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再掲、書評「サピエンス全史」(4)「現代の平和」に起こったある論争  文科系

2019年03月26日 08時41分11秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
【 「サピエンス全史」書評で起こった論争  文科系
2019年01月21日 | 書評・番組・映画・演劇・美術展・講演など

 「サピエンス全史」書評の旧稿紹介について、これを初めて紹介した時に起こったある戦争論の論争をご紹介しよう。日本人なら常識になっているような「人類史論から見たら誤った戦争論」を反論された方がおられたからだ。
 さらにまた、以下の僕は厳しい言葉で応えてはいるが、このお相手SICAさんにはとても感謝している。しっかりした、内容も簡潔明瞭な文章を書かれて、この書の内容の深さを掘り起こして下さったとも言えるからである。げに、人間、人類の明日に臨むに際して、過去の歴史を正しく知る事が大切かという事だろう。ただし、歴史をきちんと知る事はものすごく難しい。それはどうしてなのか。その秘密の最大の柱をこそ、以下の論争からお分かりできるようにと願っている。


【 Unknown (sica)2017-05-03 16:00:44
『現代は史上初めて、平和を愛するエリート層が世界を治める時代だ。政治家も、実業家も、知識人も、芸術家も、戦争は悪であり、回避できると心底信じている』
これには「一般国民」は入ってないんですよね・・・
左翼勢力特有の傲慢さを感じるのは私だけでしょうか

Unknown (s)2017-05-04 04:34:16
私は
『現代は史上初めて、平和を愛するエリート層が世界を治める時代だ。政治家も、実業家も、知識人も、芸術家も、戦争は悪であり、回避できると心底信じている』
に疑問を呈しただけで、「政治指導層が平和を愛する心を持ったから戦争が少なくなった」より「戦争は損になる割合が多くなった」「核による恐怖の平和」という現実を認めているのなら、それほど反論もありません】

【 反論 (文科系)2017-05-04 19:05:49
 この文章に反論。
『私は「現代は史上初めて、平和を愛するエリート層が世界を治める時代だ。政治家も、実業家も、知識人も、芸術家も、戦争は悪であり、回避できると心底信じている」に疑問を呈しただけで、「政治指導層が平和を愛する心を持ったから戦争が少なくなった」より「戦争は損になる割合が多くなった」「核による恐怖の平和」という現実を認めているのなら、それほど反論もありません』
 これも、この歴史家が述べているような人類の過去の史実、人間の真実を知らなくって、現代の感覚で過去を見るから言えること。だからこそ、「この点に関して、過去の人類がどうだったかを貴方知っているのですか?」と怒って詰問した訳でした。
 貴方が嘲笑った文章のすぐ前にこう書いてあります。
『歴史上、フン族の首長やヴァイキングの王侯、アステカ帝国の神官をはじめとする多くのエリート層は、戦争を善なるものと肯定的に捉えていた』
 つまり、民主主義はもちろん、広範囲な統一国家も少ない時代では、我が部族だけが「人間」で、他は獣なのです。獣に対する人間の勝利は「我が信ずる神の栄光」も同じこと。こう理解しなければ奴隷制まっ盛りの時代なんて到底分からない訳です。
 こういう大部分の人類史時代に比べれば、「人種差別は悪」というような「民主主義のグローバル時代」では、どんな為政者も「戦争は悪」、万一必要と理解したそれでさえ悪となるわけ。つまり必要悪。


 追加です (文科系)2017-05-05 17:02:16
 追加します。
 こういう大事な史実一つを知っているかどうかで、現代史とその諸問題の見方もかなり変わってくるはずだ。現代世界政治で最も重要な民主主義という概念の理解でさえもこうなのだから。つまり、今の民主主義感覚で過去の人間も観てしまう。
 現生人類どうしでさえ、「自分の感覚で相手を捉えて,大失敗」とか、長年の夫婦でさえ、『相手がこんな感覚を持っていたとは今まで全く知らなかった。人間って、違うもんだなー』なんて経験は無数にあるのだ。そして、相手と自分が違う点が認められた特にこそ、人間理解、自己認識が一歩進む時なのだ。ソクラテスが喝破したように「自分を知るのがいかに難しいか」と同じように「(過去の感覚との違いを認めてこそ)その時代の感覚を知ることができる」ということがいかに難しいかという問題でもある。
 だから僕は、このブログにこんなことも書いてきた。僕は時代劇なんてまともには観ない。すべて嘘だからだ。現代の感覚で過去の人間を見ている。現代人に、「士農工商」が華やかだった江戸時代前半の人々の対人感覚が分かるはずがない。
 時代劇なんて全て、当時の感覚からすればリアルさに欠けるはずである。
 むしろ、それをいい事に、現代のリアル感覚を書けないストーリー作家が時代劇を書くのだろう、などと。


 反論が書けなかった? (文科系)2017-12-21 18:14:17
 SICAさん、反論が書けなかったでしょ? ご自分の判断基準が、世界史から見たらいかにちっぽけな、狭いものかが、お分かりになりましたか。(この場合は僕が自分を誇っているのではありません。この著作に顕れた人類史を誇っていると言えるでしょう。・・・これは今回付けた文章です)
 このエントリーがベスト10に入ってきて、改めて読み直したもの。それでお返事。
 民主主義が正しいとか、一般的殺人が悪などとなったのでさえ、たかだかこの200年程のことです。200年前など、今のアメリカでは黒人を殺すことなど何ともありませんでした。人間ではなく、所有物だからです。ジャンゴという映画見たことがあります?

 こうして・・・ (文科系)2017-12-25 07:10:34
 こうして、例えば200年ほど前から民主主義がどう変化、発展してきたかが分からなければ、今後50年など何も見えてこないわけです。そういう人がまた「戦争は人間の自然、必然」などと語っているのでしょう。僕は、そのことが言いたかった。
 過去の世界変化がきちんと見えなければ、未来は予測も希望も出来ないということ。特に日本だけを見ていたり、20世紀になって初めて出来た世界の民主主義組織・国連も見えなければ、日本の明日も見えて来ないでしょう。】

(これで、このシリーズは終わりです。)】
コメント (3)
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再掲、書評「サピエンス全史」(3)続、現代の平和  文科系

2019年03月26日 08時23分26秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 いま公立図書館で、「サピエンス全史」の貸し出し予約が列を成しているらしい。その書評の第3回目をお送りしたい。ここでのモチーフは、日本のネトウヨ諸君や、世界に今大流行の右翼ポピュリズムの愛国主義が世界史論から観たら誤りが多いということになろうか。

【 書評「サピエンス全史」(3)続、現代の平和  文科系
2017年05月07日 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

「部族社会時代の名残がある時代には、戦争は善(悪ではなかったという程度ではない)だった」という文章を紹介した。今は防衛戦争を除いては、良くて「必要悪」になっていると、コメントで書いた。だからこそ、こう言えるのであるとさえ(これは僕が)書いた。
 防衛戦争でもないのに国民が熱狂したイラク戦争などは、太平洋戦争同様国民が欺されたから起こったというものだと。


 さて、今書いたことがこの時代の真実であるかどうか? もし真実だとすれば人間の未来は、戦争が地上から無くなるか、政権とマスコミが国民を欺し続けられるか、このどちらかだということになるが・・・。

 さて、この歴史学者の本「サピエンス全史」には、こういう歴史的知識が溢れている。暴力,戦争についてのそれを、さらに続けて紹介してみたい。
『ほとんどの人は、自分がいかに平和な時代に生きているかを実感していない。1000年前から生きている人間は一人もいないので、かって世界が今よりはるかに暴力的であったことは、あっさり忘れられてしまう』

『世界のほとんどの地域で人々は、近隣の部族が真夜中に自分たちの村を包囲して、村人を一人残らず惨殺するのではないかとおびえることなく眠りに就いている』

『生徒が教師から鞭打たれることはないし、子供たちは、親が支払いに窮したとしても、奴隷として売られる心配をする必要はない。また女性たちも、夫が妻を殴ったり、家からでないよう強要したりすることは、法律によって禁じられているのを承知している。こうした安心感が、世界各地でますます現実のものとなっている。
 暴力の減少は主に、国家の台頭のおかげだ。いつの時代も、暴力の大部分は家族やコミュニティ間の限られた範囲で起こる不和の結果だった。すでに見たとおり、地域コミュニティ以上に大きな政治組織を知らない初期の農民たちは、横行する暴力に苦しんだ。権力が分散していた中世ヨーロッパの王国では、人口10万人当たり、毎年20~40人が殺害されていた。王国や帝国は力を増すにつれて、コミュニティに対する統制を強めたため、暴力の水準は低下した。そして、国家と市場が全権を握り、コミュニティが消滅したこの数十年に、暴力の発生率は一段と下落している。現在の殺人の世界平均は、人口10万人当たり年間わずか9人で、こうした殺人の多くは、ソマリアやコロンビアのような弱小国で起こっている。中央集権化されたヨーロッパ諸国では、年間の殺人発生率は人口10万人当たり1人だ。』

『1945年以降、国家内部の暴力が減少しているのか増加しているのかについては、見解が分かれるかもしれない。だが、国家間の武力紛争がかってないほどまで減少していることは、誰も否定できない。最も明白な例はおそらく、ヨーロッパの諸帝国の崩壊だろう。歴史を振り返れば、帝国はつねに反乱を厳しく弾圧してきた。やがて末期を迎えると、落日の帝国は、全力で生き残りを図り、血みどろの戦いに陥る。・・・だが1945年以降、帝国の大半は平和的な早期撤退を選択してきた。そうした国々の崩壊過程は、比較的すみやかで、平穏で、秩序立ったものになった』
 こうしてあげられている例が、二つある。一つは大英帝国で、1945年に世界の四分の一を支配していたが、これらをほとんど平和裏に明け渡したと述べられる。もう一つの例がソ連と東欧圏諸国で、こんな表現になっている。
『これほど強大な帝国が、これほど短期間に、かつ平穏に姿を消した例は、これまで一つもない。・・・・ゴルバチョフがセルビア指導部、あるいはアルジェリアでのフランスのような行動を取っていたらどうなっていたかと考えると、背筋が寒くなる』
 この共産圏諸国の崩壊においても、もちろん例外はちゃんと見つめられている。セルビアとルーマニア政権が武力による「反乱」鎮圧を図ったと。

 こうして、どこの国でも右の方々が陥りやすい「社会ダーウィニズム」思想(無意識のそれも含めて)は、こういうものであると断定できるはずだ。世界史を知らず、今の世界でも自国(周辺)しか観ることができないという、そういう条件の下でしか生まれないものと。社会ダーウィニズムとは、こういう考え方、感じ方、思想を指している。
「動物は争うもの。人間も動物だから、争うもの。その人間の国家も同じことで、だから結局、戦争は無くならない。動物も人間も人間国家も、そういう争いに勝つべく己を進化させたもののみが生き残っていく」
 この思想が誤りであるとは、学問の常識になっている。
 今の世界各国に溢れているいわゆる「ポピュリズム」には、この社会ダーウィニズム思想、感覚を持った人々がとても多いように思われる。今のそういう「ポピュリズム」隆盛は、新自由主義グローバリゼーションの産物なのだと思う。

( もう一度、続く。「この書評で起こった論争」へと。)】
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