九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

クリスマス停戦     楽石

2007年12月25日 15時52分46秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
随分前ですが、クリスマス停戦というコトバを
聞いた記憶があります。
ヨーロッパなど同じキリスト教の間ならではのことです。

いまやイスラム・ユダヤ・キリストなど異なった
宗教のあいだの戦争では、こんな休戦はありえないでしょうね。

戦争が一番、環境に悪いとか、そんなら
環境デーの休戦を提案することも可能かな?

パレスチナが今、一番、戦争の危険度が高いようです。
ハマスも経済封鎖がこたえているようです。
イスラエルとの間に武力衝突が起こる可能性が高くなっているかも。
彼らにとっては、環境?なに言ってんの?でしょうね。

  


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「岩国市新市庁舎建設を勝手に支援する会」の口座番号決定~「基地誘致交付金」に抗議する寄付募集開始!

2007年12月24日 21時47分37秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
「岩国市新市庁舎建設を勝手に支援する会」の口座番号が決定しました。旧郵便局(現ゆうちょ銀行)の振替口座【00130-9-583982】です。早速、「基地誘致交付金」に抗議する寄付の募集を開始します!一口350円で1000万人で35億円、この数字は岩国市が空母艦載機の岩国基地受け入れに反対しているため、国が支払を停止した市新市庁舎建設のための助成金と同じ額です。国は、この新市庁舎建設助成金を岩国市が米軍空中給油部隊を受け入れることを条件に3年間支払うことを約束していました。ところが、岩国市が、急発進しなければならないがゆえに爆音をたてる空母艦載機の岩国基地受け入れを拒否したところ、国は一方的に3年目の新市庁舎助成金35億円をカットしたのです。こんな横暴を許してよいのでしょうか。このまま黙って見逃したら、次は、私たちの故郷がターゲットにされるかもしれません。

 そこで、「岩国市新市庁舎建設を勝手に支援する会」を立ち上げ、ここに寄付していただいたお金はそのままそっくり岩国市に寄付することにしたのです。

        
 振込手続きは、郵便局の窓口かATMでお願いします。一口350円を送金する振込手数料は、窓口だと120円、ATMだと80円です。つまり、500円玉一個で、あなたの思いは届きます。

 国の横暴を許せない、基地をなくしたい、9条を守りたい、平和な国にしたい、そういう思いをぜひ具体的なアクションにしてください。一般論として市庁舎建設の是非論はあると思いますが、この際、巨悪に立ち向かうためには、この横暴を許せないという思いを結集することが重要だと思うのです。

 1000万人といえば、10の7乗、すなわち、10×10×10×10×10×10×10です。したがって、1人が10人にこの運動を広め、その10人がひとりにつき10人に広めていただけたら、それを6回繰り返すことで、6人がつながることで、35億円の寄付を実現することができるのです。

 できるだけ頻繁にhttp://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/1024e23b6593bae40d90381a6048177bのブログもしくはNews for the people in Japan(http://www.news-pj.net/)に、振込人の氏名が分からないような形で入金記録を公表したいと思っています。それによって透明性は確保できると思います。この件については、すでにいろいろなご意見を戴いていますが、透明性の問題も含め、もっとたくさんのご意見をいただきたいと思います。そのようなご意見を参考にしてこそ、この試みが広がると考えています。

 ホームページやブログを持っている方は、ぜひ、この試みについてご紹介下さい。職場や学校、地域でも、ぜひ、この運動について話してみて下さい。語学が得意な方はぜひ、この試みを翻訳して世界の人に知ってもらって下さい。

 
 複数口寄付される方、もちろん、大歓迎です。余裕のある方は、大人寄付をして下さい。ちなみに、振込料金は、払込み1件につき、窓口扱いの場合、払込金額3万円未満だと120円、3万円以上だと330円で、ATM扱いの場合、払込金額3万円未満だと80円、3万円以上だと290円です。

 民主主義を求める人、平和を求める人、隣人を愛する人、そういう方々の思いを結集して、国家の横暴に歯止めをかけましょう!
(なお、口座番号や加入者名にお間違えがないか、よくご確認くださいって自分で間違えてますが…)

【追記:振込用紙の応援メッセージと岩国市長のお礼とお願いは、http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/259aae33414fbe0a0b4ce1634c2ae61f】
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以前の投稿について    楽石

2007年12月24日 13時53分44秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
以前の保守系さんの投稿に始めて目を通したら
次のような部分がありました。

 あの戦陣に散った人達は無駄死にをしたのでしょうか?
 あるいは戦災や原爆にあった人達も無駄死にだったのでしょうか?

これについて、残念ながら議論が展開していませんでした。
吉永小百合さんの映画にも関わる問題かも知れません。

これについては、私はどう考えたらいいのか?
簡単には答えられないと思っています。

無駄死にではなかった。
無駄死にだった。

いや、そういう問題の出し方に問題があるのか?

どう考えたらいいのでしょうね?



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映画「母べえ」の公開に期待 へそ曲がり

2007年12月24日 13時11分36秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
◆ 映画「母(かあ)べえ」の新春公開に期待する。◆

 戦争に突き進む時代を背景に、国民弾圧の治安維持法下の庶民を描いた映画「母(かあ)べえ」が完成し、1月26日から公開されます。
 主役の「母べえ」こと野上佳代を演じるのは、34年ぶりに山田洋次監督の作品に帰ってきた吉永小百合さん。山田監督は、吉永さんがいなければ作れなかった作品だといいます。

◆原作◆

 原作は、黒澤 明監督作品のスクリプター(制作現場の記録係)を務めた野上照代さんの自伝的小説『父へのレクイエム』。
 野上さんは「映画を見て、父を尊敬しました。多くの人にあの時代を感じてほしい」と語っています。

◆あらすじ◆

 物語の舞台となる野上家は、互いを「父(とう)べえ」「母べえ」「初べえ」「照べえ」と愛称で呼び合うむつまじい家族。
 1940年、治安維持法違反で父べえが連行され、一家の団らんは突然に奪われます。父べえは平和を願うドイツ文学者。
 特高警察に縄をかけられた姿に、娘たちはショックを受けますが、母べえは、父べえの正しさを言って聞かせます。
 警察官である実父からは、夫に変節を薦める言われますが彼は間違っていないと突っぱね、親子は絶縁。
 母べえは、戦争反対の信念を曲げず拘置所で踏ん張る夫を尊敬し、周囲の圧力に抵抗します。

◆あの時代に戻らないように◆

 11日に開かれた完成記者会見では、吉永さんの実人生と母べえの生き方は、重なる部分があるのでは?との質問がでました。
 被爆二世を描いたテレビドラマ「夢千代日記」(1981年)への出演をきっかけに、吉永さんが原爆詩の朗読をライフワークにしてきたことは有名な話。平和を訴え続け、20年になります。
「自分の意見をきちんと言って、それで投獄されてしまうなんて悲しい。父べえと母べえのような時代に二度とならないよう、祈りながら演じました」と吉永さんは言います。

◆「反戦平和」がなぜ罪に・・・庶民の本音を温かく描く◆

 天皇は神様で、「臣民」には人権など無かった時代。しかし、土足で踏み込んできた特高を除き、野上家に出入りする人々に、「お国のため」との意識は希薄です。
 父べえ(坂東三津五郎)の妹・久子(壇れい)と、叔父・仙吉(笑福亭鶴瓶)。「華美な服装は慎みましょう。指輪は全廃しましょう」と訴える贅沢品撲滅運動に、「女性ががきれいになろうとしてなぜいけないんですか?」「指輪はわしの財産や!」と、堂々意見します。
 父べえの教え子で母べえと娘たちに慕われる心やさしい青年・山ちゃん(浅野忠信)。警察に呼び止められ「護国の鬼となって散華する覚悟です」と「正論」を開陳したあと、こっそり「よく言うよ」。
 平和な暮らしをそっと望んだ庶民の本音を、山田監督ならではの温かいユーモアで描きます。しかし、戦況が厳しさを増し、一人ひとりと、戦争の犠牲になってゆきます。

◆想像力磨き◆

 体が弱く徴兵を免れていた山ちゃんの元にもついに届いてしまった赤紙。もう会えないの?と問う母べえに「戦地に行くのだから、(死ぬ)覚悟はできています」「何が覚悟よ、偉そうに。なんで山ちゃんが、そんな覚悟をしなくちゃいけないの」。監督がせりふを8回書き変えた見せ場です。吉永さんにとっても、最も印象に残るシーンになったといいます。
「今も戦争はなくならず、イラクやアフガンで毎日死者が出ていますね。その人たちの人生や生活について、みんなが想像力を磨いて思いをはせれば、戦争はなくなるのではないか。そんなふうに考えながら映画を作りました」と山田監督。
 反戦平和、主権在民を唱えることが罪となった治安維持法をとらえた注目作です。
 
◆治安維持法◆

 国体の変革、私有財産制の否認を目的とした結社の組織、加入とその協議、宣伝、扇動、財政援助を禁じた結社禁止法。
 1925年制定、28年に最高刑を10年から死刑に変更。
 治安維持法によって数十万人の人々が弾圧されました。45年に廃止。
 
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薬害問題   楽石

2007年12月24日 09時40分31秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
厚生労働省の役人にやられっぱなしの福田さんに
自民党からマッタがかかった。

これじゃ選挙に勝てない!
議員立法で乗り切ろう。

寝耳に水のお役人。

   

福田さんは、お役人には弱いって思ったけれど、
それじゃ今時、総理は務まらないのですね。

お役人も選挙みたいなもので、○×をつけたいものです。
今年のお役人の通信簿みたいな企画を
新聞でやってくれないかな?
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沖縄の新たな怒り へそ曲がり

2007年12月23日 12時22分08秒 | 国内政治・経済・社会問題
「週刊金曜日」11月16日号の「 メディア・ウォッチング13〈拡大版〉」に琉球大学教授の高嶋伸欣氏が《本筋をはずれた県民大会批判》というタイトルで、9月29日の「沖縄県民大集会」についての一部雑誌や新聞の暴論を批判しています。対象は「週刊新潮」11月1日号・「WILL」12月号・「わしズム」24巻・「産経新聞」11月3日朝刊などです。

 沖縄ではまだ怒りの炎が燃えあがっている。これまでは主に政府文科省の不誠実で無責任なごまかしの対応に向けた怒りだった。昨今は、「産経」・「週刊新潮」などの保守系メディアや、一部文化人による県民侮蔑の言動への怒りが加わった。
 
 まず、9月29日の県民大集会の参加者は11万人どころか1万7千人か2万人だという暴論を、藤岡信勝氏が公にすると、一気に保守派論壇に広がった。9月30日の「琉球新聞」朝刊が2頁ぶち抜きで掲載した上空からの俯瞰写真を、熊本大生たちが1人1人数えたとか、警備会社のプロが分析したなどと、一見もっともらしい。
 しかし、しょせん全景写真ではないし、斜め写真では立っている人の間に地面に座っている人が多数混在しているのを判読できるはずがない。それに同写真が撮影された午後4時頃は、集会そのものが中盤だった。会場向けバスが起点で満員状態になり途中のバス停では乗れずに長い列ができるなど、予定より大幅に遅れて到着する人の波が、まだ続いていた。
 大会終了の午後4時45分を過ぎても、ようやく到着するという人が少なくなかった。これらのことは30日の地元紙紙面からも読みとれる。その程度の状況分析もしていない。この数値を出した側に公正さなど、微塵も感じられない。
 もともと藤岡信勝氏は、この15年間の言動において、主張をくるくると変え、未確認情報を断定的であるように撒き散らすとうことでは、札つきの人物だ。そのデマゴギーに付和雷同するかどうかで、われわれは新たな人物識別材料を入手できることになる。
 その点で何ともお粗末なのが「週刊新潮」だ。10月18日号で参加者数論争は「 朝日と産経の『ガキのケンカ』」と軽く切って捨て、それなりの見識を示した。ところが11月1日号では、「 本当は1万8179人だった/11万『沖縄県民大会』」と、むきになって暴論による沖縄叩きを展開している。こちらが同誌の本省らしく見えるが、まるで“二重人格”だ。

◆沖縄県警が集計結果を公表しなかったわけ◆

 ところで『産経』や『世界日報』がしきりに強調している沖縄県警独自の集計4万2千人参加についても、疑問視されている。内部情報などによれば、警察庁から事前に集会の規模予想を報告するように求められた県警は「約3万人」とし、その前提で警備計画も了承されていた。
 それが当日は、その報告数値を早々と突破された県警が、4万2千の段階で集計を止めたのだと関係者の間で語られている。事前報告の数値とあまり違ってしまっては警察庁から県警の情報収集能力を疑われる、あるいは叱責されるからだという。
 その失態をごまかす意味もあって、県警は集計結果を公表せず、発表すると大会主催者から抗議される恐れがあると、漏らしている。
 いずれにしても、県警集計の4万2千人は精々中間集計であって11万人と同列には論じられない。
 ちなみに、この県警未公表数値を「WILL」07年12月号誌上で中村粲氏は「警察の発表」としている。これだけ未発表だある意味が話題にされているのに平気で誤った内容で他者を批判するようでは、中村氏に説得力などない。それにこの主張を掲載した同誌編集長花田紀凱氏の責任は重い。
 もともと同誌の場合は他者を攻撃する特集を1つの個性にしているものの、内容に事実誤認が少なくない。その点で総会屋雑誌と同類とも思われているのだから、いまさら驚くことではない。

◆県民愚弄の「WILL」◆
 しかし、その「WILL」でもこの12月号の県民大会バッシングは、常軌を逸している。
 たとえば、渡部昇一氏は参加者数問題をくどくどと「朝日新聞」叩きにすり替えた後に、突如として沖縄戦で犠牲になったのは、沖縄県民だけではないと主張する。
「沖縄の住民の死傷者は全部合わせても、東京大空襲の一夜の爆撃にも及ばない」「ですから本土は無事で沖縄だけが戦場だった」「かのような誤解を生んでいるのです。」
 誰がそのような誤解をしているのか。沖縄側が強調しているのは被害者の数ではなく、日本軍が住民を殺害し、「集団自決」に追い込んだことだ。「広島」「長崎」とはこの点で、決定的に異なっている。
 加えて渡部氏は資源もない沖縄が「豊かであり得たはずがありません。ですから『基地問題』で騒げば必ずカネが出るということを学び」「卑しくなっている」と言う。
 さらに、同誌上でケーブルTV『日本文化チャンネル桜』の水島 総社長は、太田海軍中将による「沖縄県民、かく戦えり」の有名な訣別電報を引用して、軍民一致協力して米軍の猛攻と戦ったと強調と、、県民は「戦争被害者などでは無く、誇り高い日本国民として戦ったのである」という。
 そして、「その名誉ある沖縄県民の子孫が、今、被害者として、反戦平和を叫ぶ偽善者として、先祖を裏切り、援助金を求める醜悪な姿を、全国民の前に晒しているのである」とし、少しは「恥ずかしいと思っていただきたい」とする。
 ここまで県民全体を愚弄されて黙っている程、われわれは腰抜けではない。反論権の行使や名誉棄損への対応など、あらゆる法、手段を講じるつもりだ。
 それにこれは、沖縄県民だけの問題ではない。こうした誹謗中傷を傍観するのであれば「本土」の人々も責任を問われる。特に言論の自由の程度を超えたこの暴論を放置するのであれば、ジャーナリズムは自浄力がないに等しい。

◆ヤクザ顔負け小林流暴論◆
 『WILL』12月号程の露骨さではないものの、同様に極めて悪質なキャンペーンが、小林よしのり氏の『わしズム』第24巻(11月1日発売)で展開されている。
 テーマは「 全体主義の島『沖縄』」だという。その内容は、前出の水島氏のそれと大差ない。特攻隊や女子学徒隊など純真な若者たちを中心とした尊い犠牲を尊崇することなく騒ぎ立てる沖縄は、歪んだ全体主義社会なのだという。
 かって小林氏はその著書『沖縄論』(小学館)で、米軍支配に抵抗し続けた瀬長亀次郎氏を英雄として描き、多くの若者たちを引きつけた。しかしその瀬長氏の抵抗は「愛国心」の発露だとして馬脚を現してしまった。人権獲得の信念を「愛国心」にすり替えるのは鷺をカラスと言うのに等しい。
 今回もそうした詐術が通用するはずがない。県民大会がどれだけ多様な人々の結集によっていたのか。それぞれ個々主張、見解の差異を認識しながら、不当な検定意見撤回と記述復活の点で一致した集会だった。それに至るまでの過程でどれだけ協議を重ねたか。命令一下直ちに人々が集合したのではない。
 ヤクザ顔負けの小林流暴論にわれわれはひるまない。もっともらしいイラストでイメージづけし、一方的解釈のコメントで批判力を持たせない小林流デマゴギーがどこまで通用するか。その限界を思い知るだろう。
 同『わしズム』誌上で小林氏に同調しいる人々は、前出の渡部氏や水島氏と大差ない小林氏の主張に、どこまで付いていく気なのか。是非見解を公表してほしい。
 ところで『産経』は、これらの動きに便乗し、まだ『朝日』叩きをくり返している。11月3日の同紙コラムで、石川水穂記者(論説委員)は大阪の「大江・岩波裁判」の原告側主張に即して『朝日』『沖縄タイムス』の「両紙に誤報を訂正する良心があるのなら、57年前の記述についても、きちんと検証すべきである」とした。
 だがそう言う石川記者自身、2000年8月2日に『朝日』『毎日』を批判した署名記事で教科書検定の際、「教科書検定をつける」のは「教科書調査官」だとする誤った説明をしている。その誤りを我々は当時からくり返し指摘しているが、同記者と『産経』は現在まで訂正していない。記者としての「良心」のない者に他者を批判する資格はない。まして「良心」云々など厚顔無恥の限りだ。このような論説委員がいるのでは『産経』の若手記者が気の毒だ。『産経』こそ全体主義化してないだろうか。
 
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NHK短歌より   楽石

2007年12月23日 11時36分57秒 | 文芸作品
今朝の投稿歌のなかにあったものです。

  またひとり未来をおしむ人が来て核廃絶の署名をして行く
 
沖縄県の西平さんという方の歌。
(書き写すのが遅れたので、ちょっと違っているかも)

選者も言っていましたが、「未来を惜しむ」という表現が新鮮でした。

   

まもるさんも、シール投票などをしていらっしゃいますが、
未来を惜しんでのことでしょうね。



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日本サッカーに衝撃 急発展の予感   文科系

2007年12月23日 11時02分14秒 | スポーツ
皆さん昨日の天皇杯サッカー、鹿島・ホンダFC戦をごらんになられたろうか。物凄いゲーム! 噂に聞いていたこのホンダ、僕にはちょっとない衝撃だった。まず、噂の訳を確認しよう。

「3部リーグ」5位のアマチュアがJ3チームを破る

ホンダFCはアマチュアであり、選手全員が毎日、仕事もしている。今期は、J2の下のJFLで5位のチームでしかない。 僕は失礼ながら、このチームのゲームなど観たこともない。そんなチームがこの天皇杯になって、まず東京ベルディ、次が柏、そして名古屋グランパスと、次々とJプロ・チームを破ってきた。グランパスなどは0対2で負けている。天皇杯とJリーグ、いや日本サッカー界に大きな衝撃が走っていたのだ。
昨日のゲーム、延長戦に入り、その後半5分ほどに途中出場の鹿島・柳沢がやっと1点を入れた。退場者を出して既に30分近くを10人で互角に戦っていたホンダを相手に、アップアップの得点だった。観終わって、この衝撃の内容を僕は理解した積もりだ。スポーツの世界でも良くあることだが、「一つのチームが化けた」のであろう。難しく言うと、巨大な「質的変化」である。この「変化」、来年の日本サッカー界全体を大きく変える予感がする。それぐらいの衝撃だった。一体、何が起こったのか。今日は、その次第、内容を書いてみたい。

遅く見えた鹿島 ホンダ戦の分析

①とにかくこのチーム、走ること! そして、速い速い。敵味方2人でボールを競り合うときなど、出足も球際でも鹿島の選手がのろく見えるのである。まるで、ダッシュ力のある選手ばかりを集めたきたと、そんな感じ。この走力、1人少なくなった最後30分も含めて、1人多い鹿島を圧倒していたから、物凄い体力でもある。これは、長期間かけて鍛えないとできないことなのだ。
②次に、その走力が「組織的」に使われている。久しぶりに鹿島をJリーグで優勝させた名監督にこんな安堵のため息をつかせたのだから間違いのないところだ。「格下とは思っていなかった。相手は組織的だった。柳沢はクレバー。すばらしいプレーをしてくれた」(朝日新聞)
③攻撃の組織性はこうだ。ワンタッチ、ツータッチで素早く、簡単に前の味方にボールを預けながら、とても速く攻める。2人、3人が猛然と「良いスペース」に走りこんでいかなければ、不可能なことである。そして、ジャパンが最近になってやっとできるようになったことまで、「できるだけ多数でゴール前へ詰め、連動する」、このことまでをやって見せるのである。
④守備の組織性はこうだ。DFの最終ラインを高く押しあげて、相手ボールをすぐに囲い込む。それも、走力を生かした全員守備である。味方DF陣の前に来た敵ボールを、戻ったFWが奪うという場面も度々で、千葉のFW巻のこの長所からFW全員が学んでいるのだろうと、僕は感じたものだ。ゴール前の守備では、スライディングなどが多くて、激しくて、強いのも特徴。誰かが「相手に当たっていく」のである。鹿島FWマルキーニョスや田代が簡単にボールを取られていて、驚いた。

これは、オシムサッカーの「典型」

さて、分かる方には分かるように、これはオシムサッカーである。「日本人の勤勉に走力を加味して、組織的に連動しあい『人もボールも動くサッカー』」、「それをゴール奪取の方法にもする」と。これにさらに、スピード、ダッシュ力が付け加わっているのだから、強いはずだ。どういう監督か知らないが、オシムサッカーをよく学び理解して、スピードのある選手を集めてオシムをせっせと写してきたに違いない。それが次第に開花して、グランパス戦辺りからJリーグ列強以上のチームに化けた。そんなふうに僕は理解した。

日本サッカーが変わる

さて、このチームが日本サッカー界に与える影響は甚大だと思う。僕が、ベルディやレイソルやグランパスやアントラーズの監督だったら、必ずこう考える。
《 決してJリーグ並みの才能はなかったはずのアマチュア選手たちで、どうして「急に」あんなに強いチームを作れたのだろうか。その分析ができ、その「組織的長所」でウチを手直しできるならば、ウチももっともっと強くなれる。必要があるならば、「あーいう選手」に一部を切り替えることも検討しよう。これは、中長期計画でもやってみる価値はあるぞ 》 
どの国でも、衝撃的チームが現れると、その国のサッカーが変わっていく。ポルトガル人の名監督モウリーニョを入れたイングランドのチェルシーが爆発して他の3強を刺激し、クラブサッカーとしてはイングランドがいまや世界最強になったようなものだ。
こうして、来年のJリーグには、激変の予感が生じた。オシムサッカーの『日本人との相性』を、ホンダFCの闘いの分析によって取り入れ直したチームが、急に伸びていくと思う。浦和、ガンバ、鹿島、川崎、清水、どの列強も、すぐに「古い名前」になりうるだろう。そんな「今」が来たのだと思う。これは、オシムの功績なのだが。
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撤退する前に立証を へそ曲がり

2007年12月22日 11時59分31秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
「保守系」さんがしきりにご推薦の「週刊新潮」12月20号を手に入れました。12月6日に九段会館で行われた「参戦勇士の語る『南京事件』の真実」という会ですね。
“兵士9人が見た”とのタイトルが出ていますが実際には6人(うち2人は文書発言)になっています。
 一方、同じような記事が「WILL」の12月号・緊急増刊にも出ています。こちらは「生き残り参戦勇士が語る『南京事件』の真実」となっており、9人全員の発言になっています。氏名も全く同じです。
 内容がすごく違っているので、同じ取材記事だろうかと思ってしまいますが、どちらも“自分たちはそこにいなかった・遭遇しなかった。したがって事件はなかった。”という言い方になっています。
 
 そこで撤退前の「保守系」さんに立証してほしいことが3点あります。

① 兵士9人は当時、南京のどの地域にいたのか。名前だけでなく、出来れば「図」で示して欲しい。

②「週刊新潮」の記事の終わりに防衛研究所客員研究員の「原 剛」氏が“証言者が属していた部隊以外にも部隊はあったので、これをもって‘虐殺はなかった’というのは無理がある。一部をもって全体を語ってしまっています」と言っておられますね。さらに氏は、捕虜を中心に2万人程度の虐殺はあっただろう、と語っています。
 そうなると、あなたの言う「事件はなかった」という持論との間に矛盾が発生しますね。この整合性をどうするかを明確に述べる責任があります。きちんと答えて下さい。

③「WILL」の12月号・緊急増刊の該当ページ内には南京市民との平和的な交歓風景の写真が出ています。
 ・街頭で床屋が営業している。
 ・南京の防空壕から出てきた女性たち(12月14日)
 ・水餃子の店・日本兵のお客第1号のようだ(12月15日)
 ・お菓子をもらって大喜び(12月21日)        などなど
 ところがこれらを見ても、この写真が南京であるとか、まちがいなくこの日付であるという根拠が見つからないのですよ。違った日の違った町の風景をはめ込むことができますからね。

「事件はなかった」と確信を持っているあなたのことだから、必ずや立証出来ることでしょう。もし出来なければ、「嘘の塊」のようなガセネタ本など推奨しないこと。


ついでにこんな話を紹介しましょう。同じようなところにいて、どうしてこんなに体験が違うのでしょうか。 
 
 元内閣官房長官・自民党幹事長「野中 広務」氏の体験談です。雑誌「世界」1月号(岩波書店)に掲載されていたものです。

◆南京で立ちすくんだ後援会員◆

 私は南京には、最初は1971年、次が1981年、次が1996年と3回行きました。
 最初に南京を訪れた時のことです。当時、京都府会議員をしていた私は、200人ほどの後援会員とともに上海・蘇州・南京への旅行を行いました。
 まだ中国との国交回復前のことで、まだまだ、かっての戦争の傷跡が残っておりました。欝蒼とした樹木の中を自転車だけが走っているという光景でした。
 同行した後援会員の中には、戦争に従軍した体験を持った方が何人かいらっしゃいました。
 ちょうど南京市に入り、南京城壁にさしかかった時、そのうちの1人が突然うずくまって、体をガタガタ震わせはじめたのです。しまいには、土の上に倒れて体を震わせて動かないのです。私はびっくりして、看護婦に強心剤を打たせました。数10分が経過してからようやく落ち着きました。
「どうしたんだ」と聞きました。すると彼は「私は戦争の時、京都の福知山20連隊の一員として南京攻略に参加し、まさにここにいたのです。いま南京に来て、当時を思い起こし、地の底に足を引きずり込まれるような状態になり、体が震えてきたのです」と話し、当時の体験を話してくれたのです。
 
◆女や子どもまで焼き殺した◆

「南京の城内に入った時、土嚢が積まれた家がありました。扉を開けて中を見ると、女性と子どもがいるばかりだったので、わたしは上官に『ここは女、子どもばかりです』と言って扉を閉めようとしたのですが、上官が『何を言っておるのだ、その中に便衣兵いるのだ、例外なしに殺せ、容赦するな』と言って命令を下し、私たちはみんな目をつぶって、火をつけてこの人たちを殺してしまった。戦争の中で一番嫌な体験です。
 戦争から帰って来てもずっ心に消えないまま残っていて、私の夢に現れてきます。今日この地に来て私はまた30年程前の話を思い出して、本当に恐ろしくなったのです」
と話したのです。


 戦争の記憶が風化する中で、「南京で虐殺などなかった、これは捏造されたものだ」という評論家もいます。
 私も事件当時、まだ子どもでした。南京が陥落したとき、提灯行列に喜んで参加しました。松井石根大将が南京に入場する姿を写真で見ました。今も鮮明に覚えています。
 私が村山内閣の自治大臣・国家公安委員長を拝命いたしました時、地元でお祝いの提灯行列をすると言ってくれましたが、その時あの南京攻略戦で提灯行列に参加したときの思い出が脳裏に浮かびました。それで「やめてくれ」と地元のみなさんの好意を断ったのでした。


さて、保守系さん、今度は私の提案です。笠原十九司氏の書かれた「南京事件論争史」(平凡社新書 840円+税別)を手に入れて下さい。急いでですよ。その中のP20~44)を読んでください。『南京事件を知っていた政府・軍部指導者』というところです。
 ここを読んで詳しく反論して下さい。「平凡社」は左翼出版社だから読まないなんて言わないこと、“事件はなかったと思う”なんて【思い込み】の方法はとらないこと、関係ないことは書かないことです。お待ちしています。では・・・・・。
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中日新聞を読んで   楽石

2007年12月22日 10時31分35秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
まず、中日新聞の特集記事。
薬害肝炎の和解が決裂した背景を取材したもの。
厚生労働省からは福田総理に
「薬害被害者の救済だけで、2兆円かかる」と
説明したという。
これにビックリした総理は政治決断を回避したらしい。

弁護団によれば、この数字の根拠はあいまいとのこと。

記事の最後はこんなコトバで、結ばれている。
「責任を認めなければ反省は生れない。
反省がなければ薬害は繰り返される」と。

そこでまず頭に浮かんだのは、銃乱射事件。
事前に近所の人が危険を通報していたのに
有効な手を打たなかった警察。
この問題は、事件報道の影にまわってしまったけれど
責任という観点でみれば、事件そのものと同じくらい
大きなニュースバリューがある。

さらに飛躍すれば、戦争責任の問題にも通じる。

責任を認めなければ反省は生れない。

とても良い記事です。

福田さんは、やはり官僚の手のひらからは出られない
政治家ですね。あまり長くないな。


    

もうひとつは、沖縄の集団自決問題。
教科書検定審議会が再提出された教科書に
「強制」という明記した記述を認めなかったという記事。

第二社会面?にNHKの会長問題と並んでいるが、
新聞として、この扱いで良いのか?
疑問が残る編集紙面です。








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岩国市の問題    楽石

2007年12月22日 10時12分10秒 | 国内政治・経済・社会問題
岩国市に対して国が補助金を出そうとしない問題。
その法的な根拠について質問したところ、
大西さんから、弁護士さんに訊ねた結果が来ましたので、
報告します。

  中止の法的根拠ですが、ないに近いと思われます。
  ただし、地方自治> 体が国を訴えた場合、門前払い判決となっているため、
  なかなか、思い切った行動に出ることは難しいと思います。

とのことでした。
国は法のもとにあるべきなのに、どうも裁量権とかいって
気ままに権力を振り回していますね。

憲法が国をしばっているのに、憲法の番人がね・・・


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岡田監督の動向から(4)  文科系  

2007年12月22日 08時55分17秒 | スポーツ
「南アワールドカップにおいてこのチームで、世界を驚かそう! 日韓ワールドカップで韓国が世界4位になったのだから、それ以上を実現して!!」
岡田武史監督が選手との初顔合わせで語った言葉だ。いろんな解釈がありえようが、僕は本気に受け取った。また、本気と受け取ることは十分に可能だとも認識している。今日は、その内容を書いてみたい。

日本の「サッカー解説者」と称する人々は余りにも「外国崇拝」に陥っていると思う。また、スポーツ解説者人種って、「そのスポーツ要素を全体として見ることができて」かつ「根本も抑えている」という話を案外語れないものだとも思う。「名選手必ずしも名監督ならず」ということわざもあるし、「できることと表現力とは別」という事実もある。そのスポーツ全体を見て、それを表現するって、そういう勉強やインテリジェンスが必要なのである。解説者の話や、もちろん僕の話も、そのままには信用されぬほうが良い。
現在世界ナンバーワン実力者監督、英クラブ・チェルシーの前監督モウリーニョや、ご存知のトルシエなど、若いうちから選手を諦めて監督を目指した人も多い。草サッカーしかやったことがない名監督もサッカー界には多いはずだ。それだけの人材が集まっているということである。余談だが、野球、相撲も含めて「閉じた世界には、閉じた人材」と、僕は思う。だからこそ、あのナベツネに牛耳られて、改革が何も進まないという面があるのだとも思う。

さて、岡田監督の言葉だ。
①日本は現在、世界33位の国、ヨーロッパと米大陸の国を除くならばナンバーワンだ。
②古豪国では、代表よりもクラブの方が大事であり、例えば、現在世界最強クラブがひしめいているイギリスの国代表は強くない。クラブに外国人も多く、自国選手を育てる余裕もないほどなのだ。対する日本や韓国は、国全体が代表を盛り立てる習慣がある。
③先の浦和・ミラン戦を皆さん、どう思われたろうか? 決勝のミラン・ボカ戦と比較された方もいらっしゃるだろう。僕はカカとインザキを除いたら、3チームの点は同じようになったと思う。世界40位ぐらいの差なんて、そんなものだ。そこでの差別化要因は何か、それがサッカー界最大の問題なのである。
④「それは、前衛の方の個人の力だ」と語る人が多い。カカのような選手を待望するわけだ。ただしこれは、現代日本人には難しい。そこで、オシムは好きな日本人を分析して考えた。
⑤「組織的連動と勤勉で『人もボールも速く動くサッカー』」を。これは、「日本人的に点を取る方法」にもなりうるものだが、なかなか点には結実しなかった。それがアジアカップまでの段階である。
⑥アジアカップ以降のオシム最後の2ゲームは画期的であった。世界20位のスイスを含めて4点ずつ取ったのである。何が起こったのか?(この点は10月26日当ブログ拙稿を参照)
⑦賢い岡田武史(12月1日「心配性」さんの投稿への拙コメント参照)は以上①~⑥をちゃんと見て、しっかり分析もしている。それが就任時の以下の言葉である。
「オシムジャパンは『過渡期』にあったと理解している」
事実最初の合宿で岡田がやったことは以上すべてに合致している。守備は殆ど見ないで、攻撃ばかりを見ていたというのだ。「守備的な人」と言われたあの岡田がである。

カカや全盛期ロナウジーニョのような選手は稀有である。しかしながら、「組織的連動と勤勉で『人もボールも速く動くサッカー』」を「ゴール前でも演じて点を取る」これは、日本人だからこそその世界最先端を可能とするやり方なのだと思う。

オシムと同様に賢くて、オシムと同様にサッカーが好きな好きな岡ちゃん。公約のように、南アワールドカップで世界を驚かせてくれ!
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楽石さんへ へそ曲がり    

2007年12月21日 14時30分17秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
「楽石」さんへ

「南京論争」?についてのご指摘、ありがとうございました。入院中のため、すぐに返事が出来なかったことをお詫びします。

◆1 論点が深まっていないことについて

 いま「笠原十九司」さんの新刊図書「南京事件論争史」(平凡社新書)を読みつつあります。そのP244~P266にかけて「南京大虐殺否定派のトリック」という箇所があり、「保守系」氏が多く持ち出す「東中野修道」氏らの手口がいくつか紹介されています。ここを読んでいると両者の論点が深まるようすがないことがはっきりします。
 詳細についてはこれまでにあなたや「文科系」さん・「千里眼」さんなどが批判してきたこととぴたり一致します。“噛み合わない”のでなく“噛み合わせようとしない”といったほうが正しいかと思います。
 どちらかが引かない限り無駄でしょう。私ももともと彼に妥協しようとは思っていません。そんな歴史を改竄するような真似などしたくありません。

◆2 外務省のホームページについて

 上記、笠原さんの本のP13にも3項目にわたってその文が紹介されています。私も直接外務省のホームページを見てはいませんが、他のところで見たものを紹介したまでです。

◆3「サンフランシスコ条約」での“事件を受け入れたのは「裁判」か、「判決」か”について

 以前にも紹介した「白砂青松」氏のブログでもこれを取り上げています。ここでは否定派の「渡部昇一」氏を批判して、両者を対立的に捉えるのではなく統一的に捉えるよう主張されているように思います。すごく長い文ですが、ご希望があれば投稿してもよいかと思っています。
 たしか「judgment」をどう解釈するかという点に焦点が合わせられていたかと思います。
 ところで、ここでは「渡部昇一」氏と「保守系」氏の解釈が180度違っています。同じ否定派でも受け止め方があべこべとというのが面白いです。但し、対立的に捉えているというところは同じです。

◆4「保守系」氏のコメントについて

 笠原さんも指摘していますが、例によって、【すり替える・思い込み・蒸し返し・都合の悪いところは隠す】などなどのオンパレードになっています。否定派の特徴が見事に出ています。
 すべて、これまでに論破された内容になっているので、いちいち返答しません。
 2つだけ例を挙げましょう。
 ひとつはインドネシア問題というか「南方作戦」問題です。アジアの解放では全くないにもかかわらず、相変わらず「正義の戦争」などと言っています。しかも、これまでの批判に一言も返答ができないにもかかわらずです。
「日中戦争」を「シナ事変」と呼べなどと言っていますすが、これもすでに歴史的には決着がついている問題です。後ろめたいことがあるために「宣戦布告」が出来なかったことを当時の指導層の上層部が白状しています。
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二つの武器だけで自公政権を潰せる 文科系

2007年12月21日 00時18分33秒 | 国内政治・経済・社会問題
表題のことを僕は今、あちらこちらに書きまわっています。
一つは、来3~4月に期限切れになる「道路特定財源・暫定税率」の問題。テロ特措法と同じように、参院野党過半数で「来3月の暫定継続」を否決できるんです。すると後で述べるようにテロ特措法の何倍も世の中が大騒ぎになりますから、何よりも事の重大性や自公政権の悪辣性が、白日の下に曝されます。幸い民主党税調幹部も正しくもこう語り、税調として「撤退か引き下げ」の方針を決めたことですし。「国家の骨格を大転換させるチャンスだ」(毎日新聞19日朝刊)。事の重大性や今後の推移予想などを後述します。

NHK経営委員会長の暴挙

もう一つは、このブログに3回も投稿された問題。これも来1月に任期が切れるNHK会長の後任選出を進めているNHK経営委員会の「醜い出来事の内部告発」のことです。次期総選挙に向けて、自公政権の意を体していることが明きらかな古森委員長が「12人の委員全員一致でNHK外部から後任を選ぶことに決定した」と発表した後、この発表に対して2人の内部告発・抗議者が出た問題です。「12人のうち2人は『内部昇格』、あとの2人は保留だったはず。どうして全員一致と述べたのか」との抗議表明でした。会長選出には12委員中9名以上の賛成が必要ということもあって、これは大事件です。しかも総選挙絡みの大事件なのです。古森委員長とは、先の参院選挙の後でこういう発言をしでかして、大物議をかもした不見識な人物ですから。
「選挙期間中の放送については、歴史ものなど微妙な政治問題に結びつく可能性があるため、いつも以上にご注意願いたい」
こうして、古森委員長のこういう一連の強権的行動が、自公政権の「総選挙向け大戦略」の「NHK版」であることは明白だと思います。そういう横暴な強権発揮の醜い結果に対して、総選挙で勝ちたいはずの民主が手をこまねいているのは愚かなこと、内情暴露、告発などあらゆる手を尽くして事を荒立ててほしいものです。報道の自由、民主化の大儀のためになります。またこの闘いに勝てば、NHKが少しは国民の方を振り向くことにもなるでしょうから。

「道路特定財源・暫定税率」問題

以下は19日毎日新聞の要約のようなものです。他の新聞では、なぜかまだ問題になっていないと思います。
来3~4月に道路特定財源の暫定税率の期限が切れます。仮に、テロ特措法で実現したような「撤退」となれば、例えばガソリン1リットル当たり24円30銭の税がなくなるということです。他にも、軽油、自動車重量税、自動車取得税の一部もなくなり、なくなる税の合計は2.7兆円という大変な額です。果たしてガソリン代や軽油代がℓ25円も下がるのかどうか。こういう大変な問題が、参院の過半数野党の来年1月までの動きに懸かっているんです。
この問題で民主党が賛成する案が出されない場合の今後の推移は、先に私たちがテロ特措法で参院野党過半数の威力を体験したあの事件と、全く同じ経過をたどることになります。例えばガソリン税は3月末で期限が切れます。すると自民党は1月末に衆院を通し、参院で60日かけて否決になり、衆院3分の2再可決でやっと3月末に間に合うということです。ただし、テロ特措法のような3分の2再可決は、不可能でしょう。なんせこのご時世で、ガソリン代がℓ25円近く安くなるかという事態、総選挙を控えて世論もマスコミも黙っていることはできないでしょうから。

この問題の重大な性格

なお次に、この問題の意味の重大さを説明したいと思います。
道路行政が伏魔殿だとは有名な話。無料になったはずの高速道路料金は一向になくなりませんし、建設予定高速道路も全て作ると自公は息巻いています。さて、無料になるはずの高速道路料金や暫定でℓ25円も高くしたガソリン代、軽油代!! これらの金は物流にも跳ね返り物価を高めているのは間違いありません。これら全てを含めたら、国民一人当たり年額でどれだけの金額になることでしょう。高齢者や低所得者のほとんどでは、軽く所得税を超えることは間違いないところです。
皆さん、おかしいとは思いませんか。税をとってはいけない人からこっそりと「暫定税」を取っているのです。こんなことが許されてきたとは、なんと「優しい国民、易しい行政」ではないでしょうか。しかもこれでもって「日本は世界で非常に税が安い国」と国が威張っているという始末です。原則的におかしいことでしょう。このおかしさが、参院野党過半数で初めて白日の下に曝されるに至ったわけで、「伏魔殿・道路行政」、「隠れ悪辣税制」の民主化という大儀のために、マスコミや民主党の尻をたたく絶好の機会と思うのです。

ただこの問題、難しくもあります。なんせ自民党の生命線。道路族のボス・古賀誠が確か選挙対策委員長を引き受け、次期総選挙への公認問題でにらみを利かせています。なんか、凄い実力者らしい。かの旧宮沢派だったかな。
また、テロ特措法のときに「国益」とか「国際社会貢献」とかをアメリカのために言い立てた緩い扱いを見れば分かるように、マスコミのこの問題の扱いも目に見えるようです。
「野党は、対案を出せ」
「財源もないままに、無責任なことを言うな」
そして、こう語るこの人たちが、高価なSM3の「実験」という名の「消費」にも、総額どれだけになるか分からないミサイル防衛計画(こういう予算は、『時価』ということで当初よりもどんどんあがっていきます)本体にも、普天間基地などの思いやり予算にも、防衛省がアメリカや業者の言い値で武器を買ったその元凶へのいい加減な捜査にも、これら全ての背後にいるはずの防衛族議員をうやむやにするだろうそのやり方にも、まったくマスコミは関連言及をしないのでしょう。

ネットで騒ごう

このようなNHK会長後任選出問題、「道路特定財源・暫定税率」問題、この二つを、皆さん、問題の重大性にふさわしく関係するネットなどで大騒ぎをしませんか。この二つの問題について、マスコミが扱わざるを得ないように。そうすれば次期総選挙で自公政権は潰れること間違いなしと思います。
NHK問題はもう全ての新聞が扱っていますが、道路特定財源暫定税率問題はまだまだ扱いが小さいです。20日夕刊に来年度予算原案が載ったのですが、朝日新聞は「道路特定財源・暫定税率」という言葉は使いながら、この問題には全く触れていませんでした。これではだめです。

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花見て一服 『クリスマスフラワーの巻』     草女

2007年12月21日 00時11分16秒 | 文芸作品
※写真は猩猩草・・・タイトルをクリックすると拡大します。

 クリスマスになくてはならない「あの花」にこのクリスマスフラワーや和名の猩猩(ショウジョウ)木が使われる事はほとんどなく専らポインセチアが使われている。
 この季節花売り場は多くのポインセチアで彩られ、人々をクリスマスに駆り立てる。和名の猩猩木は花の赤い色から名づけられたというのに最近では赤だけはなくピンク、クリーム、縞模様のものまである。(猩猩は中国の伝説上の動物。またそれを題材にした各種の芸能における演目。さらにそこから転じて、大酒家や赤いものを指すこともある。)
 色づく部分は苞で花は中央に集まって咲いているが花弁もなく地味で目立たない。しかし、花が咲かないと苞は色づかない。
 日が短くなって花芽をつける短日植物であるから、ちょうどクリスマスの頃開花する。この植物はメキシコ山地原産のトウダイグサ科の常緑低木である。原産地では高さ5mになるという。非耐寒性なので日本の冬を越す事は難しく、私たちはクリスマスが終わるとポインセチアも終わらせてしまう。
 ポインセチアほど苞の部分は大きくないが、そっくりな形の猩猩草(ショウジョウソウ)という一年草がある。ポインセチアと同じトウダイグサ科の北アメリカ原産の植物で観賞用に栽培されている。
 海上の森への道路沿いの家の植え込みの中で咲いている。気をつけて見ていると毎年場所が少しずつ違うので、こぼれた種で勝手に咲いているらしい。こちらの方がポインセチアより強靭で、姿も野趣に富んでいる。
 さて、トウダイグサ科の植物は、枝や葉を傷つけると白い乳液を出す。この液に毒性がある。口へ入れてはもちろんいけないし、皮膚に付くと水ぶくれや炎症を起こすので注意したい。
 余談だがポインセチアの名はアメリカ合衆国のメキシコ公使としてメキシコシティーに駐在しこの植物を最初に発見したポインセット氏の名前に因んでつけられた。
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