安倍自公政権文科省は、領土問題について教師はどのように教えるべきであると主張しているか。国民が明確に認識しなければならないその主張の基本的特徴は、安倍政権は歴史上の一時期の政権でありながら、「安倍政権の見解」を日本国民はもちろん関係諸国に対しても独善的に、さも普遍的真実であるかのように「我が国の見解」という言葉を使って強制し開き直ったという点にある。安倍政権は、学習指導要領制度を、今回の要領改訂で、その中身全体を政権の見解や価値観歴史観に基づくように作り変え、指導要領の法的拘束力を悪用して、学校教育(先生や生徒)に押し付けていく制度に変質させたのである。
改訂指導要領では、尖閣諸島について、中国も領有権を主張している事について、文科省は、「我が国が実効支配している固有の領土である」と教えるべきだとしている。ここで「我が国が」としているが、「固有の領土である」と主張しているは安倍自公政権であって、それを意図的に「我が国が」という表現を使って、これまでの日中政府間の交渉事実を無視した自己の偏向した主張を強制的に正当化しようとしているのであり、それは国民に事実を明らかにせず欺こうとしている行為であり、国民としては、「安倍自公政権が」と読み変える事が必要である。
また、竹島と北方領土についても、文科省は「先方が領有権を主張しているが、それは不法占拠であり、歴史的にも国際法上も我が国固有の領土であると説明すべきだ。他国の主張を並列で扱う指導は不適切だ。我が国の領土について正しい理解の妨げになるなら、中国や韓国の主張は教えないでほしい」としている。
ここでも「我が国」としているが、国民としては、「安倍自公政権」と読み変える事が必要である。また、「正しい理解」としているが、「安倍自公政権の見解の理解」と読み変える事が必要である。また、安倍自公政権の主張は、今はやりの「オルタナティブ・ファクト(もう一つの事実)」というものであり、日中政府間の(棚上げ論)を受け入れず開き直ったものと考えるべきである。また、「中国や韓国の主張を教えるな」というのは、学校教育ではあってはならない行為で、「学問の自由」「研究の自由」「学習権」など人権を侵害する行為であり、憲法違反であるが、安倍自公政権の常識は国民のそれとは異なり、自己都合でルールを変えるのでそんな事は何とも思っていないし、現行憲法を廃棄(憲法改悪)するつもりだから。
また、文科省は、教育基本法は、教育の目的として、「国民の育成」と規定しているから、先生の役割は「我が国の立場は国際法的にも、歴史的にも妥当だときちんと言い切ってもらう」事であるとしている。
しかし、「国民の育成」という言葉の前の部分に、「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な○○○○○」という文言があり、「我が国の立場(安倍自公政権の見解)」を「言い切る」事を先生の役割にする根拠にはできないのである。しかし、文科省はその文言を完全に無視し、「安倍自公政権の見解」を子供に言い切る事を先生の役割と決めつけ押しつけているのである。この事は安倍自公政権においては、教育とは教化する事とみなしており、先生の役割は安倍自公政権の主張(指導要録の内容)を伝えるだけの存在と見做している事を意味しているという事である。そしてそれは、先生は生徒を絶対服従させなければならない意味も含んでいるのである。これは神聖天皇主権大日本帝国政府下の教育方針そのものである。
また、文科省は、「グローバルな時代だからこそ、我が国の立場を正しく理解する必要がある。日本の主張を子どもたちが理解していないかぎり、平和的解決とはならない」という。つまり、「グローバルな時代だから、安倍政権の見解を正しいものとして理解する必要がある」としているのであるが、「グローバルな時代だから」という言葉は、国旗掲揚国歌斉唱を不法に国民に強制する場合にも用いられる常套的説明で、これは詭弁であり、何の正当性ももたない国民を欺瞞し愚弄した説明である。「我が国」は「安倍自公政権」、「正しく理解」とは「安倍自公政権の見解を理解」、「日本の主張」は「安倍自公政権の主張」と読み変える必要がある。言葉に騙されてはいけない。
また、文科省は、「古地図を持ち出した綿密な実証作業をしなければ、我が国の立場を実証する事は難しいから、領土問題は存在しない」と教えるべきだとしている。「我が国」は「安倍自公政権」の意であるが、文科省の説明は詭弁であり結論が短絡的で、この事は、学校が生徒の学習権や学問の自由を否定する事を意味するし、先生には生徒に伝える知識授業内容を統制禁止する事を意味している。これも神聖天皇主権大日本帝国政府の教育方針である。
また文科省は、「領土問題で白黒の判断がつきにくいというのは理解できない。並列な扱いでは我が国の領土に対する正しい理解に至らない」としているが、これは、安倍自公政権の「オルタナティブ・ファクト」以外の何物でもない。そして、国民の反対を押し切って安倍自公政権が自ら政府見解を定め、政権の偏向した主張価値観歴史観に基づいた改訂指導要領を定め、その指導要領の規定であるとして先生に「安倍自公政権の見解」に基づいた画一的な指導を強制し、子どもたちには「安倍自公政権の見解」を「事実」として押し付けているだけである。傲慢独善そのものである。安倍自公政権は学校教育を私物化し、安倍自公政権の偏向した「主張見解価値観歴史観」を押し付ける場と見做しているのである。安倍自公政権は、学習指導要領制度を国定教科書制度に変質させ、学校教育を神聖天皇主権大日本帝国政府が強制した「教化教育」の場へと変質させ、その内容を政権の偏向した主張見解価値観歴史観のみに統制し画一化しようとしているのである。
また、文科省は、「日本の公教育とは要するに、教育基本法の言葉を使えば国家及び社会の形成者を育てる事を目指している。他国の主張があり、それには理があるという風に思っていただくのは困る」としている。この文科省の理屈についても、先に示したように、教育基本法第1条「教育の目的」の「国家及び社会の形成者」の前には、「人格の完成を目指し、平和で民主的な」という文言が記されているのであり、安倍政権文科省にとって都合の良い言葉だけを、部分的に切り取って利用し改訂学習指導要領を正当化する根拠にはできない。
また、文科省は、改訂指導要領について「子どもたちが我が国の領土について正しく理解するために、定められた内容を指導する事を規定している。その目的に沿わない指導は不適切だ」とする。先にも書いたが、ここでの「我が国」の意味は「安倍自公政権」であり、「正しく理解する」の意味は「安倍自公政権の見解を理解する」である。そのうえで、それ以外の指導は「不適切」であるとするのである。この姿勢は、学習指導要領制度を自己の政治目的達成のために恣意的に悪用しているものであり、安倍政権の見解価値観歴史観のみを正当とする思想統制であり、学問の自由や学習権、教育権など人権を侵害するものであり、安倍政権の政治思想の押し付けであり、指導要領制度を制度として存在させながらその制度の意味をまったく変質させてしまった事を意味しているといえる。
「まさかそんな事はしないだろう」という言葉は、安倍政権に対しては使えない。
麻生氏が言った、「ナチズムの手口ようにやればいい」というのはこの事なのだ。
(2017年4月4日投稿)