九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

日本が朝鮮にしたこと   文科系

2013年08月04日 15時40分49秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 僕は、朝鮮のことが問題になったときにいつも、ここに載せたこの拙文を再掲してきました。今回もそうさせていただきます。


【 ざくろさんのアジア・太平洋戦争観  文科系 2011年04月02日

前置き
 1国の戦争には、確かに意図と結果が存在しよう。そして、意図の通りに結果が出るものでもないだろうし、結果からだけ戦争の善悪を云々してみても無意味だ。
「泥棒に入った家にもう1人泥棒が居て、両者が殴り合いになった結果、家としては何も盗まれなかった。よって後からの泥棒が良い事をした」
と、こんな事を語って何か意味があるのか。
 かくのごとく意図と結果は別物であるのだから、歴史を論ずるやりかたではないのである。歴史は事実、真実の流れを叙述するというのが基本でなければならず、意図と結果はむしろそこから判明してくるということだろう。
 こういう視点で見れば、ざくろさんの語り口は、日本の戦争を派生的結果などを総動員してまで美化しすぎているし、日本の好ましくない意図が関わっているやの行為を「周囲にそう強いられた」「他国も同じような事をしていた」と言う側面を探し出してきてまで、免責しすぎていると、そう僕は思う。つまり、歴史の論じ方が情緒的に過ぎると思う。ちなみに、彼が僕の太平洋戦争論議に関わって「日本を『邪悪』と見ている」「アメリカを『正義』と見ている」と論難したが、こういう言葉を使っていないことでもあるし、こんな言い方は僕としては拒否するものである。
 また、サッカー代表戦などで日本を熱烈応援する僕だが、事実から見て醜く見えるような日本の過去の行為を無理に美化しようとは全く思わない。むしろ、反省すべきは反省してこそ、さらに美しい国にも出来、これを愛する事ももっと可能になるのだろうと考えている。また、こんな事をせねばならぬほど、美点の少ない国だとは僕には到底思えない。
「日本の過去の醜い点はなるべく美化しなければならない。そうでないと青少年が日本を愛せなくなる」

1 朝鮮併合
 僕はざくろさんにこう語った。
『明治維新直後の征韓論出兵騒動や江華島事件などなどの1870年代からおよそ40年かかって日本が朝鮮半島を併合したのも、「アジアにおける欧米列強の植民地解放のため」であるのか? この40年間に独立国であった朝鮮抑圧への反発を武力で抑えるべく、どれだけの方々を殺したことだろう。それもみんな「アジアにおける欧米列強の植民地解放のため」と貴方は言い張るのか。そもそも「朝鮮の人々のためにこそ40年かかって併合したのだ」という理屈を、朝鮮の人々が認めているとでも言われるのか? 』
 これに対して、彼はこう反論した。
『日本が明治維新直後から、ずっと朝鮮半島を狙っていた、というふうな見方は明らかに偏見でしょう(自覚あります?)。明治初期の征韓論は――理由はそれだけではありませんが、立場・考え方の違いから原因の一つとして――内乱(西南戦争)にまで発展して、一旦は消え去っています。』
 歴史的事実を上げておきたい。僕があげておいたのに彼が無視した1875年の江華島事件と、ここから生まれた不平等条約、日朝修好条規。1882年の壬午事件。その結末の一つに日本軍の常時駐留があるが、これは、帝国初の平時外国駐留軍ということになる。1884年の甲申事変では、反日感情が急増している。1894年の東学教徒反乱事件に際した日本の大兵力出兵。これは、日清戦争のきっかけになった事件でもある。朝鮮がきっかけで日清戦争も起こったというこの事実は、朝鮮のこの40年と後の日中戦争が結びついて何か象徴的な出来事のように僕は思う。
 こういう事実が続いていれば、『ずっと朝鮮半島を狙っていた』かどうかは別にして、上のように、僕がこう述べるのはごく自然な事のはずだ。
『明治維新直後の征韓論出兵騒動や江華島事件などなどの1870年代からおよそ40年かかって日本が朝鮮半島を併合したのも、「アジアにおける欧米列強の植民地解放のため」であるのか? 』
 
2 中国侵略と対米戦争
 僕がざくろさんに書いた事はこうだ。
『次いで対米戦争であるが、これも「アジアにおける欧米列強の植民地解放のため」の戦争などでは全くない。
 日本は中国侵略戦争を継続するために、これを中止させようとするアメリカ・イギリス・オランダと開戦することになったのであって、中国侵略戦争の延長線上に対英米欄戦争が発生したのであり、中国との戦争と対英米欄戦争とを分離して、別個の戦争と考えることはできない』
 対して彼は、中国侵略と対米戦争とを分けて語る。後者は帝国主義戦争であって、アジア開放には無関係であるとし、前者についてはおよそこのように。
【『中国についても、不戦条約などに従っていては欧米支配打破などはできなかったのだから、『悪行は(欧米と)五分と五分というのがぎりぎりのところ』であり、仕方なかった(『と大東亜戦争肯定論者の多くは捉えていると思います』)。ただ中国については、国民が欧米の奴隷状態でもなかったことなどから『日本の進撃が、支那人にとって、解放と映らなかった』。】
 これも歴史的事実と違っている。事実はこうだ。
『結局、日本の武力南進政策が対英戦争を不可避なものとし、さらに日英戦争が日米戦争を不可避なものとしたととらえることができる。ナチス・ドイツの膨張政策への対決姿勢を強めていたアメリカは、アジアにおいても「大英帝国」の崩壊を傍観することはできず、最終的にはイギリスを強く支援する立場を明確にしたのである』
『39年7月、アメリカは、天津のイギリス租界封鎖問題で日本との対立を深めていたイギリスに対する支援の姿勢を明確にするために、日米通商航海条約の廃棄を日本政府に通告した。さらに、40年9月に日本軍が北部仏印に進駐すると、同月末には鉄鋼、屑鉄の対日輸出を禁止し、金属・機械製品などにも、次第に輸出許可制が導入されていった』
 こういうことの結末がさらに、石油問題も絡む以下である。太平洋戦争前夜、ぎりぎりの日米関係をうかがい見ることができよう。
『(41年7月28日には、日本軍による南部仏印進駐が開始されたが)日本側の意図を事前につかんでいたアメリカ政府は、日本軍の南部仏印進駐に敏感に反応した。7月26日には、在米日本資産の凍結を公表し、8月1日には、日本に対する石油の輸出を全面的に禁止する措置をとった。アメリカは、日本の南進政策をこれ以上認めないという強い意思表示を行ったのである。アメリカ側の厳しい反応を充分に予期していなかった日本政府と軍部は、資産凍結と石油の禁輸という対抗措置に大きな衝撃をうけた。(中略)以降、石油の供給を絶たれて国力がジリ貧になる前に、対米開戦を決意すべきだとする主戦論が勢いを増してくることになった』
 以上『 』【 】内は、岩波新書「アジア・太平洋戦争」から。著者は、吉田裕一橋大学大学院社会学研究科教授。

 ちなみに、「帝国国防方針」の1923年2月28日改訂版で、アメリカが初めて帝国仮想敵国の筆頭にあげられるに至ったという資料もある。これまでの筆頭はロシアであった。
『仮想敵国 陸海軍共通のものとしてアメリカ、ロシア・中国がこれに次ぐ。(中略)国防方針第3項 中国をめぐる利害対立からの日米対立を予測』。岩波新書「満州事変から日中戦争へ」、著者は、加藤陽子東京大学大学院人文社会系研究科教授。
 
 以上全てから、ざくろさんが次のように語るのは史実をねじ曲げるものだと言いたい。
『真珠湾攻撃は、日本が南方資源を手に入れ、ヨーロッパ列強からアジアを解放しようとする日本の戦争に何の貢献もなかったばかりではない。それが、先の大戦の唯一の敗因となった。
 そのことを頭にいれておかなければ、大東亜戦争の全体像がゆがみ、日本は、アジアを侵略して、それに反対したアメリカに噛みつく、ばかな戦争をして、自滅したという、GHQ史観にのみこまれることになる。
 どの民族、国家もももっている。誇るべき戦史が、日本に限っては存在せず、そのため、アジア諸国が「日本軍がヨーロッパ列強を追い払ってくれたおかげで、独立することができた」と感謝している先の戦争を、侵略だった、アジアに迷惑をかけたと謝ってまわるのは、愚かをこえて、悲劇というしかない。』

 日本の三つの戦争を巡る事実は、ずっと語られてきたようにこうである。朝鮮併合に関わって日清戦争が起こり、朝鮮と満州との経営を巡って日露戦争が起こった。そして、23年の帝国国防方針にあるように『中国をめぐる利害対立からの日米対立を予測』していて、太平洋艦隊の増強などによって大々的にこれに備えてきて、真珠湾攻撃は事実としてはほとんど確信犯なのである。

 なお、ざくろさんは日中戦争も真珠湾攻撃もともに、欧米の工作によって日本が巻き込まれたものであることを立証しようと努力している。僕が以上に示したような、普通に語られてきた事実経過がありながら、何故こんな事に精魂傾けるのか。日本の主体性をあまりに軽視しており、いかにも不自然である。帝国の重大決意を他国のせいにして、その責任を免罪しようとしているとしか、僕には思えないのである。日本を美化したいという望みから、歴史を見る目を曇らせているのではないか。】
コメント (15)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

だから日本一部保守政治家は馬鹿と観られる  文科系

2013年08月04日 15時05分10秒 | 国内政治・経済・社会問題
 愚かな麻生が語ったのは、ナチなみに密かに法を換えよということだけではなかった。例によって靖国に絡んで、国のために死んだ人にお参りするのは当たり前だとも語った。馬鹿も休み休み言えと言いたい。戦前と戦後、我が国はお前には同じ国かも知れないが、普通の人には全く違う国であって、国とさえ言えたかどうかだろう。国民主権か「(万世一系の)天皇統治」か、これは現世界の普通の人には全く異なった国である。普通の人というのは、政治にとって民主主義が最も大切と考える人という意味だ。そう考える人にとっては、戦前の日本国家というのは国民のものではなかったのだから、今で言う国と言えるのかどうかさえ怪しいのである。だからこそ国民は、国民と呼ばれず「臣民」と呼ばれて、天皇のために我が命は赤紙よりも軽いと考えるべしと、そんな教育がされた国だったのである。天皇を良くいわない臣民は、小林多喜二のように殺されもした。不敬罪という、そうしても良いという法律まで存在したのである。
 そんな国を今と同列に扱う麻生の頭脳というのは、国民主権などどうでも良いと考えているとしか、僕にはどうにも考えられないのである。大日本帝国は第一に我が祖父母、曾祖父母のものではなかったどころか、彼らは国を所有する天皇の臣民、その道具にすぎぬ存在であった。天皇のために死ぬべきとされ、これに「不敬の思想」を持ったら殺される存在でもあったのだから、到底主権者・自由人ではなかったのである。そんな国のために戦って死んだ人は祖父母、曾祖父母のために戦ったのではなくって、犬死にというのである。この犬死にをまともに拝んだら旧体制を賛美することになり、他国によく思われるわけがないではないか。犬死には犬死にとして扱ってこそ、将来の日本民主国家建設に寄与できるというものだろう。
 こんな当たり前のことも普通に理解されていない今の日本保守政治家の世界は、ちょっとどうかしている。こんな感覚では、世界に通用するわけがないではないか。朝鮮など、他の世界各国には、(当時の)天皇、その国家と言えば、何の有り難みも無いどころか、むしろ憎しみの対象であろうに。国際化から本質的にほど遠い、自民党の政治家達!
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝鮮日報の記事より    らくせき

2013年08月04日 09時19分44秒 | Weblog
安倍首相の勝利を投票率の低い選挙がもたらした、現実を正しく反映できなかった結果と捉えることは、本当に正しい考え方なのか。有権者たちは、アベノミクスだけを見て投票したのか。決してそうではないはずだ。ひとまず選挙で勝利したことで、それも衆議院・参議院と立て続けに勝利したことで、国民がしばらくの間、安倍政権に対し、やりたいことをやってみるよう扉を開いたわけだ。安倍首相の日々の持論通りに政治は結果で物を語る。安倍首相は選挙直後「政治は結果であるだけに」改憲準備を進めるとコメントした。

 もちろん、日本人たちが皆、安部首相の考え方を支持しているわけではない。今回の政党投票で自民党が得た得票率は約35%だった。残りの人々の心は自民党ではない、野党のどこかに向かっているというわけだ。問題は、これを一つに束ねられる政治勢力が存在しないという点にある。

 国民にとって与党は現実で、野党は未来だ。有能な与党が存在する場合、大切なのは健全な野党が存在しているかどうかということだ。安倍首相のいる日本に懸念を抱くのは、安倍政権が目指しているゴールのためでもあるが、これを批判してブレーキを掛けられる野党勢力の力があまりにも弱過ぎる点にある。けん制できる勢力がいない安倍首相の疾走に対し、韓国も難しい外交が迫られるだろう。つまり、今後は韓国をはじめとする国際社会が、日本をけん制する力強い野党の役目を果たす覚悟をしなければならないという意味だ。

日本には健全な野党がいなくなってしまった。では、野党の代わりは?という見方です。
ちょっと寂しい気もする記事ですが・・・




コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする