OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

ビートルズの終わりの始まり

2012-11-25 15:07:18 | Beatles

Come Together c/w Something (Apple / 東芝)

説明不要、1969年秋に発売された両面大ヒットの名盤シングルですが、今となっては、これを以ってビートルズ終焉の始まりと位置付ける向きもあり、サイケおやじも賛同に吝かではありません。

ご存じのとおり、この2曲は実質的にビートルズ最期の輝きを記録したLP「アビイ・ロード」にも収められていますし、メンバーはシングルカットを望んでいなかった内幕も様々に伝えられていますが、結局はマネージメント側の事情が優先された企画商品でありました。

実は当時、新しくビートルズのマネージャーに就任したのが、悪名高き(?)アレン・クラインであり、その契約によってシングルヒットが出れば、自分の懐が潤うという商売熱心! さらにはジョージの楽曲管理会社にもアレン・クラインが関与していたという、お金が大好き症候群による「Something」の熱烈支持があったのです。

しかしそんな裏事情よりは、冷静になって聴いてみても、「Something」は今日でもジョージの最高傑作という認知が一般的であり、前述のLP「アビイ・ロード」の中でも傑出した名曲でしょう。なにしろポールが嫉妬し、ジョンも感服していたという噂以上に、それはリスナー全ての共通認識だと思います。

ちなみに英米のオリジナルシングル盤では両A面扱いでありながら、どちらかといえば最初は「Something」がプッシュされていたという現実にも、それが表れているんじゃ~ないでしょうか。

ただし、歴史的にはアメリカのビルボード誌のチャートの場合、「Something」が3位、一方の「Come Together」がトップにランクされた事実も侮れません。

つまりそれだけジョンの代表作のひとつである「Come Together」のインパクトは絶大! 前述した「アビイ・ロード」でも、アルバムの幕開けを飾るA面ド頭に置かれた真実はひとつでありましょう。

なにしろ如何にもジョンらしい曲想はヘヴィロックなサイケデリックソウルですからねぇ~♪ イントロの「シュ~ッ」という掛け声が、実は「Shoot Me」だったという噂も後年の悲劇を思えば怖くなりますし、個人的には何を伝えたいのか意味不明の歌詞にさえ、不思議な説得力があるように感じます。

ちなみに、この歌が最初は選挙用キャンペーンソングとして作られたという説は本当なんですかねぇ~~???

しかし、それはそれとして、もうひとつ「Come Together」が問題を起こしたのは、これがR&Rを創成した神様のひとりだったチャック・ベリーの「You Can't Catch Me」の盗作!

と断定的に訴えられた事です。

この騒動は日本でも、まあ、それなりに伝えられ、問題のチャック・ベリーの楽曲もラジオで流されたりしたんですが、個人的にはどこが似ているの???

なぁ~んていう感覚しか残っていません。

当然ながら、ジョン本人も心外だったと思われますが、結局は裁判沙汰の敗訴から、あの人気カパーアルバム「ロックンロール」が作られる布石が打たれたんですから、結果オーライと言えないこともないでしょう。

このあたりの経緯は後日、もう少し書き足す所存です。

ということで、「Something」が大名曲認定を受けたことにより、以降のジョージは自信満々にソロ活動で秀作を発表出来たように思いますし、ジョンにしても、その盗作騒ぎが無ければ、果たして往年の名曲カパーを1970年代に歌ってくれたかは、何の確証もありません。

そして些か確信犯的な思い込みではありますが、大傑作アルバム「アビイ・ロード」には、実はポールの決定的な名曲名唱が入っていないという、これは恐るべき現実でしょう。

もちろん「Oh! Darling」の見事なR&Bの剽窃、「You Never Give Me Your Money」や「Golden Slumbers」といった小品の巧みな連鎖的構成が、アルバム全篇に美しき流れを作り出した事は、ポールの功績かもしれません。それ無くしては、果たして件の「アビイ・ロード」が成功していたかも疑わしいのですが……。

しかしそれとして、ジョージの「Here Comes Th Sun」やジョンの「I Want You」の前では、些か苦しい立場というか、自分を無理に納得させんがための言い訳と思えるのです。

そして、これまた穿った事を書けば、当時のポールはスランプだったんでしょうか……。そう思えば、この前作シングル盤もジョンとジョージ路線の「ジョンとヨーコのパラード c/w Old Brown Shoe」でしたからねぇ。

つまり、やっぱりビートルズはレノン&マッカートニー体制の崩壊、創造の終末期にあったのかもしれません。

ただし、それでも未だ屹立する大傑作アルバム「アビイ・ロード」、そこに収められた秀逸な名曲群の流れ中で絶対的な発言力を誇示しているのが、「Come Together」と「Something」である事は意味深です。

う~ん、日本盤シングルのピクチャースリーヴでは、ポールの煮詰まったような表情が、これまた印象的に思えるのでした。

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辿り着いたラムの魅力の裏表

2012-05-30 14:40:55 | Beatles

RAM / Paul & Linda McCartney (Apple / Capitol)

1971年のポールについては、何をどう言っていいかのか……?

それは現在の偽りの無い気持であって、当時を回想してみても、例えマスコミ主導の作為があったかもしれないとは思いつつ、ジョンとの対立は本当に意地の張り合いという様相もあり、また元ビートルズの立場では、他の3人から孤立しているという印象がありました。

ですから、丸っきりジョンとヨーコに対抗する形で愛妻のリンダと共に音楽活動を始めたポールに対し、何を今更という気分があった事は確かです。なにしろリンダの本職は写真家であって、ポールと一緒の音楽活動なんてのは、その足をひっぱるんじゃ~なかろうか……?

そりゃ~、ヨーコだって音楽家ではなく、前衛芸術家だったわけですから、ジョンの純粋な音楽活動にどれだけ貢献していたかについては、決して確かな結論はありませんでしたが、少なくも「前衛芸術」というイメージがジョンという稀代のロックアーティストの触媒になっているのではないか!?

賛否両論は「否」が多かったとはいえ、そんな漠然としたベクトルが良い方向に作用していたとファンに思い込ませる「何か」があった事は間違いありません。

そして、そうした状況こそが、リアルタイムの我国洋楽好きには常識化(?)していた最中、会心のシングルヒット「Another Day」に続いて発売されたアルバムが「ラム」だったんですが、これがヤバかったのは、リーダー名義がポール&リンダになっていたことでしょう。

ご存じのとおり、ポールには以前に「マッカートニー」というソロ名義とはいえ、ほとんどデモテープの域を出ない不完全燃焼のアルバムを出してしまった前科(?)があり、なんだぁ……、今度は夫婦の家内工業かよぉ……。

という悪い予感に満たされた失望感が、少なくもサイケおやじには先入観念としてあったのですから、友人から貸していただいた「ラム」のエアチェックテープを鑑賞したところで、共感出来るはずもないのは当然という言い訳も、今となっては成立するほどです。

で、このあたりの事情については、既に「出ておいでよ、お嬢さん / Eat At Home」の項でも書いたつもりですが、付け加えるならば、このヘタウマ感満点のジャケットデザインからは全くロック魂が感じられなかったのもマイナスでり、確かに当時の流行りのひとつとしての「ホームメイドな田舎暮らし」というテイストは認められますが、個人的にはなんだかなぁ……。

ところが、虚心坦懐に中身の音楽に接してみれば、これが実にジャストミートな仕様であって、極言すれば、このジャケットデザインでなければ、「ラム」という名盤が成立しないと思うほどです。

 A-1 Too Many People
 A-2 3 Legs / 3本足
 A-3 Ram On
 A-4 Dear Boy
 A-5 Uncle Albert ~ Admiral Halsey / アンクル・アルバート~ハルセイ提督
 A-6 Smile Away
 B-1 Heart Of The Country / 故郷のこころ
 B-2 Monkberry Moon Delight
 B-3 Eat At Home / 出ておいでよ、お嬢さん
 B-4 Long Haired Lady
 B-5 Ram On
 B-6 The Back Seat Of My Car

まず、告白しておくと、サイケおやじが一番に魅力を感じる「ラム」の本質としては、ポールのボーカルに寄り添う、時には対等以上の存在感を聞かせてくれるリンダのコーラスと歌声なのです♪♪~♪

いゃ~、これが本当に素敵なんですよねぇ~♪

もちろん全篇にぎっしりとつまったポールならではの「マッカートニー節」は、例えば刹那の名曲「Dear Boy」や美味しいメロディがテンコ盛りの「The Back Seat Of My Car」、ハートウォームな「故郷の心 / Heart Of The Country」、お気楽なムードと辛辣な歌詞のコントラストがニクイ「Ram On」等々で全開しているわけですが、果たしてこれがポールだけの独演独唱であったなら如何に……。

そう思う他はありません。

ですからニューヨークでの本格的なスタジオ録音というメリットを活かすべく、当地の一流セッションミュージシャンだったヒュー・マクラッケン(g) やディヴィッド・スピノザ(g) を雇い、後にはウイングスの結成にも参加するデニー・シーウェル(ds) をオーディションから起用した演奏パートの充実も、またそれを想定しての事だったのでしょうか。

と言うよりも、安定したそれがあってこそ、ホール&リンダの魅惑の夫婦デュエットが活きたというべきかもしれません。

中でも既に述べたとおり、「出ておいでよ、お嬢さん / Eat At Home」の楽しさは絶品であり、全く意味不明の内容がR&Rの本質でもある「Monkberry Moon Delight」や完全にリンダを歌っている「Long Haired Lady」あたりは気恥ずかしくなるほどですが、それも許せるんですよねぇ~。

しかし一方、冒頭に述べたようなジョンとの確執を露骨に表現する事も辛辣の極みであり、イヤミ丸出しの「Too Many People」とか、三人ではビートルズは出来ないという苦言を呈したが如き「3本足 / 3 Legs」には、いやはやなんとも……。

う~ん、それがあればこそ、「Smile Away=笑いとばせ」とやらざるをえなかったポールの気持も分かるんですが、若気の至りと解するにはあまりにも……、ですよねぇ。

結局、ポールにはそうした攻撃性なんか似合うはずもなく、そこがイノセントなロックファンには物足りない部分とまで言われているんですが、その意味で「アンクル・アルバート~ハルセイ提督 / Uncle Albert ~ Admiral Halsey」のドリーミーなポップメドレーは効果音やオーケストラの使い方もニクイばかりの仕上がりで、アメリカではシングルカットされてのチャートトップもあたり前田のクラッカー!

ただし、サイケおやじとしては、あまり好きな曲ではありません。

それはポールの十八番とも言うべき、複数の異なる曲=メロディを強引とも思える手法で合体させる、ある意味での強姦主義にはイマイチ共感出来ないからなんですが、こうした遣り口はビートルズ時代の「恋を抱きしめよう / We Can Work It Out」とか「A Day In The Life」、さらには「アビイロード」のB面メドレーの卓越した構成力が見事な成果となった前例が忘れられないからなんでしょうか?

揚げ句、この「アンクル・アルバート~ハルセイ提督 / Uncle Albert ~ Admiral Halsey」がアメリカで大ヒットしてしまったのでは、殊更ウイングス時代にも同じ手口が繰り返される免罪符なんですかねぇ~~?

やっぱり天才的メロディメーカーのポールには、完結型の楽曲で勝負して欲しいわけですし、まさかとは思いますが、ジョンの「Happinees Is A Warm Gun」が大傑作と絶賛された事への対抗意識だとしたら、なんだかやりきれません。

ということで、最後に至って些か否定的な心情吐露もやってしまいましたが、それでも「ラム」は愛すべき名盤という思いに変わりはありません。

そしてジョンへの対抗意識という部分においては、「ラム」が出た同じ1971年末にジョンが畢生の大傑作「イマジン」を発表してしまったがために、尚更しょ~もない結末になってしまったわけですが……。

そんなこんなの長年のファン心理にポールがやっと応えてくれたというか、ついに発売なったのが、所謂「デラックスエディション」という豪華再発盤!



掲載したオフィシャル映像でご覧になれるとおり、それは「ラム」本体アルバムのリマスター、モノラルバージョン、アウトテイク入りのボーナスディスク、インストアルバム「スリリントン」、さらに映像DVDという5枚のディスクと手書きの歌詞カードや写真集等々のオマケをどっさりつけた豪華仕様は、イマイチ煮え切らないものを残す「ラム」という名盤の謎解きを秘めている!?

と思いたいところです。

またアナログ盤LPの2枚組も同時に出てしまうんですから、罪作りといっては贔屓の引き倒しでしょうか。

とりあえずサイケおやじは万難を排してゲット致しましたが、それとて「持っていないと安心出来ない」という精神衛生上の問題をクリアするためなんですから、情けない……。

結局、そんなブツを未開封のまんま、飾っておくバチアタリも、やっぱり最初のアナログ盤に針を落す行為で許されるはずと、自分に言い聞かせているのでした。

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ポールの逆襲とラムへの道:其の弐

2012-05-24 15:20:59 | Beatles

出ておいでよ、お嬢さん c/w Smile Away / Paul & Lind McCartney (Apple / 東芝)

さてさて、今日は一昨日の続きとなりますが、こうしてポールが無事(?)に新作アルバム「ラム」を世に出したのは、欧米では1971年5月、日本ではちょいと遅れて6月25日でした。

しかし現代のようにネットが無かった時代です。

宣伝だってラジオの洋楽番組や深夜放送がリアルタイムでは一番効果が大きかった事わけですが、この「ラム」からは特にシングルカットされた曲が当初は無かったことから、話題にはなっていましたが、さりとて内容云々が積極的にプッシュされていた記憶は薄いところです。

ただし国営FMラジオ放送では、その頃の慣例(?)として、LP全部を丸ごと流すという太っ腹な企画があり、この「ラム」も対象作品に選ばれたのでしょうか、友人がエアチェックしたテープをサイケおやじに貸してくれたのですが、恥ずかしながら、最初に聴いた時の???のミョウチキリンな気分は、なにか非常な違和感になっています。

実は皆様もご存じのとおり、当時は世界的にシンガーソングライターの大ブーム期であり、それはフォークやカントリー&ウェスタンに根ざした音楽性を基礎とする趣でしたから、必然的に音作りはアコースティックギターやピアノがメインという、ある意味では「反ロック」的な印象をウリにしていた側面があります。

と同時に、そこに彩られているのは、ソウルやジャズ、さらにはラテンミュージック等々の民族音楽風味であり、そのあたりのセンスの良し悪しが、特に外国語の歌詞をダイレクトに解しない日本の洋楽ファンにとっては心の拠り所(?)だったわけです。

そして一方、説明不要とは思いますが、当時の洋楽の主流はやっぱりハードロックやプログレを核とする所謂ブリティッシュロックであり、その対抗勢力としてのアメリカンハード、あるいは台頭してきたグラムロックやニューソウル、おまけに根強い人気のバブルガム系3分間ポップスが文字どおり、百花繚乱の全盛期!

ちなみに当時、評判を呼んでいたヒットアルバムとしては、ゼップの「Ⅲ」、ストーンズの「ゲット・ヤー」、ピンク・フロイドの「原子心母」、ボブ・ディランの「新しい夜明け」、GFRの2枚組「ライプ」、ニール・ヤングの「アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ」、エルトン・ジョンの「2nd」&「3rd」、シカゴの「」、ポコの「ライプ」、クリムゾン一派の「マクドナルド&ジャイルス」、キャロル・キングの「つづれおり」、ジェームス・テイラーの「マッド・スライド・スリム」、さらにはストーンズ驚異の傑作「スティッキー・フィンガーズ」等々、まさに歴史を作った名盤LPが毎月の様に発売され、実際、サイケおやじにしても、聴きたいレコードがどっさりあるのに、個人的には経済状況が追いつかないという苦しさが……。

ですから、前述したとおり、そんな中に出て、違和感が払拭出来ない「ラム」を粗略にしたバチアタリも無理からん、とご理解願いたいところなのです。

また些か結果論になりますが、「ラム」には前記したヒットアルバム群にあるような派手さ、鋭さ、エグ味が無く、それは元ビートルズのジョンの「ジョンの魂」やジョージの「金字塔」と比較しても、明らかにロック性感度の低さが感じられると思います。

ところが、ロックではなくポップスという観点から「ラム」を聴いてみると、これは圧倒的な存在感や輝きに満ちていることは言うまでもありません。

恥ずからしながら、その事に気がつかせていただいたのが、本日掲載のシングル盤で、これまた説明不要、その「ラム」から我国独自でカットし、昭和46(1971)年9月に発売となった1枚です。

まず、なんといってもA面の「出ておいでよ、お嬢さん / Eat At Home」が、まさにマッカートニー節全開のシンプルなR&Rで、微妙なスカビートや浮遊感が滲むキメのコーラスワークは言わずもがな、このあたりで杉真理の元ネタをあれこれ詮索するのも自由ではありますが、なによりもサイケおやじをシビれさせたのは、同時代の流行であったカントリーロックやニューソウルの味わいを見事にビートルズ色で纏め上げ、それも簡素極まりないバンドサウンドでやっているというところでした。

もちろん、アルバム「ラム」の中には、これ以上に凄い完成度を聞かせる名曲名演がある事は確かです。

しかし「出ておいでよ、お嬢さん / Eat At Home」の親しみ易くて、さらに奥が深い仕上がりは、「ロック」というよりも、「ポップス」という、ある意味では作り物の音楽の真髄に、極めて簡素に迫っている感じが♪♪~♪

尤も、そんな理屈は完全な後付けにすぎませんが、それでもリアルタイムでこの「出ておいでよ、お嬢さん / Eat At Home」がラジオから流れた瞬間、実はサイケおやじはエロ本見ながら、自己満足的作業に勤しんでいた手を止めてしまった体験があるほどで、思わず、しまった!! と独り納得する他はありませんでしたねぇ~~~~。

そこで早速、翌日には掲載のシングル盤をゲットしたというわけですが、もちろんLPの「ラム」が買えないという事情があった事は蛇足でしょう。

しかし、ここでB面収録の「Smile Away」を聴いて、再び仰天!

結果的に後のウィングスに繋がる如何にもポールっぽいハードロックであり、また既にして全盛期マーク・ボラン&Tレックスをやっている事は別にしても、これは「レノン&マッカートニー」として「ビートルズ」で演じる事も視野に入れての創作と思えないこともありません。

それほどファンの心をくすぐってくれる「未練の名曲」と、サイケおやじは楽しんでしまったんですねぇ~♪

ということで、とにもかくにも「出ておいでよ、お嬢さん / Eat At Home」の思わず一緒に歌いたくなるフィーリングに共鳴させられたサイケおやじは、エレキギターでこれを独りで歌うというジコチュウ&ジコマンのコピーをやってしまったほどです。

いゃ~、これは正直、エレキじゃなければ、楽しくないっ!

心底、すっかり「その気」にさせられてしまうほどの傑作ポップ曲であり、それゆえにロックでもあるという、些か確信犯的な告白に至りますが、それはそれとして、ここまでくれば、後はアルバム「ラム」に向かって一直線でしょう。

この話は、もう少し続けます。

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ポールの逆襲とラムへの道

2012-05-22 16:51:24 | Beatles

Another Day / Paul McCartney (Apple / 東芝)

ポール・マッカトニーの最高傑作アルバムとは?

その回答には諸説ありますが、個人的には1971年に出された「ラム」が一番好きです。

ご存じのとおり、1970年4月10日に報道されたビートルズからのポール脱退という衝撃的大ニュースは、ポール自らのソロアルバム「マッカートニー」がその1週間後に発売された事により既定の事実になりましたが、問題のLP「マッカートニー」がほとんど「宅録」であったこともあり、世界中で散々な酷評!?

しかも様々な内幕報道には虚実が入り乱れていながら、なにかポールだけが悪者扱いだった事は、当時をリアルタイムで体験された皆様には痛切な思いじゃないでしょうか。

さらに当時の他のビートル、つまりジョンは大傑作「ジョンの魂」を、またジョージは畢生の大作3枚組LP「金字塔」という歴史的名盤アルバムを発表していましたし、リンゴもスタンダード曲や十八番のC&Wを歌ったアルバムを出しつつもマイペースな活動で存在感を示していたのですから、如何にもポールは苦しい状況の様に思えたのが、リアルタイムのファン感覚だったはずです。

ところが、流石はポール!

ついに逆襲(?)に転じたのが、本日ご紹介のシングル曲「Another Day」であり、おそらくはポールにとっては初めての公式シングル盤であったと思われますが、見事に世界中で大ヒットさせたのですから、やっぱりメロディの天才は不滅でした。

それが欧米では1971年2月、我国では4月の出来事であって、その頃のラジオの洋楽番組では、ジョージの「美しき人生 / What Is Lif」、ジョンの「人々に勇気を / Power To The People」、そしてリンゴの「明日の願い / It Don't Come Easy」という元ビートルズの4人が各々のソロプロジェクトでヒットを競うという、今では夢の状況がありましたですねぇ~♪

おまけに続く朗報として、いよいよ近々、ポールの本格的なスタジオレコーディングによる新作アルバムが出るというのですから、洋楽マスコミは率先して盛り上げに走っていたことも懐かしく思いだされるわけですが、それこそ、冒頭に述べた「ラム」であることは言うまでもないでしょう。

ただし、ポールには「マッカートニー」で些かのヘタレを演じた前科(?)がありますから、新作への疑念を抱いたファンも多かったと思います。

と、同時に、その新作の先行シングルとも言える「Another Day」の出来の良さは圧倒的でしたから、闇雲な期待も許されるんじゃないか?

そんな雰囲気も確かにありました。

もちろん今日の歴史としては、新作となった「ラム」はポールにとっては起死回生の一発であり、決定的名盤になっていますから、何時までも昔の事を詮索するのは野暮かもしれません。

しかし、そんな思いを覆してくれそうなトンデモ系のブツとして、いよいよ「ラム」のDXエディションが発売されてしまうんですねぇ~~♪

当然ながらサイケおやじは予約しておりますが、果たして今回も封が破れない症候群を今から自覚しているんですから、情けない……。

ということで、なんとか冷静さを保つ努力から始めないと、これはキツイでしょう。

そういう予感は確かに残っているのでした。

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言い訳御免のリンゴのテーマ

2012-02-02 16:00:14 | Beatles

リンゴのテーマ (こいつ) / George Martin Orchestra (United Artists / 東芝オデオン)

今更ながら、こういうレコードは出会った時にしか買えないと思います。

ちょっと高かったんですが、それを言い訳にしている事がミエミエだとしても、ど~せ、あの世まではお金を持っていくことが出来ませんからねぇ……。

なぁ~んだ、まだ、言い訳していやがんのかっ!

という声がはっきりと聞こえます。

もちろん内容はビートルズ関連ですが、なにもジャケ写どおりにリンゴ・スターが歌っているわけじゃなくて、ビートルズ初の主演映画「ビートルズがやって来るヤァ! ヤァ! ヤァ! / A Hard Days Night」で使われていたジョージ・マーティン楽団の演奏によるインストの挿入歌で、楽曲そのものは「This Boy」というのが真相です。

しかも、ご存じのとおり、オリジナルレコーディングアルバムとしての「ビートルズがやって来るヤァ! ヤァ! ヤァ! / A Hard Days Night」は、イギリスではビートルズによる歌と演奏ばっかりを収めたものだったのに対し、アメリカではあくまでも映画としての「ビートルズがやって来るヤァ! ヤァ! ヤァ! / A Hard Days Night」が優先され、それゆえに同名アルバムは映画のサウンドトラック盤扱いでしたから、必然的にビートルズが歌も演奏も聞かせてくれないトラックがあり、そのシングル盤はそこからのカットでした。

つまりピュアなビートルズファンには必要の無いブツなんですが、しかし、このジャケットを見てしまえば、欲しくなるのがファンの宿業でもあり、未だ物欲が切れていないサイケおやじ本人の生命力を自覚出来るというわけです。

ということで、散々な言い訳に終始してしまい、額に汗が滲みます。

失礼致しました。

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Lost ・・・

2011-12-08 14:23:15 | Beatles

The Lost Lennon Tapes Vol.13 (BAG)

やっぱり、今日のこの日は、辛いですねぇ……。

あの日の突然の悲報から置き去りにされた気持は、拭い去れないものがあります。

そして、もしも存命だったなら、こんな世の中にどのような言葉を発していたか……、思わざるをえないことが度々ですから、少しでも故人の歌や言葉や演奏に触れる機会があるとすれば、例えそれが悪質な商売と分かっていたとしても、サイケおやじは素直になれるのが、とるべき態度!?

例えば本日のご紹介はブート史上でも名高い傑作シリーズとして、アナログ盤時代からLPで出された中でも、サイケおやじが個人的に気に入っている1枚です。

 A-1 The Great Wok
 A-2 Yer Blues
 A-3 I Found Out
 A-4 Oh Yoko!
 A-5 How?
 A-6 Pill
 A-7 Out The Blue
 A-3 #9 Dream
 B-1 Tobias Casuals
 B-2 John Henry
 B-3 She's A Friend Of Dorothy
 B-4 Real Love
 B-5 Dear Yoko
 B-6 (Just Like) Starting Over
 B-7 The Return Of Marice Dupont

内容は上記演目からも既にご推察のとおり、基本的にはデモ録音集なんですが、特に「Real Love」はビートルズのアンソロジープロジェクトから奇跡の新曲として完成(?)された、その大元だと言われていますし、後に本人の未発表曲&没テイク集として纏められた「レノン・アンソロジー」にさえ入れらなかった「She's A Friend Of Dorothy」が、これほどの完成度なのは勿体無い限り!

他にも短い断片ながら、赤裸々な告白の如き歌いっぷり、あるいは試行錯誤や迷いが散見出来るトラックの数々は、殊更ジョン・レノンの人間味を強く感じさせてくれる名盤だと思います。

ちなみに、このシリーズにはビートルズ時代の録音が入ったブツもありますし、本日掲載した「Vol.13」に限らず、各アルバム毎のジャケ写やデザインが実に秀逸なので、おそらくは35枚ほどあるLPは、どれも見つけたら即ゲットをオススメ致します。

また当然ながら現在、ほとんどの音源はCDにシフト発売されていますので、聴くのは比較的容易ですし、あとはヨーコの英断があれば公式発売可能なテイク&バージョンがどっさりという宝物殿でしょう、このシリーズは!

書き遅れましたが、なにしろソースになったのは1988年1月から相当の長期間に全米放送されたものですから、音質もそれなりに問題無く聴けるんですよねぇ。

ということで、何をもっても贖いきれない故人の表現世界は、しかし今となっては同じ時空を生きられた幸せに感謝するばかり……。

心からの冥福を祈念しつつ、本日は朝からこれを聴いていたというわけです。

合掌。

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ジョン・レノンのあの日、あの時…

2011-11-16 15:47:53 | Beatles

Lennonyc / ジョン・レノン、ニューヨーク (A&E / キング = DVD)

誰しも、そう長くない人生の日常は楽しいほうが良いに決まっているでしょうが、人はまた、誰しもが目を背けることが出来ない、避けて通れない悲しみや辛い出来事を通過しつつ、生きていくのだと思います。

それはサイケおやじにとって、例えばジョン・レノンの突然の悲報にしても、あの日、あの時から、毎年この季節になると尚更に拭いきれない気持が高まるのですが、そんなところへ本日ご紹介の映像作品が出たとあっては、端坐して鑑賞する他はありません。

タイトルどおり、ジョンの魂が蘇り、置き去りにされた街のニューヨークをメインの舞台に編集された後半生のドキュメント映像で、もちろんヨーコの全面協力と関係者の鋭意努力によって、これは生々しくも鮮やかな悲喜こもごもの記録!?

というか、そうした制作者側の企画以上に、サイケおやじは鑑賞後の湧き上がる感慨に逆説的な虚脱を感じるほどでした。

もちろん1971年9月~1980年12月までの間にジョン本人から発せられたインタビューでの言葉、あるいはヨーコやジャック・ダグラス、エルトン・ジョン等々の関係者への取材や証言は上手く纏められていますが、虚実も含めて、なにかリアルすぎて怖い感じは否めません。

なにしろ悲劇的な最期を我々は知っているだけに、そうした辛辣な現実を必要以上に意識させんとしたプロデュースは如何なものでしょうか……。

ただし驚愕せずにはいられない未発表の映像と音源の数々は、やはり圧巻!

そういうものから、絶対に逃げてはならないでしょう。

少なくともサイケおやじは、これまでジョンの歌や演奏や言葉から、どれだけの勇気と慰めを与えられたか!? またドロドロしたものまでも真摯な生き様としていたに違いないジョンの人間的なところは、その弱さも含めて、良くも悪くも凄いと思う他はありません。

リアルタイムでジョンと一緒に生きた皆様も、またジョンが生きた時代を体験されなかった皆様も、これは今だからこそ鑑賞していただきたい作品です。

世界的な不況と停滞、貧困や内乱や大災害に直面し続ける現代において、もしもジョンが生きていたら、こんな時にどんな言葉を発するだろう……。

そうした繰り言は、もう止めようと何度も思ってきたサイケおやじは、不覚にもこのDVDを鑑賞しつつ、落涙してしまいました。

街はすっかりクリスマス気分で、そこには故人の歌う「Happy Xmas」が流れてきたりもしますが、それを流す者をサイケおやじは信用しません。

そして今こそ、「ジョン・レノン、ニューヨーク」を観ましょうよっ!

もう、あの日が近づくにつれ、それは出来なくなるのですから……。

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恋する二人をカタカナで

2011-11-06 15:47:16 | Beatles

恋する二人 / The Beatles (Parlophone / 東芝)

客観的に残された歴史とリアルタイムで過ごしていた個人的な時空感覚の違いは言うまでもありませんが、殊更日本における洋楽のドメスティックな流行については、それすらも歪めてしまうことがあろうかと思います。

例えば本日ご紹介のシングル曲「恋する二人 / I Should Have Known Better」は説明不要、ビートルズが1964年7月に英国で発表した畢生の大傑作アルバム「A Hard Day's Night」に収録され、また同時進行的に制作公開された同名映画の挿入曲でもあったわけですが、この曲に関する限り、ビートルズへの馴染み方としては日本が世界中で一番じゃないでしょうか?

つまり我国でビートルズが本格的に大ブレイクしたのは前述した映画「ビートルズがやって来る ヤア!ヤア!ヤア!」が公開されてからだと思いますし、そこからの第一弾シングル「A Hard Day's Night」が真夏に大ヒットしたのに続き、秋からは「恋する二人 / I Should Have Known Better」が強烈な追い撃ちになっていました。

ですから、歴史的には「She Loves You」とか「抱きしめたい」によってビートルズが日本でも人気爆発という事では決して無いと思います。

と言うよりも、これは以前にも書きましたが、当時の日本の洋楽事情はアストロノウツの「太陽の彼方に / Movin'」が破格のメガヒットになっており、またそれをカパーした藤本好一、さらにはバックを演じた寺内タケシとブルー・ジーンズが翌年からの本格的なエレキブームの火付け役として人気を集めていたのですから、まだまだビートルズは単なるポップスバンドのひとつだったというのが、サイケおやじの記憶と印象です。

それが同年秋から年末になると、ラジオからは矢鱈にビートルズの歌と演奏が流れて来るようになり、特に「恋する二人 / I Should Have Known Better」は決定的!

 ア~~~~ィ

と、ハーモニカがメインのイントロから続いて歌い出すジョンのボーカルのインパクトは本当に強烈でしたねぇ~~♪

 ヨ~ゴ~ナァ、セイユ~、ラヴミ~、トゥ~~

というキメの歌詞がカタカナとして抜群に覚え易かったのも、これが大ヒットの重要ポイントじゃないでしょうか。

実際、サイケおやじはレコードを買う以前に歌詞をカタカナ発音で覚えていたほどでしたし、映画の中ではビートルズがトランプに興じる列車内のイメージも良かったですからねぇ~♪

ちなみに同年末の冬休み、歳末大売り出しの福引で小学生だったサイケおやじはトランジスタラジオを当てた幸運もあり、ビートルズに関して刷り込まれたのは「Please Mister Postman」と「恋する二人 / I Should Have Known Better」が原点となりました。

そして日本でビートルズが本格的に人気を掴むのは、約1年後に発売されるアルバム「4人はアイドル / Help!」からだと思うのですが、実はそれまでの助走期間に出されたシングル&アルバムに収録の様々な名曲名演の中でも、この「恋する二人 / I Should Have Known Better」の役割は決して小さくはないと思っています。

今はどうだか推察も出来ませんが、少なくともサイケおやじと同世代の皆様ならば、洋楽はカタカナで歌えてヒットする!

それが真実のひとつでしたよねぇ~~、本当に。

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このEPの深遠さは如何に

2011-09-14 15:43:23 | Beatles

Bad Boy and 3 other songs / The Beatles (東芝オデオン = 7吋EP)

7吋のEP、我国ではコンパクト盤と称されるレコードは、ちょうどシングル盤とLPの中間に位置する存在として、なかなか重宝された時期がありました。

それは高価なLPが買えないファン向けという事でしょう、主に4曲入りの構成は、既発のアルバムから人気曲を抜粋したり、時にはアルバム未収録のヒット曲だけを寄せ集めたベスト盤的な趣向も企画されていましたから、リアルタイムでは侮れないブツも少なくありませんでした。

また、そういう目論見のひとつとして、1960年代までは普通だった「シングル盤はモノラル仕様」という、当時は弱点と見なされていた部分を補う簡易解決策として、コンパクト盤が有用されていた側面も無視出来ないでしょう。

さて、そこで本日のご紹介は昭和42(1967)年5月頃、我国独自の編集で発売されたビートルズのEPなんですが、今となっては非常に偏向した選曲が興味の対象だと思います。

 A-1 Bad Boy
 A-2 Strawberry Fields Forever
(simulated stereo)
 B-1 Penny Lane (simulated stereo)
 B-2 Goody Day Sunshine

どうです、まずはA面の落差激しい選曲構成が強烈でしょう。

しかし、実はこれ、まず「Bad Boy」は日本では同年2月に発売となった、ビートルズ初の公式ベスト盤「オールディーズ」のウリとして収録されていたリアルタイムの未発表曲で、ご存じのとおり、黒人R&Bのカパーを熱く熱唱するジョンのボーカルとビートルズならではの真性ロックグルーヴが見事に調和した大名演は、今日でも人気は衰えていないと思います。

もちろん当時も圧倒的に支持されていたわけですが、なにしろ相手は知っているヒット曲ばかりが収められた、高価なLP! その1曲だけを目当てにお金を使うことが出来る青少年は限られていましたからねぇ。

そこで会社側は勇躍、「\500」で販売されるEPのトップに据えたのも見事な企画だったのです。

一方、もうひとつの魅力が「ステレオ仕様」というポイントで、実はこれの直前3月に出ていた「Strawberry Fields Forever」と「Penny Lane」のカップリングシングルは当然ながら「モノラル」でしたから、あの目眩がするほどのサイケデリックワールドがステレオで聴けたならっ!? という魅力的な好奇心を強く刺激する企画もまた強力だったと思われます。

実は告白すると、このEPをサイケおやじが入手したのは昭和46(1971)年の事で、もちろん中古だったんですが、お目当ては「Penny Lane」のステレオバージョンでした。

というのも、「Strawberry Fields Forever」はアメリカで企画編集された12吋LP「マジカル・ミステリー・ツアー=MMT」で一応はステレオバージョンが出ていたものの、そこに同じく収録された「Penny Lane」は疑似ステレオ……。

そこで一縷の望みというか、もしかしたら!?

という気持でゲットした真相も、結論から言うと、ここでもやぱっり疑似ステレオでした。

しかも「Strawberry Fields Forever」までもが立派な(?)疑似ステレオだったんですから、サイケおやじの思い込みは見事にハズレたというわけです。

ただし今となっては負け惜しみかもしれませんが、ここに収録の「Strawberry Fields Forever」も「Penny Lane」も、おそらくは日本独自で作られた疑似ステレオバージョンかもしれません。

まあ、このあたりは世界中のブツを検証したわけではないので、決定的な確証はありませんが、一応の流れは下記のとおりです。

※Strawberry Fields Forever
 1967年2月 英・米シングル:mono
 1967年3月 日シングル:mono
 1967年5月 日EP:simulated stereo (掲載盤)
 1967年11月 米LP「MMT / stereo」:stereo
 1967年11月 米LP「MMT / mono」:mono
 1973年4月 LP「1967-1979」:stereo

※Penny Lane 
 1967年2月 英・米シングル:mono
 1967年3月 日シングル:mono
 1967年5月 日EP:simulated stereo (掲載盤)
 1967年11月 米LP「MMT / stereo」:simulated stereo
 1967年11月 米LP「MMT / mono」:mono
 1973年4月 LP「1967-1979」:stereo

と、簡単に分類すれば以上のとおりなんですが、厳密に言えばステレオバージョンには両曲共に更なる違いが数種類、収録レコードやCD毎に散見されるという複雑怪奇が存在しています。

そして多分、このあたりの錯綜する現実的な真相は今後、ますます増大する可能性がありますし、それはメディアの多様化や発売される音源と映像の「不統一な統一」というビートルズ側の巧緻な姦計によるところが大きいという感想は、全人類共通の認識でしょう。

まあ、そのあたりを許容する程度の問題で、ファンそれぞれのマニア度が決まるような気も致しますが、それはそれとして、とにかく世に出されたビートルズの楽曲は何時までも古びることはありません。

その意味で、このEPのA面が強烈なR&Rからサイケデリックロックの完成された極北へと一瞬にして移動する構成というのは、前人未到の極みでしょう!

またB面は、例の不穏な空気に満たされた名盤「リボルヴァー」に収録されていながら、如何にもウキウキと楽しい「Goody Day Sunshine」をオーラスに置くことによって、「Penny Lane」のリアルな非現実感がさらに堪能出来るという仕掛けが!?!?

う~ん、本当に見事ですよねぇ~~♪

つまり、皆様も納得されていらっしゃるように、このEPはA面がジョン・レノン・サイド、B面がポール・マッカートニー・サイドに分類されることにより、殊更に変動が著しかった時期のビートルズを俯瞰的に鑑賞出来るという優れもの!?

そういう結論も導き出せるんじゃないでしょうか?

結果的に、これが日本独自編集のEPとしては最後の1枚になった事実も含め、それはなかなか味わい深いものがあります。

そして個人的には疑似ステレオで聴く「Strawberry Fields Forever」の不思議なエコー感が、如何にもサイケデリックロックがど真ん中というムードで、捨て難く思うばかり♪♪~♪

こういう今日での感想を当時のレコード会社の担当者各位は、どのように意図予測されていたのか? そのあたりも興味深々であります。

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ビートルズのVeeJay盤モノラルの凄さ

2011-08-01 16:34:12 | Beatles

Introducing... The Beatles (Vee Jay)

アナログレコードのモノラル盤は音が良い!

今や常識となったその事実を最初に体感させてくれたのが、本日掲載したビートルズのアメリカ盤LPです。

 A-1 I Saw Her Standing There
 A-2 Misery
 A-3 Anna
 A-4 Chains
 A-5 Boys
 A-6 Ask Me Why
 B-1 Please, Please Me
 B-2 Baby It's You
 B-3 Do You Want To Know A Secret?
 B-4 A Taste Of Honey
 B-5 There's A Place
 B-6 Twist And Shout

しかしサイケおやじは、その「モノラル盤の音の良さ」を目当てに、このLPを買ったわけでは決してありません。

皆様も既にご推察のとおり、目的は「I Saw Her Standing There」のスタート前のカウントがオリジナルバージョンよりもカットされ、「four」から入っているという珍しさゆえに、これは、ど~してもっ!

そういう覚悟だったのですから、これがモノラル盤という意識も殊更無く、昭和51(1976)年のある日、そこに中古盤があったからゲットしたにすぎないのです。

ところが自宅で針を落して聴けば仰天!

とにかく重低音とメリハリが効きまくった音像の鮮やかな印象は、これがとても1963年の音とは思えない強烈なR&Rの塊だったんですねぇ~~♪

ちなみに不肖サイケおやじにしても、「モノラル盤の音の良さ」については機会がある度に先輩諸氏から教えられており、特にモダンジャズのアルバムに関しては日本盤よりもアメリカ盤オリジナルの価値が、その音の良さゆえの事は強調されていました。

ところが、サイケおやじがその対象を聴けたのは当時のジャズ喫茶であり、もちろん音が良いのは特有のオーディオ装置の優秀さにあるものと達観していたのです。つまり自宅にある貧弱なステレオでは、例えオリジナル盤を聴いたところで、それほどの感慨は……。

なぁ~んていう愚かな先入観念があったのですから、お笑い下さい。

ですから、このLPが鳴り出した瞬間の驚愕は筆舌に尽くし難いものがあって、野太い音のド迫力には畏敬の念さえ覚えましたですよ♪♪~♪

あらためて説明するまでも無いとは思いますが、レコードが出来上がるまでの過程においては、まずレコーディングマスターという音源があり、これは実際にミュージシャンが吹き込んだ歌や演奏を完成させたソースなんですが、これをアナログ盤レコードにするには、カッティングマスターという、もうひとつのソースが作られるのです。

それは一般的に当時、アナログのテープレコーダーで記録されていたレコーディングマスターが再生されるのは、あくまでもスタジオにある機器であって、家庭用のプレイヤーで聴かれる媒体はレコード盤という違いがあるのですから、そのレコード盤をプレスするためのカッティングマスターを制作するには、それに適合する音の調整が必要となるのです。

つまり平たく言えば、レコード会社で完成されたマスターテープと一般社会で再生されて聞かれるレコードの音は、違っているのが現実だという事です。

そして、その過程でカッティングマスターのレベルの高低は自然の成り行きで、例えばアメリカと日本を比較すれば、アメリカプレスの方がレベルが高いという、レコードに刻まれた音の大きさの違いが顕著な現実は否定出来ません。

このあたりの状況は推察の域を出るものではありませんが、おそらくは再生装置の普及に関係しているんじゃないでしょうか?

それは欧米では1960年代末に至っても、ステレオオーディオを持っている家庭は日本ほどに多いとは言えず、特に若者や白人以外の人種層では、その多くが所謂電蓄のレコードプレイヤー、あるいはモジュラーステレオといった簡易オーディオを用いるのが普通だったと言われています。

そこで流行の大衆音楽を売るレコード会社では、そうした出力の小さな機器でも迫力のある音が再生されるように様々な工夫を凝らしていたのですから、モノラル盤が必然的に良い音になるのは不思議でもなんでもないと思います。

で、このビートルズのアルバムはアメリカでのデビューLPで、お馴染みのキャピトル発売盤よりも先に世に出たものですが、その経緯については諸説あるものの、結局アメリカではイギリスの歌手やバンドは売れないという判断が優先されての事でしょう。

もちろん英国EMIもアメリカのキャピトルに対して懸命の売り込みはしていたのでしょうが、最終的な販路はシカゴにあった黒人経営のマイナー・レーベル=ヴィー・ジェイ・レコードです。この会社は1953年に正式創業され、主にR&Bやジャズ等で優れた作品を発売していましたが、少ないながらイギリス産ポップスもアメリカで発売しており、担当者がイギリスや欧州でのビートルズ人気を知っていた事が契約成立の要因でした。

こうして、まず1963年2月25日からビートルズのレコードはアメリカで発売されたのですが、もちろん歴史にあるとおり、最初は鳴かず飛ばず……。

このアルバムにしても同年7月に初回プレスが発売されたものの、諸事情から忽ち廃盤となっています。

ところが翌年になって、ついにキャピトルとの契約に成功したビートルズが「抱きしめたい」のメガヒットで大ブレイクしたことにより、便乗再発されのが掲載のLPで、実は前述した初回プレス盤とは収録曲が異なっているのですが、ここまでの経緯についてはサイケおやじ館内の拙稿「ザ・ビートルズ / アメリカ盤の謎」をご一読下さいませ。

ちなみに、この「VeeJay盤」の魅力のひとつとして、流石は黒人音楽の名門会社で作られた証というか、実に黒っぽい音がするんですよねぇ~♪ それは後に「米国capitol」から出し直された同一音源と比べても歴然!

個人的な感想ではありますが、モノラルミックスを標榜していても、「英国Parlophone盤」が纏まりの良いシャープな音像だとすれば、「米国Capitol盤」は分離の良いクッキリハッキリ系、そしてこの「VeeJay盤」は力強くて野太い感じだと思っています。

ということで、あまりにも強烈なモノラルミックスのアナログ盤体験は、今でも聴く度に鮮烈です。

もちろん言うまでもありませんが、最初は通常のステレオ針で聴いていたものが、当然の流れからモノラルカートリッジを使った再生への道に踏み込んだ中で、個人的には太いMMが好みです。

またリアルタイムでの楽しみに近づくためには、前述した電蓄を使っての鑑賞もよろしいのではないでしょうか?

そんなこんなから、サイケおやじは骨董市あたりで状態の良いものを掘り出し、整備して鳴らすという、温故知新に浸ることもある次第です。

う~ん、それにしても音を楽しむ道は広くて、果てしないですねぇ~~♪

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