九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

掌編小説  日本精神エレジー  文科系

2021年04月27日 09時49分05秒 | 文芸作品

この小説は何度目かの掲載ですが、また載せます。

 
「貴方、またー? 伊都国から邪馬台国への道筋だとか、倭の五王だとか・・・」
 連れ合いのこんな苦情も聞き流して、定年退職後五年ほどの彼、大和朝廷の淵源調べに余念がない。目下の大変な趣味なのだ。梅の花びらが風に流れてくる、広縁の日だまりの中で、いっぱいに資料を広げている真っ最中。
「そんな暇があったら、買い物ぐらいしてきてよ。外食ばっかりするくせにそんなことばっかりやってて」
「まぁそう言うな。俺やお前のルーツ探しなんだよ。農耕民族らしくもうちょっとおっとり構えて、和を持って尊しとなすというようにお願いしたいもんだな」

 この男性の趣味、一寸前まではもう少し下った時代が対象だった。源氏系統の家系図調べに血道を上げていたのだ。初老期に入った男などがよくやるいわゆる先祖調べというやつである。そんな頃のある時には、夫婦でこんな会話が交わされていたものだった。
男「 源氏は質実剛健でいい。平氏はどうもなよなよしていて、いかん」
対してつれあいさん、「質実剛健って、粗野とも言えるでしょう。なよなよしてるって、私たちと違って繊細で上品ということかも知れない。一郎のが貴方よりはるかに清潔だから、貴方も清潔にしてないと、孫に嫌われるわよ」
 こんな夫に業を煮やした奥さん、ある日、下調べを首尾良く終えて、一計を案じた。
「一郎の奥さんの家系を教えてもらったんだけど、どうも平氏らしいわよ」
男「いやいやDNAは男で伝わるから、全く問題はない。『世界にも得難い天皇制』は男で繋がっとるんだ。何にも知らん奴だな」
妻「どうせ先祖のあっちこっちで、源氏も平氏もごちゃごちゃになったに決まってるわよ。孫たちには男性の一郎のが大事だってことにも、昔みたいにはならないしさ」
 こんな日、一応の反論を男は試みてはみたものの、彼の『研究』がいつしか大和朝廷関連へと移って行ったという出来事があったのだった。

 広縁に桜の花びらが流れてくるころのある日曜日、この夫婦の会話はこんな風に変わった。
「馬鹿ねー、南方系でも、北方系でも、どうせ先祖は同じだわよ」
「お前こそ、馬鹿言え。ポリネシアとモンゴルは全く違うぞ。小錦と朝青龍のようなもんだ。小錦のがおっとりしとるかな。朝青龍はやっぱり騎馬民族だな。ちょっと猛々しい所がある。やっぱり、伝統と習慣というやつなんだな」
「おっとりしたモンゴルさんも、ポリネシアさんで猛々しい方もいらっしゃるでしょう。猛々しいとか、おっとりしたとかが何を指すのかも難しいし、きちんと定義してもそれと違う面も一緒に持ってるという人もいっぱいいるわよ。二重人格なんてのもあるしさ」
 ところでこの日は仲裁者がいた。長男の一郎である。読んでいた新聞を脇にずらして、おだやかに口を挟む。
一郎「母さんが正しいと思うな。そもそもなんで、南方、北方と分けた時点から始めるの」
男「自分にどんな『伝統や習慣』が植え付けられているかはやっぱり大事だろう。自分探しというやつだ」
一郎「世界の現世人類すべての先祖は、同じアフリカの一人の女性だという学説が有力みたいだよ。ミトコンドリアDNAの分析なんだけど、仮にイブという名前をつけておくと、このイブさんは二十万年から十二万年ほど前にサハラ以南の東アフリカで生まれた人らしい。まーアダムのお相手イヴとかイザナギの奥さんイザナミみたいなもんかな。自分探しやるなら、そこぐらいから初めて欲しいな」
男「えーっつ、たった一人の女? そのイブ・・、さんって、一体どんな人だったのかね?」
一郎「二本脚で歩いて、手を使ってみんなで一緒に働いてて、そこから言語を持つことができて、ちょっと心のようなものがあったと、まぁそんなところかな」
男、「心のようなもんってどんなもんよ?」
一郎「昔のことをちょっと思い出して、ぼんやりとかも知れないけどそれを振り返ることができて、それを将来に生かすのね。ネアンデルタール人とは別種だけど、生きていた時代が重なっているネアンデルタール人のように、仲間が死んだら悲しくって、葬式もやったかも知れない。家族愛もあっただろうね。右手が子どもほどに萎縮したままで四十歳まで生きたネアンデルタール人の化石もイラクから出たからね。こういう人が当時の平均年齢より長く生きられた。家族愛があったという証拠になるんだってさ」
妻「源氏だとか平氏だとか、農耕民族対狩猟民族だとか、南方系と北方系だとか、男はホントに自分の敵を探し出してきてはケンカするのが好きなんだから。イブさんが泣くわよホントに!」
男「そんな話は女が世間を知らんから言うことだ。『一歩家を出れば、男には七人の敵』、この厳しい国際情勢じゃ、誰が味方で誰が敵かをきちんと見極めんと、孫たちが生き残ってはいけんのだ。そもそも俺はなー、遺言を残すつもりで勉強しとるのに、女が横からごちゃごちゃ言うな。親心も分からん奴だ!」

 それから一ヶ月ほどたったある日曜日、一郎がふらりと訪ねてきた。いそいそと出された茶などを三人で啜りながら、意を決した感じで話を切り出す。二人っきりの兄妹のもう一方の話を始めた。
「ハナコに頼まれたんだけどさー、付き合ってる男性がいてさー、結婚したいんだって。大学時代の同級生なんだけど、ブラジルからの留学生だった人。どう思う?」
男「ブ、ブラジルっ!! 二世か三世かっ!?!」
一郎「いや、日系じゃないみたい」
男「そ、そんなのっつ、まったくだめだ、許せるはずがない!」
一郎「やっぱりねー。ハナコは諦めないと言ってたよ。絶縁ってことになるのかな」
妻「そんなこと言わずに、一度会ってみましょうよ。あちらの人にもいい人も多いにちがいないし」
男「アメリカから独立しとるとも言えんようなあんな国民、負け犬根性に決まっとる。留学生ならアメリカかぶれかも知れん。美意識も倫理観もこっちと合うわけがないっ!!」
妻「あっちは黒人とかインディオ系とかメスティーソとかいろいろいらっしゃるでしょう?どういう方?」
一郎「全くポルトガル系みたいだよ。すると父さんの嫌いな、白人、狩猟民族ということだし。やっぱり、まぁ難しいのかなぁ」
妻「私は本人さえ良い人なら、気にしないようにできると思うけど」
一郎「難しいもんだねぇ。二本脚で歩く人類は皆兄弟とは行かんもんかな。日本精神なんて、二本脚精神に宗旨替えすればいいんだよ。言いたくはないけど、天皇大好きもどうかと思ってたんだ」
男「馬鹿もんっ!!日本に生まれた恩恵だけ受けといて、勝手なことを言うな。天皇制否定もおかしい。神道への冒涜にもなるはずだ。マホメットを冒涜したデンマークの新聞は悪いに決まっとる!」
一郎「ドイツのウェルト紙だったかな『西洋では風刺が許されていて、冒涜する権利もある』と言った新聞。これは犯罪とはいえない道徳の問題と言ってるということね。ましてや税金使った一つの制度としての天皇制を否定するのは、誰にでも言えなきゃおかしいよ。国権の主権者が政治思想を表明するという自由の問題ね」
妻「私はその方にお会いしたいわ。今日の所はハナコにそう言っといて。会いもしないなんて、やっぱりイブさんが泣くわよねぇ」 
男「お前がそいつに会うことも、全く許さん! 全くどいつもこいつも、世界を知らんわ、親心が分からんわ、世の中一体どうなっとるんだ!!」
と、男は一升瓶を持ち出してコップになみなみと注ぐと、ぐいっと一杯一気に飲み干すのだった。


(当ブログ06年4月7日に初出。そのちょっと前に所属同人誌に載せたもの)
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随筆紹介 ある出会い     文科系

2021年04月27日 00時10分10秒 | Weblog

  ある出会い     H.Tさんの作品(僕の所属同人で最長老、九十歳半という方です)

 西日の射すバス停で時刻通りに来ないバスを、私はいらいらしながら待っていた。朝からクラス会の話で呼び出され、幹事も決まらず、立ち消えになり落ち込んだ帰りだった。その時おずおずと中年すぎの婦人が近寄ってきて、「お名前は忘れましたが、N団地にお住まいの方では・・・?」と。うなづく私に、
「失礼ですが、ずうっと以前に私お世話になったことがあります・・・覚えていて下さいませんか?」
「・・・・・」
「もうつぶれてしまいましたが、近くの市場で私、味噌と醤油屋をやっていました。そこでお目にかかりました」とゆっくりと話し出された。私は務めの帰りその市場でよく買い物をした。やっと一人暮らしにも慣れた頃。もう一世紀も前のことで、ショッピングという言葉もなく、今のように袋入りの味噌はなく、量り売り。醤油は小さな壜で売っていた。八百屋も、魚屋の店も並んでいた小さな市場。
 私は少しの味噌を買い、若い元気な夫婦が仲良く働いているのを見ながら帰ったものだ。

 その家族には六歳の女の子と四歳の男の子が居て、私を〝おばちゃん、おばちゃん〟と呼んでくれた。女の子には友達も居たが、男の子はひとりで店の奥で遊んでいた。私を見つけると、
「おばちゃんだー」と言って、市場の人にも「ぼくんちのおばちゃん」と話すようになった。その子が進(しん)くんと言って、店の出口の階段に座り、「カチカチ山」や「一寸法師」の話や歌を歌って、楽しんだ。
 五歳になったある日、
「おばちゃんちへいく」と言って、やって来た。
 二人で夕ご飯、風呂。そして、一緒に寝た。
 もう何年前になるだろう。
 やがて私は近くの集合住宅に住み、地下鉄も開通し、そして帰りは、駅近くのショッピング・センターを利用するようになった。市場は、いつの間にかそのセンターの品物置場になった。
 あの時の味噌・醤油屋は、威勢のいい魚屋はと思い出すことはあっても、自分のことだけで精一杯の毎日だった。

 話しかけたその人が、
「かわいがっていただいた進の母親です」と言われるまで全く思い出せなかった。
「私はよくあなたをお見かけしました。地下鉄の中で、ショッピングセンターでも、散歩しておられる時も・・・」
「どうして声をかけて・・・?!」とおどろく私に、
「私は昔とすっかり変わりました。娘は婚家先から出て、二人暮らしで子どもはありません。進は大阪で大学を出て働いていました。そして結婚しましたがすぐに別れて、職も換わったようで、時々電話しますがすぐ切ってしまいます。今何をしているか分かりません」
 私は涙でいっぱいの話に返事もできなかった。「主人は八年前に亡くなりました。六年間病み、あっちの病院、こちらの病院と換わり、貯えも全部使って逝きました」
「・・・・・」
「今は、台所だけがやっとのアパートにひとりで住んでいます。今日、進におばさんに会ったことを電話してやります」
 私は、あんなに精いっぱい働いていた人なのにと思っただけで、何も言えなかった。
 やがて、遅れたバスがやって来た。
「乗りませんか?」と言う私に、「近くですから・・・」と頭を下げて振り返り振り返り、歩いて行かれた。

〝年月は人を待たず〟と言うが、あんなに変わるものだろうか。
〈若い夫婦、笑顔いっぱいで働いていたあの頃は、経済大国、高度成長、豊かな日本。そういう言葉が乱れ飛んでいた時代だったのに・・・・〉
 私は、バスの中でそっとつぶやいていた。

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