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これは愚民政策だ!!「国立大学の人文社会系の廃止や転換」通知

2015-06-12 00:12:54 | 教育
 安倍政権の文部科学省が6月8日、国立大学に文学部や社会学部など人文社会科学系の学部と大学院について、廃止や分野の転換の検討を求める通知を出した。特に教員養成系や人文社会科学系の学部・大学院は、組織の廃止や社会的要請の高い分野に転換する事を求めた。その理由について、自然科学系の研究は国益に直接つながる技術革新や産業振興に寄与しているが、人文社会科学系は成果が見えにくい、社会のニーズに応じた人材が育てられていない、との事。国立大学には「見返り」の大きいニーズのある分野に力を入れさせ、そこに補助金を集中させる考えだ、といわれる。(そのような補助金の出し方にも問題があるが、ここではそれに触れない。)
 さて、通知の内容は上記のようであるが、本当の目的はその事ではなく、国民に隠しているが別の目的があると考えた方が良いと思う。それは他でもなく安倍政権による「愚民政策」の一環であると考えるべきです。「愚民政策」とは、「人民の関心を政治に向けさせないために、人民が好み、熱中する事柄を提供し、意図的に人民を愚民化させる、という政策の事」。つまり、安倍政権にとっては、国民が色々な事を学んで知性や的確な判断力を養う事は非常に都合が悪いという事なのです。ところが人文社会科学系のめざす目的がまさしくそういう能力を身につけてもらう事にあるためにその存在が邪魔なのです。
 しかし、人間にとって生きるという事は学ぶ事です。学ぶ事それも真実を学ぶ事が幸せに生きる事につながるのです。国や人間や社会の在り方を学び考える事は、幸せに生きるためには何事にもかえがたい大切なものなのです。
 それゆえに、その機会を主権者である国民から奪おうとしているのです。この政策は江戸時代はもとより敗戦までの日本の為政者の統治姿勢であった「よらしむべし、知らしむべからず」と同じです。
 安倍政権は、ナチス・ドイツの手法を好んで使っているが、この「国立大学の学部見直し」通知の意図するものと通じる政策がある。ヒトラーは1942年に、「東方植民地政策」について述べているが、「被征服民族に対して学校教育を強制してはいけない。……彼らが読み書きできる事は、我々の害になるばかりだ。読み書きができると、頭の良い者が歴史的知識を獲得し、政治的思考を我が物にして、ついにはドイツに反逆する恐れがあるからだ。したがって、彼らに教育を与えるよりも、ラジオ拡声器を各村落に備えてニュースを流したり、娯楽を提供したりした方が良い。……ラジオではむしろ音楽だけを放送すべきであり、軽快な音楽によって労働意欲を増進させるべきである。……」というものです。
 さて、この政策は安倍政権の傲慢さをあらわしており、主権者である国民を馬鹿にした政策であると思う。また、人文社会科学系の教員の職場を奪い彼らの社会的影響力を封じる事を目的とするだけでなく、それによって、人文社会科学系の研究成果を学び生きる力を養う機会を若者たちや国民から奪う事を目的としている。それは安倍政権が、主権者である国民にとって、人文社会科学系の研究成果から得られる知性こそ最も大切なものであり、すべての分野のベースとなるものであると認識しているからです。
 また、この「通知」には戦時中の「学徒出陣」政策と根っこを同じくする意識がうかがえる。当時の「東条英機」政府は1943年10月2日に「臨時特例」を公布し、学徒(学生・生徒)の徴兵を猶予していた措置を停止し、同年10月21日に神宮外苑で「出陣学徒壮行会」を開催し、同年10月25日から11月5日までの間に、「1943年度の臨時徴兵検査」を出陣学徒の本籍地で実施し、同年11月15日には陸海軍別の入営団を本人に通知した。その時に入営延期措置を受けた教育機関が、「大学」では文理科大学、医科大学、工業大学、「学部」では工学部、理学部、理工学部、医学部、農学部(農学科、農業経済学科、農業生物学科、農林経済学科、農林生物学科を除く)となっていた。自然科学(理工)系こそが価値ある学問とされ、人文系は無価値なものとして扱われたのです。今日、この考え方が間違っているという事は常識となっている。安倍政権は、今やこの国や国民を私物化し、自分たちの政権の維持だけを考えている。政権の末期症状ともいえる。

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