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随筆 日本人男女  文科系

2021年04月13日 12時00分38秒 | 文芸作品
 

 同人誌仲間のHさんがある日僕に言う。「脚が軽くなったねと、夫に驚かれたよ!」。そう言えば、傍らを歩いている八〇近いこの女性、歩き方がこれまでとはだいぶ違うと、既に僕の目が感じていた。ベターッとした歩き方が消えて、どういうか、腿が上がって足が利き、そもそも歩幅が大きくなっている。「片足つま先立ち・脚裏ストレッチなんかもやってきたんだよね!」、目を輝かせて続ける。二か月前の月例会後だったかに皆でいろいろ話し合っていた下半身強化法を早速実践してみた成果というわけだ。昔痛めた腰のせいでくの字型を右に倒したような彼女には特にこれが不可欠だよとは、そこで皆が述べたこと。ちなみに、「腰の怪我・前曲がり」は僕の母のトレードマーク。明治生まれで二一世紀に入って亡くなった彼女は、脳内出血で倒れるまで下半身強化には励んでいた。

 ここ一〇年ほど、僕は三つの人間集団に関わってきた。そこでつくづく感じたことなのだが、日本人高齢男女の生活差違はことの外大きい。この事で最初に目を見張ったのは、僕の壮年期に父母と同居して観察できたこと。二人とも職業人という当時は珍しいカップルだっただけに、感得できたことのようだ。
 僕の父は、老後が即余生だった。一言で言えば、一人で居るときに熱中できるものがなく、こういう人は早く老いて早く死ぬ。好きなテレビ番組を観ていても、ドラマの途中で眠っているというように早くからなっていたし。他方母の方は、同じ職業人を通しながら、退職後を一言で言えば文化活動に費やした。その内容は、身体のケアと、三味線、俳句である。身体のケアは体操グループを作り、日常では一日八〇〇〇歩が目標。三味線は師匠について八〇歳直前まで発表会に出ていたし、俳句はよくNHKで入選した。

 さて、この父母を基準として僕が属する三グループの人々を区分けしてみると、同じことに気付く。同人誌は僕以外は女性グループだし、高校同級生飲み会は逆に一人を除いては七人の男グループだった。そして、ギターのグループは男女ほぼ半々である、そこで観た男の文化度を中心に、ちょっと箇条書きしてみよう。
一、飲み会の男たちは一般に父に似ているが、父よりもやや文化度が高い。その内容は身体のケア志向が第一で、芸術も含めたいわゆる文化系はとても弱い。
二、ギターグループの男たちは、文武両道が多い。今の日本ではかなり珍しい男性集団と思うが、ギターという文化系の男が身体ケアにも熱心なことが興味深い。
三、さて、同人誌の女性たちだが、これも見事にバランスが取れていて、面白いのである。
 六五前後から八〇歳過ぎまでの同人誌女性のほとんどがこの三年ほどで順にパソコンを覚えた。文字入力だけの方もいらっしゃるが、一人を除いて全員である。七十代半ばのある女性がパソコンを買い込んで先陣を切ったのを機に、吾も吾もとばかりのことだった。そして、この先端女性こそ、作品冒頭のお方なのである。こういう女性群に較べると、高齢男性には「一念発起」ということが圧倒的に少ない。なぜかと訝っていたら、二つの事に思い至った。難しい言い方だがこうだ。一つは、文化系でしか扱えないものに対する感性の不足。今一つは、これの裏面として、目に見え手で触れるような物事にしか興味を持てないこと。要するに今後はオタクも増えるだろうというような、歪んだリアリズム。

(2017年3月発行の同人誌に初出)

 
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随筆 庭の桜を切るー終活   文科系

2021年04月13日 11時54分16秒 | 文芸作品
 晩年の両親の家に次男の僕が入って、三〇年。そこには母の好みの花木を中心とした一五〇㎡ほどの庭がある。現役の時はもちろん母親に、母親が亡くなってからも連れ合いに任せっきりで、僕の出番は大きな木を切るなどの力仕事の時だけ。が、停年後は年々、庭に出て行く機会が増えている。そんな僕に十年ほど前から、ある悩みが生まれた。庭で一番大きなしだれ桜を切らねばならぬだろうというものだ。こんな名古屋の中心部に近い小さな庭にサクラって母もよく植えたものと人は言うだろうが、この家は築五七年、しかも僕がここに入ったころでさえ隣近所はもっとまばらで平家ばかり。僕の新家が無かった庭そのものもずっと広かった。それが今は高い家に四方を囲まれた猫の額にこの大木! 一重の素朴な白い花に心持ち灰色もかって、薄墨桜ってこんなだろうかと想像したりしてきたお気に入りであった。おまけに、僕はこの木を生き返らせた体験まで持っていた。母の「桜切るバカ」が過ぎて半分枯れかけ花もほとんど咲かなかったこの桜を、引っ越してきたばかりの僕が復活させたのである。腐った幹の空洞に樹木補強材を詰め、なぜか土の上に出てきた太い根っこには土をかぶせて、肥料もいっぱいやって。そんな手当の甲斐あって、年々花も増え、深く重なった花の塊はいっそう薄墨桜の趣を見せてくれた。

 さて、「四方を囲まれた猫の額のこの大木」を切ろうと決められたのは、僕の終活の一つと決めたからである。そう決めたからこそ、こんな辛い仕事を自分自身でやり切ることができたのだ。これを遺されたこどもらは一体どう処理できるのか。クレーンだとかなんだとかお金もさぞかかるだろう。僕ならば・・・と思い立った。自分が木に登って、大きな枝の先の方から切っていった。太い枝を上から順に切り落とす時はロープを縛り付けておいてやがて少しずつ下ろしていく。最後に残った幹を切る時も運べる重さを見計らって上から順にという運びだ。これら全てをチェーンソーも工面せずにあえて普通の鋸でやった。「俺も後から逝くのだからな。それに、今を逃がすともう俺の手ではできなくなるのだから」とつぶやきながら、涙も出てきた作業になった。

 さて、この桜がなくなって五年になるのだが、その西隣にあった一株から五本立ちのキンモクセイがみるみる内に伸びてきた。成長が遅いはずのこの木が今はもう桜に負けないような高さにまで伸びている。この固い葉っぱがあまりに繁るからというわけでその五本の内二本を去年までの二年で順に間引いてきたのだが、そこにある日、驚きの光景を目にすることになった。今年四年生になったばかりの女の孫ハーちゃんが、二本の切株に順に足を掛けて去年間引いた木のすき間をぬって、五mほどの高さにまでよじ登っていたのだ。五歳になる弟が僕を呼びに来たから分かったことだが、このセイちゃんまでが僕の目の前でするすると上っていったその光景! ちなみに、ハーちゃんは赤ちゃんの時からこの庭で育ったようなもの。だからこそ、ダンゴ虫はもちろん、ミミズでも平気でつまめる子に育っている。その彼女が、僕と庭を観ている最近こうつぶやいたことがあるのをすぐに思いだしたものだ。「あそこの木の間の石が並べてある回り道、よくくぐっていったよねー・・・、セイちゃんにもいー思いで作って上げてよ!」。そう、セイちゃんにもそれができたに違いない。幼いハーちゃんが春にくぐった桜とキンモクセイの間を通る道の、その真上に二人が今上っている。

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