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安保法制賛成者の信念  文科系

2020年03月23日 06時22分51秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

  安保法制の「信念」  


 あるブログの共同運営を大学時代からの友人に頼まれてかっきり十年やってきたが、そこでいろんなネット右翼諸氏とやりあってきた。ブログ名称に「憲法九条」が入っているゆえなのだろうが、こういう方々の訪問が絶えなかったからだ。たとえば、
『平和を願い、母国を愛する一未成年から反論させていただきたい。…………以上、反論があれば随時丁重にお返しさせていただく故、フェアに品のある議論を望む』
 これは「平成の侍」と名乗られたお方がこの八月十九日に僕の文章に寄せてきた長文コメントの前後だが、たった一回僕が出した回答に対して、もうお返事が何もなかった。僕の文章内容が彼が考えたこともないようなものだったから再回答のしようがなかったのであろうが、はてこれは「フェアに品のある議論」であったのかどうか、難しいところだ。
 こんなふうに知識も思考力も様々な方々を相手にしたこの十年、実に多領域の勉強をさせられたし、いろいろ考えさせられつつ今日まで来た。慰安婦問題は明治維新以降百年の日朝関係史学習にまで拡がっていったし、南京虐殺や「連合国史観」は「アジア・太平洋戦争史」の復習に繋がった。こちらが学んでいくごとに「これだけ稚拙な知識しかない相手が、どうしてこれだけ自信ありげに頑張れるのだろうか」と気付き始めた。その度に訝り、考え込んで来たのがこのこと。これだけ確信ありげに語るのは、世界も狭いからというだけではなく、自分を納得させ、確信させる信念を何か持っているからだろうが、それって何なんだろうかと。これらすべてにおいて、同じ人間という生き物に、どうしてこれだけ見解の相違が生じるのだろうかと、そんな哲学的問題意識をも温めつつ、相手の言い分を観察してきた。
 そこで最近になってようやく気付いたのが、これだ。

 米国は実体経済がIT産業ぐらいしかない。サービス業ばかりで、相対的貧困者と格差が大問題になっている先進国である。サブプライムバブルや九年にも及ぶ紙幣大増刷・官製バブルなどなどマネーゲームで儲けて、日本やBRICS諸国相手の現物貿易収支大赤字をその分カバーしている。がこの国、戦争が流行ればその苦手な現物経済もなかなかの物なのである。兵器産業でいえば世界ダントツの実力があるからだ。貧乏な国、地域には、本来廃棄すべき多量の中古品などの廃棄料が収入に転化する。日本や石油成金国などには第一級の高価な最新兵器などなど。世界のどこかで戦乱が起こるほどにこの商売はいつも大繁盛だ。
 ところで、戦争は無くならないと語る人は当然、こう語る。「国が滅びないように、国土防衛が国として最大の仕事」。こういう人々が世界に増えるほど、貿易大赤字国の米国は助かる。いや、助かるという地点を越えて、今の米国は「テロとの戦い」とか、以前なら「共産主義との戦い」などなどを世界戦略としているからこそ、地球の裏側まで出かけていったりして、あちこちで戦争を起こしているのである。まるで、人間永遠に闘う存在だという世界観を広める如くに。失礼を承知で言うが、「人間必ず死ぬ。貴方も間もなく死ぬ」と大いに叫べば、葬式屋さんが儲かるようなものではないか。

 さて、戦争違法化が、二十世紀になって世界史上初めてその国際組織と法が生まれたりして着手されたが、地上から戦争はなくせるのだろうか。この問題で極めて簡単な正しい理屈が一つある。戦争はずっとなくならないと語る人は「その方向」で動いていると言えるのだし、なくせると思う人はそういう方向に「参加していく」のである。つまり、戦争が未来になくなるか否かという問題とは、人間にとって何か宿命的に決まっているようなものではなく、今及び将来の人間たちがこれをどうしようと考え、振る舞うだろうかという実践的な問題なのである。世界の政治課題というものは、人間が決めるものだと言い換えても良いだろう。ところが、人間が決めるものだというこの真理を意識せずして否定する以下のような「理論」に最も多く出会えたのだと理解してから、僕の頭はすっきりした。
 社会ダーウィニズムという今は誤りだとされた社会理論がある。その現代版亜流の世界観が存在するようだ。「動物は争うもの、人間もその国家も同じだろう。そうやって、生物は己自身を進化させてきたのであるから」。この理論で言えば夫婦ゲンカも国同士の戦争も同じ(本質の)ものになる。そして、夫婦ゲンカは永遠になくならないから、戦争もそうだろうと、大威張りで確信できるわけだ。
『動物の争いは永遠になくならないのだから、人間も永遠に争うものである』
『人間は争うものだから、国家の戦争も無くならない』
 これが、ネット右翼諸氏の世界と政治を観る無意識の出発点なのである。最近、そう気付いた。対案はこれしかない。「二十世紀には人類史上初めて戦争違法化に向けた国際法、国際組織も生まれたではないか」などの歴史的事実と戦争はなくせるという世界観とを広めていくこと。その実を例え少しずつでも、粘り強く作り広げていくこと。

 以上ありふれて見えるようなことを書いたが、正面からは案外批判されてこなかった誤った戦争に関わる信念が巷に溢れていると言いたい。この日本には特に広く。集団主義ムラ社会の中で激しい競争を演じてきた団塊世代以降では、自然に持つ世界観なのかも知れない。

 

(2016年、所属同人誌に初出)

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僕の九条堅持論 文科系

2020年03月23日 06時17分17秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

 ここに何度ものせてきた過去ログを、また再掲します。このブログ表題のことについて僕の見解ということです。


【  僕の九条堅持論 文科系  2011年03月09日

 ざくろさんという方が、ここでおかしな事を述べられた。
『原理原則から述べれば当然現行憲法は破棄されるべきものなんですけどね。』
 自衛隊という陸海空軍と憲法との矛盾について、これが、原理原則を本末転倒させた論議であるのは明らかだ。なし崩しに軍隊を作って、世界有数の規模と成し、強引に解釈改憲を通してきたやり方こそ、憲法という原理原則を踏みにじったと語るべきである。こんなことは、小学生でも分かる理屈だ。1国の憲法というものは本来、そういうものだと日々教えているはずだからである。
 あまつさえこの間に、この憲法を守ることが出来る世界作りを大国日本が率先して呼びかけ直す道も、「以下のように」あり得たのである。自衛隊を作る背景、原因にもなった冷戦体制が終わった時とか、サブプライムバブル弾けに端を発して100年単位ほどの世界大恐慌状態に落ち込んだ時とかに。そういう絶好の機会において、日本が国連でアメリカの投票機の役割しか果たしてこなかったのは、実に情けないことだ。なお、この恐慌は持ち直したという声があるがとんでもない暴論だと思う。世界にこれだけ失業者がいては、株が少々上がったところで、健全な経済状況などと言えるわけがないではないか。それが民主主義の観点というものであろう。
 

1 さて、古今東西、戦争の原因はどんどん変ってきて色々あり、一様ではない。よって「戦争を必然とする人間の本性」のようなものがあるとは、僕は考えない。これが存在するから今後も戦争は永遠に少なくならないというようなことを語るとしたら、その論の正しさを先ず証明してからにして欲しい。こんな証明は論理的にも、現実的にも不可能なはずだから「攻めてくる国があるから対応を考えなければならない」という立論だけでは、全く不十分な議論である。特に長期スパンで戦争をなくしていく視点が欠けたそういう論議は、万人に対して説得力のあるものではないだろう。
 20世紀になって、第一次世界大戦の世界的惨状から以降、そして第二次世界大戦以降はもっと、戦争違法化の流れが急速に進んできた。この流れは、18世紀西欧に起こった「自由、平等、博愛」の声に示されるような「人の命は権利としては平等に大切である」という考え方が定着してきた結果でもあろう。つまり、民族平等や国家自決権なども含んだこういう流れが、後退や紆余曲折はあっても近現代史に確固として存在するのである。
 世界史のこんな流れの中からこそ、長年の努力でEUもできた。EUの形成は、それまでの世界的戦争の先頭に立ってきたような国々が、互いへの戦争などを放棄したということを示している。
 20世紀後半になって、大きな戦争は朝鮮、ベトナムなどで起こったが、あれは東西世界体制の冷戦に関わったもので、その対立はもう存在しない。それどころか、中国も資本主義体制に組み込まれた現在では、日本のような先進大国を攻めるというような行為は、中国も含めた世界経済をがたがたにするという世界史的汚名を被る覚悟が必要になったとも言える。今時の大国の誰が、こんなヒットラーのような無謀行為を敢えて犯すだろうか。

2 さて、こういう世界の流れを観るならば当然、自国への戦争に関わっても二つのスパンで物事を考えなければならないと思う。一つが、「当面、日本に攻めてくる国があるか。それに対してどうするのか」と言うスパン。今一つが、「戦争違法化の流れを全人類、子々孫々のために推し進めるべき各国の責任」というスパンであって、これは、近年新たに目立ってきた世界の貧困問題や食糧問題などを解決するためにも世界万民が望んでいることだろう。なお、この二つで前者しか論じない方々は、論証抜きの「戦争は永遠の現実」という独断のみに頑強に固執して、数々の人類の不幸を全く顧みないニヒリズムだと、断定したい。
 以上のことは、世界の大国アメリカを観れば容易に分かることだ。アメリカは相対的貧困者や満足に医者にかかれない人々やが非常に多い「先進国」である。高校を卒業できない人が白人でも4人に1人であり、黒人やヒスパニックでは半分だ。現在の軍事費を何割かでも減らせれば、これらが救われる財政的条件が生まれる理屈だが、こんな当たり前のことが何故出来ないのか。ここの軍事費が何割か減ったら、攻めてくる国が出るというものでもなかろうに。だからこそ、今軍事費を減らそうとの視点を持たない「現実論」は、ニヒリズムだと呼ぶのである。 

3 まず上記の長期スパンであるが、こういう立場に日本が立ちたいと思う。
 先ず、国連には9条堅持と日本軍隊縮小方向を、代わりに『平和と貧困撲滅基金』というような形で毎年かなりのお金を国連に出していく方向を、改めて表明する。合わせて、こう表明する。
「軍隊を持たない方向を目指す代わりに、世界の『平和と貧困撲滅』に貢献したい。そういう大国が存在するのは世界と国連、人類の未来にとってこの上なく大きい意義があると考える。ついては代わりに以下の要求を万国、国連にさせて頂く。日本国憲法にある通りに、世界各国の平和を目指し貧困をなくすという希望と善意に信頼を置いてこういう決断を成すわけだから、以下の要求を国連に出す資格も当然あると考えている。
『日本に他国が攻めてくるということがないようにする努力を万国にもお願いしたい。また万万が一攻められるようなことがあった場合には、国連軍、国際的常設軍隊で即座に支援して頂くというそういう体制を至急お作り願いたい。国連をそうしたものにするべく、日本はその先頭に立ちたい』」 

4 九条堅持と、その実現のために、いやそれ以上に、世界の平和と貧困撲滅のために、3の遂行度合いに合わせて、自衛隊は縮小、廃止方向を取る。そのスパンも30年などと遠いものではなくしたい。
 なお、こういう構想は民主党小沢派、鳩山派などが持っている構想に近いものだと、僕は見ている。小沢派の「国連警察軍」などの構想は、これに近い発想、あるいはそうなっていかざるをえない発想なのではないかということだ。むしろ、親中国路線とともに国連常設的軍隊重視こそ、小沢がアメリカと親米派勢力に憎まれている理由だろうと考えてきた。また、このような案が大きく世に出てきた時には、共産党、社民党もこれに賛成せざるを得なくなるであろうとも予測する。つまり、以上の構想の現実的政治勢力、潜在勢力が現に大きく存在するということだ。
 ちなみに、国連自身の指揮下にある常設軍というならば、それに日本が参加してさえ、「国権の発動たる戦争」に関わる「陸海空軍その他の戦力」とは言えないだろう。また、フセインのクゥエート侵略があったり、アフリカのいくつかの国に同類のことが起こっている以上、かなり強力な国連常設軍が当面は必要だと思う。】 

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