水無月。
幼い頃、瀬戸内海の故郷百島には米作りの水田も麦畑も蕎麦畑もありました。
泊地区の密集地の中には、家の庭に水田を張っている所もありました。
当時の百島には数軒のお好み焼き屋があり、たこ焼きも売っていた時代です。
今日は、甦る蕎麦の思い出話をします。
幼い記憶の中で、祖母が自ら畑で蕎麦を育て蕎麦粉にして蕎麦打ちをして、ふるまっていました。
繋ぎ無しの十割蕎麦、美味である味覚がずっと幼い頃の記憶に残っています。
祖母の世代が亡くなり、絶滅した幻の百島蕎麦です。
以来、瀬戸内海沿岸の蕎麦は中華蕎麦だと思うようになっていました。
その理由の1つは、昭和40年前後、作家の檀一雄さんが「尾道の朱華園の蕎麦が旨い」と雑誌コラムに書いて一躍全国区の人気店へ、このきっかけが後々の尾道ラーメン人気に繋がったのであります。
高校生の頃になると、学食の蕎麦も、駅の立ち食い蕎麦も、中華蕎麦でした。
まだ尾道ラーメンなんて存在しない時代です。
東京で暮らすようになると驚いたのは、蕎麦屋の多さでした。
東京には信州の小諸そばのスタンドチェーン店が沢山あって、昔々、祖母が作ってくれた百島の和(日本)蕎麦の味覚と再会出来た喜びに感動したものです。
それからは、日本蕎麦の王者、チャンピオンは、信州蕎麦だと信じていました。
平成の時代に入って、福井で暮らし始めると、大根をすりおろした独特な「越前おろし蕎麦」と出会いました。
絶妙な感覚、味覚・・美味しいのです❗
何故、日本で知られていないのか? 不思議でした。
福井県内の耳にした、目にする、美味しいという噂の蕎麦屋さんは、殆ど出向いて食しています。
越前蕎麦は、美味しい、美味しい、という口コミで30年、 蕎麦好き皆さんの努力、賜物で、やっと全国流布したのでしょう。
令和の時代に入ると、福井の越前(おろし)蕎麦が、王者の信州蕎麦を抑えて日本一美味しいという評価を得るようになりました。
例えば、蟹の味覚は正直言うと越前蟹も加能蟹も松葉蟹も大差はありません。
地域名というブランド名が異なるだけです。
ところが蕎麦は、地域、お店、蕎麦職人が違えば、味覚は千差万別。
それが、蕎麦の醍醐味かも知れません。
先日、テレビ番組でバナナマンの日村さんが、敦賀駅前の蕎麦屋「すずや」さんで、絶品と紹介していました。
早速、敦賀まで出かけて参りました。
旨い❗
なかなか美味な一日、そばのお話でした。