2017年1月7日公開の映画「アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男」の主人公バウアーは言う。「民主主義を謳うには、次世代に過去の過ちをちゃんと伝えねばならない」と。日本国民は本当に人権や民主主義を大切に思い守ろうとしているのだろうか。
2017年1月6日の朝日新聞「声」欄に77歳男性の「朝ドラ描く戦後 美化しすぎ」という投稿が載っていた。そこには、「終戦直後の衣食住を綺麗に描き過ぎている」「自分たちの生きた時代と重ねて見ている人たちには共感が得られない部分である」「制作している人たちは終戦直後の生活を知らないから実感が湧かないのだろう。こうして終戦直後の実像はだんだんと風化して、美化されていくのかと思うと(悲惨な歴史を繰り返すのではないかと)怖い気がする」と書いていた。
「べっぴんさん」の狙いは安倍政権の女性活躍推進法の啓発である事は明らかだろう。時代背景は敗戦前と敗戦直後であるが、登場人物は実業家資産家の家系であり、一般庶民とは異なる。そのために戦後の生活も一般庶民と比べて衣食住レベルを高く描く事は間違っていないであろう。しかし、上記の「衣食住を綺麗に描き過ぎている」という違和感は、それを前提としたとしても、すべての登場人物やドラマ・セットに対して率直に受けた印象であると思われる。
そして、投稿者はその理由について、「制作している人たちは(戦後生まれで)戦時や終戦直後の生活を知らないから実感が湧かないのだろう」としている。そのため、歴史事実の考証もいい加減(現代風)となり、戦争体験者にとっては上記のような違和感を持たせる仕上がりとなっているとしているのである。
しかし、このいい加減な歴史事実の考証によって生じる弊害は明確であり重大である。それは、戦争体験のない人々、特に今日の若者が、ドラマに描かれた映像を「真実」と受け止め思考判断行動する事になる可能性があるという事である。つまり、映像に洗脳される恐れがある事に不安を感じているのである。その事を心配した投稿者は、安倍政治の戦争経済への動きを念頭において、「終戦後の実像が風化美化されていき再び戦争が起こるのではないか」と不安を抱いているのである。
しかし、私はこの投稿者より一歩踏み込んで、このドラマは意図的に歴史事実の考証をいい加減にし、制作していると考えている。そして、このドラマ制作の主目的は「女性活躍推進」啓発であり、最初から「先の侵略戦争の歴史から教訓を学びとってもらおう」としているのではなく、現代の女性にドラマの女性の成功談から学ばせる事に重点を置いているものだと考えられるからだ。
ちなみに、一般庶民の生活の実態はどのようなものであったのだろうかを知っておく事は現代社会に対する理解力判断力を高め、歴史事実から教訓を得る事がいかに重要であるかを理解する事ができるので紹介しよう。その良い手がかりになるものとして当時の新聞記事がある。特に、敗戦前の新聞記事を紹介しよう。
戦局の悪化とともに国内の食糧不足は深刻な状態に陥ったが、朝日新聞は「代用食」を推奨し、1942年後半には「食物総力戦」と題した「代用食」の記事を連載するようになっていた。例えば、
1942年10月11日の記事には「イナゴの食べ方」(陸軍航空技術研究所川島四郎大佐談)と題して、「秋のハイキングにはイナゴを捕って大いに食べよう。蝗は虫偏に皇と字があてられて虫の中での王とされているのも、つまりは蝗が食べられるからである。エビに似た味でビタミンA、D を多量に含んでいる」「捕らえた蝗はザルに入れ布をかぶせ熱湯をかけ、水洗いし、天陽で乾かす。油で煎りつけて食べても良ければ、醬油で煮つけて食べても良い。あるいは陽に乾してすり潰して粉にして御飯にふりかけたり、味噌汁の中へ入れて食べる」「そのまま澄まし汁の中に入れたものは蝗の姿が見えて食べにくいが、粉にして味噌汁に入れれば十分食べられるうえ、蝗の全身を乾かして粉にしたものはカルシウムに富む」と書いている。
1942年10月25日の記事には「砂糖代用に柿の皮」(日本女子大食物室)と題して、「柿の皮は多く捨てられて顧みられないが、柿の皮を砂糖代用として用いる事は古くから行われている事で、大変甘く糖分が約50%あるから砂糖の半分の甘さが得られる」「そのもっとも簡単な方法は、むいた柿の皮からそのまま甘味をとる事で、ニンジン、ごぼう、里芋などの野菜類と一緒に鍋の水の中へ柿の皮を入れ、だしのようにして5分か10分煮出す。すると柿の皮の糖分がみんな湯にとけてしまうから、大体とけたところで柿の皮だけ出して、これに醤油などの調味料を加えて煮つければよい。柿の皮を出した後で調味料を加えないと柿の皮に味がついて、それだけ調味料が不経済になる。しかし、柿の皮は生の時よりも乾した方が水分が少なくて甘味を強く感じるから、陽に乾してすり鉢ですって粉にして用いると保存もできて便利である」と書いている。
1944年以降は代用食の内容は粗悪となり、1944年4月30日の記事には、「藁うどんの腹でさあ出炭、鶴嘴戦士に贈る変わった決戦食」と題して、「藁うどん、藁のパンといっても牛や馬の餌に用いる生の藁ではない。稲藁を粉末にして適当な科学的処理を加え、あらめ(こんぶ科の海草)やかじきなどヨード分の濃厚な海藻や小麦粉を混ぜて作った新決戦食糧、名づけて『瑞穂麺』、『瑞穂パン』が炭鉱の北九州を舞台に代用食時代の脚光を浴びて登場した。原料藁の入手もこのほど試食をした内田農商相も『せめて九州の鶴嘴戦士だけでもうんと食べて貰いたい』と考慮を約したとあるから、栄養価値はともかく、文字通り米の成る木の牛飲馬食で満腹感を味わえる日も近いものとみられる」と書いている。
これが一般庶民の実態に近い食糧事情であったと考えてよいであろう。
また、このような食糧事情にありながらも、すべての国民が苦しんでいたわけではなく、資産家は悪知恵を巧みに働かせて、優雅な生活をしていた事が投書によって明らかである。
1944年11月3日の同紙投書欄には、「熱海や伊東に別荘を持っている人たちが最近急に自分の門札をはずして別に留守番や別荘番の門札をかけて世間の目をごまかしている。伊東や熱海には何々錬成所とか、何々塾とかいった大きな看板を無人の大きな建物にぶら下げるのと、大きな門構えの屋敷や別荘の片隅に小さな門札をかけるのとが流行している。この小さな新しい門札は別荘番か屋敷の留守番をしている人の門札で、御本人達は一カ月に一度か二度、東京からやって来て、別荘番や留守番に買わせておいた魚や野菜を持ってすぐ東京に帰ってしまう。御本人達は表向きは小さな名札の掛かっている別荘番の家を借りたり、間借りしたりしている事になっている。大別荘や大きな屋敷に割り当てられた分の愛国貯金は『自分たちは生活が苦しいから貯金なんてとてもできない』との理由で隣組の庶民の家庭で分担しなければならない実情です」との内容が載っている。
これは現代日本においても同様である事は少し周りを見渡せば納得できるであろう。
メディアは「すべてを伝えない」。メディアの情報操作の手法は、「書かない、見せない、ウソをつく(事実を伝えない)」というものである事を頭に置いておこう。
メディアは「すべてを伝えない」。「彼らにとって経営上都合の悪い事、不利益になる事は伝えない、ウソをつく(事実を伝えない)」という事である。
メディアは「意図をもって伝える」。「世論操作(洗脳)をするために事実を歪め誤魔化して伝える」という事である。
真実には、何事も鵜呑みにせず疑問を持ち、自らの努力によってその疑問を晴らす努力をしてこそ近づく事ができる。
(2017年1月8日投稿)