えて、近づくと、とても小さな山に映ります。
日本百名山の名付け親である深田久弥氏は、旧制福井中学の学生の頃、この文殊山に何度も登り、寝泊まりもしていたとか。
この山から、白山へと続き、深田久弥氏は、日本各地の名のある山に登り、「日本百名山」を著したのです。
文殊山麓で生まれ育った名優宇野重吉さんは、「日本一の山は、文殊山」と言い続けていました。
平成最後の「児の火」・・・意味不明、由来も不明です。
が、多分、令和を照らす明るい灯りとなるような気もします。