記録によれば1970年4月2日、フィル・スペクターはジョンとジョージから託されたマスター・テープの編集作業を完了させています。
映画も完成し、「レット・イット・ビー」と題され、5月の公開を待つばかり!
また、それに伴って製作されていた写真集も出来上がり、これはアルバムの初回盤に付けられる事になります。
こ~して事実上ビートルズ最後のオリジナルアルバムとなった「レット・イット・ビー」の発売準備は着々と進められていたのですが、ここに大きな問題が発生していました。
それは発売時期の事で、計画では映画の公開に合わせるために5月8日を予定していたものの、それは密かに製作が進められていたポールのソロアルバム「マッカートニー」の発売とのバッティングが懸念されていたのです。
つまり、ここで……、またしてもポールとアレン・クラインは対立し、彼はポールに発売の延期を申し入れますが、もちろんそれは却下!
ただし、ポールもお互いの利益を考えて、自分の作品は、その3週間前に発売するという妥協案を提出し、EMI及びアップル側と合意します。
しかし彼は、ビートルズとしての新アルバム「レット・イット・ビー」の出来には満足しておらず、その製作を巡ってグループ内の人間関係も益々悪化していた事から、ついに強烈な対抗策を出してしまいます。
その発端は、4月10日付けのイギリスの大衆紙「デイリー・ミラー」に掲載された、ポールのビートルズ脱退という大ニュースでした。
記事の真相は、ポールがソロアルバム「マッカートニー」のために作った宣材に含まれていたアンケート記事で、これは発売時の記者会見を嫌ったポールが宣伝部と協力し、Q&A形式で作ったものでした。その中でポールは「ビートルズの行方は分からないが、ジョンとの共作活動は今後は無い」と述べているだけなのですが……。
つまり、ビートルズからの脱退、あるいはビートルズの解散については、一言も述べていないのです。
しかし、それでもこれはマスコミにとっては「待ってました」の発言でしたから、翌日には世界中の報道機関がビートルズの解散を報じました。
もちろん、こ~なると、もう歯止めは効きません。
ジョージ・マーティンやグリン・ジョンズからはフィル・スペクターに対する不満が表明され、他の関係者からの発言も有る事・無い事を織り交ぜながらの憶測記事にされてしまうのです。
そして、一連の騒動の最中だった5月8日、アルバム「レット・イット・ビー」がイギリスで発売され、気になる制作クレジットにはプロデューサーとしてフィル・スペクター、録音責任者がグリン・ジョンズ、さらにキーボード奏者にはビリー・プレストンの名前が記載されているのは当然が必然!?
収録されていたのは、次の12曲でした。
A-1 Two Of Us
「私はピグミーを偏愛する」等々というジョンのお喋りに続いてスタートするフォーク・ロック調の曲で、ポールが歌い、ジョンがハーモニーを付けています。映画の中でもいくつかのバージョンが登場していて、ポールとジョージの喧嘩の原因になった事でも有名になりました。
ここでは映画の中でも完成形として演奏されていた、1969年1月31日のバージョンを基本に使っています。
メロディも良いし、生ギターと最後の口笛が印象的♪ ほのぼのとした雰囲気が、個人的には大好きです。
A-2 Dig A Pony
映画のクライマックスとなった、1969年1月30日の屋上での演奏場面と同じ音源を使用しています。
ただし、ここに収められたバージョンは、編集によってポールが歌う「All I Want ~」という最初と最後のフレーズがカットされている様です。
A-3 Across The Universe
この曲に関しては「其の拾壱」でも触れたとおり、複雑なものがあります。
まず、オリジナルの録音は1968年の2月初旬に行われましたが、その時は作者のジョンが仕上がりに納得せずにお蔵入り……。それが初めて世に出たのは、1969年12月に発売された世界野生動物保護基金のためのチャリティ・アルバム「No One's Gonna Change Our World」に収録された時でした。
もちろん、そのバージョンはジョージ・マーティンがプロデュースしたものですから、ここに収録されたフィル・スペクターがプロデュースしたバージョンとは、もちろん違います。
決定的な違いは演奏のスピードで、ジョージ・マーティン版は通常よりもテープの回転速度が速く、逆にフィル・スペクター版は遅いと思われます。
これは後年登場する「アンソロジー2」に収録された同曲の自然な雰囲気と比較すると、尚更に明らかです。
その他にも違いは細かい部分まで沢山あり、様々に楽しんで(?)聴ける楽曲だと思いますが、個人的には、ここに収録されたフィル・スペクター版が一番好きです。大改造によって加えられたオーケストラ&コーラスで作られた音の壁、そして気だるいジョンのボーカルが、ソフト&サイケな曲調や歌詞の内容に合っているんじゃ~ないでしょうか。
A-4 I Me Mine
「其の拾壱」で述べた様な事情から、1970年1月3日に急遽録音されたジョージの曲です。
後に「アンソロジー3」で聴く事が出来た様に、本来は短い作品でしたが、それをフィル・スペクターが強引に引き伸ばし、オーケストラを重ねて仕上げました。
しかし……、サイケおやじとしては、そんな事をするよりは、映画の中でワルツを踊る場面に使われていた、演奏だけの部分を活かして欲しかったのですが……。
A-5 Dig It
1分に満たない短い曲ですが、これは1969年1月26日に録音され、本来は12分以上あったセッションからの抜粋です。映画の中では全員楽しそうなノリを見せてくれましたが、その中核はビリー・プレストンでした。
このアルバムではジョンのお喋りが継ぎ足され、繋ぎの場面設定という雰囲気ですが、これこそ全長版を出して欲しいと強く希望しています。
A-6 Let It Be
先行シングルとして発売された大ヒット曲ですが、ここには別バージョンが収録されました。
それはプロデューサーが違うので当たり前なのですが、両者共に1969年1月31日に録音したものを基本にしております。
一番の違いは間奏のギター、それとシングル・バージョンはコーラスが大きく、こちらはブラスが大きいという点でしょうか、その他にも細かい部分はキリが無いほどです。
例えばポールのピアノがミスっている部分はシングル盤の方が、はっきりと分かります。
ちなみに、ここでのブラスセクションはシングル・バージョンと同じく、ジョージ・マーティンのアレンジによるトラックを、そのまんま使っていると思われます。
A-7 Maggie Mae
リバプールに伝わる俗謡で、サイケやじには良く聴き取れませんが、売春婦の事を歌った内容らしいです。まあ、そう思って聴くと彼等の歌い方が下品に思えますが、それにしても前曲の厳かな雰囲気を一発で消し去ってしまうこの曲順は!?!
この曲は、1969年1月24日に録音されたと云われていますが、若き日のビートルズ=クォリーメンは、ステージでも演奏していたらしいです。
B-01 I've Got A Felling
1969年1月30日の屋上での演奏で、映画に使われたテイクと同じ音源を使用しています。
詳しくは「其の四」を参照にして下さい。
B-2 One After 909
これも1969年1月30日の屋上での演奏、映画と同じ音源を使用しています。
B-03 The Long And Winding Road
ポールが作った名曲で、映画の中ではシンプルな演奏だったものが、ここではフィル・スペクターの手により、たっぷりとオーケストラ&コーラスがダビングされ、それがポールを激怒させたというのが定説ながら、しかし、この曲は当時、アルバムの中では一番人気だったと記憶しております。
それ故、アメリカや日本等では独自にシングル盤として発売され大ヒット! やはり臭みギリギリのオーケストラ&コーラスによるところが大きかったと思います。
実は、このアレンジを担当したリチャード・アンソニー・ヒューソンは、例えばメリー・ホプキンの「Goodbye」のアレンジもやっていたほどですから、本来はポール側の人物だと思うんですが、そ~ゆ~ところも、歴史と人生の機微なんでしょうねぇ~~、この世は、なかなかに難しいものです。
そして映画で接したバージョンは、リアルタイムでは何となく物足りない感じがしました。
ちなみに件の映画バージョンは、1969年1月31日の録音でしたが、このアルバムに収録されたのは、1969年1月26日の録音を土台にして大改装を施したもので、ダビングの無いバージョンは「アンソロジー3」に収録されております。
B-4 For You Blue
ジョージの自作自演曲で、本来のタイトルは「George's Blues」、何とも言えない楽しさがあります。
バックでは、ジョンのスライドギターやポールのピアノが聴かれ、映画でも良い雰囲気で演奏されていましたですねぇ~~♪ サイケおやじは、この歌と演奏も大好きです♪♪~♪
ちょいと疑問も感じますが、ここに収録されたのは、基本的には1969年1月25日録音のテイクが使われているらしいです。
B-5 Get Back
すでにシングル盤として発表され大ヒットしている曲ですが、ここに収録されたバージョンは、それとは全く別物になっております。
両方とも、基本的には1969年1月27日に録られた音源をベースにしてはいるものの、一番大きな違いは、まずイントロで、ここでは曲の前にお喋りやチューニングの雰囲気が入っております。
また、終わり方もシングル・バージョンではブレイクの後に1969年1月28日に録られた音源からの抜粋を継ぎ足してフェードアウトしていますが、ここでは演奏終了後に映画で使われた1969年1月30日の屋上での演奏の最後の名台詞、つまりジョンの「オーディションに受かりたい」等々のお喋りを継ぎ足してあり、この雰囲気はやはり「最期」に相応しい様な気がして、好きです。
以上の楽曲が収録されたこのアルバムは、ビートルズ解散騒動もあって、爆発的に売れました。
アメリカではレコード予約枚数が新記録となり、値段が高い写真集付きの初回盤さえ忽ち売切れ状態!
この状況等々を今日鑑みれば、ポールの前述の発言は絶妙のプロモーションだったという気さえします。
ただし、同時にポールはフィル・スペクターのプロデュース、殊更「The Long And Winding Road」に対するオーケストラ等の処理には一貫して異を唱えており、それは後に争われるビートルズの法的な提携関係の解消に関する裁判でも持ち出されることになります。
しかし実は皮肉な事に、フィル・スペクターによる問題(?)の大改造が行われていた同時期に、ポールは同じ建物内にある別なスタジオで、ソロアルバム「マッカートニー」の仕上げ作業をやっていたのです。
ポールは、アルバム「レット・イット・ビー」の内容について、発売されてから初めて聴いたと主張しておりますが、だとしたら……、正に「運命のいたずら」と言うべきなのでしょうか……。
【参考文献】
「ビートルズ・レコーディング・セッション / マーク・ルウィソーン」
注:本稿は、2003年10月2日に拙サイト「サイケおやじ館」に掲載した文章を改稿したものです。