「さかい利晶の杜」は、2024年5月18日から開催する企画展「堺から世界に響け『君死にたまふことなかれ』」で、与謝野晶子の日露戦争時の反戦詩『君死にたまふことなかれ』の多言語翻訳を紹介し、「晶子の平和の思想」を世界に届ける事を試みるという。しかし、このような「与謝野晶子」の取り上げ方は、企画者にとって「晶子」の都合の良い評価だけで「晶子像」を作り上げ利用したものであり、晶子の生涯にわたる「生き様」を歪曲し捏造した、「歴史修正主義」的な姿勢に立つものであり、評価できるものではない。
つまり、与謝野晶子はその後「主戦論」に「変節」するからである。1910年の「大逆事件」の後、晶子自身はこの反戦詩や『みだれ髪』について「口を閉ざす」ようになっている。大正時代(1911年~)には「男女平等論」を展開するが、他方、昭和時代(1925年~)に入ると、旅順を旅した際、「ここで陣没した同胞の思いを生かすためにも、満蒙に自由な労働の場を開くべきである」と主張している。さらに「大東亜戦争」(アジア太平洋戦争)においては、息子の「出征」を励まして、「み軍にゆくたけく戦へ」と歌っており、明らかに「主戦論」へと「変節」しているからである。
(2024年5月16日投稿)