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新聞の片隅に載ったニュースから(143)    大西五郎

2014年04月10日 19時05分36秒 | Weblog
「河野談話も内閣で継承」文科相、検定基準の見解めぐり(14.4.10 朝日新聞)
  (ころころと変転した文科相の認識)

 下村博文文部科学相は9日の衆院文科委員会で、慰安婦問題をめぐる1993年の河野官房長官談話について「(談話)そのものは閣議決定されていない。しかし、質問主意書に対する答弁で、談話を受け継いでいる旨を閣議決定している」と述べた。第1次安倍内閣は2007年、「歴代の内閣が継承している」との答弁書を閣議決定している。
 1月の教科書検定基準改定では小中高校の社会科(地理歴史科)教科書で「閣議決定その他の方法で示された政府の統一的な見解がある場合、それに基づく記述」をするよう定めた。下村氏は07年の答弁書の内容について「検定基準上の『閣議決定等により示された政府の統一的見解』に該当する。教科書検定にあたっては慰安婦問題についての政府の基本的立場を踏まえて実施する」とも答弁した。

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 これだけ読むと下村文科相は当然のことを言ったように感じますが、実は下村文科相の村山談話、河野談話に対する認識がころころ変わっているのです。
 まず最初に下村文科相は3月26日の衆院文部科学委員会で、「河野談話と村山談話は基準における『政府の統一的見解』にはあたらない」と述べました。(3月27日朝日新聞)
 しかし4月8日に記者会見を行ない、3月26日の国会答弁について「事実誤認だった。村山首相談話は閣議決定の上で発表された」と述べて、自らの発言を訂正しました。
 アジア諸国に対する「植民地支配と侵略」への反省とお詫びを表明した村山談話は1955年8月15日、村山内閣が閣議決定しました。一方、慰安婦問題をめぐる河野談話については、閣議決定はされていませんが、93年8月4日に宮沢内閣の河野洋平官房長官が記者会見で発表。河野談話に関わった石原信雄・元官房副長官は今月2日の国会で「閣議決定したものではないが、内閣全体の気持を代弁したものだ」と述べています。(4月9日朝日新聞)
 それがさらに、「河野談話を受け継いでいることを閣議決定している」と三度見解が変わったのです。最初の「閣議決定していない」は、両談話は教科書検定の基準に当てはまらないので、教科書で取り上げなくてもよい、いやむしろ取り上げるなという意向を表明したものです。しかし村山談話が閣議決定されているという事実を知らされて、村山談話だけは認めましたが、次に河野談話も歴史を誤魔化すことはできず、内閣の見解だったことを認めざるを得なかったのです。
 戦後レジームからの脱却を唱え、「植民地支配と侵略」の事実を認めたくない安倍首相に忠誠を誓う立場からの発言だったと思いますが、文教と科学の最高責任者が教科書問題に関わる誤った歴史認識を持っていたということで、ただ答弁を修正すればいいというような問題ではありません。文部科学相としての資質を問われる問題です。

 大西 五郎
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「よたよたランナーの手記」(46) よたよたと、一退  文科系

2014年04月10日 04時50分58秒 | 文芸作品
3月20日までのことを書いたが、以降は一言で言えばこんなふうで、一進一退の一退続きという感じ。

 24日に1時間8.4キロ、28日はいつもの外コースを1時間9キロ弱、29日が30分4.3キロ。1日が45分6.5キロほど、2日は50キロサイクリングを頑張って、5日が80分で11キロほど、7日はやはりサイクリングで60キロを超えた。右脚に痛みというほどではないが何と言うか違和感があって、調子が上がらない。はじめは脹ら脛の外側、次いで足首である。このため、調子を見ながら短時間走行やサイクリングに切り替えた上で、11キロ時などの高速走行を避けている。無理して悪化させたくないのは、当然のこと。ジャンプや片脚つま先立ちなどで脚全体の強化運動には努めているが、どこか故障を庇っていると、疲れも、そして特に疲労感が激しい。

 文字通りの三寒四温だが、今の時季のサイクリングは花見も兼ねたりで特に楽しいものになる。ちなみに、サイクリングには足首のこんな違和感はまったく影響しないから、思い切り走れる。2日は満開近い桜の中を快激走してきたとも言えて、格別中の格別。
 7日のサイクリングは、長久手の万博記念会場へ行ってその周回サイクリング・コース(5.1キロだったか?)を3回ほど回り、南進して愛知池経由で帰ってきた。記念会場の日本庭園ではなかなかゴージャスなロケーションを目の前にしながら、茶菓サービスを楽しんだりした。目の前にメタセコイアらしい高木が何本か突っ立っていて、あと10年もしたらどんなに高くなるのだろうなどと、楽しい想像を巡らしていた。公園を出てちょっと西から南に上り下った長い山道では、時に敢えて立ち漕ぎのまま暖かい春風に分け入るように走ってみる。そんなふうに汗水垂らして走っている坂道で満開の桜にふと目が合ったが、それがなんと愛しいと感じたことか。春の突風の中のこの満開に、汗水の老骨を対比したというか、重ねたというか、まーそんなところからだ。

 愛知池では周回サイクリングコースを目にしたから、今度いつかこれを目的で来ても良いなどと目論んでいた。愛知池北西端からはもう一度ちょっと北に回って、以降は天白川堤防道路を平針方面に下る。菜の花はもちろん、雪柳、連翹、木瓜もと、川周辺は何故か花盛りだ。日本人は、水の側に空き地を見つければ花を植えたがるのだろうなどと、勝手に推論しつつ微笑んでいた。白秋の時期の春に出会う花々は、まさに青春。我が玄冬に思いを馳せること多いこの頃だが、僕が死んでも僕のこの残骸がまたどこかでこんな花を咲かせるのだろうなどと、いつものように慰めてみる。でも、雲のモクモクとしたお尻のような眺めが見えた時には、ルノアールではないがまだまだときめくのである。
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