神聖天皇主権大日本帝国政府が生み出した「国家神道」は、アジア太平洋戦争の敗戦後、GHQ占領下の「神道指令」により「解体」された。しかし、それは「消滅」したのではなく、戦後も、国家神道の「核」である「皇室神道」と、それを支え「神社神道」のほとんどすべてを傘下に収め君臨する「神社本庁」(前身は内務省神祇院)によって存続しつづけ、今日に至り、さらに戦前回帰を目論んでいるのである。自公政権は日本国憲法第20条の1項「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」、2項「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない」、3項「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」という定めを無視し意図的に蹂躙している。それを許しているのは、明らかに国家的な行事として神道儀式が実施されているにもかかわらず、「内廷の事」、天皇家の私事としてメディアが処理し報道しない事と、主権者国民の多くがそれを問題視しないからである。
※国家神道(皇室神道が核) 神像……日の丸、御真影
教典……教育勅語
賛歌……君が代
皇室神道の年末の儀式には、「節折(よおり)」と「大祓(おおはらい)」がある。「節折」とは、天皇の穢れを払うというもので、天皇に白絹の着物をあて、そのあと天皇は口気を三度かけ、穢れを移す。次に榊の枝で自分の身体を左右左となでる。そのあと、侍従(公務員)が天皇の背丈、肩から足などに篠竹を当て、その寸法で折る。最後に15㌢ほどの壺に三度息を吹き込む。これらの「荒世(あらよ)の具」を使っての所作が済むと、次は「和世(にごよ)の具」として、同じものを天皇に渡し、同じ事を繰り返す。絹の着物だけは紅地である。皇后、皇太子夫妻は、御服の儀だけで、それぞれ吹上、東宮御所で行う。
「大祓」とは、宮中三殿と称するものの一つである神嘉殿前庭で「節折」に続いて行う。「掌典(天皇家の私的使用人)」が参列者を代表して「皇族」を「大麻」で払う。これらの「贖物(あがもの)」は唐櫃に入れて、浜離宮から海に流した。1980年からは皇居・北詰門付近の濠に、重しをつけて沈めている。
※掌典は宮中三殿の神殿に、内掌典は賢所と皇霊殿に仕える。
※神嘉殿は新嘗祭を実施する。
(2022年12月27日投稿)