関東大震災に対して、大正天皇は9月12日に詔書を発した。その内容は「……9月1日の激震は事咄嗟に起り其振動極めて峻烈にして、家屋の潰倒男女の惨死幾万なるを知らず。剰え(あまつさえ)火災四方に起りて炎燄天に冲り、京浜其の他の市邑一夜にして焦土と化す。此の間交通機関杜絶し、為に流言飛語盛んに伝わり、人心恐々として益々其の惨害を大ならしむ。之を安政当時の震災に較べれば寧ろ凄愴なるを想起せしむ」というものであり、この評価が当時の神聖天皇主権大日本帝国政府の公式見解であった。
つまり、天皇・政府・軍・警察が、震災の中で「軍政」(戒厳令)を敷き、多数の朝鮮人や中国人、社会主義者や労働運動家、大衆運動家を虐殺し、検挙し、民衆の権利と生活を弾圧抑圧した対応(震災テロ)については、詔書にあるように「交通機関杜絶」と「流言飛語」によるものとして片づけたのである。
(2022年9月21日投稿)