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新聞の片隅に載ったニュースから(148)   大西五郎

2014年05月25日 18時57分06秒 | Weblog
「貧乏で泥棒も入らない」軍隊のない国を百田氏やゆ (14.5.25 中日新聞)

 NHK経営委員で作家の百田尚樹氏(58)は二十四日、岐阜市内で開かれた自民党岐阜県連の大会で講演し、日本が憲法を改正して軍隊を持つ必要性を強調する中で、軍隊を持たない南太平洋の島国バヌアツとナウルを「家に例えたら、くそ貧乏長屋。泥棒も入らない」とやゆする発言をした。
 「NHK経営委員として(大会に)来ているわけではない」とした上で、「軍隊は防犯用の鍵。近代国家はすべて自衛のための軍隊を持っている」と述べた。
 また、日本の歴史教育について「戦争で日本が悪いことをしたとばかり教えている。そんな教育で子どもが人間としての誇りを持てるか」と主張。「歴史教育を取り戻すため、自民党の皆さん頑張ってください」と呼びかけた。
 百田氏は、二月の東京都知事選の応援演説で第二次大戦後の東京裁判を批判。今月三日の憲法記念日に東京都内であったシンポジウムでも「護憲派の人たちは大ばか者に見える」と発言し、波紋を広げた。

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また百田尚樹NHK経営委員の問題発言です。
百田氏は東京都知事選で航空自衛隊元幕僚長の田母神俊雄候補の応援演説を行い、「田母神氏以外の候補者は人間のクズだ」と批判したり、東京裁判を否定する発言をしてNHK経営委員としての適性を疑われました。このためNHK経営委員会が「委員一人ひとりが、公共放送の使命と社会的責任を深く自覚し、一定の節度をもって行動する」という見解をまとめるということになりました。
それにもかかわらず百田氏は、今年の憲法記念日の改憲派のシンポジウムにNHK経営委員の肩書きで(身分を紹介され)パネラーを勤め、憲法改正・軍隊の保持を主張し、「護憲派の人たちは大ばか者に見える」と「節度のない発言」を繰り返しました。
自民党岐阜連での講演では「NHK経営委員として来ているわけではない」と断っての発言ですが、NHKの経営委員が特定政党の大会に出席すること自体がNHKの中立性に疑問を抱かせる行為で、先の経営委員会の申し合わせを歯牙にもかけない態度と批判されても仕方がありません。安倍首相の任命責任も問題にされなければなりません。
NHKの役員をめぐっては、百田尚樹経営委員のほか、NHKの公共性・自立性を理解しているかどうかが問題とされている籾井勝人会長、右翼責任者への追悼文で天皇を現人神と呼んで憲法を否定する発言をした長谷川三千子経営委員に対しては、放送を語る会など四つの団体が共同で辞任を求める署名運動が進められており、5月22日現在全国から4万5,546筆の署名が集まりました。5月12日には5回目の辞任申し入れを行なっており、今後もNHKに署名の提出と申し入れを続けることにしています。
 大西 五郎
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掌編小説紹介 「人的風景」   文科系

2014年05月25日 13時07分31秒 | 文芸作品
 今回紹介するのは、同人H.Sさんの作品。僕としてとても気に入って、昔覚えたこんな唐詩を唱えていたものでした。時代の人生を大きく見ている所に惹かれたのでしょう。「自分の今をちょっと遠くから眺める」。今の情報だけに流されて主体性が欠けがちに見えるわが子らに、読ませたいなーと思った作品でした。
「年々歳々花あい似たり、歳々年々人同じからず。言をよす、全盛の紅顔児………」
(唐の劉廷芝「白頭を悲しむ翁に代わる」)


【「人的風景」  H.Sさんの作品
 
 私は、狭い空き地にある祠のそばに植えられた桜の木です。土地開発が進み、分譲住宅が建設されたが、謂われのある祠だからと、一角だけ手つかずのまま残された。住宅は完成して、子育て世代が引っ越してきた。
 かちゃ。ドアが開くと同時に、
「行ってまいります」元気な小学生の声が響いた。あちらの家からもこちらの家からも子供たちが飛び出し、桜木の私を背中にして立っている六年生の学童の前に集合した。六年生は人数を確認して、低学年学童たち十人以上の集団を引率して登校した。
 子供が出かけると、洗濯物を干し終え手すきになったかあちゃん達が幼子をベビーカーに乗せ近くの公園へ出かける。末っ子が小学生になったかあちゃんは、短時間のパート仕事に出かけていった。
 今から四十年前、私の目の前に展開していた日常の光景だった。
 子供が育ち高学年になると、かあちゃん達はパートで働く時間を増やし、自分の手で百万円のお金を手に入れることに励んだ。これ以上は稼がない。この稼ぎ方が一番得なやり方だと固く信じているからだ。
 職場で気の合う友達もみつけた。稼いだお金は自由に使える。旅行だって気兼ねなく楽しめるようになった。
 息子や娘は、大学生になり、家を離れ、地方に出た。就職結婚後もその地にとどまり、帰ってくる気配は全くない。
 手すきになったかあちゃん達は、プランターに種蒔き、花の苗を植えてそれを育て、四季を楽しむことを覚えた。

 企業戦士で家にいることがなかったとうちゃん達が定年退職した。家でゆっくりしたいと言い出した。
 外泊しても生きものの世話をしてくれる人が出来たと、ペットショップでお気に入りの小型犬をかあちゃん達は手に入れた。
 十万円したが高いとは思わない。部屋の中を走り回る姿に癒される。実家に寄り付かなくなった息子や娘より、ペットの小型犬の方が可愛く、家族の役目を果たしてくれた。
 夕方四時、家々のドアが開く。かあちゃん達が小型犬をだきかかえて急ぐ。かって幼い息子や娘を連れてデビュウした同じ公園だ。
 何人ものかあちゃんが小型犬をつれて集合。おしゃべりで盛り上がる。かあちゃん達の一番楽しい時間になっていった。
 小型犬は、誕生から死までの出来事を短い時間の経過で見せてくれた。愛らしさで癒された日々をくれた生きものは、人間と同じようにがんにもかかる。かあちゃんは毎日、犬の抗がん剤治療のため動物病院にかよった。治療の効果なくお別れが来た。小型犬がその命を終えたとき、こんなに手をかけ慈しんだ宝物を容赦なく奪う理不尽に、かあちゃんの心は折れた。ひどい落ち込みで立ち上がれない自分を知った。
 もう生き物は飼わない。固く自分に言い聞かせた。ふと世話を怠ったプランターの花々が目に留まった。花はなんとか命を長らえていた。これを枯らしてなるものかと、かあちゃんは世話をやいた。花は、見事に期待に応え、大輪の花を咲かせた。

 ある日突然、救急車が止まった。道を隔てた前の家のとうちゃんが体調を崩した。昨日救急車が来たかと思うと、今日はデイケアセンターの車が別の家の父ちゃんを乗せて、走り去った。
 定年後家でおとなしくしていたとうちゃんの方が、かあちゃんより壊れるのが速かった。
 何日かの入院で自宅に帰されたとうちゃんのために、治療食の弁当が夕方に配達されるようになった。デイケアから帰宅したとうちゃんも治療食を食べ、体の不具合を抱えながら頑張っている。かあちゃんと同じようにプランターの花の世話だけは手放すことはしない。実に不思議なことだ。

 片時もなにかを慈しんで手をかけ育てあげずにはいられないのは、人間の面白く微笑ましい癖だと私は見ている。
 明日何が起こるのだろう。人の生業の変化が紡ぎ出す風景を人的風景と名付け、私は捉えてきた。彼らの身の上に流れる時間の速さには、呆れるばかりだ。
 それに比べ桜木の私は、春には花を咲かせ、冬には裸木。この繰り返しを続け、同じ四十年の間に少しノッポになったぐらいで、あまり変わり映えしていない。】
コメント (2)
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