国旗を「日の丸」、国歌を「君が代」と定めた「国旗国歌法」を自民党政権が可決成立させたのは1999年8月13日であった。99年2月に広島県世羅高校の校長が、国旗として日の丸掲揚と国歌として君が代斉唱を要求した文科省と、それに反対した教職員組合の板挟みとなり、自死した事件をきっかけに、小渕恵三政権は法制化を急いだ。野中広務官房長官が法制化の必要性を主張し、日本会議も熱心に運動を展開した。
1999年6月4日、日本会議の副会長・小田村四郎、顧問の石井公一郎、常任理事の大原康夫、事務総長の椛島有三、日本会議国会議員懇談会の平沼赳夫、衛藤晟一、安倍晋三、高市早苗らが首相官邸で小渕首相と会い、「国旗国歌法」の早期法制化を求める以下のような「要望書」を手渡した。
「国旗(日の丸)、国歌(君が代)は、国民の圧倒的な支持を得て定着し、国際社会においても広く認知されて、すでに慣習法として確立しています。にもかかわらず、教育現場においては、一部反対勢力の妨害により、その扱いをめぐり未だ大きな混乱が生じており、日本の将来に大きな禍根を残す事は必至です。政府におかれては、次代を担う青少年が国旗・国歌への敬愛の精神を養うために、国旗・国歌の法制化を早期に実現されるよう要望いたします」
「国旗国歌法」が参院本会議で可決成立した際には、「日本会議」は衆院第二議員会館で緊急集会を開き、「日本会議」の機関紙とみなしてよい『祖国と青年』(1999年9月号)には以下のように伝えてた。
「参議院本会議で国旗国歌法が可決された瞬間、モニターの画面を見つめていた約二百名から大きな拍手がわき上がった。立ち上がって万歳三唱、喜びが漲る……」
(2022年12月6日投稿)