九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

大異変、欧州CLも日本サッカーにも!   文科系

2019年03月14日 10時08分20秒 | スポーツ
 欧州チャンピオンズリーグの今年の闘いは、決勝トーナメント1回戦が終わって、大異変が起こっている。ベスト8のうち4つがイングランド勢で、あとはアヤックス(オランダ)、ポルト(ポルトガル)、ユベントス(イタリア)、バルセロナ(スペイン)と、4国4チームが綺麗に並んだ。
 スペインのレアルとアトレティコの両マドリッド勢、ドイツのバイエルンとドルトムント、フランスのパリサンジェルマンなどの常連がここに居ないのが目立つのである。それだけ、イングランド・プレミアリーグの上昇、成功が著しいということだ。急上昇中のパリはマンチェスター・ユナイテッドに負け、ドイツの2強豪もイングランド勢に敗れた。

 さて、僕は日本サッカーでも大きな異変が起こりつつあると観ている。アジア・チャンピオンズ・リーグにおける日本勢の雲行きがどうも怪しいし、現在進行中のカップ戦でも長崎、柏とJ2勢が活躍しそうな上に、名古屋のJリーグ戦3連勝、首位なども予想外の大異変と言えるからだ。因みに僕は、大金叩いた神戸や、監督が注目を集めるセレッソには全く期待せず、札幌や横浜マリノスに注目している。その戦術の個性もやがて柔軟性を生んでいくだろうし、その下での選手らの急成長にも目が引き付けられるからだ。

 最近の世界では、バルサの繋ぎ尽くすサッカー、ドイツ発の「高位置で潰して得点するサッカー」という二つの流れがあったが、そろそろ新しい流れに世界が入って来た頃ではないかと、僕は観ている。繋ぎ潰しともに最先端を行き、かついろんな攻守組織を使い分けるサッカーとでも言ったら良いのだろうか。彗星のように急台頭して最近のプレミアを引っ張り上げてきたクロップ・リバプールを観ていれば、新たな潮流が生まれて当然という状況のように思うのである。あれだけ得失点ともに多かったクロップのチームが失点を極端に減らしているのが、数十年ぶりに起こったリバプール大躍進の特徴だからだ。ちなみに、今年のACLアジア勢は中国勢、豪州勢を筆頭に皆強い。特に、組織的潰しの力が、日本を上回っているように見える。日本勢がACLの戦い方を換えねばならないと思えるほどに。それができる柔軟性がある日本チームが勝ち残っていくだろう。

 川崎と鹿島は勝ち残るだろう。後の2チームは、特にACLの闘いに必要な柔軟性が欠けるという意味で、最近のACLについては経験不足ではないか。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

喜寿ランナーの手記(252)久々の外走りは、キロ6分50秒    文科系

2019年03月14日 07時33分00秒 | スポーツ
 喜寿ランナーの手記(252)久々の外走りは、キロ6分50秒 文科系

 2月22日以来、久々の外走りを昨日おそるおそるやってみた。風邪をこじらせて気管支炎症状にもなってしまい、走るのが怖かったのである。その後約20日、ジムで怖々走ってみたのも最近2回だけで、3回目が昨日の外走り約8キロ。ランニングウオッチにはこんなデータが残っていた。

 キロ平均6分50秒、ストライド87センチはともかく、分当たり心拍数は実に162。この最後の数字は、多すぎてびっくり仰天だ。いつもよりも15は多い。最近の好調時と比べたら20は多いだろう。ちなみに、風邪を引く前の22日、最後の外走りは、同じ数字がこういうものだった。6分45秒、95センチ、141。
 老人がしばらく走らないと筋肉はさほどではないがまず心肺機能が衰えると、改めて痛感したのである。

 それにしても、78歳で162って、スポーツマン心臓と言えるのかも知れない。こんな大きすぎる数字ほどには、走っている時も、翌日である今日も疲れは感じられなかったのだし・・・。

 さー、これからまたゆっくりじっくりと復活していくぞ! こんな1か月の後のキロ6分50秒、心拍162などという数字が、ぎゃくに僕にちょっと勇気を与えてくれた。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明治以降75年の日朝史(2)維新後すぐに侵略  文科系

2019年03月14日 06時29分34秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
(その2)維新後すぐに侵略 江華島事件

 朝鮮征服は1910年だが、事実としてこれに結びついていった出来事が既に1875年に起こっている。明治維新の10年足らずで起こした江華島事件とその結果結ばれた日朝修好条規である。「国内統一を果たした直後に朝鮮に攻めていった秀吉と同じだ!」、これがこの事件を最初に知ったときの僕の印象である。そして、これ以降完全に征服した1910年まで、同じ動きをどんどんエスカレートしつつ絶えず起こしてきたのだった。つまり、日本は朝鮮を40年近くかけて征服したのである。その間の抵抗がどれだけ凄まじく、それへの弾圧がどんなに苛酷なものであったか! 朝鮮の人々には当然、常識に属することである。

 江華島事件とはこういうものだ。軍艦揚雲号がソウルへの川を不法にさかのぼった。川岸などの3つの砲台から順に砲撃されて艦砲で撃ち返し、2つ目の砲台では陸戦隊を送り込んだ上に砲台の城を焼き払って交戦となり、3日目の同じく第一砲台の交戦では35名を殺戮している。これは3日間にわたって国際法違反を重ね続けた戦争と言って良いものだ。江戸湾内へ強行侵入したペリー来航に習ったと説明されてきたが、この結果結ばれた以下のような日朝修好条規が将来に禍根を残していく。
「太平の眠りを覚ますジョウキセン・・・」、ペリー来航が、日本にどれだけ凄まじい衝撃を与えたかを考えてみれば、この事件が朝鮮にとってあまりに大きすぎるものだったことが分かるはずだ。日本史におけるペリー来航は、今はもう「明治維新の起点」と見られているが、これがもし軍艦揚雲号と同じことをやっていたらと、そう考えてみればよいのではないか。

 この結果結ばれた日朝修好条規は、大変な不平等条約になっていた。 
『釜山他二港の開港、日本人の「往来通商」を認め、「日本の航海者」に海岸随時自由測量を、さらに日本の領事裁判権を認める。付属条約と通商章程によって日本通貨の流通、日本の輸出入商品への無関税も決められた』(岩波新書「シリーズ日本近現代史全10巻」の①、井上勝生著「幕末・維新」から、221ページ)

 なお、韓国ではこの条約のここが強調されている。「清国からの独立」という側面である。つまり、清の保護下から暴力でもって日本側へ一歩引き寄せた条約であると。つまり、後の日清戦争に繋がっていく側面が既にこの時に存在していたと言える。今顧みれば、朝鮮に対する新たな帝国主義・植民地化の第一歩だったということだろう。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする