■誰を怨めばいいのでございましょうか / 三上寛 (URC)
ついにというか、ようやくと言うべきでしょうか、とにかくも衆議院が解散されました。
しかしサイケおやじには失望も高揚感も無く、なんとなくの不条理や無常感があるだけです。
実は今週は韓国へ出張していて、解散に至るあれこれはそこでも報道されていたんですが、唐突とも思える野田総理の「16日解散発言」にしても、既に韓国の仕事関係者からは13日の段階で、サイケおやじは知らされていました。
つまり作られていた筋書きが、我国のマスコミでは封印されていた証と言えなくもありません。
ただし、それはそれで結果論でしょう。
問題は、そういう場面で気色ばんだ演技をやってしまった野田という政治家のセンスの無さ!? 自分では満足しているのかもしれませんが、相手の安倍の受けが下手すぎて、丸っきり八百長が崩れた感が強いと思ったのは、サイケおやじだけでしょうか……?
心底、情けないなぁ~~、と思いましたですねぇ。
そしていよいよの選挙となれば、民主党の大敗北は決定的とあって、続々と離党者が出るテイタラクも、そうやって生き残りを模索する者は憎めないでしょう。
むしろサイケおやじが懸念するのは、負けると分かっている選挙をやる奴等の算段です。
それは全てとは申しませんが、ど~せ負けるんなら、「公認料」という「恥かき賃」を貰って、テキトーな選挙をやりつつ、お金を残そうとする遣り口がミエミエになっては!?!?
それこそ税金ドロボーでしょう。
残念ながら、過去にもそうした事例は多々散見されてきましたが、今回は尚更に目立つような気がしています。
また、例によってマスコミの亡国的扇動も商売と言えばそれまででしょうが、今回は石原慎太郎という、彼等には完全に扱いにくい人物が渦中に登場している所為か、所謂「第三極」に否定的な報道をするのが精一杯……。
否、もしかしたら逆効果を狙っているんでしょうかねぇ~~?
どちらにせよ、そんなこんなのナゾナゾも、政治は打算ではありますが、もっと国民に分かり易い方向に進まなければ世の中、悪くなるばっかりですよ。
さて、そんな心情で発作的に思い出してしまったのが、本日ご紹介する昭和の裏名曲「誰を怨めばいいのでございましょうか」です。
まあ、とにかくドロドロとした情念で世の不条理を嘆き、自らの存在すら否定しかねない激唱は、賛否両論にその名を記憶される三上寛の大名演!
ご存じのとおり、三上寛は稀代のフォーク系シンガーソングライターであり、また役者しても個性的な存在であり、他に各分野での創作活動も鮮烈な仕事が多すぎるという、極言すれば激ヤバの才人でしょう。
特に歌手としては、既に昭和45(1970)年頃、流行のフォークに擬態するが如き歌とパフォーマンスの鮮烈さが話題となり、翌年には堂々のレコードデビューを果たしていますが、それが売れたとかヒットした云々という次元ではなく、「三上寛」という存在そのものが大当たりしたところに、凄さがあると思っています。
なにしろ三上寛の演じる歌から発せられる毒気の衝撃度は半端ではなく、あらゆる事象を包括的な破壊衝動に結びつけるものです。
嘘も真実も、それがどこで区分されているのかさえ判定され難い、そんな狂気と真心に満ちていると感じさせられるのが、三上寛の歌の世界でしょう。
ですから、昭和47(1972)年春頃に発売された、ごの「誰を怨めばいいのでございましょうか」にしても、サイケおやじはリアルタイムの深夜放送で一度聞いただけで、二度とはご勘弁……。
それほどに濃密なエグ味が!?!
う~ん、それじゃ~、なんでレコードを持っているのかって!
そりゃ~、偏にジャケットの魅力ですよっ!
それは往年のSM誌の挿絵でも活躍していた佐伯俊男画伯の作品であり、サイケおやじの感性にはジャストミートしている事から、今も蒐集の対象になっているわけでして、もちろん同時期に描かれた角川文庫版の山田風太郎の忍法物諸作のカパーも同様です。
ということで、どこまでも混迷を極める世相の中の衆議院選挙は、おそらく敵対集団への非難と自己弁護の応酬になる事は必至だと思われます。
ただし、その中で、どれだけ本当の事を吐露出来るのか?
あるいは自己憐憫ではない、候補者各々の赤裸々な告白(?)を聴いてみたいと思っているのは、サイケおやじだけではないでしょう。
明日の日本云々なぁ~んて事は、口先だけで、ど~でも言えるわけですが、それを簡単に納得するほど、今の国民は青くはないでしょう。
散々、騙されてしまいましたからねぇ……。
ど~せなら、気持良く騙されたいとさえ願っているのでした。
コメント感謝です。
文庫本はシリーズ化されているものほど、後に高値の古書となるようです。
特に角川は絶版になってから人気が出るという、どうにも不思議な存在ですよねぇ~。横溝作品はあれだけ売れたのに、後期のマニアックな随筆集とか、これがバカ高い値段で取引されていた時期がありました。
旺文社文庫も、存在自体に趣味性が強く、しかも内容が充実していましたから、買い逃したもので後悔しているものが数点あるのですが(苦笑)。
さて、肝心の三上寛、ギターを弾く姿そのものが強い印象です。妙な哀愁があるような気がするんですよ。
地元でボチボチ集めてはいるのですが。
僕にとって佐伯さんは、「淫靡な世界の画家」という認識でしたので(その手の雑誌の立ち読みで知ったのだと思います)、彼がジャケに関っていた三上寛のライブ盤は発見→即買いでした。
数年前買った雑誌で、三上寛はグレッチのギターを弾いていることを知ってちょっと意外でした。彼はもっとビザールなギターを弾くというイメージがあったものですから。