九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

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西條八十て、知っていますか。 ken

2018年01月13日 16時35分56秒 | Weblog
私が歌謡曲の元祖、西條八十(さいじょうやそ)のテレビ番組を制作してから、
もう30年近く経ったかと思うと、時代を感じます。
その当時ですら、若い世代が知っている西條八十作詞の歌といえば「青い山脈」
くらいのものでした。
しかし、私たちの世代(80歳代)の者にとって、作詞家の名前は知らなくても、
「誰か故郷を想はざる」「旅の夜風」などの歌謡曲を知らない人はいないと
思います。
当時、まだご健在だった西條八十のご長男、八束(やつか) さんのご協力があって
実現したのですが、台本には書ききれなかったエピソードを思い出しながら
記してみます。

西條八束さんは当時、名古屋大学名誉教授教授。父と違って科学の道を歩まれ、
水圏科学研究所々長などを務められました。
何しろ、西條八十作詞による歌謡曲は二千曲もあります。本来、八十はフランス
文学者としてアルチュール・ランボーの研究者として知られている他、詩や童謡
も沢山、手がけています。
歌謡曲の作詞など苦吟することもなく、次から次へ生み出して行ったようです。
八束さんはこんな例を語って下さいました。
「夏の避暑地に行ってホテルで朝ご飯の時に会いますと、"オレはもう今日、
四つ仕事をしたよ"と言うんですね。頼まれている歌謡曲を四つ書いてしまった
ということですね。」朝めし前に四つも作詞できるとは。

"若い血潮の予科練の 七つボタンは桜と錨…"「若鷲の歌」別名「予科練の歌」も
八十の作詞です。この歌が生まれた経緯について八束さんが語って下さいました。
西條八十が、戦時中、軍部から海軍飛行予科練習生を募集するための軍歌を頼まれ
茨城県の霞ヶ浦にある海軍の飛行場を訪れた時、関係者から説明を聞かなくとも、
入り口に貼ってあったポスターを見ただけで、「あゝこれで決まったね」と言って
あの歌詞がすぐ頭に浮かんだそうです。
凛々しい若者が着ている桜と錨のついた七つボタンの制服姿に軍国少年だった私も
どれだけ憧れたことか。母に五つボタンの制服を七つにしてと云つて、叱られた
ことを覚えています。確か、帽子にも桜と錨のマークがあったと記憶しています。

西條八十は戦後、戦意高揚の軍歌を沢山作ったとして、一部の人から非難された
そうです。八束さんもこの件で父を恨んだ事もあったと云つておられました。
しかし、戦時中、軍部の命令に背くことなど誰もできなかったと思います。
西條八十は、戦争が終わった昭和20年まで早稲田大学の教授をしていました。
教え子が次々に戦地へ送られて行く姿を目の当たりにして、きっと心を痛めていた
に違いない。私はそう思い、八束さんの許可を得て、音楽評論家の森一也さんと
一緒に、未整理のままの八十の書庫で、色々、調べさせてもらいました。
紙質も良くない薄っぺらな「蝋人形」と言う雑誌をめくっていたところ、昭和18年
12月号に「学徒出陣におくる」という詩を見つけました。そこには、歌謡曲にはない
教え子を思う深い心情が刻まれていました。

「学徒出陣におくる」(雑誌「蠟人形」より)

昨夜(よべ) 更けて一人送りぬ、
けさもまた、一人訪(おとな)ふ、
教え子は、若き学徒は、
勇みゆく、大(おほ)みいくさに、

胸せまる一期(いちご)の別れ、
かずかずの想ひもあらんに、
忙しき吾を案じて
玄関に、上がりもやらず。

「いつ征(ゆ)く」と問へば、うち笑み、
「ふるさとに明日(あす) は帰りて
いとせめて残る十日を
両親 (ふたおや)に尽くさん」といふ。

いじらしく双手(もろて)握れば、
うつむきて ただ羞 (はずか) しげ、
うるはしや日本男児(やまとおのこ)は
別離(わかれ)さへ、水のごとくに。ー

ふるさとの母校の杜に、
師は、友は、明日よりみつめん、
朝夕の雲の通ひ路、
勲(いさをし)を忘れなそ君。

君去りて、また、ひと時雨(しぐれ)、
老いし師は、侘 (わび) しく胸に
いとほしむ、目に見えぬ糸、
恩愛は生死(しゃうじ)を超えて。

私は番組の中で、あえて、この長い詩をナレーターに読ませました。
あの有名な日本ニュースの学徒出陣のフィルムを入れながら…。
西條八十のご長男、八束さんはこのシーンを見終わって、「これで、
私が父について思っていたもやもやが、晴れた気がしてきました。」
と感謝して頂き、番組の制作者として大変うれしく思ったものです。
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僕の九条堅持論 文科系

2018年01月13日 11時53分51秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
僕のブログへ訪問してきたある方が、そこでおかしなコメントを述べられた。
『原理原則から述べれば当然現行憲法は破棄されるべきものなんですけどね。』 
 自衛隊という陸海空軍と憲法との矛盾について、これが、原理原則を本末転倒させた論議であるのは明らかだ。なし崩しに軍隊を作って、世界有数の規模と成し、強引に解釈改憲を通してきたやり方こそ、憲法という原理原則を踏みにじったと語るべきである。こんなことは、小学生でも分かる理屈だ。一国の憲法というものは本来、そういうものだと日々教えているはずだからである。
 あまつさえこの間に、この憲法を守ることが出来る世界作りを大国日本が率先して呼びかけ直す道も、以下のようにあり得たのである。まず、自衛隊を作る背景、原因にもなった冷戦体制が終わった九十年頃。次いで、サブプライムバブル弾けによって百年単位ほどの世界大恐慌状態に落ち込み、諸国家に赤字がどんどん増えた〇七年頃。そういう絶好の機会において、日本が国連において、軍拡を続けたアメリカの投票機の役割しか果たしてこなかったのは実に情けないことだった。なお、この恐慌は持ち直したという声があるが、暴論だと思う。世界にこれだけ失業、不安定雇用がいては、株が少々上がったところで、健全な経済状況などと言えるわけがない。それが民主主義の観点というものであろう。

一 古今東西、戦争の原因はどんどん変ってきて色々あり、一様ではない。よって「戦争を必然とする人間の本性」のようなものがあるとは、僕は考えない。これが存在するから今後も戦争は永遠に少なくならないというようなことを語るとしたら、その論の正しさを先ず証明してからにして欲しい。こんな証明は論理的にも、現実的にも不可能なはずだから「攻めてくる国があるから対応を考えなければならない」という立論だけでは、全く不十分な議論である。特に長期スパンで戦争をなくしていく視点が欠けたそういう論議は、万人に対して説得力のあるものではないだろう。
 二十世紀になって、第一次世界大戦の世界的惨状から以降、そして第二次世界大戦以降はもっと、戦争違法化の流れが急速に進んできた。この流れは、十八世紀西欧に起こった「自由、平等、博愛」の声に示されるような「人の命は権利としては平等に大切である」という考え方が定着してきた結果でもあろう。つまり、民族平等や国家自決権なども含んだこういう流れが、後退や紆余曲折はあっても近現代史に確固として存在するのである。
 世界史のこんな流れの中からこそ、長年の努力でEUもできた。EUの形成は、それまでの世界的戦争の先頭に立ってきたような国々が、互いへの戦争などを放棄したということを示している。
 二十世紀後半になって、大きな戦争は朝鮮、ベトナムなどで起こったが、あれは東西世界体制の冷戦に関わったもので、その対立はもう存在しない。それどころか、中国も資本主義体制に組み込まれた現在では、日本のような先進大国を攻めるというような行為は、中国も含めた世界経済をがたがたにするという世界史的汚名を被る覚悟が必要になったとも言える。今時の大国の誰が、ヒトラーのように人類史に悪名を残すこんな無謀行為を敢えて犯すだろうか。

二 さて、こういう世界の流れを観るならば当然、自国への戦争に関わっても二つのスパンで物事を考えなければならないと思う。一つが、「当面、日本に攻めてくる国があるか。それに対してどうするのか」と言うスパン。今一つが、「戦争違法化の流れを全人類、子々孫々のために推し進めるべき各国の責任」というスパンであって、これは、近年新たに目立ってきた世界の貧困問題や食糧問題などを解決するためにも世界万民が望んでいることだろう。なお、この二つで前者しか論じない方々は、論証抜きの「戦争は永遠の現実」という独断のみに頑強に固執して、数々の人類の不幸を全く顧みないニヒリズムだと、断定したい。
 以上のことは、世界の大国アメリカを観れば容易に分かることだ。アメリカは相対的貧困者や満足に医者にかかれない人々やが非常に多い「先進国」である。高校を卒業できない人が白人でも四人に一人であり、黒人やヒスパニックでは半分だ。現在の軍事費を何割かでも減らせれば、これらが救われる財政的条件が生まれる理屈だが、こんな当たり前のことが何故出来ないのか。ここの軍事費が何割か減ったら、攻めてくる国が出るというものでもなかろうに。だからこそ、今軍事費を減らそうとの視点を持たない「現実論」は、ニヒリズムだと言うのである。 

 三 まず上記の長期スパンであるが、こういう立場に日本が立ちたいと思う。
 先ず、国連には九条堅持と日本軍隊縮小方向を、代わりに『平和と貧困撲滅基金』というような形で毎年かなりのお金を国連に出していく方向を、改めて表明する。合わせて、こう表明する。
「軍隊を持たない方向を目指す代わりに、世界の『平和と貧困撲滅』に貢献したい。そういう大国が存在するのは世界と国連、人類の未来にとってこの上なく大きい意義があると考える。ついては代わりに以下の要求を万国、国連にさせて頂く。日本国憲法にある通りに、世界各国の平和を目指し貧困をなくすという希望と善意に信頼を置いてこういう決断を成すわけだから、以下の要求を国連に出す資格も当然あると考えている。
『日本に他国が攻めてくるということがないようにする努力を万国にもお願いしたい。また万万が一攻められるようなことがあった場合には、国連軍、国際的常設軍隊で即座に支援して頂くというそういう体制を至急お作り願いたい。国連をそうしたものにするべく、日本はその先頭に立ちたい』」 

四 九条堅持と、その実現のために、いやそれ以上に、世界の平和と貧困撲滅のために、三の遂行度合いに合わせて、自衛隊は縮小、廃止方向を取る。そのスパンも三十年などと遠いものではなくしたい。
 なお、こういう構想はかっての民主党小沢派、鳩山派などが持っていた考えに近いものだと、僕は見ている。小沢派の「国連警察軍」などの構想がこれに近い発想、あるいはそうなっていかざるをえない発想なのではないか。むしろ、米中等距離外交とともに国連常設的軍隊重視こそ、小沢がアメリカと親米派勢力に憎まれてきた理由だろう。また、このような案が大きく世に出てきた時には、共産党、社民党もこれに賛成するだろう。つまり、以上の構想の現実的政治勢力、潜在勢力が現に大きく存在するということだ。こういう国連構想と同類のものとして、この九月、習近平・中国国家主席が国連で以下の提案を行った。「中国は永遠に覇権を求めない」という説明を付けての提案であった。
①十年間で十億ドル規模の「国連平和発展基金」を創設。
②中国が国連の新しい平和維持活動即応体制に加わり、常駐の警察部隊と八千人規模待機部隊を立ち上げたい。
③今後五年間でアフリカに一億ドルの無償軍事支援を行い、アフリカ常備軍・危機対処部隊の設立を支持する。
こう述べたからと言って、僕は現在の中国政府を支持する者ではない。あの国の一党独裁と中国共産党内の民主集中制とを、絶えざる諸悪の根源と観ている。

 ちなみに、国連自身の指揮下にある常設軍というならば、それに日本が参加してさえ、「国権の発動たる戦争」に関わる「陸海空軍その他の戦力」とは言えないだろう。また、フセインのクゥエート侵略があったり、アフリカのいくつかの国に戦争、内乱が起こっている以上、相当強力な国連常設軍が当面はまだまだ必要だと思う。


(2016年1月発行の同人誌に初出)
コメント (4)
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