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朝鮮征服目指し40年、その後35年(1)  文科系

2018年01月25日 02時32分37秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 以下は、2014年5月15、17、18、23日と連載したエントリーの最終回第4回目の再掲である。現在の安倍政権、日本マスコミが、日韓両国オリンピック共催情勢に対して取っている態度を考えてみるためにも、大切な知識である愚考しています。

 今朝の中日新聞「9条の配当 われらの憲法」シリーズに、こんな言葉があった。
「犬死で無かった証拠にや 新憲法のどこかにあの子の血がかよう」
「平和憲法は全ての戦死者の生まれ変わりなんです」
 そう、明治維新以来の日本は1945年の敗戦まで無数の戦争、準戦争、武力衝突を犯してきた。その結末が初めての厳しい太平洋戦争敗戦であり、この敗戦に至るまでの「長い戦争史」の出発が朝鮮なのであると、今回の旅行と勉強でつくづく理解できたものだ。調子に乗ってどんどん事を起こし、手痛い敗戦を喫して国体が替わり、新憲法が生まれたと。

1910年の朝鮮併合までとその後と、日本は常に戦争をしてきた。そのいくつかの軌跡を年表として記してみよう。
(1867年 明治維新)
1874年 台湾出兵
1876年 朝鮮、江華島事件 不法侵入による艦砲砲撃、上陸戦、要塞や民家の焼き討ちも含んだ小さな戦争である。
1884年 朝鮮、甲申政変 日清間主導権争い。日本派によるクーデターと日本の参戦・敗北。
1894年 東学農民戦争、日清戦争   
1904~5年 日露戦争
1910年 朝鮮併合
(併合と言うけど、植民地化へと武力で屈服をここまでエスカレートさせて来たということだ。何せ江華島事件から34年かけて徐々に主権を奪っていったのだった。この間もこれ以降も、ずーっと絶えず大小の抵抗運動が起こっている)

1914年 第一次世界大戦参戦
1918年 シベリア出兵
1919年 朝鮮3・1独立運動とその鎮圧
 『3・1運動のなかでの朝鮮人の死者は、7,509人、負傷者15,849人、逮捕者は46,306人に及ぶとされる』(岩波新書「シリーズ日本近現代史」 その「③日清・日露戦争(原田敬一著)」P143ページ)
(1919年 関東軍設置)
(1923年 帝国国防方針改定 仮想敵第一が、ロシアからアメリカに換わる)
(1925年 日ソ国交樹立)
(1927~29年 世界大恐慌)
1927年 第一次山東出兵
1928年 第二次山東出兵
張作霖爆破事件
1931年 柳条湖事件 満州事変
1937年 盧溝橋事件 日中戦争
1941年 太平洋戦争
1945年 敗戦

 朝鮮相手の小さな「戦争」についても、ほんの一例を挙げてみよう。日清戦争後1895年の閔妃暗殺事件である。
【1895年10月8日、漢城で大事件が起きた。14日、『ニューヨーク・ヘラルド』「王妃殺害の全容」という記事は、「日本人は王妃の部屋に押し入り、王妃閔妃と内大臣、女性3人を殺害した」という第一報を10日漢城から発信したが、東京で差し止められていた、と報じ(中略)
 国際的非難を受けた日本政府は、三浦梧楼駐韓公使を召還し、関係者とともに裁判(広島地方裁判所)に付したが、世界史に類のない蛮行であるにもかかわらず、「証拠十分ならず」として48人全員無罪・免訴という最悪の結果となった】(岩波新書「シリーズ日本近現代史」 その「③日清・日露戦争(原田敬一著)」P193ページ)

 こんな日本近現代戦争史を見るとき、敗戦と新憲法はこういう流れの一時代の結末として時代を画する重要なものであったのだとつくづく噛み締めるのである。この反省が少な過ぎるように見受けられる今の政権は、自ら戦争を起こすことになるという可能性について、あまりにも無自覚だと思われてならない。折しも、株価という「虚飾」はともかく、まともな職業のなさ、失業者の多さ、賃金の少なさなどなどから100年に一度と言われた世界恐慌状態が続いていることも明らかであるし。現在の世界に弱肉強食社会をもたらしている新自由主義経済は、世界の至る所にいざこざ、にくしみあい、紛争をもたらしている。弱肉強食世界に日本が乗っていくのかこれを正そうとするのか、そんな今主としてアメリカを相手にした集団的自衛権行使への解釈改憲って上記75年の反省が足らなすぎると思えるのである。朝鮮に対しても1876年江華島事件以来これだけのことをしでかしながら、今は悪びれた様子さえないように見える。慰安婦問題一つをとってもこんな批判も十分に可能であろうに。
「上記のように長い間朝鮮を疲弊させてきた末の1929年世界大恐慌後などは、日本農村などでも『娘売ります』もあった時代。朝鮮の米は群山などから日本に送って、朝鮮人は粟などを食べていた時代でもある。日本が朝鮮にそうさせたわけだ。万一ネトウヨ諸君が言うように強制がなかったとしてさえ、事実としては強制と同じ事をしてきたのではないのか」

(このシリーズはこれで終わります)
コメント (4)
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朝鮮併合と太平洋戦争   文科系

2018年01月25日 01時55分34秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 またぞろ物の分からない日朝論が世もマスコミをも騒がせている。そこで、僕にとってこれを改めてまとめて勉強する気にさせて頂いたあるお人との論争の最後のまとめを再掲させていただく。以下は2011年4月の拙稿だが、ネトウヨ諸氏のご批判を期待している。
 なお、僕等が「アジア・太平洋戦争」という言葉を使うのは、この二つが切り離せないからである。朝鮮出兵から日清戦争。満州の経営から日露戦争。これらを「アジア・太平洋戦争」の前哨と観ることも出来て、その後段が普通の「アジア・太平洋戦争」ということになるだろう。満州事変から日中戦争。中国南下から米国との衝突。
 改めて振り返ると、明治新政府発足以来の一貫した大陸進出・植民地戦争と見ることが出来るのである。以下のように。


『 ざくろさんのアジア・太平洋戦争観  文科系 2011年04月02日 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

前置き

 1国の戦争には、確かに意図と結果が存在しよう。そして、意図の通りに結果が出るものでもないだろうし、結果からだけ戦争の善悪を云々してみても無意味だ。
「泥棒に入った家にもう1人泥棒が居て、両者が殴り合いになった結果、家としては何も盗まれなかった。よって後からの泥棒が良い事をした」
と、こんな事を語って何か意味があるのか。
 かくのごとく意図と結果は別物であるのだから、歴史を論ずるやりかたではないのである。歴史は事実、真実の流れを叙述するというのが基本でなければならず、意図と結果はむしろそこから判明してくるということだろう。
 こういう視点で見れば、ざくろさんの語り口は、日本の戦争を派生的結果などを総動員してまで美化しすぎているし、日本の好ましくない意図が関わっているやの行為を「周囲にそう強いられた」「他国も同じような事をしていた」と言う側面を探し出してきてまで、免責しすぎていると、そう僕は思う。つまり、歴史の論じ方が情緒的に過ぎると思う。ちなみに、彼が僕の太平洋戦争論議に関わって「日本を『邪悪』と見ている」「アメリカを『正義』と見ている」と論難したが、こういう言葉を使っていないことでもあるし、こんな言い方は僕としては拒否するものである。
 また、サッカー代表戦などで日本を熱烈応援する僕だが、事実から見て醜く見えるような日本の過去の行為を無理に美化しようとは全く思わない。むしろ、反省すべきは反省してこそ、さらに美しい国にも出来、これを愛する事ももっと可能になるのだろうと考えている。また、こんな事をせねばならぬほど、美点の少ない国だとは僕には到底思えない。
「日本の過去の醜い点はなるべく美化しなければならない。そうでないと青少年が日本を愛せなくなる」

1 朝鮮併合

 僕はざくろさんにこう語った。
『明治維新直後の征韓論出兵騒動や江華島事件などなどの1870年代からおよそ40年かかって日本が朝鮮半島を併合したのも、「アジアにおける欧米列強の植民地解放のため」であるのか? この40年間に独立国であった朝鮮抑圧への反発を武力で抑えるべく、どれだけの方々を殺したことだろう。それもみんな「アジアにおける欧米列強の植民地解放のため」と貴方は言い張るのか。そもそも「朝鮮の人々のためにこそ40年かかって併合したのだ」という理屈を、朝鮮の人々が認めているとでも言われるのか? 』
 これに対して、彼はこう反論した。
『日本が明治維新直後から、ずっと朝鮮半島を狙っていた、というふうな見方は明らかに偏見でしょう(自覚あります?)。明治初期の征韓論は――理由はそれだけではありませんが、立場・考え方の違いから原因の一つとして――内乱(西南戦争)にまで発展して、一旦は消え去っています。』
 歴史的事実を上げておきたい。僕があげておいたのに彼が無視した1875年の江華島事件と、ここから生まれた不平等条約、日朝修好条規。1882年の壬午事件。その結末の一つに日本軍の常時駐留があるが、これは、帝国初の平時外国駐留軍ということになる。1884年の甲申事変では、反日感情が急増している。1894年の東学教徒反乱事件に際した日本の大兵力出兵。これは、日清戦争のきっかけになった事件でもある。朝鮮がきっかけで日清戦争も起こったというこの事実は、朝鮮のこの40年と後の日中戦争が結びついて何か象徴的な出来事のように僕は思う。
 こういう事実が続いていれば、『ずっと朝鮮半島を狙っていた』かどうかは別にして、上のように、僕がこう述べるのはごく自然な事のはずだ。
『明治維新直後の征韓論出兵騒動や江華島事件などなどの1870年代からおよそ40年かかって日本が朝鮮半島を併合したのも、「アジアにおける欧米列強の植民地解放のため」であるのか? 』
 
2 中国侵略と対米戦争

 僕がざくろさんに書いた事はこうだ。
『次いで対米戦争であるが、これも「アジアにおける欧米列強の植民地解放のため」の戦争などでは全くない。
 日本は中国侵略戦争を継続するために、これを中止させようとするアメリカ・イギリス・オランダと開戦することになったのであって、中国侵略戦争の延長線上に対英米欄戦争が発生したのであり、中国との戦争と対英米欄戦争とを分離して、別個の戦争と考えることはできない』
 対して彼は、中国侵略と対米戦争とを分けて語る。後者は帝国主義戦争であって、アジア開放には無関係であるとし、前者についてはおよそこのように。
【『中国についても、不戦条約などに従っていては欧米支配打破などはできなかったのだから、『悪行は(欧米と)五分と五分というのがぎりぎりのところ』であり、仕方なかった(『と大東亜戦争肯定論者の多くは捉えていると思います』)。ただ中国については、国民が欧米の奴隷状態でもなかったことなどから『日本の進撃が、支那人にとって、解放と映らなかった』。】

 これも歴史的事実と違っている。事実はこうだ。
『結局、日本の武力南進政策が対英戦争を不可避なものとし、さらに日英戦争が日米戦争を不可避なものとしたととらえることができる。ナチス・ドイツの膨張政策への対決姿勢を強めていたアメリカは、アジアにおいても「大英帝国」の崩壊を傍観することはできず、最終的にはイギリスを強く支援する立場を明確にしたのである』
『39年7月、アメリカは、天津のイギリス租界封鎖問題で日本との対立を深めていたイギリスに対する支援の姿勢を明確にするために、日米通商航海条約の廃棄を日本政府に通告した。さらに、40年9月に日本軍が北部仏印に進駐すると、同月末には鉄鋼、屑鉄の対日輸出を禁止し、金属・機械製品などにも、次第に輸出許可制が導入されていった』
 こういうことの結末がさらに、石油問題も絡む以下である。太平洋戦争前夜、ぎりぎりの日米関係をうかがい見ることができよう。
『(41年7月28日には、日本軍による南部仏印進駐が開始されたが)日本側の意図を事前につかんでいたアメリカ政府は、日本軍の南部仏印進駐に敏感に反応した。7月26日には、在米日本資産の凍結を公表し、8月1日には、日本に対する石油の輸出を全面的に禁止する措置をとった。アメリカは、日本の南進政策をこれ以上認めないという強い意思表示を行ったのである。アメリカ側の厳しい反応を充分に予期していなかった日本政府と軍部は、資産凍結と石油の禁輸という対抗措置に大きな衝撃をうけた。(中略)以降、石油の供給を絶たれて国力がジリ貧になる前に、対米開戦を決意すべきだとする主戦論が勢いを増してくることになった』
 以上『 』【 】内は、岩波新書「アジア・太平洋戦争」から。著者は、吉田裕一橋大学大学院社会学研究科教授。

 ちなみに、「帝国国防方針」の1923年2月28日改訂版で、アメリカが初めて帝国仮想敵国の筆頭にあげられるに至ったという資料もある。これまでの筆頭はロシアであった
『仮想敵国 陸海軍共通のものとしてアメリカ、ロシア・中国がこれに次ぐ。(中略)国防方針第3項 中国をめぐる利害対立からの日米対立を予測』。岩波新書「満州事変から日中戦争へ」、著者は、加藤陽子東京大学大学院人文社会系研究科教授。
 
 以上全てから、ざくろさんが次のように語るのは史実をねじ曲げるものだと言いたい。
『真珠湾攻撃は、日本が南方資源を手に入れ、ヨーロッパ列強からアジアを解放しようとする日本の戦争に何の貢献もなかったばかりではない。それが、先の大戦の唯一の敗因となった。
 そのことを頭にいれておかなければ、大東亜戦争の全体像がゆがみ、日本は、アジアを侵略して、それに反対したアメリカに噛みつく、ばかな戦争をして、自滅したという、GHQ史観にのみこまれることになる。
 どの民族、国家もももっている。誇るべき戦史が、日本に限っては存在せず、そのため、アジア諸国が「日本軍がヨーロッパ列強を追い払ってくれたおかげで、独立することができた」と感謝している先の戦争を、侵略だった、アジアに迷惑をかけたと謝ってまわるのは、愚かをこえて、悲劇というしかない。』

3 まとめなど

 日本の三つの戦争を巡る事実は、ずっと語られてきたようにこうである。朝鮮併合に関わって日清戦争が起こり、朝鮮と満州との経営を巡って日露戦争が起こった。そして、23年の帝国国防方針にあるように『中国をめぐる利害対立からの日米対立を予測』していて、太平洋艦隊の増強などによって大々的にこれに備えてきて、真珠湾攻撃は事実としてはほとんど確信犯なのである。

 なお、ざくろさんは日中戦争も真珠湾攻撃もともに、欧米の工作によって日本が巻き込まれたものであることを立証しようと努力している。僕が以上に示したような、普通に語られてきた事実経過がありながら、何故こんな事に精魂傾けるのか。日本の主体性をあまりに軽視しており、いかにも不自然である。帝国の重大決意を他国のせいにして、その責任を免罪しようとしているとしか、僕には思えないのである。日本を美化したいという望みから、歴史を見る目を曇らせているのではないか。』
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