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「安倍官製バブルは、獣の餌食」  文科系

2021年04月05日 22時32分16秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 去年の4月に、GPIFが19年度全体としても大損をした第4四半期大損のことを書いた。これがあるから、五輪が止められないのだ。つまり、今の五輪強行は、安倍失政の負の遺産の尻拭いなのである。その次第を書いた旧稿を改めて再掲する。今は変異株などもっと深刻なコロナ状況下にあってもなお断念しないのは、こういうことなのだ。

【 安倍政権に、前門のコロナ、後門の「日本売り」  文科系 2020年04⽉14⽇

 安倍政府の無能、無策は、五輪未練に執着して、コロナ沈静を2重に遅らせ、心ならずも国民を恐怖に陥れてしまった。
 一つは、感染者数を世界に向けて少なく見せるべく、中韓がやった希望者全員検査をせずにクラスター発見に特化した対策を採ったこと。感染経路不明の孤立患者には病院たらい回しを強いる結果となって、国中の病院という病院に院内感染の恐怖をばらまいたのである。(それで中韓のようには、コロナが鎮められなかった。ー今回書いた解説)
 そして今ひとつは、3月最後の貴重な3連休にさらに深く「孤立感染者野放し」をやったのも、ぎりぎりまで五輪開催の道を探っていたからだ。

 安倍はなぜこれほどまでに五輪に拘ったのか。思い出すのは、ここでも再三書いてきたこのことだ。
 原理的に達成できるはずもなかったアベノミクスの焦点・2%目標に執着し続けて来た結末として官製バブルを作ってしまい、このバブルを弾けさせられる日本売りを引き延ばすべく五輪景気をそれほどに渇望していたからである。それも、「この日本売りは、むしろその五輪後が怖い」と語られてきたのだから、五輪が無ければ泣き面に蜂だったのであろう。

 ところでさて、この「日本官製バブル弾け、日本売り」は既にもう始まっている。この1~3月にGPIFが17兆円という四半期としては過去最大の赤字を出して、19年度全体でも遂に8兆円ほどの赤字という悲劇が起こった。これがまた、18年度秋の第3四半期に被った15兆円の赤字に続く大穴なのである。

 こういう事態を引き起こした歴史的事件として、ここで是非、以下にも言及しておく。この日本売り恐怖の原因を作ったのも、安倍自身である。その次第は以下の拙エントリーに詳しい。

『日本沈没開始事件「安倍が日銀を屈服」2020年01月31日』

 この「日銀・白川総裁を屈服させた」場面において、株価さえ上げれば好景気という「景気」目指して官製バブルを作る道を作ってしまったのが、他ならぬ安倍晋三首相ご自身。このことが必ず問題になるとは、最後まで安倍に抵抗した白川方明日銀総裁の予言であった。現世界のバブルとは、必ず弾けさせられて大損を被るのである。こうして再三述べてきた18年度の第3四半期にはGPIF15兆円の損失、そしてこの度2019年度の第4四半期には過去最高の17兆円の損失。この損失はまだまだ続いていく。これ全て、アメリカの口車に乗ってしまった「アベノミクス、2%インフレターゲット政策」の大変な付け、失政なのである。

 こうして、今の安倍は『前門のコロナ、後門の「日本売り」』と、出口がどこにも無い大きすぎる恐怖に駆られているはずだ。それは、コロナに必要な金さえも使えないというほどに。この両門いずれも、身から出た錆。トランプと同じで、器でもない者が幸運に恵まれて長く偉そうな顔だけを作ってきた、その厚化粧の結末というべきだろう。赤木さんご夫妻やコロナで死んでいった人々を筆頭に、我々国民が可哀想すぎる。】

 

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随筆紹介  一人暮らしの老い   文科系

2021年04月05日 12時27分14秒 | 文芸作品

 随筆紹介  一人暮らしの老い   H・Tさんの作品です
                     

〝あっ、またやった、どうしてこんな事を〟、いらいらしながら冷蔵庫の前で声を上げた。扉は開いたまま、中の物は水をぶっかけたようになっている。こんな事も、二度三度だ。気をつけているのに・・・。ガスでなくてよかったと言いながら、落ち込む。ここへ何を取りに来たのかわからない時もたびたび。窓の閉め忘れも、電気の消し忘れも、気をつけているのに・・・。昨日は洗濯物の取り入れを忘れ、夜中に・・・。それは、部屋にぶら下げて干した。
 毎朝の味噌汁の時も、味噌の味が予定と違いすぎていて、時々驚く。こんなことは、まったくなかったのに。
〝人は長く生きると、老いという罰を受ける〟という、これは罰だろうか?

 私は今年九十歳になった、子どもも居ないずーっと一人暮らし。何の努力もしないのに、気がつけば白寿の老人。
〝私もいずれは老いるだろう。老いの経験は誰も無いのだ。それぞれに老いて、生きている。だから・・・〟、若い時はそう思っていた。が、現実はそんな想像をはるかに超えて、とんでもないもの。

 また、〝老いは足から〟というが、足が弱れば、体力だけでなく気力、思考力、すべてが衰える事に気づく。ペンを取れば、文字の忘れ、語句が出てこない・・・。今ではこれもパソコンなど機械化が進み、おどろく程便利になったというが、使うのは私たち人間であって、老いとともに手が出なくて・・・。調理も便利になって、スイッチ・ポンで煮たり焼いたりどんな料理も手間いらずというが、不安で、私は使えない。

 もの忘れ、思い違いもなんと多いことか。失せ物探しに時間のかかること。メモをと人は言うが、メモを見てもわからん事があったりして、さらに深く落ち込む。外出をと思えば、杖は、老人手帳は、眼鏡は、財布はとうろうろ、うろうろ。予定通りに出られたことなどないのである。これが長命の罰だろうか。

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