小説 「人・走る」(その3) 文科系
こういう経過を経た二十歳の頃の中田の主な特長をあげてみよう。ちなみにこの二十歳とは、フランスワールドカップアジア予選で日本が苦戦を強いられていた年であり、その苦しい連戦の大詰めにさしかかってチームの柱になっていった中田が、日本ワールドカップ初出場に向かって救世主と呼ばれた年でもある。
ある記者は、当時称えられ始めた中田の一つの特長を「神の視座を持っている」と表現した。常にフィールド全体を鳥瞰しているような広い視野のことを指している。この能力は、その瞬間瞬間のプレーを人よりも速く、意外かつ最も的確な方向に展開していく土台となるような力である。ちなみにこれとは逆に、ドリブルが得意であるがゆえに目線を自分の周囲のみに限りがちだという選手は、現代サッカーでは大成しないというのが定説だ。この視野の確保は想像以上に難しいものらしい。常時不断にコート全体に目線を走らせることができるように、足下のボールをできるだけ見ずに操作するトレーニングを根気良く重ねた末にやっと得ることができるもののようだ。そう言うと何か非常に高度な練習法を取り入れていたように聞こえるが、中田の場合ことはいたって単純で、こう語っている。
「シンプルに二人一組で向き合って、頭の中にあらゆるシチュエーションを描きながら、パスを繰り返す。俺って無駄なことは嫌いだから、身にならない練習はしないんだよ」
そんなやり方らしい。
また彼は、十六歳のナイジェリア体験以来、日本人離れした体力を目指してきたようだ。「日本人が小さいから外国人にはじき飛ばされるなんて、それは言い訳だよ。(中略) 当たり負けしない体力ってことが、プロの基本でしょう」、さりげない二十一歳当時のインタビュー回答である。そして彼はこう語るだけではなく、すでに二十歳前にしてこの「基本」を体現した肉体を作りあげつつあった。当時初めて彼にであった頃を振り返って、二年後輩の中村俊輔(横浜マリノス)は証言している。
「中田さんはちょっとでも、体半分でも抜ければどんどん前に行って、追っかけてきたやつを弾き飛ばしてまだ前に行って、で、誰かが裏に出たときにスルーパス。これがすごいなと。(中略)みんなが足が止まっても前に行くスピードと、そのなかで周囲を把握してる視野と、ボディバランスが違う。日本人っぽくない」
「当時でも中田さんは他の人と違ってた。毎日、全体練習の後に一人でどこかへ消えちゃった。自分用に作った体力トレーニングメニュを毎日消化してたんだよね」
このように中田は、ナイジェリアに出会った十六歳の頃から、サッカーというものを広く整理して考え、世界水準の要素の分析、抽出に努めていたと分かる。人よりも若くして多く世界を体験したということがあるにしても、その戦略的な着眼、賢さ、執着力というような点で、非常な早熟さを示したと表現することもできるだろう。また、こういう早熟したやり方は、けっして人に教えられてできるものでもないらしい。
さて以上は、数日間かかって慎治がまとめあげた二十歳までの中田のプロフィールである。そして彼はある日、スポーツジムで山本にこのまとめを聞いてもらうことになった。この間もせっせと続けていたいつものジム・ランニングを終えた後のことだ。
二人の頭上のスタジオから届いて来るのは、相変わらずのエアロビクス音楽、フットワーク音、時折の喚声や拍手。目の前のプールからはクイックターンの水音、水泳教室の指示の声。少し離れた受付嬢からは、入退者への丁寧な挨拶がと切れなく続いている。それらに取り囲まれながらもそこだけが閉ざされた世界のように、一人は語り、一人は聞いていた。一気に語り終えた慎治はやっと二口目のビールを口に運び、山本がゆっくりと話し出す。
「村木君、よく調べたねえ、立派なノンフィクションができると思うよ。この前の本当に凄い中田の話が、こんなふうに生きたんだねぇ」
しばらく沈黙。慎治は山本の次の言葉を待っていたのだし、山本は何かを考え込んでいるらしい。運動後の二人の体はシャワーくらいでは焼け石に水で、飲んだビールが汗になって吹き出し放題といった様子だった。
「一つ聞いていいかな一」と山本。慎治が二、三回うなずくのを確認したのかしなかったのか、とぎれとぎれに話しだした。「スポーツの練習や試合のやる気に関わって、モチべ-ションという言葉があるんだけど、まぁ言ってみれば動機付けとでも訳される言葉らしいんだけど、中田がナイジェリアの身体能力に『サッカーやめたくなるよ』というほどに圧倒された時、どうしてもう一度モチべ-ションを持続できたんだろう。しかも、基本のきに戻るような感じでね。彼らに当たり負けしない体力もなんてまあ、とんでもない野心だと思うけど、十六歳の子どもが夢じゃなく、そんなふうにできてくもんかねぇ?」
この疑問は慎治の頭にもすでに浮かんだことだったので、自分なりの答えがすぐに口をついて出た。「体力強化の方は『おいつけないんじゃないか』と不安だったはず、それも彼はとことんがんばりましたけどね。他方その不安を何かで補えなきゃ展望は開けない。そこで苦労して見つけたのが『神様の視座』なんじゃないですか。『日本の取り柄は組織力』なんて、当時でも言われてましたしね。『神様の視座』って、チームとしてのこの組織力を高めることに個人が貢献できてく最大の武器だと思うんですよ。中田はそういう形で辛うじて自分を奮い立たせた………」
「うんうん、彼の事実としては確かにその通りだと分かるんだけど、それにしても、そのモチベーションが三年続いたんだよな。世界の最先端を、それもいろんな国の長所ばかりを目標にして、諦めないで初志を三年間貫くことができた十七、八歳の志って、どんなものなんだろうかとね」
それから暫く話し込んで、山本はいつもより早目に帰っていった。その後慎治は、ビールを飲みながら先程までの会話の周辺にあれこれと思いを巡らしていく。
〈確かにそうだ。山本さんはそんなことを言った訳じゃあないけれど、そもそも中田の目に見えた成功史だけ書いたって小説になるわけないよ。中田の心が書けなきゃ安っぽい劇画、常套のドラマだ。そんなこと、当然知ってる俺が、なんで?……中田が俺を興奮させるくらい面白いからだけど、俺は一体中田のどこに興奮するの? これは意外に難しい問題だよ。………当たられても倒れない強靭なバランスカ? 大舞台での幾つかのゴール? そこへパスするかという素速く正確な展開力? 行く先々での大成功? 日本を飛び抜けた唯一のサッカー選手? 世界選抜メンバーに選ばれた時?………、ちょっと待てよ、マジに。……こんなもんじゃあ、スポーツビジネスの宣伝文句やサッカーフーリガンの「感動」と変らんぞぉ。それで悪いかとは言えるけど、小説にはならんよなぁ………。読み物としちゃ、観戦記にオノマトペみたいに使われた感動用語くっつけるだけのスポーツライター、それと同類のドキュメンタリー程度のもんだ。かと言って彼の心を描こうにも、当時の中田の野心、認識、悩みなんかを聞き取るなんてことは、夢だしなあ)
創作活動が振り出しに戻り、秋に入った。今日もいつものように夜九時過ぎ、慎治はジムのベルトを走り始めている。この頃は短時間ではあっても、ほとんど一日置きに通って来る。創作が進まないことの憂さ晴らしでランニングに熱が入っているという気がしないでもなかったが、こちらの方の成果は上々、それも急激な上昇期に入ったらしい。開始一年過ぎのこの夏以降通い詰めた成果が出たのか、その頃から体重がはっきり減り始めたからなのか、涼しくなって呼吸が楽になってきたことによるのか、いずれにしても急激なタイムの上昇であった。もっともスポーツには長い停滞あるいは後退の時期があっても年齢なりに急上昇する時が来るものであり、ランニングの場合は特別で、一定の筋力トレーニングをしつつ距離を走り続けるかぎり練習時間に比例して力がついて行くものだとは、慎治が山本からよく励まされた話であった。こんな知識もまたさらに、慎治を熱くさせてきたものだ。
ランニング日誌八月分で既に、急激な上昇を改めて振り返ることができる。
七日、十キロを五十四分十秒。九日、同じく五十二分三十秒。十一日、五十分四十秒。その後暫くゆっくり距離を走ったり、五キロのタイムトライアルをしたりして、二十五日、五十分二十秒。二十九日、四十九分十秒。
九月に入って最近熱を入れているのは、五キロのタイムトライアル、スピード練習である。この日の目標は二十二分二十秒、山本の記録を抜こうというものだ。夏の初めが二十五分前後だったことを考えるなら、大変な進歩と言える。もっともその頃までは距離を伸ばすことに熱中していたのだったが。
タイムトライアルは苦しい。どれだけ深くまた規則正しく呼吸しても、吐き出し足らぬ感じに悩まされ、加えて脚全体の違和感が耐えがたいものになってくる。それでもベルトスピードを緩めずに続けると吐き気に似たものが襲ってくることももう体験済みだ。そんな場合は走るのを止めるべきであるが、最近はさすがにそこまでの無理はしなくなっている。
肘を後方に大きく突き出すように、低目に構えた腕を振る。その振幅で脚を前へ前へと引っ張って、大きく走る。意外に腿に疲れが溜ってこない今日のような日の、脚が大きく伸びても柔らかく着地できていくといった感触は、ランニングの醍醐味だと慎治には感じられる。自分に合った走り方で、それに相応しいリズムだと体全体が示してくれているらしい。しかも、適度に力強いとも実感できるこんな日の一歩一歩自身が、自分の体の節々に無理なく蓄積されていくといった手応え、こういった快感である。ちなみに、この感じの象徴として使おうというある文章を、中田についての書きかけの作品用に創り、用意してあった。シャワーの後、十時半前に外の夜風に当たった時、今日もこれを己に語って聞かせるようにつぶやいてみる。
〈ボスについて走り続けるのは犬科動物の本能的快感らしいが、二本脚で走り続けるという行為は哺乳類では人間だけの、その本能に根差したものではないか。この二本脚の奇形動物の中でも、世界の隅々にまで渡り、棲息して、生存のサバイバルを果たして来られたのは、特に二本脚好きの種、部族であったろう。そんな原始の先祖たちに、我々現代人はどれだけ背き果ててきたことか?! 神は己に似せて人を作ったと言う。だとしたら神こそ走る「人」なのだ〉
そして慎治は今夜初めて、この言葉をさらに自分流儀のこんなつぶやきで引き次いでみる。
「徒に緩み、弛んだ尻・腿は、禁断の木の実を食べた人というものの、原罪を象徴した姿である。システィナ礼拝堂の天井絵、最後の審判を下す神に帰るべきなのだ! いやあ-、我ながらお洒落、お洒落!」
慎治は最近、自分らのランニング自身を小説にしようと決めた。そしてその取材も兼ねて、山本さんと二人で数か月後のあるシティマラソンに出ようとも、決めていた。十キロ部門だが、もちろん二人とも初体験である。次回の同人誌には作品提出なしとなるが、それもやむをえないと納得している。エアロビクス教室の「背中が曲がってるあの子」は、今ではしっかり顎を引いた姿を見せている。慎治の腹もいつの間にかもう目立たない程度に引っ込んでいた。この調子だと初マラソンを走る頃には、ほとんど目につかなくなっていることだろう。
(完)
こういう経過を経た二十歳の頃の中田の主な特長をあげてみよう。ちなみにこの二十歳とは、フランスワールドカップアジア予選で日本が苦戦を強いられていた年であり、その苦しい連戦の大詰めにさしかかってチームの柱になっていった中田が、日本ワールドカップ初出場に向かって救世主と呼ばれた年でもある。
ある記者は、当時称えられ始めた中田の一つの特長を「神の視座を持っている」と表現した。常にフィールド全体を鳥瞰しているような広い視野のことを指している。この能力は、その瞬間瞬間のプレーを人よりも速く、意外かつ最も的確な方向に展開していく土台となるような力である。ちなみにこれとは逆に、ドリブルが得意であるがゆえに目線を自分の周囲のみに限りがちだという選手は、現代サッカーでは大成しないというのが定説だ。この視野の確保は想像以上に難しいものらしい。常時不断にコート全体に目線を走らせることができるように、足下のボールをできるだけ見ずに操作するトレーニングを根気良く重ねた末にやっと得ることができるもののようだ。そう言うと何か非常に高度な練習法を取り入れていたように聞こえるが、中田の場合ことはいたって単純で、こう語っている。
「シンプルに二人一組で向き合って、頭の中にあらゆるシチュエーションを描きながら、パスを繰り返す。俺って無駄なことは嫌いだから、身にならない練習はしないんだよ」
そんなやり方らしい。
また彼は、十六歳のナイジェリア体験以来、日本人離れした体力を目指してきたようだ。「日本人が小さいから外国人にはじき飛ばされるなんて、それは言い訳だよ。(中略) 当たり負けしない体力ってことが、プロの基本でしょう」、さりげない二十一歳当時のインタビュー回答である。そして彼はこう語るだけではなく、すでに二十歳前にしてこの「基本」を体現した肉体を作りあげつつあった。当時初めて彼にであった頃を振り返って、二年後輩の中村俊輔(横浜マリノス)は証言している。
「中田さんはちょっとでも、体半分でも抜ければどんどん前に行って、追っかけてきたやつを弾き飛ばしてまだ前に行って、で、誰かが裏に出たときにスルーパス。これがすごいなと。(中略)みんなが足が止まっても前に行くスピードと、そのなかで周囲を把握してる視野と、ボディバランスが違う。日本人っぽくない」
「当時でも中田さんは他の人と違ってた。毎日、全体練習の後に一人でどこかへ消えちゃった。自分用に作った体力トレーニングメニュを毎日消化してたんだよね」
このように中田は、ナイジェリアに出会った十六歳の頃から、サッカーというものを広く整理して考え、世界水準の要素の分析、抽出に努めていたと分かる。人よりも若くして多く世界を体験したということがあるにしても、その戦略的な着眼、賢さ、執着力というような点で、非常な早熟さを示したと表現することもできるだろう。また、こういう早熟したやり方は、けっして人に教えられてできるものでもないらしい。
さて以上は、数日間かかって慎治がまとめあげた二十歳までの中田のプロフィールである。そして彼はある日、スポーツジムで山本にこのまとめを聞いてもらうことになった。この間もせっせと続けていたいつものジム・ランニングを終えた後のことだ。
二人の頭上のスタジオから届いて来るのは、相変わらずのエアロビクス音楽、フットワーク音、時折の喚声や拍手。目の前のプールからはクイックターンの水音、水泳教室の指示の声。少し離れた受付嬢からは、入退者への丁寧な挨拶がと切れなく続いている。それらに取り囲まれながらもそこだけが閉ざされた世界のように、一人は語り、一人は聞いていた。一気に語り終えた慎治はやっと二口目のビールを口に運び、山本がゆっくりと話し出す。
「村木君、よく調べたねえ、立派なノンフィクションができると思うよ。この前の本当に凄い中田の話が、こんなふうに生きたんだねぇ」
しばらく沈黙。慎治は山本の次の言葉を待っていたのだし、山本は何かを考え込んでいるらしい。運動後の二人の体はシャワーくらいでは焼け石に水で、飲んだビールが汗になって吹き出し放題といった様子だった。
「一つ聞いていいかな一」と山本。慎治が二、三回うなずくのを確認したのかしなかったのか、とぎれとぎれに話しだした。「スポーツの練習や試合のやる気に関わって、モチべ-ションという言葉があるんだけど、まぁ言ってみれば動機付けとでも訳される言葉らしいんだけど、中田がナイジェリアの身体能力に『サッカーやめたくなるよ』というほどに圧倒された時、どうしてもう一度モチべ-ションを持続できたんだろう。しかも、基本のきに戻るような感じでね。彼らに当たり負けしない体力もなんてまあ、とんでもない野心だと思うけど、十六歳の子どもが夢じゃなく、そんなふうにできてくもんかねぇ?」
この疑問は慎治の頭にもすでに浮かんだことだったので、自分なりの答えがすぐに口をついて出た。「体力強化の方は『おいつけないんじゃないか』と不安だったはず、それも彼はとことんがんばりましたけどね。他方その不安を何かで補えなきゃ展望は開けない。そこで苦労して見つけたのが『神様の視座』なんじゃないですか。『日本の取り柄は組織力』なんて、当時でも言われてましたしね。『神様の視座』って、チームとしてのこの組織力を高めることに個人が貢献できてく最大の武器だと思うんですよ。中田はそういう形で辛うじて自分を奮い立たせた………」
「うんうん、彼の事実としては確かにその通りだと分かるんだけど、それにしても、そのモチベーションが三年続いたんだよな。世界の最先端を、それもいろんな国の長所ばかりを目標にして、諦めないで初志を三年間貫くことができた十七、八歳の志って、どんなものなんだろうかとね」
それから暫く話し込んで、山本はいつもより早目に帰っていった。その後慎治は、ビールを飲みながら先程までの会話の周辺にあれこれと思いを巡らしていく。
〈確かにそうだ。山本さんはそんなことを言った訳じゃあないけれど、そもそも中田の目に見えた成功史だけ書いたって小説になるわけないよ。中田の心が書けなきゃ安っぽい劇画、常套のドラマだ。そんなこと、当然知ってる俺が、なんで?……中田が俺を興奮させるくらい面白いからだけど、俺は一体中田のどこに興奮するの? これは意外に難しい問題だよ。………当たられても倒れない強靭なバランスカ? 大舞台での幾つかのゴール? そこへパスするかという素速く正確な展開力? 行く先々での大成功? 日本を飛び抜けた唯一のサッカー選手? 世界選抜メンバーに選ばれた時?………、ちょっと待てよ、マジに。……こんなもんじゃあ、スポーツビジネスの宣伝文句やサッカーフーリガンの「感動」と変らんぞぉ。それで悪いかとは言えるけど、小説にはならんよなぁ………。読み物としちゃ、観戦記にオノマトペみたいに使われた感動用語くっつけるだけのスポーツライター、それと同類のドキュメンタリー程度のもんだ。かと言って彼の心を描こうにも、当時の中田の野心、認識、悩みなんかを聞き取るなんてことは、夢だしなあ)
創作活動が振り出しに戻り、秋に入った。今日もいつものように夜九時過ぎ、慎治はジムのベルトを走り始めている。この頃は短時間ではあっても、ほとんど一日置きに通って来る。創作が進まないことの憂さ晴らしでランニングに熱が入っているという気がしないでもなかったが、こちらの方の成果は上々、それも急激な上昇期に入ったらしい。開始一年過ぎのこの夏以降通い詰めた成果が出たのか、その頃から体重がはっきり減り始めたからなのか、涼しくなって呼吸が楽になってきたことによるのか、いずれにしても急激なタイムの上昇であった。もっともスポーツには長い停滞あるいは後退の時期があっても年齢なりに急上昇する時が来るものであり、ランニングの場合は特別で、一定の筋力トレーニングをしつつ距離を走り続けるかぎり練習時間に比例して力がついて行くものだとは、慎治が山本からよく励まされた話であった。こんな知識もまたさらに、慎治を熱くさせてきたものだ。
ランニング日誌八月分で既に、急激な上昇を改めて振り返ることができる。
七日、十キロを五十四分十秒。九日、同じく五十二分三十秒。十一日、五十分四十秒。その後暫くゆっくり距離を走ったり、五キロのタイムトライアルをしたりして、二十五日、五十分二十秒。二十九日、四十九分十秒。
九月に入って最近熱を入れているのは、五キロのタイムトライアル、スピード練習である。この日の目標は二十二分二十秒、山本の記録を抜こうというものだ。夏の初めが二十五分前後だったことを考えるなら、大変な進歩と言える。もっともその頃までは距離を伸ばすことに熱中していたのだったが。
タイムトライアルは苦しい。どれだけ深くまた規則正しく呼吸しても、吐き出し足らぬ感じに悩まされ、加えて脚全体の違和感が耐えがたいものになってくる。それでもベルトスピードを緩めずに続けると吐き気に似たものが襲ってくることももう体験済みだ。そんな場合は走るのを止めるべきであるが、最近はさすがにそこまでの無理はしなくなっている。
肘を後方に大きく突き出すように、低目に構えた腕を振る。その振幅で脚を前へ前へと引っ張って、大きく走る。意外に腿に疲れが溜ってこない今日のような日の、脚が大きく伸びても柔らかく着地できていくといった感触は、ランニングの醍醐味だと慎治には感じられる。自分に合った走り方で、それに相応しいリズムだと体全体が示してくれているらしい。しかも、適度に力強いとも実感できるこんな日の一歩一歩自身が、自分の体の節々に無理なく蓄積されていくといった手応え、こういった快感である。ちなみに、この感じの象徴として使おうというある文章を、中田についての書きかけの作品用に創り、用意してあった。シャワーの後、十時半前に外の夜風に当たった時、今日もこれを己に語って聞かせるようにつぶやいてみる。
〈ボスについて走り続けるのは犬科動物の本能的快感らしいが、二本脚で走り続けるという行為は哺乳類では人間だけの、その本能に根差したものではないか。この二本脚の奇形動物の中でも、世界の隅々にまで渡り、棲息して、生存のサバイバルを果たして来られたのは、特に二本脚好きの種、部族であったろう。そんな原始の先祖たちに、我々現代人はどれだけ背き果ててきたことか?! 神は己に似せて人を作ったと言う。だとしたら神こそ走る「人」なのだ〉
そして慎治は今夜初めて、この言葉をさらに自分流儀のこんなつぶやきで引き次いでみる。
「徒に緩み、弛んだ尻・腿は、禁断の木の実を食べた人というものの、原罪を象徴した姿である。システィナ礼拝堂の天井絵、最後の審判を下す神に帰るべきなのだ! いやあ-、我ながらお洒落、お洒落!」
慎治は最近、自分らのランニング自身を小説にしようと決めた。そしてその取材も兼ねて、山本さんと二人で数か月後のあるシティマラソンに出ようとも、決めていた。十キロ部門だが、もちろん二人とも初体験である。次回の同人誌には作品提出なしとなるが、それもやむをえないと納得している。エアロビクス教室の「背中が曲がってるあの子」は、今ではしっかり顎を引いた姿を見せている。慎治の腹もいつの間にかもう目立たない程度に引っ込んでいた。この調子だと初マラソンを走る頃には、ほとんど目につかなくなっていることだろう。
(完)