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戦争論、正誤二つの理解   文科系

2019年03月17日 07時54分15秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 一つの試みとして、正しい戦争理解と、よくある誤った理解とを以下に述べてみたい。まず、誤った戦争論から。

 誤った戦争論の典型、最近テレビで語られた安倍首相のそれを解説してみよう。そして、その誤りがどこにあるかを論じてみたい。爆笑問題の太田光とのテレビ対談で、安倍はこんなことを述べていた。
 日本国憲法前文の「日本国民は・・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、(われらの安全と生存を保持しようと決意した)」を読み上げた安倍が、これを否定して見せた所から2人のやり取りが始まった。これを、こう切って捨てたのである。
「他力本願ですよ、ベトナム戦争、イラク戦争など戦争はいっぱい起こっているのに・・・」

 安倍がここで言う「戦争という現実」の例二つは、アメリカが起こしたものだ。21世紀の地球上の大きい戦争も、アメリカが関わったものがほとんどである。安倍はそのアメリカにべったり張り付いて、その戦争を常に支持してきた。これを言い換えれば、安倍も戦争の世界を作るのに寄与して来たということになる。世界第3の大国の首相の影響力を持ってして、現にそんなことに彼は努めてきたわけだ。

 こうして彼の言う「戦争という現実」は、人間の宿命のようなものではないどころか、自分も創っているその現実を何か自然に起こっているものと、他人事のように語っているのである。 こういう安倍を支持する人々も同じであって、自分も世界の戦争を作っているのにその自覚はなく、これが自然に起こっているもののように錯覚しているわけだ。
 つまり、こういう人々にあっては、安倍がこの対談でも叫んでいたようなこんな言葉は、全部嘘になってしまう。
「そりゃ、イラク戦争のように人が死ぬのは残念ですよ」
「戦争はない方がよいですよ」


 対するに、正しい戦争論は21世紀の今や、こういうものとして見えてきたと、言えるはずだ。
①人類に、闘争本能?とか、生まれつき戦争するものだというような「戦争宿命」のようなものは存在しない。戦争に関わって存在するのは、ただ一つ、戦争の人類史だけである。

その戦争の人類史では、特に最近の200数十年ほど前から、こういうことが示されている。
・「自由 平等 博愛」というように、人の命がどんどん等しいものと観られるようになった。人種、異民族の差別も悪となった。
それにともなって、戦争が悪いものと理解されるようになって来た。ちなみに、昔は戦争は悪どころか「我が信じる神の栄光」というような「正義」だったのである。悪魔のような異民族を、その悪魔宗教もろとも地球から無くすというようなものとして。
・ちなみに、アメリカの今のイスラム敵視には、この国に多い聖書原理主義思想が関与してはいないだろうか。州の学校教育から進化論を排除する力を持った所もあるような、それである。
・そして、戦争を無くそうという世界組織、世界法も作られるようになった。20世紀に生まれた国際連盟、国際連合のようなものは、もっともっと人類の宝物になっていくはずだ。今のアメリカが新たに、これの無視をどれだけ強めているとしても。

③こうした世界史の流れは、これを否定する論も絶えず生まれているとしても、人類の支持を得てやがて戦争をなくするだろう。これからの人類自身、その民主主義実践だけがこれを決めることだろうが。
コメント (4)
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