天皇の退位に伴う皇位継承の儀式に関して、日本カトリック司教協議会が2018年2月23日、安倍首相あてに、憲法に定める政教分離原則を厳守する事を求める要望書を送った。この種の要望書に関するメディア報道は現在知る限りではこの「協議会」だけである。もっと各方面から同様の動きがあるべきであるにもかかわらずである。これが現在の日本国民の政教分離原則に関する意識状況であるとするならば、あまりにも情けない危機的状況を呈していると言わざるを得ない。国民が自らのあらゆる権利を守る根拠とすべき政教分離原則に対して無知である事や、権利を守る意識があまりにも未熟で鈍感であるかを露呈しているからである。その意味で、協議会が安倍首相に要望書を送った行動は高く評価されるべきであり、この意味を深く理解し、国民は目を覚まし支援すべきである。以下に全文容を紹介しておきたい。
「前回の天皇逝去と即位に際しては、皇室の私的宗教行事である大嘗祭を『宗教色はあるが公的性格をもつ皇室行事である』として、それに国費を支出し、三権の長が出席しました。また国事行為である即位の礼にも宗教的伝統を導入しました。これらは日本国憲法の政教分離原則にそぐわないと考えます。そして昨今の報道によると、今回の大嘗祭においても前回を踏襲する方針が示されました。日本国憲法の政教分離(憲法第20条)の原則は、日本がかつて天皇を中心とした国家神道のもとで戦争を行い、アジアの人々をはじめ世界の多くの人々の人権と平和を侵害した歴史への反省から生まれたものです。この不幸な歴史を決して忘れず、同じ轍を踏まないようにする責任を日本政府は負っています。そのため、私たちは次のとおり要望いたします。『天皇の退位と即位に関する一連の行事にあたって、日本国憲法が定める政教分離原則を厳守し、国事行為と皇室の私的宗教行事である皇室祭祀の区別を明確にすること』
日本の政教分離原則は、神聖天皇主権大日本帝国政府が、宗教ではない道徳(教育勅語)として位置づけ、他のあらゆる宗教はもちろん思想信条をも抑圧統制支配した、国家神道(教典は教育勅語である)の復活を二度と認めない事を目的として定められたものである。政教分離原則は政府に「厳格に守らせる」事こそ重要であり、皇室の伝統などという「曖昧妥協」はその原則の形骸化を導き、憲法の定める「基本的人権」を「国民に保障」する事を有名無実化するものであるがゆえに憲法に定められたのである。極論をすれば、国民が天皇や皇族に神道(皇室神道、国家神道、伊勢神宮、靖国神社、護国神社)の信仰をやめさせないために、首相閣僚による伊勢神宮や靖国神社への参拝が続き 、それにより国民は憲法の定める天賦の「基本的人権の保障」を侵害され続けてきたのである。そして、安倍自公政権下では、実現を目指す「自民党改憲草案」に示されているように基本的人権は「天賦」ではないとされるまでに至り、神聖天皇主権大日本帝国こそ理想とすべき国の姿と公言するまでに至っているのである。
安倍自公政権による国民支配
「由らしむべし、知らしむべからず」
「百姓とゴマの油は搾れば搾るほどとれるものなり」
「生かさぬように殺さぬように」