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第71回全国植樹祭(島根県):開催理念は「建前」、催しは「儀式」化、開催目的は皇室存在のアピール

2023-06-08 12:20:51 | 皇室

 2021年5月30日、島根県大田市北の原で第71回全国植樹祭が開催された。この「植樹祭」は、憲法で定められた「天皇の国事行為」ではない。天皇の「国事行為」を拡大解釈して開始(1950年吉田茂政権)したもので、法的には「非合法」で今日まで開催を強行し続けてきたもので、天皇皇室自身も積極的にその存在をアピールする事を目的とした催しと位置づけ、「公的行為(象徴行為)」と呼んでいるものの一つとしているものである。

 さて、今回の開催理由は「森林の循環利用」という事で、天皇は「人々が連携、協力する事により、植えて、育てて使い、また植えるといった『緑の循環』が広く実現する事を期待します」と述べたという。

 ところで、この天皇の言葉は、日本の木材需給の現状を正しく理解したうえでのものであるとは到底いえない。

 なぜなら、日本国は国土の3分の2が森林で、木材資源が豊富な世界有数の森林大国であるが、現実は世界有数の木材輸入国なのである。2018年時点で、日本国の木材需給状況は、国産材は32.4%で、他は米材16.3%、南洋(マレーシア、インドネシア)7.4%、北洋(ロシア)3.3%、欧州材8.0%、その他(ニュージーランド、チリ、オーストラリア、中国、ヴェトナム、その他)32.7%となっているのからである。

 今日の日本国の森林の約4割は、敗戦後の1940年代半ばから植林され成長してきた人工林(育成林)であり、その多く(33億㎥)は利用可能になっている。

 しかし、現実は世界有数の木材輸入国なのである。そこには様々な問題が存在するのである。それは、山村の過疎や高齢化の深刻な問題。そして、それにともなう林業離れによる林業衰退とそれを補う廉価な輸入木材に対する依存との悪循環である。

 ちなみに、2009年12月には農林水産省「森林・林業再生プラン」を策定し、10年後の木材自給率の目標を「50%以上」とし、2011年7月には「森林法」を一部改正し、「森林・林業再生プラン」を具体化したが、思い通りに進むかどうかの保証はないのである。

 天皇の言葉は、このような日本国の木材需給の現状を理解したものとは到底思えない「型」にはまった美辞麗句」であり、「植樹祭」がいかに林業問題の「深刻さ」を伝えず、儀式化・イベント化・皇室アピールの場化しているかを示していると考えるのであるがいかがなものでしょう。

(2021年5月31日投稿)

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大阪城エレベーター発言で人に釈明させる安倍首相:これが道徳を教科化した人間のとるべき道徳的態度か?

2023-06-08 10:58:12 | 教育

 2019年6月28日に開催された主要20カ国・地域首脳会議(G20サミット)の夕食会の挨拶で、大阪城にエレベーターを設置した事について「大きなミス」と発言し、批判や抗議を受けた事に対して、萩生田幹事長代行は7月2日の閣議後記者会見で、安倍首相が7月2日に氏と面会し、「(障害者や高齢者の)状況を軽視し、バリアフリー社会に異論を唱えるような発言ではない」「(障害者や高齢者が)『不自由でも仕方ない』と聞こえた事は遺憾である」と述べたという。

 自己に対する多くの主権者国民の批判と抗議を、このような形で済ませられるものだと考えているのだろうか。これほど非常識で不道徳な態度はないのではないかと考えるがいかがなものか。誠意ある釈明や謝罪はそれをすべき本人が直接、己が傷つけ人権を認めない発言をしてしまった相手に対し、言葉を尽くして理解をしてもらえるよう努力を尽くす事が大切なのではないだろうか。現時点の態度では、安倍首相は人権尊重をうたう日本国憲法下の主権者国民の代表として、そのあるべき態度を示していない。つまり、内閣総理大臣として、憲法第99条に定める「憲法尊重擁護義務」を果たしていないどころかそれを「認めない」正反対の態度を示していると言ってよい。これも安倍晋三首相の生の真の人格の表れであろう。改めて、安倍自公政権が「道徳の教科化」の実施は主権者国民を馬鹿にした行為であり、「裸の王様」行為である事をここに確認したい。

 菅官房長官も2日の閣議後記者会見で、「挨拶を読めばまったく問題ない発言だ。……批判されるような問題ではない」と一方的に述べて済ませており、まったくそのように主張する根拠について説明をしないという独善傲慢ぶりを示している。

 今こそ、人権尊重を大切に思う主権者国民は、多くの庶民の人権尊重を大切に考える人物、政党に政治を担わせるべきであろう。人権尊重に基かない経済、政治、外交、教育、社会保障etcは、主権者国民それも多くの庶民を幸福には導かないという事に今こそ気づく時である。今月21日の参院選が、安倍自公政権の「憲法改正」=(憲法改悪)という公約表明の勢いを見ても、庶民の将来を決定する最後の分岐点となるであろうとともに、主権者庶民が自己の投票権を生かしそれを食い止める事ができる最後の機会となるであろう。

 安倍自公政権の支持率は、18~39歳の男性で際立って高いといわれている。彼らは、「僕が生きていけているので。それに日経平均株価もいいし」とか、「(格差の拡大や貧困を)仕方ないって思う。自分がこうなったのは自分が考えた結果だから」とか、「政治のトップを長い間できるのも、才能や能力があるからでは?」とか、「国に責任ですか。そういう考え方もあるんですね」とか、「世の中にあれこれ言う前に自分を鍛えなきゃ」とか、「政権は代えたいけど、野党の公約が実現できるように思えない」とか、「結局今の政権が続くのなら、選挙に行く意味ってあるかな」とか、「何かが変わる事でこれ以上悪くなるくらいなら、変わらなくていい」とか、「頼りになるのは政治ではなく、スキルとお金。自分の事は自分で守るのが当たり前」とか、「政治が助けてくれるとは思えない」とか、「この先どうなるか分からない。自民が引っ張っていれば、善くはならないけど、悪くもならない」とか、「格差が広がっても構わない」などと思っているようだが、これらに共通している事は、彼らが生きている世界と彼らが政治の主権者であるという自覚が繋がっていない事である。これが国民の最大の問題であり課題である。

 香港の自治を求める運動と比べてみると何とも情けないとしか言いようがない。周庭(アグネス・チョウ。香港バプテスト大学生・民主運動家)は言う。「香港は家賃や物価が高く、貧富の格差も大きい。生きるのが本当につらい」と。「でも私にとって香港は家。香港人という責任感や誇りをもって次の世代がもっと良い生活を送れるよう、民主化運動を続けていきたい」という。「経済的生活は大事だけれどそれ以上に民主主義が保障される事こそ重要である。民主主義が保障されてこそ、経済発展も真の幸福を生み出せる」と考えているのである。安倍自公政権を支持する上記の若者たちに、このような意志を持つ事は不可能なのだろうか。

(2019年7月7日投稿)

 

 

 

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