OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

The Beatles Get Back To Let It Be:其の五

2020-08-27 19:11:47 | Beatles

1969年1月の困難なセッションが31日で一応終了した後に残されたのは、約38時間分の映像撮影フィルムとそのシンクロ音声トラックが約96時間分、そして正式レコーディング音源となる約28時間分のマルチトラックで録られたマスターテープでした。

そしてフィルムからは、とりあえず1時間半程度の本篇とそのおまけ的なメイキング・ドキュメントの2本が同時進行的に作られていきましたが、問題はその音源を基にして発売が予定されているレコードの製作でした。

なにしろ1月30日の屋上セッションと翌日のスタジオセッション以外の部分は、完奏されている曲がほとんど無い状態でしたし、新曲はもちろんの事、オールディズ曲にしても纏まりが無く、膨大なテイクが重ねられていただけの状態でした。

その原因はリハーサルも含めて、録音現場に纏め役が不在であった事、つまり公式デビュー以来のプロデュースを担当していたジョージ・マーティンが、今回はほとんど関わっていないという現実でした。

では、何故そうなったのか?

諸説はありますが、個人的には今回のセッションが映像作品を作ることを優先していた所為ではなかろうかと、推察しております。

ご存知のように、欧米は各職業別に組合があってその力は絶大!

最初に何か仕事をするためには、その業種の組合に加入しなければ働く事が出来ません。

つまり現場で映像の仕事に関わるためには、映像関連の組合に加入していなければならず、おそらくジョージ・マーティンが非組合員であったことは容易に想像出来ます。したがって、セッション初期にトゥイッケンナム・フイルム・スタジオで行われたリハーサルにおいても、その録音は撮影班主導で行われ、彼は現場にいても口を出す事が出来なかったんじゃ~ないでしょうか?

それでは、これ以前のビートルズの映画「ハード・デイズ・ナイト」「ヘルプ」「マジカル・ミステー・ツアー」ではどうだったのかと言えば、そこには楽曲が先にあり、映像として彼等が歌う部分は基本的に所謂「口パク」、したがって音楽部分と映像部分は切り離して考える事が出来ます。もちろん、アニメ作品の「イエロー・サブマリン」も同様です。

しかし、今回の場合はそうはいきません。

音楽を生み出す場面を映像で追う、しかもその目的が放送用ライブショウの製作とあってはっ!

で、肝心の撮影班はドキュメントを撮るという趣旨で、ビートルズのメンバーに演出を施すわけもなく、また彼等も基本は生演奏一発という方針に甘え、さらにポール以外のメンバーに無気力ムードが蔓延していた様ですから、ダラダラとした時間だけが記録され……。

この状況はアップル・スタジオに移ってからも基本的に変わる事は無かったと思われます。

それは「其の参」でも述べたとおり、既にジョージ・マーティンは当時EMIを辞めて別会社を経営する身分になっており、ビートルズは自分達の会社を設立して原盤製作の主導権を握っていました。またこれまでの経験からスタジオでの仕事の要領というか、進行方法は彼等なり掴んでおり、また製作方針が複雑な録音作業を必要としないライブショウ仕立のシンプルな生演奏という事で、彼等、特にポールには自信とある程度の目安があり、この際全てを自分達で仕切ってしまおうという目論みがあったのではないでしょうか?

で、ここで浮かび上がってくるのが、一応録音エンジニアという名目で参加したグリン・ジョンズの存在です。

掲載のスチールショットでポールの隣に立っているのが、そのグリン・ジョンズで、このプロジェクトに参加した時は27歳でしたが、高校生の頃からロンドンの音楽録音スタジオで修行を始め、この時までに何人かの有能なプロデューサーの下でローリング・ストーズ、フー、キンクス等々のヒット曲作りに関わっていたキャリアの持ち主です。

しかも立場はフリーランス!

イギリスでは最も早い時期に活動を開始したフリーの録音エンジニアで、当然、映画やテレビ関係の仕事もこなしており、組合に加入していたのは確実だと思われます。

どんな職業でも良い仕事をこなすためには、それなりの専門知識と技術・経験が必要です。それは音楽録音とても例外ではなく、映像スタッフが録音するシンクロ音声は台詞や擬音はきちんと処理出来ても、ロックの音を上手く扱えるか否かは未知数です。グリン・ジョンズがポールから参加要請を受けたのは、1968年12月末頃らしいのですが、おそらくポールのこの行動は、その点に不安を抱いた末の結論だったと思います。

そしてトゥイッケンナム・フイルム・スタジオで行われたリハーサルの録音に関して、実際に彼が様々な指示を出していたのは間違い無く、それは音質の良し悪しに関わらず、海賊盤に収録されたリハーサル音源とアップル・スタジオで録音された音源を聴き比べれば、その音の雰囲気に共通性を感じてしまう事からも明らかです。

しかし、そのグリン・ジョンズにしても、所詮は余所者です。

現場にはジョージ・マーティンが顔を出す日があり、加えてビートルズ内部の人間関係は最悪!?

また、この頃から常にジョンの側に寄添うオノ・ヨーコの存在にピリピリするスタッフ、そして音楽製作現場の勝手が分からない撮影班は、連日の長時間労働に疲れきっていたと言われており、年齢の割りにキャリアがあるグリン・ジョンズではありますが、おそらくは……、そんな中での仕事は相当にやりにくかったんじゃ~ないでしょうか。

そんなこんながあったからこそ、残された音源素材は3月まで手付かずで放って置かれたと思うばかりです。

おそらく、ビートルズ本人達にとっても、これは無かったことにしたいはずでした。

しかし、現実は非情です。

まず自分達の仕事の土台になるはずだった「アップル・コア」が経営不振、またEMIとの契約から4月中に新曲を出さなければならないという瀬戸際に追いつめられていたのです。

もちろん、こ~なると頼みの綱は1月のセッション音源だけとなり、そこでジョンとポールはグリン・ジョンズにその全てを渡し、事後を託すのですが、ビートルズのメンバーは誰一人、その作業現場には立ち会わなかったと言われております。

その理由は、その頃のグループ内の人間関係が尚更に悪化し、加えて周囲の思惑も絡んでドロドロとした壮絶なドラマが展開されていた事です。

そして……、アレン・クラインという男がそこへ登場した事から、ますます事態は混迷するのでした。

【参考文献】
 「ビートルズ・レコーディング・セッション / マーク・ルウィソーン」
 「サウンド・マン / グリン・ジョンズ」

注:本稿は、2003年9月23日に拙サイト「サイケおやじ館」に掲載した文章を改稿したものです

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The Beatles Get Back To Let It Be:其の四

2020-08-25 19:15:58 | Beatles

未来の何時の日か、タイムマシンが実用化すると思っている人には酷な話ですが、サイケおやじは、それは無いと思っています。

何故ならば、ビートルズが最後のライブパフォーマンスを演じたアップル本社の屋上には、ほんの少数の観客しかいなかったのですからっ!?

だって、もしもタイムマシンが未来に完成しているのなら、その場は夥しい人間で溢れかえっていたはずだと思うんですよねぇ……。

なぁ~んていうタイム・パラドックスも異次元空間も無視した様な妄想を抱いてしまうほど、それは寒々しい光景でした。

記録によると、その時の気温は摂氏2度、待ち受ける観客は後にジョンと結婚するオノ・ヨーコ、同じくポールの妻になるリンダ・イーストマン、リンゴの妻のモーリン、そしてジョージ・マーティンを含む関係者やスタッフ数名……。

ジョンとジョージは女物の毛皮のコートを着ているし、リンゴは「本当にここでやるのかい?」と言っている……。

ビートルズの2年半ぶりのライブ・パフォーマンスはそんな状況下でスタートしました。

しかし、それは結論から言うと、映画のクライマックスに相応しい、とんでもなくエキサイティングなショウになりましたっ!

演奏された曲目は、手元にある映像や正規盤及び海賊盤音源等によると、下記のようになります。もちろん同じ曲を繰返しているのは、ライブパフォーマンスとはいえ、やはり基本は非公開故の事、そのあたりをご理解いただいた上で、サイケおやじなりの検証結果を述べてみようと思います。

01 Get Back #-01
 これはほとんどリハーサルというか、肩慣らし的に進行しています。ジョンとジョージのギターもかなり不安定、おそらく寒くて手が悴んでいたのではないでしょうか……?

02 Get Back #-02
 このテイクも前と同様な雰囲気ですが、ポールとリンゴのリズムはなかなか安定しており、またポールのボーカルにも力が入っている様に感じますし、ジョンのノリは良くなっておりますが、相変わらずジョージは何をやっているのか分かりません。
 ここは映画でも屋上セッションの最初の曲として観る事が出来ますが、それはこの2つのバージョンを巧みにつなぎ合わせたものだと資料にありました。それが正解の処理、見事だと思います。

03 Don't Let Me Down #-01
 ここから突如としてバンドのノリが良くなります。
 特にジョンのボーカルが全開、味と上手さと力強さを兼ね備えた強烈なグルーヴを発散します。
 ここは映画版「レット・イット・ビー」にそのまま使われておりますので、ぜひ観ていただきたいところです。体全体から歌い、演奏することの喜びが満ち溢れているジョンの姿には、素直に感動するはずです。
 音楽的にはビリー・プレストンの弾くエレピが、ファンキーでありながらメローという黒人感覚を存分に発揮していて素晴らしく、最後のソロはもっと続いて欲しいと願うほどです。またギターとベースの絡みも強烈で、これまでスタジオでダラダラやっていたのは何だったんだっ!? と思わせるほどです。
 しかしながら現在、映画版「レット・イット・ビー」は絶版状態、音源的にも完全な形で公式発売されていないこのテイクは、映像版「アンソロジー」でもその一部にしか接することが出来ず、本当に残念です。
 もちろん、それゆえにブートが人気を呼ぶわけですが……。

04 I've Got A Feeling #-01
 前曲からのノリを引き継いで、これもなかなかの名演で、映画版および正規盤「レット・イット・ビー」にそのまま使われております。
 ジョンとポールの歌の絡みも強烈ですが、ジョージのギターが黒人系のオカズを入れてくるところが大好きです。
 この曲に限らず、当時の彼等の演奏に垣間見える黒っぽい雰囲気は、ここでも味のある技を披露するビリー・プレストンの影響でしょうか?

05 One After 909
 皆様 良くご存知のように、この曲はジョンが17歳の時に書いたもので、ビートルズとしても1963年に録音しており、その時はお蔵入りしましたが、現在は「アンソロジー 1」で聴くことが出来ます。それはジョンの歌い方等、当時としてはかなり粗野で泥臭い雰囲気に満ちていたとは思いますが、しかしこの屋上セッションのバージョンには敵うはずもありません。ロックン・ロールを飛び越してファンキー・ロックの風さえ、サイケおやじは感じてしまいますねぇ~~♪
 特にジョージのギターは1963年バージョンでは中学生程度だったものが、ここではファンキー!
 ジョンの嬉々とした身振りと歌!
 ここも映画版でそのまま使われていて、何度観ても飽きません。もちろん正規盤「レット・イット・ビー」にも収録されました。

06 Danny Boy
 前曲のラストに続けてジョンが唸りました。よほどノッていたというか、機嫌の良さがうかがえると思います。ちなみに原曲は北アイルランドの民謡「ロンドンデリーの歌」で、ここも映画版および正規盤「レット・イット・ビー」に入っております。

07 Dig A Pony
 はっきり言ってかなりダレた曲だと思いますが、それを生演奏でここまでキメてしまうのは流石!
 その決め手はやはりビリー・プレストンのキーボードの隠し味と、リンゴのファジーでタイトなドラムです。つまり安定していて許容範囲が大きいリズムを叩いているということです。他のバンドがやったら3分持たないだろうし、下手と言われているビートルズのライブバンドとしての実力を再考させられますよ。
 ここも映画版ではそのまま使われておりますので、じっくりご確認いただきたいところです。
 そこでは歌詞カードを持ってジョンの前に屈みこんでいるスタッフの姿も映っており、現場の雰囲気がダイレクトに伝わって、リアル感満点です。
 ちなみに正規盤「レット・イット・ビー」に使われたのは、このバージョンを元にして若干の編集が入っていると思います。

08 God Save The Queen
 様々な海賊盤だけで聴くことが出来るイギリス国歌の断片です。これが演奏された真相は、録音テープの交換による中断の間を持たせるために働かせたビリー・プレストンの機転だったとか……。

09 I've Got A Feeling #-02
 「04」に続く2回目の演奏になりますが、かなり荒っぽさが目立ちます。

10 Don't Let Me Down #-02
 これも「03」に続く2回目の演奏ですが、正規な発表は現在までのところ、無いと思われます。
 サイケおやじの持っているブートも、この部分の音が良くありません。
 実はビートルズが屋上で演奏しているというので、周辺の道路や建物の屋上等には偶然の幸運に恵まれた人達が集って来て混乱が起きていました。ついには警察が出動する事態になりますが、その一部始終はフイルムにしっかりと焼き付けられます。当然、この頃になると演奏現場である屋上にもその騒ぎが伝わってきて、彼等の演奏に集中力が感じられないのは、その所為かもしれません。

11 Get Back #-03
 この日3回目の演奏は完全にメチャクチャ、その一歩手前です。
 演奏を中止させるべく屋上に上がって来た警官に気を取られるジョンとジョージ、そしてスタッフ、しかし撮影班だけが不自然なほどに冷静です。
 そして曲は中断しそうになりますが、何とか持ち直して最後まで完奏され、その最後の方でポールが「屋上でプレイしていると、そのうち逮捕されるぜっ」とアドリブで歌詞を変えて歌います。
 さらに演奏を終えた後、ジョンが「グループを代表してありがとうと言います。オーディションには合格したいものです」とキメの一言!
 その一部始終は映画版「レット・イット・ビー」で観ることが出来ます。
 またその演奏の一部と警官にとっちめられるスタッフの姿は、映像版「アンソロジー」でも接する事が出来ますが、そこには未公開フィルムも使われており興味深いところでした。
 また、音源的には「アンソロジー 3」にミックスを整えて収録されております。
 そして……、この曲を最後に、約42分間の歴史的事件は幕を閉じました。

さて、こうして撮影されたこの屋上セッションは、演奏シーンと周辺に集まってくる人々、その混乱の様子と警察の出動等々を巧みに編集して、映画版「レット・イット・ビー」のクライマックスを形成しております。

しかし、これは純粋の意味でのドキュメントだと、サイケおやじには思えません。

それは周辺の混乱を映し出した映像に所謂「やらせ」の雰囲気が感じられるからで、例えば最初から集ってくる人々を撮影するために撮影班が待機していた事、その群集の中にどう見ても俳優やモデルという人種が混じっている事、例えば、ミニスカのお姉ちゃんとか、文句を言ってるおばちゃんとか、屋上にパイプをふかしながら昇ってくる爺さんとか……。

また、周辺ビルの屋上で見物している人々を撮影するカメラワークが計算づくを感じさせる場面もありますし、警官がアップル本社に入って来る場面を待ち構えていて撮影したカットまであります。

その全てが「やらせ」とは言いませんが、あらかじめ騒ぎが起こるのを想定した仕事という他は無く、警察の介入という部分まで、強烈な演出を感ぜざるをえません。

だいたい、誰が最初に警察に電話を入れたのかは、解明されているのでしょうか? スタッフの誰かが電話したとは思いたくはありませんので……。

とは言え、やはりここは興奮のハイライトでした。後のインタビューではポールもリンゴも「逮捕されたかった、逮捕されて連行される場面で映画を終わらせたかった」と述べている様に、メンバーにとってもこれは満足のいく演出だったという事なのでしょう。

これ以降、ビートルズの真似をして屋上でライブをやりたがるバンドが続出した事でも、その衝撃度・影響度・カッコ良さは絶大なものがありました。

ちなみにこのライブパフォーマンスは、厳密に言えばビートルズの契約違反だと言われております。

それはマネージャーだった故ブライアン・エプスタインと交わした、発売前の新曲はステージでは演奏しないという契約を破っていたという事です。したがって彼が存命ならば、こんな馬鹿げた企画は通るはずもなく、このあたりにも「運命のいたずら」の様なものを感じてしまいます。

そして翌1月31日、ビートルズは再びアップル・スタジオで映画版「レット・イット・ビー」で使われた「Two of Us」「The Long And Winding Road」「Let It Be」の他、数曲の撮影と録音を済ませ、長くてトラブルの多かった作業をどうにか収束させる事が出来ました。

しかし、本当の混乱と迷走は、ここから本格的に始まるのです。

【参考文献】
 「ビートルズ・レコーディング・セッション / マーク・ルウィソーン」

注:本稿は、2003年9月22日に拙サイト「サイケおやじ館」に掲載した文章を改稿したものです。

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The Beatles Get Back To Let It Be:其の参

2020-08-24 20:04:38 | Beatles

さて、こうして続行が決まったセッションは1月20日からアップル本社の地下に新設されたアップル・スタジオで再会される運びとなりましたが、ここでまたしてもトラブルが発生します。

それはアップル・スタジオの設備が全く使い物にならないという驚愕の事実でした。

その責任者はマジック・アレックスというビートルズの親しい友人で、その分野ではかなりの実力者だったと云われておりますが、アップル・コアの子会社であるアップル・エレクトロニクスの経営者に納まった彼は、そのスタジオを夢の様な設備にすると豪語!?

大金を使い放題につぎ込んでいたのに、出来上がっていたのはガラクタ同様……。あわてたスタッフは急遽アビイ・ロード・スタジオから機材を運び込むハメとなります。そしてどうにかセッション再開にこぎつけたのが1月22日のことでした。

当時はこんな金喰い虫が彼等の周りには大勢いたのではないでしょうか……。

で、レット・イット・ビー・セッションの正式な録音はこの時点からスタートする事になりますが、それではこれ以前の関連音源は何かと言えば、撮影していたフィルムのシンクロ音声トラックであり、そこから正規盤に使用されたのは短いお喋りの一言だけでした。

ただし後年、この音源は夥しい数の海賊盤として世に出る事になります。

また、アップル・スタジオ・セッションは一応ジョージ・マーティンがプロデューサーという事になっておりますが、実際の現場を仕切っていたのは録音エンジニアのグリン・ジョンズだった様です。

このあたりはビートルズが自分達の会社を持ち、原盤製作の主導権を得た事やジョージ・マーティンがEMIから独立して別会社を経営していた事、そして後々詳しく記述しますが、グリン・ジョンズがフリーの立場で実績を上げていた事等々、当時の状況が複雑に絡まった結果と推察しております。

そしてそれが後々、事態を尚更に混迷させていったのは言わずもがな、肝心のレコーディングと撮影は、以前の方針、つまりライブショウ仕立を貫くためにオーバーダビング等を排除した生演奏形式に拘ったために、そのサウンドの薄さを懸念したジョージ・マーティンの進言により、キーボード奏者を入れる事になり、そこで起用されたのがビリー・プレストンでした。

彼はアメリカの黒人プレイヤーでしたが、ビートルズが駆け出し時代の1962年にハンブルグへ巡業に行った際、リトル・リチャードのバンドメンバーとして当地を訪れていたという旧知の仲でした。そしてその日、つまり1月22日、偶然にもアップル本社のロビーでジョージと再会し、セッションに加わる事になったそうですが、それにしても彼が何の用事でそこに現れたのか、この謎は解けているのでしょうか?

この当時のビリー・プレストンは、世界的には無名でしたが、アメリカの音楽業界では大変な実力者として認められており、ナット・キング・コール、サム・クック、レイ・チャールズ等々の大物歌手やテレビショウのバックバンドで活躍しており、その音楽性はゴスペル、ジャズ、R&Bだけでは無く、広くポップス全体を包括するものでした。

その彼が参加した事により刺激を受けたのか、ようやくセッションも本調子!

1月終盤には多くの楽曲が完成形に近いものに仕上がり、このあたりの現場の雰囲気は映画「レット・イット・ビー」や映像版「アンソロジー」で観る事が出来る様に、メンバー全員がプロ意識に目覚めたというよりも、ビリー・プレストンという才能豊かな他人を前にしてバンドの恥を晒さない様にしていたと、サイケおやじには感じられますし、音楽的にも随所に聴かれるツボを外さないアクセントや彩りを添える大活躍!

その功績からか、彼はこの後にアップルから素晴らしい2枚のアルバムをリリースする事が出来ました。特に1枚目の「神の掟」はなかなかジェントルなソウル・アルバムです。またビートルズと共演したという事で、漸くにして彼の知名度は、その実力に追いつくほど大きく上がり、1973~1977年にかけてはローリング・ストーンズをサポートしてその音楽性をファンキーなものに大転換させるという黒幕となり、自分自身でも多くのヒット曲を連発していきます。

一方、映像の撮影も快調!

その責任者であるマイケル・リンゼイ=ホッグは以前にビートルズのシングル盤「ペイバーバック・ライター」のプロモーション・フィルムを手がけ、好評を得ていたので、メンバーからの信頼があったのかもしれません。

そしてついに、この企画のハイライトになったアイディアを実行に移します。

もちろん、それはアップル本社ビルの屋上で行われた、真昼のライブセッションでした。

これは元々、聴衆を前にして演奏したいというポールの意向を汲んでの目論見であり、しかも屋上ならばファンからは隔離されているという環境なので、他のメンバーも同意するに違いないというヨミがあったと思われますが、案の定、これにはジョンも乗り気で、反対するジョージとリンゴを説得した様です。

ちなみにアップル本社ビルはロンドンのサビル・ロウ3番地にあり、ここは日本でいえば東京・丸の内みたいな場所です。サイケおやじは以前、現場に行ったことがありますが、丸の内の路地裏みたいな雰囲気で、映画で観ていたよりも道幅の狭いところでしたので、そんな場所で真昼間にビートルズが演奏するなんてのは、音は聞こえるが、姿は見えないというヒネクレタ大サービスでしょう。

う~ん、如何にもジョンが好みそうで、マイケル・リンゼイ=ホッグ監督のお膳立ての上手さが光ります。

そして当日は今や歴史となった、1969年1月30日!

早朝から準備は入念に進められます。屋上にはカメラが5台設置され、また周辺の建物や道路にも撮影班が配置されました。録音には地下のアップル・スタジオの機材が使用されることになり、当日は強風のためにそのマイク設定には相当な時間がかかった様です。

こうして全ての準備が整った時、ロンドン市街は昼飯時、そこでいよいよビートルズ最後のライブパフォーマンスが始まるのでした。

【参考文献】
 「ビートルズ・レコーディング・セッション / マーク・ルウィソーン」

注:本稿は、2003年9月21日に拙サイト「サイケおやじ館」に掲載した文章を改稿したものです。

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The Beatles Get Back To Let It Be:其の弐

2020-08-23 19:30:04 | Beatles

ビートルズという人類の歴史の中にあって、未だ解明されていない多くの謎の中でも、通称「ゲット・バック・セッション」から「レット・イット・ビー」への流れこそは、残された資料の夥しさゆえに、何時までも答えの出ない証明問題かもしれません。

それでも、その発端を考察すれば、どこまでも遡る事は可能ですが、ここでは1968年5月の「アップル・コア」の設立発表と「ホワイト・アルバム」の製作開始という時点から話を進めたいと思います。

で、「アップル・コア」は簡単に言えばビートルズ自身の会社であり、自分達のやりたい事を自分達でやるという発想の元にスタートした、つまり現代でいうインディの発想だったと思います。

これには彼等の育ての親ともいうべきマネージャーのブライアン・エプスタインが、前年の夏に死去している事を抜きには語れない部分があり、案の定、纏め役がいないくせに「資金」と「顔」だけはあるという事から、ビジネスとしては成り立たない部分も多く、結果的にビートルズの足枷となりました。

それは同時期に開始されたレコーディング・セッションにも影響したのでしょうか、様々な意味で纏まりが無く、11月に「ホワイト・アルバム」として発表される事になるその内容は、ほとんどが彼等ひとりひとりの音楽的嗜好を反映させた曲の寄せ集めでした。

しかし、それらはスタジオ・テクノロジーを極限まで活用した「リボルバー」や「サージェント・ペパーズ」等々でこれまでに発表されていた楽曲とは違い、生演奏が可能であるところから、セッションも後半に入った頃、このアルバムの発表とタイミングを合わせて巡業コンサートを行うという企画が持ち上がってきます。

その言い出しっぺはポールと言われておりますが、その理由は「ファンを大切に」とは言うものの、「アップル・コア」の運営を軌道に乗せるための経済的理由もあった事は容易に推察出来るところです。

しかし、この巡業は他のメンバーに反対され、1回限りのライブギグならば良しとする妥協案が示されます。

こうして、そのコンサートは11月中旬にアメリカで行われ、その模様はビデオ撮りのライブショウ番組としてテレビ放映するという大まかな計画が発表されますが、結局それは諸々の事情から中止となり、テレビ放送の企画だけが残ります。

すると、ここで再びポールの提案により、スタジオに少数の観客を入れたテレビ放送用のライブショウ番組を作る事が決定されますが、これはおそらく、その年の12月3日に全米で放送され、70%以上という驚異的な視聴率をあげたエルビス・プレスリーの8年ぶりとなったテレビショウ、通称「カムバック・スペシャル」の影響を受けての事と思われます。あるいは最終的にはお蔵入りしましたが、ローリング・ストーンズが主導し、ジョンも参加して同時期に製作されたテレビショウ「ロックン・ロール・サーカス」を意識していたのかもしれません。

そして起用された監督がマイケル・リンゼイ=ホッグ、製作はアップル・フィルム、そしてそのスチールから写真集を作るのがアップル出版という布陣が整い、番組本編に付随してそのメイキングというか、ドキュメント映画(?)とライブショウを収めたアルバムの製作も決定され、ようやく1969年1月2日からトゥイッケンナム・フイルム・スタジオでリハーサルが開始されました。

もちろんそれが撮影されていったのは言わずもがなです。いや、むしろ撮影のためのリハーサルというべきでしょうか。

つまりビートルズの音楽制作を記録したドキュメント映像という狙いが、既に実行されていたのです。

しかしこれは、後にそこから編集された映画「レット・イット・ビー」を見ても明らかな様に、ポール以外のメンバーは完全にやる気が無く、演奏された古いロックンロール曲や彼等自身の新曲もダラダラと纏まりの無いものでした。

そしてその挙句、ポールとジョージが喧嘩となり、ジョージは1月10日にビートルズを辞めると言い置いてスタジオから姿を消しますが、彼にしてみれば、いちいち指図するポールの強制的なアドバイスに若気の至りが出てしまったのかもしれません。

このあたりの状況は映画でもしっかり映し出されておりました。

で、こうして1月18日頃に放送予定だったライブショウ番組はまたまた頓挫……。

その善後策を協議するため、1月12日にリンゴの家で緊急のミーティングが行われ、そこにはジョージも参加、ポールが一応詫びを入れ、企画の練り直しが討論されたと言われております。

そしてここでは、それまでに企画されていた北アフリカでのライブパフォーマンス、さらにはライブショウ番組の中止も決定されますが、テレビ番組そのものは製作が続行される事となり、前述したトゥイッケンナム・フイルム・スタジオでのリハーサルを1月16日で切り上げ、場所を新設中のアップル・スタジオに移してセッションを続け、最終的に1時間半位のフィルムを仕上げる事に話が纏まります。

それはこの当時としては珍しく、メンバー4人の意見が一致した瞬間だったと言われており、今では伝説化した歴史のひとコマなのでした。

【参考文献】
 「ビートルズ・レコーディング・セッション / マーク・ルウィソーン」
 「ビートルズ・アンソロジー・3 / 付属解説書」

注:本稿は、2003年9月20日に拙サイト「サイケおやじ館」に掲載した文章を改稿したものです。

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The Beatles Get Back To Let It Be:其の壱

2020-08-22 17:30:41 | Beatles

1970年に封切公開された映画「レット・イット・ビー」のソフト化は、家庭用ビデオ機器が普及した1980年代になって以降、当然の流れでありました。

それはアナログのビデオテープ、ハーフデジタルのレーザーディスク等々をメインにレンタル店にも置いてあったほどの人気商品になったのですが、実はソフト化そのものがビートルズ側、つまりアップル・コアが承諾していなかった事が大問題!

それは映画「レット・イット・ビー」のクレジットにある「APPLE an abkco managed company presents」が裏付けるとおり、当時はビートルズのマネージメントに深く関わっていた芸能界専門の会計士というアレン・クラインが、それを大義名分に、自らのレコード会社「アブコ」による勝手な商売だったのですが、しかし例え何であろうとも、世界中のファンにとっては映画「レット・イット・ビー」を手軽に鑑賞出来た至福でありました。

そして……、そんなこんなのゴタゴタから映画「レット・イット・ビー」の家庭用映像ソフトは一般市場から消え去り、ブートの世界では尚更の人気商品となったのですが、しかし本家アップル・コアだって、ここまで手を拱いていたはずもありません。

中でも1992年、ビートルズの映像担当者であるロン・ファーマネクが修復したとされる新版は、結局は一般に公開される事はありませんでしたが、これまた当然の如くブートの世界では堂々(?)と流通し、前述したビデオ版やレーザーディスク版を凌ぐ画質、さらにはクライマックスの屋上ライブギグやアップルスタジオにおけるレコーディングセッションがリアルステレオにミックスし直されていたのですから、たまりません♪♪~♪

ちなみに、それまでのブート版「レット・イット・ビー」は市販されていたビデオやレーザーディスク、あるいはテレビ放送されたソースに字幕を入れただけのモノラル、あるいは疑似ステレオ仕様でありましたから、件の1992年リマスター版は大衝撃だったんですよっ!

そして1994年、今も鮮烈な記憶になっているビートルズの「アンソロジー・プロジェクト」には、やはり「レット・イット・ビー」関連の音源と映像が入っており、これは追々に述べてまいりますが、とにかく新発見というか、ゾクゾクさせられましたですねぇ~~♪

こ~して時が流れ、2003年11月、いよいよ登場したのが新作アルバム扱いが波紋を広げた「レット・イット・ビー・ネイキッド」でした。

極言すれば、これはポール・マッカートニーの独り善がりと言えなくもありませんが、さりとて駄作では決してありませんっ!

そんなこんなを織り交ぜながら、次回からは少し掘り下げたところへ話を進めたいと思いますので、よろしくお願い致します。

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The Beatles Get Back To Let It Be:序章

2020-08-21 19:33:03 | Beatles

尽きせぬアーカイヴ商法に批判あれど、しかしそれでも世界中を騒がせてしまうのがビートルズという偉大な存在であり、いよいよ今年は「レット・イット・ビー」50年周年ということで、本来なれば遮二無二盛り上がっているはずが、全く終息する気配がないコロナ禍によって、9月に公開が予定されていた新版「レット・イット・ビー」とも云える映画「The Beatles:Get Back」の封切が1年ほど延期されるという発表がっ!!?!

皆様ご存知のとおり、ビートルズ最後の映画である「レット・イット・ビー」が紆余曲折を経つつ、1970年に一般公開されたのは今や歴史であり、ビートルズが結果的に活動停止となった様々な要因がそこに凝着しているとの負の遺産も、逆に言えば、だからこその真実真相を求めてしまうのが我々人間の悲しい宿業なんでしょうか……。

現在までに残された音源や映像は公式・非公式を問わず、その全てを知り尽くす事は出来なくとも、底知れぬ魅力に満ちたビートルズの素晴らしさ、そして凄さを現世で体現出来る絶好の記録であり、大いなる楽しみに外なりません。

ですから、これまで夥しい研究資料や論文、エッセイや流言飛語の類も含めて、そこにある映像や音源からは様々な問題提起や論争が巻き起こされて幾年月、ついに「50周年」という大義名分によって、ひとつの答えが提示されるというのであれば、サイケおやじとしても、この機会に思うところをあらためて書き記しておこうと思う次第です。

もちろん、実は以前、2003年にビートルズが新版「レット・イット・ビー」という位置付け(?)として出した「ネイキッド」、つまりは虚飾を排除した「レット・イット・ビー」というアルバムを出しており、サイケおやじとしても、そのムーブメントに便乗しつつ、拙サイト「サイケおやじ館」において、「THe Beatles / Let It Be の謎」と題した特集を連続掲載しておりましたので、あれから既に……、17年!?

正に光陰矢の如しの現世において、今日まで関連するブツも様々に新しく出回り、と同時にサイケおやじとしても、件の拙文を改稿しながら、此度の連続掲載に臨む所存です。

そこで本日は、まず今回制作された新作映画「The Beatles:Get Back」の概要から、簡単に述べさせていただきますが、例え何であろうとも、ビートルズが立ち上げた会社組織である「アップル・コア・リミテッド」が製作の主導権を握っている事は重要!

そして配給がアメリカのウォルト・ディズニー・スタジオ、また監督が「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズのピーター・ジャクソンという事も、これまた賛否両論の火種になりかねませんが、しかしピーター・ジャクソン監督は一方ではアーカイヴ映像の蘇生利用に長けている事は、2018年に製作された、例の第一次世界大戦の実写フィルムを巧みに使った疑似ドキュメンタリー作品「THEY SHALL NOT GROW OLD / 彼らは生きていた」で知られる様になったと思いますので、ここは虚心坦懐に鑑賞するのがビートルズ崇拝者ならずとも、人としての道じゃ~ないでしょうか。

と、またまた大仰な事を書いてしまいましたが、マイケル・リンゼイ=ホッグ監督の指揮下、1969年に撮影された肝心のオリジナルフイルム映像は現存する情報として約55時間以上、また音源はアルバム制作セッションも含めれば、140時間を超えていると云われていますので、それが今回、どこまで公にされるのか?

その期待感は怖さと裏腹ではありますが、それと云うのも件の映画「レット・イット・ビー」にはメンバー間の感情の縺れが滲み出ている場面が確かにあり、結果的にグループとしての活動が停止されてしまった現実がある以上、今回の再編版「レット・イット・ビー」という企画そのものが、そのあたりを取り繕うが如き狙いがあっての構成や編集に変えられているのだとしたら、事態は尚更に混迷するんじゃ~なかろうか……?

なにしろ例によって、ポール・マッカートニーは肯定的なコメントを出していますし、リンゴ・スターも、また然り!?

そして、この世の人ではないジョン・レノンとジョージ・ハリスンの遺族達も、協力的だったという制作側の発表がある以上、後は実際に出来上がった新作映画「The Beatles:Get Back」を鑑賞するしか我々に進むべき道はありません。

既に述べたとおり、残された夥しい映像や音源の記録は、その何れもが、これまで何らかの形で違法流通、つまりブートの売れ筋商品になって来た現状を鑑みれば、やはり感慨深いものがある事は確かです。

あぁ~~、凄く楽しみだぁ~~~!

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ロックバンドでオンリ~~ユ~~ ♪

2020-08-07 19:28:03 | Beatles

Only You / Ringo Starr (Apple / 東芝)

先日ちょいと書きました、学生時代にサイケおやじが初体験したセミプロバンド活動において、どんなプログラムを演じていたのかと申しますと、そこは夏場のビアガーデンでしたから、必然的に客層は会社帰りのサラリーマンやOLさんが多いという事で、店側からの要望としては、懐かしい曲をやってくれという事だったんですが、こちらとしてはアメリカンロックを標榜していたので、歌謡曲っては抵抗があり、そこでちょうどブームになっていた映画「アメリカン・グラフティ」からの流れで、洋楽ナツメロを自分達の流儀でっ!

というオールディズ&ロケンロールの選曲を練習し、その中に入れていたのが、リンゴ・スターが1974年に大ヒットさせた本日掲載のシングル盤A面曲「Only You」でありました。

もちろん、これは皆様ご存知のとおり、アメリカの黒人コーラスグループとしては最高に有名なプラターズの代表曲にして、前述した映画「アメリカン・グラフティ」でも使われていた、日本人にも耳に馴染んだメロディですから、ストレートにやれれば、本当は一番良いんでしょうが、そこは通常のロックバンド編成だった我々でしたから、ちょっとでもロックぽいアレンジでっ!

という決意だったんですよ (^-^;

ちなみに、手本としたリンゴ・スターのバージョンは、1974年に発売された傑作人気アルバム「グッドナイト・ウィーン」からシングルカットされ、世界中で大ヒットしたのも当然が必然の素晴らしいカバーバージョンということで、しっかりとレコードからコピーしないと笑われますからねぇ~~、少なくともサイケおやじは必死でしたよ、実際 (^^;

なにしろリンゴ・スターのバージョンにはジョン・レノン(g)、スティーヴ・クロッパー(g)、ジェシ・エド・ディビス(g)、ドクター・ジョン(p)、ビリー・プレストン(key)、ジム・ケルトナー(ds) 等々、錚々たるメンバーがバックで演奏していたのですから、聊かの油断も禁物というわけです。

でも、そ~ゆところがプロになる気持ちなんか全くなかったアマチュアバンドの楽しさでもあるんですけどねぇ~~♪

ですから、他の演目としてはグランド・ファンクがカバーヒットさせた「The Loco-Motion」とか、ショッキング・ブルーの「Venus」、CCRの「Proud Mary」、サンタナの「Black Magic Woman」、そしてベンチャーズのインスト人気演目等々を遠慮無く(?)やれたのは、なかなか幸せな時間だったと今も感謝しております。

ということで、バンドをやるってのは練習したり、あれやこれやと演目を選んだりするのも楽しい作業ではありますが、やっぱり人前で歌って演奏するのが本分ですから、それが結局は一番でありましょう。

そして当然ながら、こちらは上手くやっているつもりでも、現実的にはウケなかったりするのは日常茶飯事で、時にはヤジられたり、紙コップなんかを投げつけられたりする場合も少なくはありませんが、それも今となっては懐かしい思い出であり、笑い話に転嫁出来るのも、時の流れの偉大さです。

現在は完全に「おやじバンド」も出来る環境ではありませんが、そんな機会があれば、万難を排して参加したい気持ちは失せていないのでした。

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ジョンの魂の欠片でも

2019-12-08 17:08:59 | Beatles

 

今日は……、合掌。

もちろん、ジョン・レノンはロックミュージシャンであって、政治家でも預言者でもなく、ましてや人々を無意味に煽る活動家でもなかったんですが、しかし事ある毎の諸々の発言には大きな影響力が確かにありました。

それは、やはりジョン・レノンのやっていた音楽に最高の説得力や魅力が絶大だったからでしょう。

だからこそ、我々は音楽以外の言動や生き様に惹きつけられるものを見つけようとしたんじゃ~ないでしょうか。

この世界には所謂活動家と呼ばれ、様々な社会問題を解決しようと過激な発言や行動を露わにしている者が大勢存在しています。

しかし、そんな活動家の多くが反発を買うだけなのは、口先だけの言葉、そして自己満足にしか見えない行動によって、周囲の無関係な人達に迷惑を及ぼしたりする事の大義名分を社会問題に被せてしまっているからでしょう。

そりゃ~、ジョン・レノンだって、行き過ぎた言葉の用い方や笑えないほど辛辣なジョーク等々で世間から反発を受けた事件も多々あり、本人が決して聖人君子では無かった事についても、皆が認めているのですから、如何に音楽の力や想像力が凄かったかの逆説的な証明とも言えなくはありません。

ただし、大切なのは我々がそれをどのように感じたかであって、受け入れるのも拒絶するのも十人十色という自由には全く干渉していないのです。

サイケおやじは時折、ジョン・レノンが存命ならば、こんな時にどのような言葉を発するのか?

そう思う事が度々です。

ジョン・レノンが残してくれたスピリットが、例え欠片であったとしても、それが心の中に感じられるのは幸せと思うばかりです。

合掌。
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50年目のアビー・ロード

2019-10-03 18:27:55 | Beatles
■Abbey Road 2CD Anniversary Edition / The Beatles (Apple / Universal)

★Disc 1
  01 Come Together
  02 Something
  03 Maxwell's Silver Hammer
  04 Oh! Darling
  05 Octopus's Garden
  06 I Want You
  07 Here Comes The Sun
  08 Because
  09 You Never Give Me Your Money
  10 Sun King
  11 Mean Mr Mustard
  12 Polythene Pam
  13 She Came In Through The Bathroom Window
  14 Golden Slumbers
  15 Carry That Weight
  16 The End
  17 Her Majesty

★Disc 2
  01 Come Together (Take 5)
  02 Something (Studio Demo)
  03 Maxwell's Silver Hammer (Take 12)
  04 Oh! Darling (Take 4)
  05 Octopus's Garden (Take 9)
  06 I Want You (Trident Recording Session & Reduction Mix)
  07 Here Comes The Sun (Take 9)
  08 Because (Take 1 Instrumental)
  09 You Never Give Me Your Money (Take 36)
  10 Sun King (Take 20)
  11 Mean Mr Mustard (Take 20)
  12 Polythene Pam (Take 27)
  13 She Came In Through The Bathroom Window (Take 27)
  14 Golden Slumbers/Carry That Weight (Takes 1-3 / Medley)
  15 The End (Take 3)
  16 Her Majesty (Takes 1-3)

ここ数年、所謂「50周年記念エディション」なるアーカイヴ商法を展開しているビートルズが、いよいよ満を持して出して来たのが世紀の名盤「アビー・ロード」という事で、例によって「スーパー・デラックス・エディション」からアナログ盤LPの「ピクチャーレコード」まで、総計6種類を買わされてしまったサイケやじは大散財とはいえ、やっぱり持っていないと精神衛生上よろしくありませんと言い訳するのも情けない話です。

結局、本篇LP「アビー・ロード」は中学生の時から浴びるように聴き、意味は不明でも歌詞のフレーズはしっかり覚えていますし、その節回しや演奏展開、さらには効果音等々の細かい部分までも刷り込まれている事を思えば、いまさらなぁ……、というのが偽りの無い気持ちでもあります。

しかし、やっぱりですよ、トンデモ騒動の「Hot As Sun」事件とか、今も出し続けられている諸々の関連ブートに毒されて来たサイケおやじにとっては、ここで聞かなかったら後は無い!?

なぁ~んていう強迫観念にも苛まれ、珍しくも届いたブツの荷を速攻で開け、まずは「スーパー・デラックス・エディション」を聴いてみたんですが、本篇アルバムの最新ステレオリミックとアウトテイクやデモ音源を収めたCD3枚を通して鑑賞後、確かに新しい発見がどっさりありましたが、疲れたのも正直な感想……。

ですから、ハイレゾ音源を入れたBD盤には手も触れていません。

そんな理由ですから結局、繰り返し聴くという楽しみがあるとすれば、本日ご紹介の「2CDエディション」が心地好いです ♪♪~♪

なにしろ前述した本篇アルバムの最新リミックス盤はもちろん、「スーパー・デラックス・エディション」盤ではCD2枚に入れられていたアウトテイク&デモ音源の中から、本篇アルバムと同じ曲の並びで抜粋構成した所謂「アナザー・アビー・ロード」が楽しめるんですよっ!

そのあたりの詳細は上記しておきましたが、各々のトラックには如何にもの「お喋り」や「本音(?)っぽい独白」等々が楽曲の前後や途中に入っていて、だからこそアナログ盤LPでは見事な構成力を示したB面のメドレーが、この「アナザー」盤では、ど~なっているのか!? 

という興味は深々でありましょう。

結論から申し述べれば、それなりという感じではありますが、流石にこれまで多々出ていたブート盤「アビー・ロード」よりは、遥かにきちんと仕上げられていますので、ホッとしてしまいました。

で、気になるアウトテイク&デモ音源の中身は掘り下げれば、どこまでも深いとは思いますが、簡単な印象としては、まず「 I Want You (Trident Recording Session & Reduction Mix)」での狂おしく暴れるビリー・プレストンのオルガンが強烈至極!

また「Something (Studio Demo)」は以前に「アンソロジー3」で公にされたテイクとは異なり、ギターが数回はダビングされ、ピアノの入ったバンドバージョンですし、「She Came In Through The Bathroom Window (Take 27)」ではジョンのボーカルも局部的に入っています。

しかし、こ~ゆ~未完成なテイクを聴いていると、ジョンが交通事故で不参加だったレコーディングセッションも行われていた所為でしょう、ポールとジョンの密接感が刻まれていないパートが確かにあります。

逆に言えば、だからこそ「アビー・ロード」は個性とグループの表現が絶妙にブレンドされた名作という、聊か贔屓の引き倒しになりそうな書き方ではありますが、ジョンの「Come Together」で始まり、ポールの「Her Majesty」で終わるまでの間にジョージとリンゴが持ち味を強く発揮した傑作曲を出している事は、プロデューサーのジョージ・マーティンがなかなかの策士であった証明と思えないこともありません。

それと「アビー・ロード」が1969年の段階で神々しく輝いたひとつの要因は、その「音」のロックっぽさにあったと思うのがサイケおやじの独断と偏見です。

皆様ご存知のとおり、この「アビー・ロード」の前には、後年「レット・イット・ビー」というアルバムや映画として世に出たレコーディングセッションがあったわけですが、その中でフィル・スペクターによって再構成されたLP「レット・イット・ビー」がイマイチ不評だったのは、入っていた「音」が全然ロックぽくなかったからとサイケおやじは思っていて、何故ならば、それより前に出ていた「アビー・ロード」の絶対的な「ロックの音」にリスナーは支配(?)されていたんじゃ~ないでしょうか。

少なくともサイケおやじは、そうです。

さて、そこで気になる本篇アルバムの「2019ステレオミックス」は、プロデュースを担当したのがジョージ・マーティンの息子であるジャイルズ・マーティン、エンジニアはサム・オケルという、これまでのアーカイヴプロジェクトに関わってきた両名ですから、それなりのポリシーは貫かれていると思う他はありません。

全体的には低音域、特にベースは重量感が増し、またコーラスパートも低い声がかなり聞こえるようになった印象です。

そしてミックスも従来とは異なる部分が夥しく、楽器やボーカルの定位ばかりか、個人的にはギターの音が小さめになっている曲が多いかなぁ……、という感じさえあって、このあたりは聴き込んでいかないと分析不可の領域ですから、本日はここまでとさせていただきます。

しかし、ど~しても述べさせていただきたいのが、ジョンのボーカルにギスギス感が強くなり、少~~し細くなったような気が……。

それゆえに冒頭で述べたように、この「2019ステレオミックス」を聴いていて疲れるのは、そのあたりにも原因があるのかもしれません。

もちろん、それはあくまでもサイケおやじの個人的感情ですから、悪しからず。

ということで、ご紹介するには完全に言葉も研究も不足していて、本当に申し訳ございませんが、これから新しい「アビー・ロード」を楽しまれんとする皆様には、掲載した「2CDエディション」を強くオススメ致します。

巷の噂では「期間限定盤」らしい事も要注意と思います。

う~ん、それにしても「50年目のビートルズ」は、嬉しくも罪深いような気がするばかりです。
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悲しい時には素直になれそうな

2018-12-08 19:58:04 | Beatles

 

もちろん、今日は悲しい思い出に満たされます。

でも、今年は……、なんとなく素直な気分なんですよ、不謹慎かもしれませんが。

それはサイケおやじの成長なのか、老化なのか、答えは自ずと分かっているのですが……。

素直な気持ちで、合掌。

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