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日本会議2001年刊『新憲法のすすめ……』を基にした自民党憲法改正草案と国民主権

2024-09-29 12:31:54 | 日本会議

 自民党と密接な関係をもつ「日本会議」の「新憲法研究会」が編集し、2001年に刊行した『新憲法のすすめ……日本再生のために』(明成社)は、自民党が2012年に作成した『日本国憲法改正草案』の基調をなしているが、その事を象徴するものとして、『新憲法のすすめ……』の「憲法前文」を以下に紹介しよう。一言でいえば、現行国民主権の憲法を否定するものである。

「我々日本国人は、古来、人と人との和を尊び、多様な価値の共存を認め、自然との共生のうちに、伝統を尊重しながら海外文明を摂取・同化する事により独自の文化を築き、天皇と国民が一体となって国家を発展させてきた。我々は、このようなわが国固有の国体に基づき、民意を国政の基礎に置く明治以来の立憲主義の精神と歴史を継承発展させ、国民の自由と権利を尊重するとともに国家の一員としての責任を自覚して新たな国づくりへ進む事を期し、併せて世界の平和と諸国民の共存互恵の実現に資する国際責任を果たすために、この憲法を制定する」としている。

 日本会議の事務総長を務めている椛島有三氏によると、国民主権を否定している。日本会議の実質的機関紙である『祖国と青年』からその事実を以下に紹介しておこう。

「日本の政治史は、天皇が公家、武士、政治家に対し政治を「委任」されてきたのが伝統である。天皇が国民に政治を委任されてきたというのが日本の政治システムであり、西洋の政治史とは全く歴史を異にする。天皇が国民に政治を委任されてきたシステムに、主権がどちらにあるかとの西洋的二者択一論を無造作に導入すれば、日本の政治システムは解体する。現憲法の国民主権思想はこの一点において否定されなければならない」(1993年4月号より)

(2022年12月5日投稿)

 

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日本会議を支える伊勢神宮を本宗とする神社本庁を頂点とする神社神道の思想

2024-09-29 12:26:11 | 日本会議

 神社本庁自らが1946年に創刊した機関紙『神社新報』の2015年11月23日の「論説」には、

「日本の歴史と国柄に基づいた憲法改正の早期実現を目指して「美しい日本の憲法をつくる国民の会」が設立されて以来、日本会議神道政治連盟が中心となって国民運動を推進してきたが、すでに全都道府県で「県民の会」が結成され、賛同署名は445万人に達し、国会議員署名も超党派で422人を獲得するに至ってゐる。これは大きな運動の成果であるが、今後なお1千万の賛同署名の達成と、国会議員署名及び地方議会決議の獲得を目指して邁進していかねばならない。憲法改正の国会発議を促すためには、広く国民の熱誠に基づく運動を盛り上げていくしかないからだ。……現在、憲法改正の秋がやうやく到来した。すでに衆議院では改憲派の勢力が3分の2に達しており、安倍総裁の任期も3年ある。あとは来年7月の参院選で改憲派の勝利を目指して全力を集中する事だ。参議院で改憲派が3分の2の議席を確保できれば、いよいよ国民投票に持ち込める。神社界の中には未だ、なぜ神職が憲法改正の署名活動までやらなければならないのか、といった疑問を抱く人もゐると聞く。しかし、もしも神職が宮守りだけを務め、国の大本を正す活動に従事しなかったら、この国は一体どうなるのか。心して考へてみなければなるまい。我々自身の熱意と活動努力によって憲法改正は是非とも実現しなければならないのである」

と強調している。

 神社本庁については、ケネス・ルオフ著『国民の天皇─戦後日本の民主主義と天皇制』(2003年)によると、

神社本庁戦前の政治体制とイデオロギーを復活させる足がかりとなる施策を強く支援してきた。米国製の憲法に象徴される戦後体制(レジーム)を拒否しながら、戦後、主として➀政教分離を定めた憲法第20条の廃止もしくは別の解釈の確立、②皇室崇敬の強化、を目標に掲げてきた。そして日本の47都道府県にまたがる支部を通じて、8万以上にのぼる神社の活動を統合している。神社本庁はまたいくつかの関連団体を支援しているが、その中には神道青年全国協議会や全国敬神婦人連合会なども含まれている」

とある。

 神社本庁自身も神道政治連盟(神政連)を1969年11月8日に結成し、自民党など保守政界を支援しており、神政連の訴えに呼応する神政連国会議員懇談会も作っている。神政連の政策目標は、

➀世界に誇る皇室と日本の文化伝統を大切にする社会づくりを目指す。

➁日本の歴史と国柄を踏まえた、誇りの持てる新憲法の制定を目指す。

③日本のために尊い命を捧げられた、靖国の英霊に対する国家儀礼の確立を目指す。

④日本の未来に希望の持てる、心豊かな子どもたちを育む教育の実現を目指す。

⑤世界から尊敬される道義国家、世界に貢献できる国家の確立を目指す。

などであり、つまり、皇室尊崇の社会づくり、新憲法の制定、靖国神社への国家関与の強化などであり、戦前の政治体制とイデオロギーの復活、戦前体制への回帰である。

 現在、神職はどこで取得できるのか。神道学科をもつ国学院大学皇学館大学の2大学でしか取得できない。国学院大学は1882年、神聖天皇主権大日本帝国政府が国家神道を支える神職の養成機関として設立した「皇典講究所」が母体である。皇学館大学も1882年、伊勢神宮が創設した神官養成機関「神宮皇学館」が母体である。大日本帝国政府は1903年、内務省所管の官立学校とし、1940年には官立大学の神宮皇学館大学とした。敗戦後、GHQの「神道指令」により廃学となったが、神宮皇学館出身者や政財界の有力者が1962年、私学として現在の皇学館大学を再興した。

 その教育方針は、伊勢神宮祭主・賀陽宮邦憲王が1900年に発した「令旨」を「奉戴」し、「神宮皇学館教育の旨趣は皇国の道義を講じ皇国の文学を修め之を実際に運用せしめ」るためとしている。

皇学館高校の教職員研修用冊子では、「皇国」とは「天皇がお治めになる国」との意である。

(2022年12月2日投稿)

 

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首相閣僚の伊勢神宮参拝:天皇と結託して政教分離原則を形骸化し憲法改悪のための既成事実づくり

2024-09-29 12:07:00 | 宗教

  安倍首相と閣僚は2017年1月4日、伊勢神宮に参拝した。これについてメディアは、何の問題も感じないためなのか、また、故意に何の問題もないように国民に思わせるためなのか、「当然の事」であるかのように「新年の参拝は歴代首相の恒例行事」(正確には1967年佐藤栄作に始まる)であると報じただけで、まったく「批判」も「非難」も「抗議」もしなかった。しかし、伊勢神宮参拝は靖国神社参拝問題と同様に、憲法に定めた「政教分離原則」や「信教の自由」に「違反」する問題行為である事は明白である。

岸田首相も2023年1月4日伊勢神宮を参拝した。2回目。

 伊勢神宮は古代(おそらく天武または持統天皇の頃)、皇祖神としての地位を確立したが、皇室の力が衰えた中世以後は農業神として民衆の信仰を集め、伊勢講などの崇敬者(氏子)団体が組織され、大きな影響力を持っていた。しかし、明治政府は国家神道体制の下で1871年、「中古以来」対等の地位にあった皇祖神を祀る内宮を農業神である外宮の上位に置き、1899年には氏子団体として組織整備した神宮教会を解散させ、神宮奉斎会を設立し、神宮を皇室専有の祖先神祭祀の場として国家神道の神社体系の最高位に位置づけた。敗戦による占領政策「神道指令」(1945年12月)により国家神道は廃止されたが、宗教団体神社本庁を設立(1946年2月)し、宗教法人の一つとなった伊勢神宮はその本宗に就いた。そのため、国家神道時代の天皇中心の国体の教義と神社の中央集権的編成は形を変えて存続する事となり今日に至るのである。祭神は皇祖神で記紀神話にみられる天照大神である。だから、安倍首相やその閣僚による神宮参拝は、「天皇の祖先は天照大神であり、天皇は神の裔である」という神話と宗教観を基にした宗教行為であるという事ができ、天皇と結託して行っている行為と言う事ができる。また、安倍首相とその閣僚は、税金(公金)で生計を営み宗教行為も行っているという事ができる。

  日本国憲法では政教分離の原則がうたわれており、第20条「信教の自由」において、「①信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。②何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加する事を強制されない。③国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教活動もしてはならない。」、第89条「公の財産の支出又は利用の制限」において、「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、……、これを支出し、又はその利用に供してはならない」としている。

 日本国憲法において、なぜ「政教分離の原則」がうたわれたのか?それを明瞭に述べたものが1971年5月14日の津地鎮祭訴訟」名古屋高裁判決である。以下抜粋して紹介する。

「わが国において政教分離の原則を正しく理解するためには、戦前戦中における神社神道と国家権力との結合がもたらした種々の幣害との関連で、これが憲法上明文化された事を想起しなければならない。…1871(明治4)年教部省はいわゆる三条教憲(①敬神(=皇祖神)愛国(=現人神天皇)の旨を体すべき事、②天理(=天皇支配の正統性)人道(=臣民の道徳)を明らかにすべき事、③皇上(=天皇)を奉戴し朝旨を遵守せしむべき事)をもって、天皇崇拝と神社信仰を主軸とする近代天皇制の宗教的政治的思想の基本を示し国民を神道教化した。そして、同年政府は社格制度を系列化し、伊勢神宮を別として、官国幣社(靖国神社は別格官幣社とされ、官幣小社と同待遇)、府県社、郷社、村社及び無格社の5段階に定め、中央集権的に神社を再構成し、神社には公法人の地位を、神職には官公吏の地位を与えて他の宗教には認めない特権的地位を認めた」「戦前の国家神道の下における特殊な宗教事情に対する反省が、日本国憲法20条の政教分離主義の制定を自発的かつ積極的に支持する原因になっていると考えるべきであり、わが国における政教分離原則の特質は、まさに戦前、戦中の国家神道による思想的支配を憲法によって完全に払拭する事により、信教の自由を確立、保障した点にある」「過去の歴史において、…政治と宗教とが対立した場面は枚挙にいとまがない。近くは先に述べたとおり、戦前における国家神道の下で、信教に自由が極度に侵害された歴史的事実を顧みると、信教の自由(無信仰の自由を含む)を完全に保障するために、政教分離がいかに重要であるか自ら明らかである」「本件において、津市が地鎮祭を神社神道式で行ったところで、取り立てて非難したり、重大視するほどの問題でないとする考え方は、先に述べたような人権の本質、政教分離の憲法原則を理解しないものというべきである。政教分離に対する軽微な侵害が、やがては思想・良心・信仰といった精神的自由に対する重大な侵害になる事を怖れなければならない」以上。

 敗戦まで効力を有した大日本帝国憲法では、神社神道を国教とする「政教一致の原則」であった。1889年2月11日、大日本帝国憲法の公布により、第2章「臣民(国民)権利義務」の第28条で、「日本臣民は安寧秩序を妨げず及び臣民たるの義務に背かざる限りに於いて信教の自由を有す」とされ、第31条では、「本章に掲げたる条規は戦時又は国家事変の場合に於いて天皇大権の施行を妨げることなし」とされた。つまり、明治10年代後半に確立した神社神道(国家神道)は「宗教にあらず」という屁理屈で、あらゆる他の宗教より上位に位置づけられ、それへの対応(信仰)を臣民(国民)の義務(道徳)として強制した。

 また、神社神道(国家神道)は国家の運営業務とし、①祭祀の制度は国家に於いて定める。天皇は最高祭祀者。②神宮司庁を国家の官庁となし、その斎主及び宮司を官吏とする。③国家の権力をもって社格・祭式・任務を定める。④国家の権力をもって神官神職の資格階級・任司法・監督法を定め、従って位階勲等を定める(神官神職は政府が任命する)。なおまた純然たる国家の官吏をして、祭祀に従事せしめる事がある。⑤国庫金及び自治体の資金をもって神社を維持する、などと定めていた。

 これにより、神社の事を論じる者は非国民」視され、他の思想は抑圧された。帝国議会においても、神社造営に関する予算は議論せずに可決された。神社の事といえば皆口を閉じた。「さわらぬ神に祟り無しとなった。「神国日本」の意識昂揚を強化していく。1937年の盧溝橋事件を契機に日中戦争を開始した大日本帝国政府は、1939年9月1日以後、「国民精神総動員運動」の一環として毎月1日を興亜奉公日とした。「興亜」とは、アジアを興す、「奉公」は「戦場の労苦をしの」び私生活を後に回し、「公け」のために「奉仕」しよう、という趣旨である。「興亜の大業を翼賛(協力)」するために、個人生活の色々な欲望を抑え、切り詰め、真面目に働く日」という意味である。この日には全国民が早く起きて神社に参拝する事を義務づけた。1942年1月8日からは、毎月8日の大詔奉戴日に切り替え、「「太平洋戦争」完遂という目的を国民に浸透させた。

 日本国憲法では、明治から敗戦までの「政教一致の原則」を反省して、冒頭にしめした「政教分離」を原則とした。そして、第99条「憲法尊重擁護の義務」では、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」とした。「擁護」とは、憲法を破壊する行為に対して抵抗し、憲法の実施を確保する、という意味である。

 天皇はこの「政教分離の原則」について、尊重擁護義務を果たしているといえるであろうか。たとえば、2015年9月26日から10月6日まで、和歌山県で国民体育大会が開催され、天皇皇后が出席した。天皇が全国各地に出かけると、敗戦までの制度にならい、その都道府県の旧官国弊社、指定護国神社に幣饌料を供す。和歌山県でも9社が該当し、9月25日にみなべ町の宿所で河相周夫侍従長より各社の宮司に幣饌料が伝達された。各社では幣饌料を神前に供え奉告祭を実施した。戦後、官国弊社制度が廃止されてから、天皇はこれまでに5回和歌山県を訪問し、今回が6回目であり、当該神社の拝殿の扁額には幣饌料を供された6回目の年月日が書き加えられた。

幣饌料とは、「幣帛料」と神饌にあてるための「神饌料」を両方合わせた金幣の事をいう。戦後は、「神社本庁」より傘下神社の例祭などの祭祀に「本庁幣」として金幣が供進されている。天皇からは、特に皇室と歴史的に由緒深い神社(勅祭社といい全国に16社)に、例祭などに勅使を派遣し、幣帛を供す。また、各地への訪問に際して、その地方の旧官国弊社や指定護国神社に対し幣饌料を供す事がある。

 ここに見られる「幣饌料」に関わる行為は明らかに第99条にある義務に違反する内容である。第20条「信教の自由」と第89条「公の財産の支出又は利用の制限」の内容を「尊重擁護」する「義務」を果たしておらず正反対の行為であると見做す事ができるからである。まず、第89条に関しては、天皇は公金(税金)により生計を営んでいるにもかかわらず、神社神道(敗戦までの国家神道の基盤)という宗教組織団体の使用、便益若しくは維持のために公金を支出しその利用に供していると見做す事ができるからである。また、第20条に関しては、神社神道が国(天皇)から特権を受けている事になり、政治上の権力を行使していると見做す事ができるからである。加えて、「幣饌料」伝達行為が神社神道についての国民に対する教育活動(宗教教育、宗教的活動)の効果を発生させているからである。つまり、「このような行為は、憲法に違反しないのだ」との認識を国民に浸透させ洗脳する効果を生むからである。そして、それが国家神道復権の環境を培う事につながるからである

 「神社ブーム」が拡大しています。特に若者の間で。これは自然現象ではなく、国家神道復権を狙う仕掛け人(日本会議)が意図的に扇動し、神社神道に対してアレルギーをなくさせ、楽しく親しみやすいものだというイメージを抱かせ、国家神道復権のための環境づくりをしているのです。このような「神社ブーム」の拡大がいつしか、安倍首相のいう「伊勢神宮は日本の精神性に触れる大変良い所」とつながる事になるのである。「神社ブーム」は「現代版ええじゃないか」といえるが、後に若者たちはその神社に裏切られる事になるだろう。また、「天皇のために戦死してくれてありがとう、これからもあなた方の後輩に対して、次の戦争で死んでくれるための模範になってください」という意味を持つ、「英霊(優れた人の霊魂)に対し感謝」という言葉を繰り返して靖国神社を参拝する閣僚や国会議員たちともつながる事になる。彼らの参拝や真榊・玉串料奉納の行為も、天皇の「政教分離の原則」違反のところで述べたように、天皇と同様に、第20条、第89条、そして第99条にいう「憲法尊重擁護義務」に違反している。

 しかしそれを、自民党安倍政権は『憲法改正草案第20条「信教の自由」第3項では、「国及び地方自治体その他の公共団体は、特定の宗教のための教育その他の宗教的活動をしてはならない。ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りではない。」とし、第89条「公の財産の支出及び利用の制限」第1項では、「第20条第3項ただし書きに規定する場合を除き、宗教活動を行う組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため支出し、又はその利用に供してはならない。」と改悪しようとしている。「『憲法改正草案』の第1章「Q&A」Q19によると、第3項の後段の「社会的儀礼又は習俗的行為の範囲をこえないものについては、この限りではない」という文言を加えた理由を、地鎮祭に当たり公費から玉串料を支出する問題が解決するとしている。つまり、玉串料は社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものであり、公費支出しても問題はない、という考え方なのである。地鎮祭や玉串料は神社神道の宗教活動そのものであるが、自民党の考え方は「政教分離の原則」を緩和しそれを根拠に「神社神道に特権を与え宗教教育や宗教活動を合法化し、国家神道復権を図りたいという事なのである。

 『憲法改正草案』では第102条が「憲法尊重擁護義務」となっているが、それによると第1項は「新設」され、「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」。第2項は「国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う」となっており、「天皇又は摂政」の文言が削除され、擁護義務は負わない事になっている。つまり、「神社神道」を擁護する義務は「天皇及び摂政」以外の「国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員」という事になり、その憲法を「尊重」しなければならない「義務」を負うのは「国民」という事になる。この仕組みこそが「国家神道」なのである。これによって、天皇の神社神道に基づく宗教的行為や宗教教育活動、閣僚や国会議員の伊勢神宮や靖国神社の参拝、公金による真榊・玉串料の奉納、神社神道に対する学校教育・国民教育もすべて合法化されるのである。

 ※玉串料訴訟の代表例は愛知県玉串料訴訟で、1997年4月2日の最高裁判決では、愛知県が公費で靖国神社への玉串料支出した事に対し「憲法違反」としている。政教分離・靖国神社をテーマとした訴訟では最高裁で初めての違憲判決であった。

※国家神道(伊勢神宮・靖国神社など)については、他の稿にも色々書いていますのでそちらを是非ご覧ください。

国民体育大会は「神社神道(国家神道)」組織の活動と深く関係している。 

(2017年1月15日投稿)

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現実主義の現実とは、自公政府の価値観によって築かれたもの

2024-09-28 23:53:15 | 防衛

 「普遍的価値」を大切にしようとする姿勢に対し、「現実主義」を主張する政治的態度は、与えられた現実(現状)を、その根本的理由を追及する事なく、あるがままを容認し、その容認の上に思考(政策)を打ち立てていこうとする態度である。又、その「現実主義」者の目に入る現実(現状)は実際に目に映る現実(現状)でしかない事が多い。そして、そのような現実(現状)はほとんど、「政府の価値観」とそれに基づく政策によって築かれてきた現実(現状)なのである。「現実主義」者は現実(現状)に根本的疑問を持っていない。その容認の上に、思考(政策)を組み立てる。したがって価値観において、「現実主義」者の最大の特徴は、「普遍的価値観」といえるものではなく、「政府の価値観」であるといえる。「現実主義」者は、「政府の価値観」をはなれ、「個人の価値観」に基づいて思考する事はほとんど不可能である。「現実主義」者は、「普遍的価値観」を言葉にしても、それは「個人の価値観」で裏打ちされたものではないため、「口先だけ」や具体性のない言葉だけ」のものに過ぎないのである。このような国民が多いほど、岸田自公政府にとって都合のよい政策を実現する上で、都合のよい政治状況である事はいうまでもない事である。

(2023年1月9日投稿)

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(改訂版)岸田首相の安倍追悼の辞を読み解く

2024-09-26 23:28:52 | 国葬

 2022年9月27日、安倍氏の「国葬」名の違憲違法の非合法葬儀を強行した岸田首相が、自身の「追悼の辞」にどのようなメッセージを盛り込んでいるのかを、思いつくまま読み解いてみよう。

 まず、「追悼の辞」の最初に「従一位、大勲位菊花章頸飾」と安倍氏が受章している勲位名を述べているのは、安倍氏を「国葬」とする事が、敗戦までの神聖天皇主権大日本帝国政府における「国葬令」(1926年10月21日公布、1947年12月31日失効)に基づき正当なものであると表明しているという事である。「国葬令」第3条には、「国家に偉功ある者に対し、天皇の特旨により国葬を行う事ができる」とあり、「国家に偉功ある者」とは、複数の組閣経験と没日以前に最高位の「従一位、大勲位菊花章頸飾」を授賞している事などとなっていたからだ。戦前回帰をめざす岸田自民党首相としては当然の事だったのだ。また、国民の反対を押し切って強行実施したのは、実際はどうであれ、本来の「国葬」を実施したように後世の国民に思い込ませるために、歴史を捏造するためでもあった。そのためには、現行の憲法や法制度において違憲違法であろうと、国民の非難反対に遭い黙祷や弔意表明の協力を要請できず戦前のように実施できなかろうが、何が何でも「国葬」の名称使用にこだわったのである。これは意図的な憲法や法律の蹂躙であり、現行の民主主義政治体制国家体制を変更する政治テロ行為である。

 岸田首相は、現行の民主主義政治体制国家体制を変更し、敗戦までの神聖天皇主権大日本帝国政府への回帰をめざした安倍自公政治を正当化し、積極的に支持し継承する決意を表明している。例えば、「この国の進むべき道を、聴衆の前で熱く語りかけておられた」「あなたは、まだまだ、長く、生きていてもらわなければならない人でした」「日本と世界の行く末を示す羅針盤として、10年、いや20年、力を尽してくださるものと、わたくしは、確信しておりました」「わたくしは、外務大臣として、その時代を生きてきた盟友としてあなたの内閣に加わり、一意専心取り組むことができたことを、一生の誇りとする」「(拉致事件について)わたくしはあなたの遺志を継ぎ、全力を尽くす所存です」「あなたが敷いた土台のうえに、持続的で、すべての人が輝く包摂的な日本を、地域を、世界をつくっていくことを誓う」などの表現に、安倍自公政治のすべての正当化と安倍氏に対する熱い支持の意思を表明している。偏向した憎しみや加害者意識のない正義感も含めて

 岸田首相が支持する安倍自公政治については、「次々と戦後置き去りにされた、国家の根幹的な課題にチャレンジした」事であると評価し、それはまず「私たちの国日本は、美しい自然に恵まれた、長い歴史と独自の文化を持つ国だ」という表現は神聖天皇主権大日本帝国政府への回帰の意志を伺わせる。具体的に「(安倍氏の)国民へのメッセージは、シンプルで明快でした。戦後レジームからの脱却。防衛庁を、独自の予算編成ができる防衛省へ昇格させ、国民投票法を制定して、憲法改正に向けた、大きな橋を架けた。教育基本法を改め新しい日本のアイデンティティの種を蒔きました」と述べ、岸田氏は神聖天皇主権大日本帝国政府への回帰をめざす意志を明確にしている。

 岸田首相が支持する安倍氏の安全保障政策については、「米国との関係を格段に強化し、日米の抑止力を飛躍的に強くしたうえに、インド、オーストラリアとの連携を充実させて「クアッド」の枠組みをつくった」「平和安全法制、特定秘密保護法など、我が国の安全は、より一層保てるようになった」とし、対中国、ロシア、北朝鮮に対する敵視政策を支持している。

 岸田首相は、日本の青年たちに対し、安倍氏のように生きる事を勧めナショナリズムの高揚を煽っている。「『戦後レジームからの脱却』を実現するのは、私たちの勇気と、英知と、努力である。日本人であることを誇りに思い、日本の明日のために何をなすべきかを語り合おうではないか」と述べ、安倍氏を、「あなたこそ勇気の人であった」と讃え、青年たちのめざすべき理想の人物と述べているのである。

 そして、岸田首相は、国民にはもちろん世界の人々に対しても、実態(米国追随の北朝鮮中国敵視政策のみの安保体制の強化や、沖縄県民の意志を無視した政治姿勢などなど書き尽くせない)とは全く正反対であり許すべからざる「欺瞞」を極めつくした言葉安倍氏を称賛顕彰している。それが「日本と、地域、さらには世界の安全を支える頼もしい屋根をかけ、自由、民主主義、人権と法の支配を重んじる開かれた国際秩序の維持増進に、世界のだれより力を尽したのは、安倍晋三その人でした」というものである。この「国際秩序」というのは米国政府(また将来的には日本の自民党政府)以外の政府がリーダーであってはならないとする考え方のものである。

(2022年10月1日投稿、2日改訂)

 

 

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