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「よたよたランナーの手記」(214) 蹴る筋肉が戻った   文科系

2018年01月19日 09時55分44秒 | スポーツ
 18日、約1か月ぶりのジムで、マシンを走った。12月11日以降はずっと外走りだけを続けてきたからだ。地面をきちんと蹴って蹴り脚を強くするために、ストライド(歩幅)を広げつつ。秋に入ってから狙っていたストライド広げがこの年で可能かどうかと危ぶんだ時もあったのだが、どうやら成功したようだ。一時85センチほどまでに落ちたこれが、現在90~93センチになった。こういう走り方をすると確かに足や足首の疲労が今でも激しいのだが、なんとか頑張って成功したようだ。

 さて18日はその効果を約1か月ぶりのジムランニングで確かめてみるという、そんな狙いを持っていた。結果は、いつものような30分掛ける2回を4・3キロの4・75キロで計9・05キロ。前半の30分は、ウオームアップ歩行も込みにしたタイムである。この記録自身が9月4日の9・1キロ以来のものだが、その時よりもかなり余裕を持って走れた。そもそも、心拍も普通は150以内、汗も少なく、近ごろ高速を走った時の筋肉痛のようなものも残っていない。

 これら全ての原因が、この間鍛えてきたストライド広げにある事は間違いない。歩幅が以前よりも5㎝以上延びたので、心拍数が抑えられた。今日の最高速度で言えば時速10・5キロだが、それでもピッチ(1分間の歩数)160で走れるところを170弱とやや増やし気味にして走る。こうすると、筋肉痛も起こらないというわけだ。去年晩秋に歩幅を増やしてからは、筋肉痛や骨痛がたびたび起こっていたから、それをなんとか乗り越えてきたということ。


 そしてもう一つ、1か月ぶりにジムへ行って気付いた事がある。体を動かす事、筋肉を使う事がとても好きなんだなと。いつものような5種のウエートトレーニング・コースを一通りやって来たが、1ヶ月ぶりのこれが何と心地良いと感じた事か。5種というのは、これだけだ。腕を押すと引く、腹筋と背筋、そして僕の弱点、尻・太腿外側の強化。最後のこれは、蹴り脚を強くする補強運動である。

 健康な人間はやはり、筋肉を使うのが嬉しいのだと改めて思ったもの。「特に、ここに筋肉が付いたな!」などと充実感を覚えながら流れる汗を拭く事がまた、気持ちよいのである。犬族の動物が「ボスについて走り続ける本能(的快感)」を持っているように、人間は直立歩行関係の筋肉を使う事が嬉しいのだと。だからこそ、ランニングハイなどというものがあり、人間だけが地球の隅々にまで歩いて行けたのだろうなどと、そんな思いにまで耽りながら帰ってきた。
コメント (1)
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小説  ハーちゃんと俺(中編)   文科系

2018年01月19日 09時48分18秒 | 文芸作品
 そのころの俺のほうはといえば、四人散歩の途中では当たり前のように速歩きを試みてみる。三人より遙か前方へ行って、また戻ってくるとか。〈これぐらいなら、大丈夫かな?〉という試みを積み重ねて行ったわけだ。これらすべて、胸に心拍計を付けてのことであり、ちょうどハーちゃんの歩行のように、少しずつ少しずつ進んで行った。
 そして、気付いてみれば、娘の育休が明けてハーちゃんが保育園に通い出した春には、心拍数一三〇ほどの速歩きを四人散歩の中に入れていた。そこからやがて、我が家の一八段の階段を五〇往復ほどまで出来るようになって行った。やがて、心拍計を観ながら、おそるおそる、ほんのちょっと走ってみる。散歩途中に心拍数一四〇以内の走りが大丈夫と分かった時の嬉しさは、何と言ったらよいか! こんな四人散歩から生まれた関係なのだろうが、そんなころのハーちゃんと俺は……、
 庭の一角で、彼女が「アッ!」と叫ぶので振り返ると、俺に手を差し伸べている。手を貸せということらしい。手を取って引っ張るのに任せると今度は、側の平たい石をもう一方の手でさし示している。やはり、「アッ」という声付きだ。こうなると彼女のこの声はもう命令みたいなもんだなと、苦笑いしかない。とにかく、そこに座った。直後すぐに分かった彼女の「構想」には、さすがに驚いた。すぐ隣にある同様の石に自分もちんまりと座りこんで、パチパチと拍手しているではないか。俺の目を見つめているその顔はもう満面の笑みである。「カータクンデー、肩組んでー、お庭の前でどっこいしょ!」、こんな歌を思い出しつつ、俺も当然、拍手。この拍手は、目が点になる驚きという以上に、我ながら暖かい心がこもっていたなと、今も時々振り返ることがある。

 ハーちゃんが丁度二歳になった九月に俺はとうとう、ランナー再開の許可を医者に申し出た。医者がその表情を一瞬曇らせたのを俺は見逃さなかったが、ここまでの経過を順に聴き取るにつれて、この申し出を受け容れてくれた。三年に近い完全ブランクからの、七一歳にしてやっと得られたランナー免許なのである。


 その二〇一二年十一月、二歳二か月のハーちゃんと我々家族にとってとんでもない大事件が起こった。俺が三年かけて何とか得たランナー免許の、その代償のように。
 ハーちゃんが十一月二十一日の夜娘宅で、高い位置にあった加湿器のお湯をかぶってしまった。その電気コードを引っかけて倒し、お湯が額の辺りから下まで。すぐに全身に放水を続けた「寒い、寒い!」から、大学病院救命救急センターへの駆け込み、入院。この通報以降両じじばば同行の闘病生活が始まった。真っ先に俺がやったことは、大学病院の一般向け病気図書館で火傷の基礎知識を得ることであった。
一 火傷は軽度、中度、重度とあり、体表に占める%と浅い方からⅠ~Ⅲ度の傷の深さとで決まる。中度火傷がたとえば、「体表の十五~三十%で、Ⅱ度」とか「十%以下のⅢ度」というように。ただ、乳幼児、老人は十%でもショックを起こす場合もあって、深度も予後もわかりにくい。
二 直後の「流水で五分以上冷やす。服、靴下など衣類はそのままで」が、きわめて重要。
三 以降に怖いのは、血液に細菌が入る菌血症。低下した体力がそれに負け始める敗血症が非常に起こりやすくなる。細菌を防御する皮膚がないから、体中に注射をしたその日に汚い風呂に入るようものなのだ。これへの手当てに手抜かりがあると、治りかけた傷口もすべて内側からぶり返し、治ってもケロイドが酷く残ったり、抗生物質が効かない細菌が入って命を落とす場合がある。
四 対策、治療は、何よりも傷口の殺菌、二週間とか速やかに皮膚再生に努めること。感染予防のためには、個室隔離、看病者の限定と手洗い、うがいなどの徹底。本人の体力増強に努め、水分、栄養、睡眠が特に大切。

 絶望の宣告、心境を体験した。「血液から何かの菌が出て、敗血症が起こっています。三十九度の高熱がその証拠」。さらに週末を挟んだ数日後には「検出されたのは、黄色葡萄状球菌でした」と宣告されたときはもっとどん底に沈んだ。抗生物質が効かない黄色葡萄状球菌なら大変だ……。そうでないと確認できるまでは、俺自身食事ものどを通っていなかった。安眠も難しいのだろうが、肩を落としてベッドに座り込んだハーちゃんの赤い顔が頭にちらつきっぱなしだった数日間の気分は、俺の人生でも初めてのものだった。ハーちゃんと入れ替わってやりたいと、よく語られるそんな表現が我が身にどれだけリアルだったことか。

 幸い、三つ目の抗生物質が効き始めた。熱が下がり始め、顔など傷の赤みも日一日と見違えるようにとれていく。健康になった子どもの皮膚再生力はすごく速い。敗血症の目安・血液炎症反応数値も瞬く間に下がって、負傷後二週間が過ぎた頃には一般の平常値よりも低い値になっていた。火傷の後遺症関係も二週ほどで判明した。面積は十%を超えているが、酷い部分でも深度Ⅱの深浅両様のうち深い方が一%もなく、顔はもちろんほかの部分にも酷く掻かない限りほぼ傷跡は残らないだろうと。全員本当にほっとしたこの時を、今もよく思い出す。二歳そこそこのハーちゃんに対して犯したこのミスは取り返しが付かぬかも知れない、……それが晴れた若い夫婦二人の気持ちを考えたら、実際に泣けてきた。

 こうして、負傷から数えてちょうど三週間、十二月十二日に退院となった。それから二日間、薄い皮膚を太陽に当てるとシミができるからとUVカット剤塗布などに留意しつつ、じじばばとイーオンへ行って遊び回り、リハビリと体力増強に努めてきた。二歳児が広いフロアーを走り回る姿は、まさに弾けていた。包帯を外して傷口を洗う悲鳴や退院直前まで続けた点滴針取り替えなどが思い出されて、「雪国の春」とつぶやいていたものだ。
この三週間、病院に泊まる娘の出勤準備と入れ替わるために、早朝六時までに病院に詰めるのが俺の日課になっていたけど、……
〈俺もまだまだ頑張れる。それに、頑張ることはいっぱい出てくる……〉

 翌十三年初夏の頃には、俺の方もこんなふうに復活を遂げて、強くなっていた。
 メーターはおおむね時速三〇キロ、心拍数一四〇。が、脚も胸もまったく疲れを感じない。他の自転車などを抜くたびにベルを鳴らして速度を上げる。名古屋市北西端にある大きな緑地公園に乗り込んで、森の中の二・五キロ周回コースを回っているところだ。たしか六度目の今日は最後の五周目に入ったのだが、抜かれたことなど一度もない。ただそれはご自慢のロードレーサーの性能によるところ。なんせ乗り手の俺は七十二歳。ただ、去年の九月からはとうとう、昔通りにスポーツジムにも通い出し、今では三十分を平均時速十キロで走れるようになった。心拍の平常数も六十と下がり、血流と酸素吸収力が関係するすべてが順調。ギターのハードな練習。ワインにもまた強くなった。ブログやパソコンで五時間ほども目を酷使できたし、体脂肪率は十%ちょっと他、いろいろ文字通り回春なのである。先日は、十六年前に大奮発したレーサーの専用靴を履きつぶしてしまった。その靴とパンツを買い直したのだが、こんな幸せな買い物はちょっと覚えがない。今度の靴は履き潰せないだろうが、さていつまで履けるだろうか。


 三歳の一か月前の頃、ハーちゃんはこんな女の子になっていた。母子と俺ら祖父母で北海道へ旅に出て、小樽文学館で小林多喜二コーナーなどを観たあと富良野へのレンタカー移動途中のことである。
 ハーちゃんがチャイルドシートを嫌がって泣き叫び、何を思ったかベルト留め金を外して床に座り込んだ。そして、立ち上がろうとする。横のばばが、危険と判断して、立ち上がろうとするのを頭や肩などを押さえつけた。それも三~四回。対する抵抗と抗議の、ものすごかったこと。抗議と抵抗の表出はもちろん、悲嘆にくれて身も世もあらずの様相が、優に一時間近く。その間、なんの慰めも好物の提供申し入れも一切振り払って受け付けず、ただ大泣きである。それも、喉がかれて声が出なくなるほどの号泣をずっと続けている。
「これってなんだろう?」。大人三人は皆、すごく当惑した。抗議というよりも、身も世もあらずとの態度が執拗だったからだ。と、娘がこんなことを話し出した。
 先日初めて、こんなようなことがあった。見知らぬ年長児三人の砂場遊びだったかに入りたくて露骨に拒否されて入れず、しばらく粘っていたが娘がその場から脱出させたとたんに、これとそっくり同じ大泣きが始まったという。それも、初めてのことだと見たのだが、この「身も世もあらず」がやはり三〇分以上は続いたという。「はじめて見た、全く同じ感じの泣き方だ」と断言したのである。娘のこの話に関わって俺はうろ覚えのこんな知識を思い出していた。二〇世紀最大の発達心理学者ジャン・ピアジェの言葉で確か「幼児の、恩と愛着」というような概念があったはず。他人から恩を受けたことの長期記憶が生まれ始めると、人への愛着というものが起こり始める、と。こんなふうに愛されることが多かった子どものなかで、能動性の強い子はこの愛着も極めて強いはずだ。そして、この愛着が裏切られたと体験したときには、ものすごい葛藤が発生するということじゃないか。こう考えて俺は二人に言った。
「これって、素晴らしい、新たな成長なのだと思う。人の愛着と冷淡を知ると、安心して身を任せるように繋がっていると思いたい人に拒絶される体験も分かり始める。身も世もあらずとできるようになったということじゃないか」
 繋がりや愛着が発生しなければ、拒絶や冷淡に何も感じないはずだ。拒絶と感じて号泣できるほどに成長したということだろう。
 ところでさて、これほどに拒絶されたばばの方は、猛烈に不安が生まれたらしい。今後の態度が変わるのではないかと、しきりに心配している。対して俺は、何の心配もないと答えた。人への愛着が生まれ、人によるその強弱も生まれ始めた幼児は、愛着の方も覚えているに違いないと考えたからだ。その後案の定、こんな場面がいっぱい繰り広げられた。富良野「風のガーデン」という花々の中で、ハーちゃんがばばを気遣って優しいこと、露骨なのである。二人だけであっちへ行こうと手を差し出してあげたり、好物のお菓子をあげようなどがはっきりし過ぎていて、娘とふたりで遠くから目を見張り、論評し合っていた。「ごめんね!」というのか「仲良くしてね!」というのか、とにかく幼児の心遣いながらものすごいものだと。


(あと1回、後編に続きます)
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