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「よたよたランナーの手記」(215) ここまで復調   文科系

2018年01月30日 18時28分56秒 | スポーツ
 この年だから調子の波が大きいのだが、1年以上前のタイムに復調する事があるのだと、また思い知った。30日火曜日、30分×2回で9・3キロまで行った。これと同等の記録は17年には一度もなく、前立腺癌への女性ホルモン治療が始まった直後の16年5月27日、9・5キロまで遡らねばならない。ただし、今回はウオームアップを別にやってから走り出した記録である。そして今後は、こういう記録の取り方をしていきたいと、決めた。ウオームアップも含めて計測すると、出だしの心臓負担が大きくなって、身体に良くないと判断した。それで、1時間10キロまで行けるだろうかという、そんな希望を持っている。

 30日は初め市営吹上ジムの2階ランニングコースを20周、約3キロを走った。それからジムマシンで、上記の通りである。合計12・3キロ走ったわけだが、筋肉とか骨とかの痛みはもちろん、疲労も感じていない。つまり、相当セーブしていたのである。つまり、今後いつか1時間10キロに届くかも知れない。ただし、何度も言うように今年77歳、無理はしない。僕の場合それは経験上、心拍数160以内に抑えるという事だ。瞬間的なオーバーはありえても。
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朝鮮征服目指し40年、その後35年(2) 文科系

2018年01月30日 17時54分44秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 朝鮮征服目指し40年、その後35年(その2) 江華島事件

 朝鮮征服は1910年だが、事実としてこれに結びついていった出来事が既に1875年に起こっている。明治維新の10年足らずで起こした江華島事件とその結果結ばれた日朝修好条規である。

 国内統一を果たした直後に朝鮮に攻めていった秀吉と同じだ! これがこの事件を最初に知ったときの僕の印象である。そして、これ以降完全に征服した1910年まで、同じ動きをどんどんエスカレートしつつ絶えず起こしてきたのだった。つまり、日本は朝鮮を40年近くかけて征服したのである。その間の抵抗がどれだけ凄まじく、それへの弾圧がどんなに苛酷なものであったか! そのように僕は今までここに書き続けてきたが、朝鮮の人々には当然、常識に属することである。

 江華島事件とはこういうものだ。軍艦揚雲号がソウルへの川を不法にさかのぼった。川岸などの3つの砲台から順に砲撃されて艦砲で撃ち返し、2つ目の砲台では陸戦隊を送り込んだ上に砲台の城を焼き払って交戦となり、3日目の同じく第一砲台の交戦では35名を殺戮している。これは3日間にわたって国際法違反を重ね続けた戦争と言って良いものだ。江戸湾内へ強行侵入したペリー来航に習ったと説明されてきたが、この結果結ばれた日朝修好条規が将来に禍根を残していく。

『釜山他二港の開港、日本人の「往来通商」を認め、「日本の航海者」に海岸随時自由測量を、さらに日本の領事裁判権を認める。付属条約と通商章程によって日本通貨の流通、日本の輸出入商品への無関税も決められた』(岩波新書「シリーズ日本近現代史全10巻」の①、井上勝生著「幕末・維新」から、221ページ)

 なお、韓国ではこの条約のここが強調されていた。「清国からの独立」という側面である。つまり、清の保護下から暴力でもって日本側へ一歩引き寄せた条約であったと。
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