宗教団体法は、1939年4月、平沼騏一郎内閣(1939年1月5日~8月28日)の下で、明治以来初の宗教法として公布された。この法律は「国家神道(天皇教)」体制下、ファシズム化した神聖天皇主権大日本帝国政府が、宗教を「統制」と「利用」をするためのものであった。
荒木貞夫文相の帝国議会での提案目的を、「非常時局における国家による宗教の監督、統制、保護、育成」とし、文部大臣又は地方長官が、宗教団体(神道、仏教、キリスト教など3区分)設立の認可をした。第16条には「宗教団体又は教師の行う宗教の教義の宣布若しくは儀式の執行又は宗教上の行事が、安寧秩序を妨げ臣民たるの義務に背く時は、主務大臣は之を制限し若しくは禁止し、教師の業務を停止し、又は宗教団体の設立の認可を取消す事を得」と定めている。
神聖天皇主権大日本帝国政府は、この法律を根拠に、「国体(国家神道体制)」に反する教義を有すると見做した宗教団体を弾圧したが、ホーリネス系の聖教会、きよめ教会、安息日再臨教団などのキリスト教系宗教は、設立を取消される弾圧を受け、殉教者も生じた。
ちなみに、宗教団体法の施行は1940年で、神聖天皇主権大日本帝国政府はこの年が「神武天皇即位2600年」にあたる(1872年12月15日、政府は『神武天皇御即位をもって紀元と定められ候』という太政官布告342号を出した)として、「紀元2600年奉祝会」と「日本放送協会」とが奉祝国民歌「紀元2600年」を制定し、11月に皇居前広場において「紀元2600年式典」を盛大に挙行した。式典のために建築使用した式殿「光華殿」は現在、小金井公園内に1993年に開設された「江戸東京たてもの園」のビジターセンターとなり、園の出入り口兼休憩所として利用されている。
(2023年10月19日投稿)