ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島物語

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

児(ちご)の火。

2019年04月26日 | 千伝。

明日から、10連休だとか、もうすぐ「令和の時代」だとか、明るい大きなニュースです。

毎日365日が連休でもある認知症の高齢者にとっては、全く関係なく、それを支えている現場の介護職にとっても無縁です。

2025年(令和6年)には、認知症の高齢者人口は、約800万人にもなるというのに、それでも、令和の時代は、日本の黄金期となるとの未来予測もあります。

少子化、労働人口減少が、よい方向に導くとのこと。

昭和から、平成に変わったときは、英国に居て、テレビニュースを観て知りました。

当時は、昭和天皇が危篤時から、英国メディアが大騒ぎ・・・特にタブロイド紙の報道は、戦争犯罪人として天皇ヒロヒトを糾弾したひどい報道でした。

「死んだら、喜んでダンスを踊ろう」とか、それでも、日本では知り得なかった大正天皇と昭和天皇の親子関係、皇室のタブーや経済界、解放同盟のタブーを制約なしで日本の闇部分を報道していたのが、記憶に残っています。

かなりショッキングな日本関連のニュースを意図とした報道ばかりでした。

当時の日本は、Japan as No.1 として、世界中から嫉妬と羨望の注目を浴びていた国でした。

中国は、とても貧しい国という印象で、中国人は「何故、敗戦国の日本が豊かになって、中国は貧しいんだ」という声を聞いたものです。

・・・僅か30年で、中国が、こうも変わるとは?

喪に服した平成の始まり、それでも、平成の時代は、もっと大きな明るい希望のある、世界は、日本の時代になると信じていました。

経済停滞、失業者増加、年間自殺者3万人超え、昭和の中流意識から所得格差拡大の平成へ。

平成の30年間・・・その間、「失われた10年」とか、「失われた20年」とか言われたものです。

それでも、「平成ありがとう」と振り返ります。

さて、一昨日、地元のパワースポットでもある文珠山の山頂に平成最後の「文」という灯りが点きました。

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福井、鯖江の両市にまたがる文殊山(もんじゅさん)で二十四日夜、「児(ちご)の火」がともされた。標高三六五メートルの山頂付近に「文」の文字が幻想的に浮かび上がった。文殊山は、奈良時代初めの七一七年に泰澄大師が開いたと伝わる。児の火は江戸時代の書物に記されている行事だが、由来は詳しく分かっていない。文殊山を広く知ってもらいたいと一九九八年から、登山愛好者でつくる「県文殊会」が電飾で再現している。会員らは午後六時半ごろ、「文」の字をかたどった電球四十八個を一斉に点灯した。眼下で北陸新幹線の高架橋工事が進む中、薄い青色の山肌にオレンジ色の文字が浮かんだ。

(中日新聞記事より抜粋)

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奈良時代、東大寺荘園開田指揮におとずれた僧「行基」が文殊山頂上に到着したことを住民に知らせるため、山頂で火を炊いたとの言い伝えに基づいているとのこと。

この文殊山(標高365M)・・・不思議な山で、文殊観音様の横顔にも似て、遠くから眺めていると、とても大きな山に見えて、近づくと、とても小さな山に映ります。

日本百名山の名付け親である深田久弥氏は、旧制福井中学の学生の頃、この文殊山に何度も登り、寝泊まりもしていたとか。

この山から、白山へと続き、深田久弥氏は、日本各地の名のある山に登り、「日本百名山」を著したのです。

文殊山麓で生まれ育った名優宇野重吉さんは、「日本一の山は、文殊山」と言い続けていました。

平成最後の「児の火」・・・意味不明、由来も不明です。

が、多分、令和を照らす明るい灯りとなるような気もします。


田端義夫 (1919~2013 )

2019年04月26日 | 空木宝剣

ばたやんの 歌で昭和が 甦る

NHKラジオ深夜便。

田端義夫のオンパレード。

大利根月夜、別れ船、帰り船、玄海ブルース、島育ち等々、昭和の歌謡曲が、平成の終いに流れてくる。

大正8年生まれの、ばたやんは、謂わば、団塊の親世代。

ほぼ全員、戦争体験者。

昭和21年の「帰り船」は、さぞや、引揚者を涙させた歌に違いない。

昭和37年、団塊が、12歳の頃に流行った島育ち・・・♪ 赤い蘇鉄の 実も熟れるころ かなも年ごろかなも 年ごろ 大島育ち

東京オリンピック前、高度成長序盤の流行歌は、瀬戸内海の、島育ちの少年の心にも残っている。

マドロスにはならず、マドラスの靴を履いてしまった猫も、はや69才。

平成は、ほぼ子育てに終始した時期。 

令和前夜。

和つながりで、昭和の時代を懐かしむ。

尾上柴舟(1876~1957)の詩