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随筆 不整脈ランナーの手記(20)「加齢=喪失」の実感!  文科系

2010年07月26日 12時14分54秒 | スポーツ
 まだまだジタバタしている。手帳を見ると、こんなふうだ。6月24日、階段往復60回、心拍125前後。7月5日、同60回、心拍120ほど。同8日、アップ歩行を含んで5キロを42分で走り、最高時速8キロ時に心拍136。15日と22日にも階段往復を、各50回。8日の、久しぶりの走行に異常がなかったから、階段往復にプラス片足つま先立ちを強く20回ほど出来る体力さえ維持していれば、この程度のスピードでならいつでも走れる。また、週に2回ほどで3~4日走り込めば、時速9キロも行けるだろう。だが、自重している。階段登りで、心臓の疲れの抜け方を見ている。手術の予後観察期みたいなもんだ。遅いスピードでも良いから、あとどれだけ走れるのだろうかと、そんな感じで自分の心身の深奥を覗きながら。

 年を取るということは、いろんなモノを失っていくということだとは、誰もが知っている。一生懸命やってきて、力が落ちないように育んできた大事な大事なモノを失っていくのは、本当につらい。僕はまず、07年春を最後に10キロマラソンに出ていない。そのころはまだ、時速11キロほどで通せたのである。以降1~2年体力を維持しつつ様子を見ている内に、去年末から心臓の持病が急に悪化しだした。そもそもこの手記を書き始めた11月1日には、上記の最後の記録近くで走れるようになると、信じていたのである。それが、この2月末にカテーテル手術。もう10キロマラソンは到底無理だろう。「不整脈ランナーの手記」が「不整脈手術始末記」「ランナー断念の記」に変わるなんて、夢にも思っていなかった。

 去年失った大事なものが、もう一つある。ギターの発表会など、舞台と言えるものに出ることを諦めた。度忘れや「予期せぬミス」に対する恐怖からホームコンサート的なものだけを残して、高いところにはもうでないと決めた。だから、ここに書いてきた「ギター遊びの会」が大事になったのだ。こういった全ての事情から、ここに「ギター遊びの会」関連で書いたAさんの気持もよーく分かるつもりだ。人によって、喪失の時期、程度に差があるだけ。そんなわけで「ギター遊びの会」に僕は、ギター弾き老人ホームの機能をも持たせたいと、そんな気でいる。大事なモノを失っていくのに、さらにそれにまつわる交友関係までもなくしていくのは、もっと辛いことだから。僕の母のように、80近くまで三味線教室の舞台に参加しながら、舞台を離れることが即三味線とその交友関係までを折ってしまうことになるなんて、僕には耐えられない。ぽつんぽつんとでも、弾ける場所が欲しい。
 そんなわけでギターの方は相変わらず、日に3~4時間も弾いている。おかげで大聖堂が、1、2楽章はなんとか出来上がってきたから、ギター仲間には機会があって何人か聞いてもらった。Aさんと、Nさん(7月8日拙稿を参照)。そして、それとは別に、コンクール入賞の常連・上ちゃんにも。あとは第3楽章の、旋律や流れがきちんと聞えるようなスピードに乗る練習。老人が最も苦手なことなのだが。 
コメント (3)
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