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世界経済危機を救う道  文科系

2020年03月28日 03時42分59秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 27日の「マスコミに載らない海外記事」サイトに、現世界の経済破綻に対処すべき至極まっとうな対案が載っていた。執筆者は、ここの常連さん、ポール・クレーグ・ロバーツ。アメリカの元経済政策担当財務次官補というお方だ。米GAFAバブル、日本官製バブルがコロナをきっかけとして弾けて、リーマンショック以上の危機を呼ぶといわれている現在である。バブル「景気」しかなくなった新自由主義経済が進めて来た「小さな国家」は、先進国国民の命さえ守れなくなっている。そんな国の「国防」に一体、どんな意味があるのか? 珍しく全文そのままを転載しますので、熟読玩味されたい。 

【 2020年3月27日 (金)

債務免除と国有化が経済危機への答え 2020年3月23日 Paul Craig Roberts

 アメリカ航空会社各社は、CEOや役員を儲けさせる仕組みの自社株買い戻しで、破産した。(https://www.lewrockwell.com/2020/03/david-stockman/the-crony-capitalist-thieves-are-back/) 収入へのウイルスによる衝撃で、議会は、彼らに500億ドルの救済措置をとっている。苦境から助け出す代わりに、彼らは国営化されるべきなのだ。
 今我々が直面している医療危機と経済危機で、政府は得られる限り、国民のあらゆる信頼を必要としているはずだ。彼らの問題と、我々の問題を引き起こした連中への救済措置は、公平性試験には合格するまい。
 私が前に書いたように、国有化は多くの人々にとって禁句だが、それは実際、数十年の規制緩和と集中を修正し、経済に競合を回復する機会を提供してくれる。例えば、大きすぎて潰せない国有化された銀行は、後に分割可能で、小さな部分を民間に売れるのだ。商業銀行が再び投資銀行から分離でき、集中した金融権力を潰せるのだ。

 市場が自己調整などしないことがわかった今、我々は思慮ある金融規制を復活させ、銀行に、金融化と、既存の資産を抵当として借金するためにではなく、生産的用途に貸すよう要求できる。アメリカ金融体制は、長い間、アメリカ経済の生産的側面を支援してこなかったのだ。
 企業が閉鎖するにつれ、大変な負債をかかえた一般のアメリカ人が、至る所で仕事を失っており、ショッピング・センター・ロビイストは1兆ドルの補償を求めている。ホテル業界は1500億ドル欲している。外食業界は1450億ドル欲している。全米製造業者連盟は1.4兆ドルを欲している。(https://www.cnbc.com/2020/03/21/coronavirus-1-trillion-rescue-package-might-not-be-enough-for-businesses.html) 食糧配送業者は困難な状態にある。ボーイングは融資保証で、600億ドルの資金供給を望んでいる。地方や州の政府は支援を必要としている。米国市長会議は2500億ドル欲している。リストは無限だ。

 連邦準備銀行の調査によれば、個人資産を売らなければ現金400ドルを作れない40%のアメリカ人のために何をすべきだろう?この医療危機の間、保険のない多数の人々を、どうすれば面倒が見られるだろう? 病院や医療事業は、一体どこで金を得られるだろう?
 唯一の解決策は、費用が支払えるよう、医療を国営化することだ。食物や捕れるものを何でも襲って、感染して失業中の多数の人々に、道路を歩き回られては、我々は生きてゆけない。
 経済にとって唯一の解決策は、普通の人々に対する債務免除と、企業に対する国有化だ。トランプは支援が株式取得という形で行い、後に、事態が正常に戻ったら、民営化で後に政府保有株を利益のためで売ることが可能なことを示した。これは部分的国有化だろう。集中と規制緩和の解決が可能になるのだから、徹底的に国有化した方が良いだろう。

 世界的大流行で、利己主義の個人で構成される社会は社会ではないことが明らかになった。社会というものは、社会制度なのだ。成功している社会制度は、その成員を支援できるものだ。持続可能な社会制度が存在すれば、人々が独力で多様化する基盤になる。だが、持続可能な社会制度なしには、何もあり得ない。
 アメリカで持続可能な社会を作るには、教条的な考え方を放棄する必要がある。古いイデオロギーは邪魔になる。我々も指導者も、医療危機と経済危機に、いかに成功裏に対処すべきか、創造的に考えなくてはならない。

 Paul Craig Robertsは元経済政策担当財務次官補で、ウオール・ストリート・ジャーナルの元共同編集者。ビジネス・ウィーク、スクリップス・ハワード・ニューズ・サービスとクリエーターズ・シンジケートの元コラムニスト。彼は多数の大学で教えた。彼のインターネット・コラムは世界中の支持者が読んでいる。】

コメント (9)
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随筆紹介 「コロナ蟄居が高齢者に痛い」  文科系 

2020年03月28日 03時22分10秒 | 文芸作品

 コロナ蟄居が高齢者に痛い  H・Sさんの作品です

 新型コロナウイルスの拡散で図書館、美術館、温泉、公開講座等、私が日頃出入りする
場所が閉鎖になってしまった。食糧と夫の晩酌用の酒を買い込み自宅待機となり、自宅の
敷地内での生活を余儀なくされることになってしまった。私は自宅の敷地の内で一日を過
ごす四百平米の世界の住人となった。
 幸い今年は暖冬で、暖房を利かせ家の中に閉じこもることをしなくてもいいので、畑仕
事をすることにした。暖かく日当りがいいのは嬉しいが、草の伸び方も激しいので草ぬき
に追われることになった。
 畑の前の道は、バス停、スーパー、ドラッグストア等への通い道になっているので、通
勤、通学の時間が終わると、いつもなら小ざっぱりした服装の年配の人達のグループとかおひとり様とかが、軽やかな足取りでバス停を目指す姿を見かけていた。が、二月の終わりからこの様な人達の姿は見かけなくなった。代わりのように新しく登場したのはキャリーバッグにトイレットペーパーを乗せ、ごろごろ音を立てて引いてゆくおばさん達の姿だ。
 顔見知りのおばさんが畑の前で立止り、私に近づき、トイレットペーパーを指さし、ま
くし立てた。
「一時間前からドラッグストアに並んでやっと手に入れたのよ。しかも一メーター以上の
間をあけて並ばされてね。大通りの側道まではみ出す大行列が出来たよ」
「店の人が、一メーターの間隔を開けて並んでくださいと、お客さんにそんな失礼なこと
を言うの」と、私は、おばさんに訊いた。
「店の人は、外の客とは関係ないわよ。客の中に仕切り屋がいるの。コロナ予防のた
めにそうしろと言って譲らないのよ。ああ疲れた」と、怒りをぶちまけた。
 その日から、ふだん着姿でキャリーバッグを引いて買い物に行くおばさんたちがぐんと増えた。その人たち全員が、キャリーバッグにトイレットペーパーを乗せている。
「今日は、やっと買えたよ」「棚に一つだけ残っていたので、予備に買ってきた」
「勤め人がいるので、マスクが欲しいのだが、ドラッグストアを回っても手に入らない」
と、口々に店の現状を私に話した。
 道を通るこのおばちゃん達とは、会釈、二言、三言、会話を交わす程度の知り合いだが、
この季節には畑に植えた早咲きの花を、買い物の行き帰りに立ち止まって見て楽しんでい
る姿を見かけることが多かった。そのようなおばちゃん達の気がかりは、トイレットペパ
ーとマスクで占領され、花を愛でる緩やかさは吹っ飛んでしまっている。
 私の行きつけの生協店でも棚からトイレットペーパーが消えていた。酒の量販店は売り出しでもないのに駐車場が満杯で車を止めるのに時間がかかった。店内には夫のお気に入りの清酒は一本きりだった。夫が他のメーカーはいやだとか言うので出直すことにした。
〈このすごい酒屋のこみかたは、いったい何なんだ〉と、私は呆れた。これは、外食を控えた人によって家で食事して飲酒をする家飲みが増えて、酒の販売量が増えた影響だと、テレビの放送で知った。風が吹けば桶屋が儲かるというたぐいかと、納得した。

 感染症の専門家の医師たちが、入れ替わり立ち代わり、新型コロナウイルスは、新しく
出てきた病気だからワクチンは無い、治療薬も無い、若い人は感染しても軽症ですむが高齢者の死亡率は二十%だと、テレビ、ラジオでひっきりなしに語りかけている。用心に越したことはないが、少々気がめいって来る。でも私にとって二週間ほど続いている四百平米の世界での生活は、コロナが原因の世情とは関係なく、近い将来やってくる私の老いの現状を先取りして見せつけられたようなものだ。何れやって来るその日のための予行演習だと思えたが。今回は、笑って済ませられることではなかった。先に希望が見えてこない。いつまでこんな状況が続くのか分からない。こういう不安の連続は頭の働きを封じ込めてしまう。外に出れないのだから、別の事をやろうとしても心が縮んでしまってひらめきも気力も全く起きてこないのだ。困ったー、万事休すだ。
 まだまだ明るさの見えない時間がこれからも続いてゆくのだろう。こういう、何と
か生きているという現状はつらい。

 今日も四百平米の世界の住人。私のしんどい一日が始まるのか。と、庭に出た。
 小さな葉っぱの中心に叡山すみれの白い蕾が目についた。この菫は昨年生きにくいとこ
ろに種が飛ばされ、一本葉で二ミリぐらいの根っこ。漸くにして土から栄養を吸い上げ命
を保っていた。秋に植木鉢に植え替え〈生きろ生きろ〉。と、言葉をかけ乍ら様子を見ていた。董は、冬の間全く音沙汰なし、生きているのか、枯れてしまったのか不明のままだった。それが突然頭をもたげてきた。こんなこともあるのか、植物の逞しさに触れた私は〈明日はどの様に姿を変えて行くのだろう〉と、小さな命を見守ることにした。

コメント (2)
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