ふくい、Tokyo、ヒロシマ、百島

100% pure モノクロの故郷に、百彩の花が咲いて、朝に夕に、日に月に、涼やかな雨風が吹いて、彩り豊かな光景が甦る。

地球の実験。

2022年09月06日 | 空木宝剣
気をつけなければいけないのは、人間さまは、偉くなると、すぐに馬鹿になることである。

現場を見ることも聞くこともせず、馬耳東風となる。

やがて、煽てれば豚も木に登るように、高い頂きから、神に選ばれた存在の如く振る舞い、先祖がえりした為政者は、枚挙に暇なく、NHKバタフライの山根基世さんのナレーションのように。

「我々は、なぜこんな世の中に住んでいるのだろうか」こんなものの為に生まれたんじゃない(歌)の世界となる。

肥豚になった人間様が、 木に登ると、世界を危険に貶めるので、それ以上あがると危ないからと、足を引っ張る者を、蹴落として粛正する独裁者は、たびたび歴史に登場する。

20世紀に、世界大戦を2度も経験し、国際連盟や国際連合の平和機関を構えたにも関わらず、その安全弁は、機能不全を呈している。

最近、2014年作のロシア映画「草原の実験」をみる。

カザフスタンに住む、あどけないエレーナ・アン主演の、ソビエト連邦時代の核実験場に近い一軒家の物語であるが、終始し無言の無声映画だった。

事実に基づいたドラマとの事だが、ラストシーンは、広島のキノコ雲の何十倍もする核爆発。

少女も友人も家も、一瞬にして、瓦礫と化した。

無言の意味が判った。

長野の美術館、無言館と共通するものだった。

平和から戦争への潮の変わり目のフロートチャンバー。

この機能を、エネルギーや資本、領土、権力など、あらゆる分野に生かせば、この21世紀。

2度あることは、3度あるの諺を覆し、3度目の正直。

少しは、ましな世界になるかも知れない。

今朝の日の出、百島殿山からの眺望。


(写真提供:京泉盛勇氏)

高齢者座標。

2022年09月06日 | 萬伝。
前期高齢者になって思う事。

今までに立派な生き方をしていないので、「晩節を汚す」という言葉とは無縁です。

東京オリンピック、パラリンピック組織委元理事の贈収賄事件、まさしく晩節を汚しています。

彼等をみていると、逆に、三食、冷暖房、医療完備の刑務所に入りたいので罪を犯してしまう貧困高齢者ヘの同情を抱いてしまいます。

今朝、何気なく観ていた富山の放送局チューリップテレビが制作したドキュメンタリー映画「はりぼて」(2020年)。

「はりぼて」、笑えないコメディ、ドキュメントでした。

コロナ禍以前、富山市市会議員の政務活動費を不正取得した詐欺行為を、4年間にも渡って取材、辞任、起訴までに追い込んだ地方のメディアの取材力の底力と限界、見応えがありました。

出るわ、出るわ、不正取得した富山市市会議員の歴々、14人の市会議員がドミノ辞職、晩節を汚しました。

チューリップテレビが掲げていた「正々報道」を、全国各地の地方メディアにも貫いていて欲しいものです。

地方政治の何かが、変わるかもしれません。

されど、変わらない地方政治議会に関わる人間の狡猾さと滑稽な人間模様。

市会議員も2期目、3期目にもなると、初々しさもなくなり、個性もなくなります。

個性のある人と話すのは、初々しく楽しいです。

でも、こちらも一つの個性を持たなければ、会話が継続しません。

交わる視点の座標軸が無くなるからでしょう。

県会議員レベルならば兎も角、市会議員レベルだけの収入では生活維持出来ないと聞きます。

だからといって、政務活動費用の不正取得は罪です。

地方局チューリップテレビの限界を暗示していたのは、もっと大きな巨悪、例えば首長、県政、国政レベルまで届かなかった取材力だったのかな?



生まれた時、皆々が赤ちゃんなのに、早ければ思春期には未成年犯罪者になる人間。

順風満帆な人生だと映る優秀な人物が、何故か晩節を汚して泣く人間。

自分の立ち位置となる座標を失うのでしょう。

生まれた時の家庭、故郷、地域を座標起点に、毎年毎年と増え続ける人生の座標選択肢。

その積み重ねた膨大な選択肢を、自ら次々に選択した結果が、今の現実人生。

振り返れば、導かれるように選択したはずなのに、人生の目的座標ヘ到達しない現実。

自分の求めていたのと異なる座標軸、運命を選んだ?

否否、いやいや、「あの時」と言う代わりに、「この次は」と考えましょう。

多くを求める者が、貧しく晩節を汚すのです。

人生が豊かになるはずの道標、座標は、どこなのか?

自分だけの居心地のよい座標(例えば故郷、隠れ家、トレーニング、ドライブコース)を多く持てばよいのです。