※2017年3月24日の投稿を修正加筆しました。安倍政権はかつての治安維持法逮捕者への謝罪はもちろん名誉回復も行っていません。つまり、治安維持法は正しい法律だったという立場に立っているのです。
組織的犯罪(共謀罪)処罰法の最大目的は、つまるところ、政府の政策に反対する行為を犯罪とみなし、そのような犯罪の準備行為を行っていると政府が判断した、国内外の人間を取り締まる事である。処罰法(共謀罪)は近代刑法の原則に反した法律で、大日本帝国下の治安維持法を焼き直した現代版といえる。だから、政府が組織的犯罪(共謀罪)処罰法を適用する人間を探し出す手口は、特別高等警察の手口をテキストとするであろう。
あらゆる方法を使って国民すべてを監視する事により情報収集を行うだろう。警察組織(秘密警察制度、政治・思想警察制度、敗戦までは特別高等警察制度)による、人間同士のあらゆる会話や行動や交流に関しての直接監視と聞き込み捜査や、人間同士の情報伝達交換のためのあらゆる通信手段機器の監視(盗聴・傍受・検閲)による情報収集や、国民に密告を奨励する(密告奨励制度)、などが考えられる。
治安維持法はどのような目的で作られ、その後どのような役割を果たしたのか。一言でいえば、天皇主権大日本帝国政府が、自身の政策遂行上、都合の悪い、邪魔になる国民の口を封じ、国民によるあらゆる反政府運動(言論・思想・結社・出版の自由)を抑圧弾圧し根絶するとともにあわせて、国民の思想を統制画一化全体主義化する事を目的として制定したものであり、国民を侵略戦争遂行に翼賛協力させるために大きな力を発揮したのである。
1923年、関東大震災の混乱の中で政府は、緊急勅令で「治安維持令」を公布し、次の議会で事後承認させたが、1925年4月には治安維持法を成立させた。内容は「国体を変革しまたは私有財産制度を否認する目的での結社やその加入者は10年以下の懲役又は禁錮」とし、治安維持法の実施に当たり、1910年の大逆事件をきっかけに反政府的社会運動の弾圧のために警視庁に設置していた特別高等警察(特高)を主要府県に広げた。
1928年6月には、田中義一内閣が緊急勅令により改訂し、国体変革に関する犯罪と私有財産否認に関する犯罪とを別個に規定し、特に国体変革に関する刑罰では、死刑・無期懲役などを加え、反政府運動の指導者間を分断させ、その他の者を運動から離反させる効果を狙った。また、反政府運動の目的遂行を助ける行為をした者も2年以下の懲役または禁錮とし、労働組合などへ処罰範囲を広げ、反政府運動に関わらせない効果を狙った。また、特高は全国府県に設置し、捜査のためのスパイを養成し、逮捕者にはでっち上げの調書を作成するため、常套手段として拷問を行い自白を強要し、虐殺する事も認められていた。小林多喜二が虐殺された事は知られている。
1941年1月(近衛文麿内閣)にも改悪し、出獄者に対して予防拘禁制を加えた。また、曖昧な対象規定に基づく拡大解釈をこれまで以上に強め、国体や国策である侵略戦争に反対する言論・思想・結社・出版・社会運動・宗教などありとあらゆる自由を弾圧し剥奪した。戦時下最大の治安維持法に基づく言論弾圧が、神奈川県特高警察(カナトク)のでっち上げ(捏造)事件である、1942年(東条英機内閣)の横浜事件であった。
治安維持法制定時(1925年)の第1次加藤高明政府の答弁では、若槻礼次郎内相は「抽象的文字を使わず具体の文字を用い、決して曖昧な解釈を許さぬ(2月、衆院)」「過激運動者が不穏な行動に出る傾向はますます増加、取り締まり法規が不十分(3月、貴院)」、小川平吉法相は「無辜の民にまで及ぼすというが如き事のないように充分研究考慮を致しました、決して思想にまで立ち入って圧迫するとか研究に干渉するという事ではない(3月、貴院)」としていたが、その後の実際は適用範囲を限りなく広げていった。
そしてこのような法改悪の経過の中で、治安維持法は国民の生活を一変させる事となった。
国民生活を監視するのは特高だけでなく、国民同士が互いに監視し合う状況を生み出し、そのため生活環境は信頼し合えない状況に変貌し、自由に行動したり、ものが言えない、人間関係が分断された社会となったのである。政府はそのような社会環境を生み出す事が狙いであったのだ。政府は犯罪者とみなした人間を処罰する事によってその人間の口を封じる事だけが目的ではなく、封じる事により、それを見せしめ見懲らしとして、国民が国体(天皇主権)や政府の政策(侵略戦争)に対する反対運動に関わらないようにする効果をも狙ったのである。
政府にとっては国民を支配する場合、国民を団結させず分断する(自由を奪い孤立させる)事により、反対運動ができない状況を作っておく方がひじょうに都合がよいのである。だから国民は、組織的犯罪を取り締まる法律を作る事が必要であると思っても、その法律が政府にとって国民を分断支配する効果を発揮する法律として使えないような内容にする事が重要で、この共謀罪によって国民が分断され、人権が保障されなくなるような社会にさせないようにしなければならない。
沖縄県民の辺野古などの基地新設反対運動や、原子力発電反対運動、労働運動、社会運動、市民運動、文化運動などが取り締まりの対象とされる事があってはならないし、主権を持つ国民が、政府に意見を表明したり、反対運動をしたりする事に対して抑圧弾圧し(自民党石破氏はデモはテロ行為と発言)、見せしめをつくる法律にしてはいけない。
しかし政府は現実には国民の思いとは逆の狙いを強めており、それをこの組織的犯罪処罰法で正当化する事を目論んでいるようである。そして、「自民党改憲草案」を新たな憲法として制定する事により、政府の権力を強め国民の権利を抑圧弾圧し天皇制自民党政権を確固たるものにしようとしているのである。草案では、「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」に改訂し、その理由を「憲法によって保障される基本的人権の制約は、人権相互の衝突の場合に限られるものではない事を明らかにした」としている。加えて「公の秩序」と規定したのは、「反国家的な行動を取り締まる事を意図したものではない」とし、「公の秩序」とは「社会秩序」の事であり、平穏な社会生活の事を意味し、個人が人権を主張する場合に、他人に迷惑を掛けてはいけないという当然の事を、より明示的に規定しただけだ、とし、そして丁寧にも、これにより人権を大きく制約するものではない、と人権保障についての国民の不安を払拭しようとしているのであるが、それは言葉だけ口先だけで、「改憲草案」は人権に関して現行憲法と同様に保障せず、公益(国益=政府の利益)、公の秩序=社会の秩序を優先(国家主義、政府主権)させ、国民の人権(国民主権)は逆に抑圧制限しており、また、安倍自民党政権の体質を見ても、自民党は国民を欺こうとしている事は間違いなく、共謀罪成立後に「なし崩し的」に法解釈を拡大し処罰範囲を拡大し国民の人権を否定無視していく可能性が充分にうかがえる。
そして、すでに安倍政権は、「組織的犯罪(共謀罪)処罰法」を先取りする動きを、沖縄平和運動センター議長の山城博治氏への対応に見せており、この法律が成立すれば、合法的と称してもっとやりたい放題の捜査や取り調べなどが行われる事になるだろう。
安倍政権は、憲法に定める国民主権や基本的人権を否定する立場に立っている事は、加計学園問題における内部告発者を国家公務員法違反(守秘義務違反)で処分する(毎日新聞西山記者の事件と酷似した対応)という発言からも明らかである。この安倍政権の態度は、国民の意志に反しており、自らの犯罪を隠蔽するために、真相究明の動きを弾圧し口を封じようとするものであり、政権の反法治的(自らが法であると考えている)で独裁的な体質を暴露している。
(2017年6月14日投稿)