九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

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不信の将・小沢氏、民主王国名古屋をそそくさと去る   ネット虫

2009年04月23日 21時15分16秒 | Weblog
★中日新聞によれば、

民主党の小沢一郎代表は23日、名古屋市長選中の河村たかしさんの陣営を激励するため名古屋入りした。友好団体の連合愛知にも立ち寄ったが、街頭演説などはせず、2時間弱の名古屋滞在で、東京にとんぼ返りした。
 河村さんの事務所で、街宣活動中の本人に代わり妻名帆子さんらに挨拶。
 報道陣に、市民に直接、語りかけないのかとも問われたが「河村氏に会う暇もない。すぐ新幹線に乗り、国会の本会議に行かないといけませんから」と話した。これに先立ち、小沢代表は、連合愛知の神野進会長とも会談。西松建設の違法献金事件について「心配をおかけしました」と陳謝、河村候補の出馬で空席になっている衆議院愛知1区の党候補者について「積極的にやりたい」と述べた。

ということだ。

☆笑えたのは、国会が審議の参加が大切だから長居出来ないと釈明とのこと。肝心な時に国会審議に姿の見えない事も多かったのに、よく言うね。
 河村当選後?の選挙の相談を愛知の連合幹部としただけだろう。
 何しろ長居すればするほど票が減るのは確実。
 それにしても、組合幹部に西松問題の釈明をして、民主王国名古屋市の市民にしないとは何事か!!!
 こうした様子を見ていると小沢は無論、民主党の先も暗雲いっぱいだ。
 不信の将よ!!ただ去るのみでは?
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番組紹介・・・NHKで「パレスチナのガザの悲劇」の特集が!!    ネット虫

2009年04月23日 10時41分19秒 | Weblog
★あのパレスチナのガザの惨劇が平和?な日本の人々の記憶から急速に消えかかっているように思える今。NHKが三本のパレスチナ・ガザのドキュメントの放送をします。是非ご覧ください。

******************************

▼4月24日
4/24(金)前0:10<23(木)深夜>
NHK/BSドキュメンタリー(再放送)
「封鎖された街に生きて~ガザ ウンム・アシュラフ一家の闘い~」
http://www.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/090209.html

イスラエルによる経済封鎖が続く、パレスチナ・ガザ地区。ガスや電気、水の供給がしばしば止まり、生活必需品の欠乏に人々は苦しめられている。そのガザに暮らす女性、ウンム・アシャラフ(60)さん一家をジャーナリストの古居みずえ(映画「ガーダ」監督)が、12年以上にわたって撮り続けてきた。

ウンム・アシュラフさん一家は夫、息子たちとその家族、娘の家族と30人を越える大家族。

「封鎖」の中、息子や夫の仕事はなくなり、家計をやりくりするウンム・アシュラフにとっては、頭が痛い。家族はささいなことでイライラしけんかが絶えなくなる。独身の五男は結婚したいと望んでいるが、新居を作る金もなく、見通しがたたない。でも「パレステナ人はあきらめない」と語るウンム・アシュラフは、工夫を重ねてその日その日を何とか乗り切っていく。

「封鎖」という状況の中、パレステナ・ガザの人々は一体どうなっているのかー。外からはなかなか分からない人々の暮らしを、古居のカメラがパレステナ人女性ウンム・アシュラフの目線で描いていく。

‘08年10月12日にBSドキュメンタリーで放送。


原題: 封鎖された街に生きて ~ガザ ウンム・アシュラフ一家の闘い~
制作: NHK/アジアプレスインターナショナル(日本) 2008年

▼4月25日
4/25(土)前0:10<24(金)深夜>
NHK/BS世界のドキュメンタリー(本放送)
「子どもたちは見た~パレスチナ・ガザの悲劇~」
http://www.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/090424.html

▼5月10日(日)22:00~23:30
NHK/ETV特集 「ガザ なぜ悲劇は繰り返されるのか」
http://www.nhk.or.jp/etv21c/update/2009/0510.html
(土井敏邦氏、臼杵教授、古居みずえ出演)

去年12月、イスラエル軍による攻撃に見舞われたパレスチナ暫定自治区ガザ。空爆と侵攻によって破壊され、多くの犠牲者を出した。3月に入り国際社会はガザの復興支援に乗り出した。しかしガザの復興と和平への道のりは、遠い。

今から16年前の1993年、オスロ合意が結ばれ、国際社会はパレスチナ和平に期待を寄せた。2005年にはイスラエルがガザの入植地から完全撤退し、パレスチナ人の独立国家建設が期待された。しかしその後、期待とは全く違った経過をたどる。イスラエルによるガザ封鎖、ハマスの台頭、自爆テロ、数度にわたるイスラエル軍の侵攻、そしてハマスとパレスチナ主流派・ファタハの対立と武力衝突、そしてハマスによるガザの支配、イスラエルへのロケット攻撃と去年末のイスラエル軍の侵攻・・・パレスチナ和平への期待は何度も生まれ、そしてその夢は蹉跌(さてつ)をきたした。

なぜ、ガザで悲劇は繰り返されるのか。国際社会の支援は、パレスチナに和平をもたらすことができるのか。ジャーナリスト・土井敏邦氏と古居みずえ氏は、パレスチナの変遷を、民衆の視点からつぶさに見てきた。そしてイスラエルが撤退した直後の1月にもガザに入り、被害の状況、民衆の様子、イスラエルの動向、そして和平と復興の行方を取材している。そこにはこれまであまり知られていない、歴史と現実が横たわっていた。

イスラエル撤退後のガザの行く末を考える。
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随筆 「老いは道連れ」  文科系

2009年04月23日 09時17分54秒 | 文芸作品
 「老いは道連れ」
                                  

 五十人程の小ホール、木の温もりがすっきりしたその舞台で、Aさんは弾き始めた。クラシックギター界では知らぬ者のない名曲「アラビヤ風奇想曲」である。薄暗い会場のスポットに照らし出された彼の白髪、温顔が、最前列に座った僕のすぐ目の前に見えている。と、〈二ヶ月前とは月とすっぽん!〉、僕は言い知れぬ胸騒ぎに襲われ始めた。直前の教室発表会で聴いた、敬愛する彼の同じ曲を思い出していたのだ。まずテンポが緩すぎる。月の砂漠をラクダが渡っていくような特有のリズム感が少しも伝わって来ないどころか、ギターという楽器の最大の欠点「音のつながりにくさ」ばかりが耳にまとわり付いてくる。「まーぽつりぽつりと、弾いていきます」、演奏の直前に司会者の誘導質問に促されて彼が発した一言の意味はこれだったのだ。彼にこの不出来の自覚が初めからあったということなのだろうが、それにしても……。
〈あっ、止まってしまった。…… 助かった、さりげなく続けている。でも彼の心、さりげないどころじゃないよなー〉、今の彼の全てが分かってしまう心持だった。僕も去年と一昨年に同じような大失敗を二度も繰り返してきたからだ。
〈自分の老いの速さが計算できない失敗〉
 僕は満六十八、僕と同様に熱心で僕よりもはるかに上手い彼だが、それにしても三つ年上。「一ヶ月前に立派に弾けたから、今回も大丈夫」などと悠長に構えていると、大変なことになる。なんせ五分近い大曲を暗譜で弾こうというのだ。それも、左右両手の指十本を指定されたとおりに細々と使う。この指定を外すと若い人でも暗譜のど忘れ、「頭は真っ白」と、「舞台上の立ち往生」も起こりうる。一週間前程度に曲の劣化を確認できて中途半端に手を打っても、本番の心がもっと危うくなるような場合さえ多いのである。
 それにしても、高齢者がこんな大曲。この和音楽器が好きだからできるというだけのことだが、残り少ない日々の大変な努力がどれだけ注ぎ込まれていることか。そして、この膨大なエネルギーが加齢によってどうしても裏切られると感じ始めたときには、「可愛さ余って憎さ百倍」。そんなことさえ起こりうると、僕の我が身で教わり始めただけではない。
「来年三月で十九年になる。とってもついていけない発表会はもう嫌々。来年さっとやめようか。来年の発表会を終えたらやめようか」
 九十三歳で亡くなった母の、八十の誕生日十日前の日記がこんな文章で始まっている。退職後の人一倍大きなエネルギーをかき集めるようにして取り組んだ三味線を、この翌年の発表会を待たずしてぷっつりと弾かなくなってしまったのである。「ギターと加齢と。これにどう折り合いをつけようか」、母が僕に与えた宿題でもあった。「俺のギターは、第一に人に聞かせるものではなく、先ずは俺自身が自演鑑賞を楽しむものにしておこう。その方がいつまでも楽しめる」。そんなふうに僕は弾いてきた。だからこそ、大事で手は抜けないという気がする。「老いは道連れ」、にしたいのである。

コメント (5)
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