つれづれなるままに心痛むあれこれ

知る事は幸福度を高める

朝日新聞は「戦没・殉職船員追悼式」について詳細な記事を掲載すべきだ

2023-06-03 14:05:16 | アジア・太平洋戦争

 2023年5月25日付朝日新聞に見過ごしてしまう小さな記事で、見出しを「陛下、戦没船員を追悼」とし、「天皇皇后両陛下は、神奈川県横須賀市の県立観音崎公園で開かれた『第50回戦没・殉職船員追悼式』に出席し、天皇陛下は『先の大戦において志半ばで船と運命を共にする事となった数多くの船員と戦後殉職した船員の御霊に深く哀悼の意を表します』などと挨拶し、に花束をたむけ、深々と拝礼した」と掲載した。

 戦没・殉職船員とは何の事だろうか?この記事では説明がほとんど無いに等しいので理解する事が難しい。朝日新聞は、何を目的としてこのような短い記事を掲載したのか?戦争において国民が陥る悲惨な事実とこのような事を政府に二度と繰り返させてはならない事を国民に訴えるために伝えようとするのであれば、この戦没・殉職船員について、もう少し詳しく丁寧に説明すべきであろう。

 日本国は石油などはほとんど産出しないため、外国からの輸入に依存していた。米・英国等と戦争をするのに日本の貨物船商船すべてを使用するための規則(船舶保護法1941年3月制定。陸海両軍がすべての客船や貨物船を自由に命令通り使えるようにする法的根拠。「保護」としながら指示に従わない場合は「2年以下の懲役又は2千円以下の罰金と定める。小泉純一郎政権の有事三法「国民保護法」と全く同じ発想。)を作り、兵隊や武器弾薬などを戦場へ輸送し、帰りは石油や鉄鉱石などの地下資源を運ぶ計画を立てた。しかし、貨物船商船は武装もほとんどなく(木製擬装砲など。魚雷攻撃には「見張り」で早く発見し逃げるしかない)、船員(船員徴用令により徴用動員された船員は延べ10万930人)も戦闘の訓練を受けていなかった。そのため、戦後の政府発表では1941年12月から1945年8月15日までの3年9カ月の間に、7240隻(内訳は、官・民一般汽船3575隻、機帆船2070隻、漁船1595隻。徴用された船舶の88%)が沈められたとの事である。徴用船舶の88%が沈められた。その原因は、雷撃45%、空爆35%、触雷10%、普通海難7%などである。船とともに戦死した船員は合計約60603名と言われている。船員の年齢では、14歳987名、15歳2865名、16歳3182名、17歳3966名、18歳4204名、19歳3842名、20歳未満小計19046名、20歳以上30歳未満16601名、30歳以上40歳未満13188名、40歳以上50歳未満8833名、50歳以上3235名、合計約60603名である。船員死亡率は43%。これは、陸軍の23%海軍の18%と比較すると驚くべき数字である。

 ところで、14歳の船員が987名戦死している。この背景には、沈められる貨物船商船が多くなり、その船員も戦死したので船員の数が少なくなり、急いで船員数を増やす必要が出てきたという事がある。戦前の小学校制度は、尋常科6年と高等科2年であった。高等科2年を卒業すると、海員学校とか陸軍幼年学校などへ進学できるようにしていた。神聖天皇主権大日本帝国政府は、多くの船員を養成するために官立・公立・私立の海員学校を作り、小学校高等科を卒業した少年を船員にした。1944年になると、海員学校の就業期限を2カ月という短期間にして貨物船商船に乗せたのである。14歳は現在の中学2年生の年齢である。神聖天皇主権大日本帝国政府は、戦争を引き起こし、ひどい事をしたものだ。その政府の頂点に最高戦争指導者として昭和天皇が存在したのである。その天皇の地位を継承している現行天皇がその追悼式の挨拶に「志半ばで船と運命を共にする事となった……船員の御霊に深く哀悼の意を表します」という責任を感じさせない他人事のような言葉だけで済ませて良いものであろうかと思う。朝日新聞はどのような意図でこの追悼式を目立たぬように小さく短い記事で掲載したのだろうか?

(2023年5月29日投稿)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする