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「ワーキングプアー第三弾」の番組の紹介    ネット虫

2007年12月14日 21時47分52秒 | 国内政治・経済・社会問題
 風の仲間から番組の予告紹介がありました。
 NHK「ワーキングプアー第三弾」の放映があるそうです。前回が見ごたえがあったので楽しみにしています。

      NHK「ワーキングプアⅢ」 放送予定

2007年12月16日(日) 午後9時15分~10時34分
総合テレビ

(再放送)2007年12月18日(火) 深夜【水曜午前】0時10分~1時29分 総合


去年2回にわたって放送したNHKスペシャル「ワーキングプア」は、日本で拡大する“働く貧困層”の実態を伝え、大きな反響を呼んだ。今回の「第3弾」では、海外にも取材を広げ、問題解決に向けた道筋を探る。
ワーキングプアの問題は、グローバル化が進む中、日本と同じように市場中心の競争を重視する世界の国々でも、今や共通の課題となっている。非正規雇用が急速に拡大する韓国では、低賃金の生活に耐えきれず自殺者が続出している。世界経済の中心・アメリカでは、IT企業のエリートまでもが海外の労働者との競争に晒され、低賃金に転落している。
こうした国々では、問題解決に向けた対策も始まっている。米ノースカロライナ州では、地域全体で医療関連産業とその人材の育成に取り組み、ワーキングプアのための新たな雇用を創出した。貧困の連鎖が進むイギリスでは、子どもから大人まで手厚い保護の網を張り、国を挙げて貧困の撲滅に乗り出している。        そして日本でも、ようやくこの問題を「社会の責任」と受け止め、ワーキングプアの人たちを支えようと模索する地域や企業も出てきている。
番組では、世界と日本の最前線の現場にカメラを据え、直面する課題と解決に向けた取り組みを追う。そして各国の識者の提言も交えながら、ワーキングプアの問題とどう向き合うのか、もう一度、国民的議論を呼び起こそうとする野心的な番組。

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従軍慰安婦問題    楽石

2007年12月14日 17時48分48秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
EUが従軍慰安婦問題で日本の政治家の言動を批判。
謝罪を求めたとの報道。
オランダ女性は慰安婦とされたということ。

慰安婦問題はないという日本のリーダーは
恥ずかしくないのかな?
愛知県の代議士の河村さん。


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エセ研究者東中野教授 へそ曲がり

2007年12月14日 15時33分44秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 12月7日の投稿で【南京大虐殺の生き残り・夏淑琴さんの勝訴】というタイトルの本多勝一氏のコメントを紹介した。
 同じ裁判について、ルポライターの「星 徹」氏がもっと鋭い分析をしているので、要旨を紹介したい。
 タイトルは「 南京虐殺否定派に裁判所が“ダメ出し”」。サブタイトルは「被害女性をニセモノ扱いした東中野教授のデタラメ」。
 概要は“南京大虐殺の被害者を「ニセモノ」扱いした東中野修道教授氏ら歴史改竄派が敗北。訴訟で問われた大虐殺否定派のレベルは「学問研究の成果というに値しない」というもので、
 自らの「ニセモノ」ぶりを東京地裁から「認定」されたことになる。

 なお、事件の概要については12月7日の投稿をご覧いただきたい。

◆通常の研究者でない東中野教授◆

 東中野氏は『「南京虐殺」の徹底検証 』の中で、夏さん一家惨殺現場を動画(16ミリフィルム)で撮影した米国人マギー牧師の解説文(英文)を日本語に訳し、その意味を独特の手法で読み解いていった。
 しかし東中野氏の翻訳と解釈は杜撰なもので、「7、8才になる妹を」『bayonet』したという箇所を、「銃剣で突き殺した」と訳し、後に出てくる「その8歳の少女」とは別人と解釈し、双子説まで持ち出して「おかしい」という流れを創り出していった。
 そして「『8歳の少女』と夏淑琴とは別人と判断される 」(247~248ページ)とし、夏さんをニセモノと結論づけたのだ。
 だが『bayonet』という英単語は「銃剣で突く〔殺す〕、武力で強制する」(研究社『現代英和辞典』より)という意味で、ここでは文脈から「銃剣で突いた」と訳すべきで、そうすれば両方の少女は同一人物であることが分かるはずだ。
 
 判決は、「通常の研究者であれば『突き殺した』と解釈したことから生じる上記不自然・不都合さを認識し、その不自然さの原因を探求すべくそれまでの解釈過程を再検討して、当然に『7、8歳になる妹』と『8歳の少女』が同一人物である可能性に思い至るはず」と指摘している。
 そして、もし東中野氏の解釈に従裁判所はうとしても、新たな矛盾が生じるとして、「論理に破綻を来している」とし、「被告東中野の原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言い難く、学問研究の成果というに値しない」と明言した。
 
 東中野氏のこの「誤訳」に基づくニセモノ説の珍妙さについては、筆者が『南京大虐殺 歴史改竄派の敗北』(本多勝一・渡辺春巳・星徹共著/教育史料出版会・2003年)の中で詳述している。「通常の研究者」でなくても、東中野氏のデタラメぶりにはすぐに気付くであろう。

◆私の否定は歴史の否定◆
 
 原告側弁護団長の渡辺春巳弁護士は判決を受けて次のように語った。
「南京虐殺否定派の代表的論客とされる東中野氏に対して通常の研究者のレベルに達していないと判断し、『学問研究の成果というに値しない』とまで述べている。このことの意味は大きく、歴史改竄派への打撃になるだろう」
 東中野氏は南京大虐殺の歴史事実に否定的な日本「南京」学会の会長を務めるが、この会の「研究レベル」も当然に問われてくるだろう。
 今回の判決直後の記者会見で、被告側は「非常に心外な判決だ」として控訴の方針を示したが、本誌・筆者の電話取材に対し、東中野氏はコメントを拒否した。
 南京大虐殺に関する訴訟は、最近では「李 秀英」名誉棄損訴訟と南京百人斬り競争訴訟があったが、両訴訟とも歴史改竄派の敗訴が確定している。しかし、彼らは形勢不利となるといつもテーマを乗り換え、自らの過ちと敗北を誤魔化し続けている。
 夏さんは、「私をニセモノ扱いすることは南京大虐殺の被害者を否定することにつながる。それは歴史を改竄することにつながり、絶対に許せない」と筆者に語った。
 今年で南京大虐殺から70年。歴史の事実に真摯に向き合うことは、私たち自身のためでもある。

 「某」氏がないないと称する事件にどうしてこんな裁判判決が出るのでしょうかねえ。否定しても無駄ということでしょう。


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浦和VSミラン戦、日本サッカー史の一里塚の確認   文科系

2007年12月14日 11時07分03秒 | スポーツ
昨夜、日本サッカー史の一里塚のようなゲームがあった。言うまでもなく、ヨーロッパとアジアとの、クラブとしてのチャンピオン同士の対戦である。ヨーロッパを代表してイタリアの名門ACミランと、アジア代表になった初の日本チーム・浦和レッズとの戦い。日本のクラブの出場自体が初めてであり、日本のクラブにとっては初体験のガチンコ公式戦である。結果は0対1。この一里塚をきちんと確認しておくことは、これからの日本サッカー史の全行程について、その長短を知ることになるはずである。

①まず、具体的な数字だ。シュート数は12対18、ボール保有率は39%対61%である。
②次いで、浦和の監督や選手たちの声を上げてみる。
浦和オジェック監督「試合は拮抗していた。差があるとすれば個人技だが、ミランを苦しめた」
トゥーリオ「恥ずかしくない試合だった。十分通用する」
長谷部「坪井さんのスピードでも簡単に振り切られた。今まで体験したことがないスピードだった」
鈴木「走らされ、疲れた。これが世界のサッカーという気がした」
阿部「ボールコントロール、判断の速さ。中盤の選手をマークしている時に感じました」
③対するミランを代表して、今年度世界最優秀選手カカの声である。
「浦和にスペースを与えず我慢した。彼らが注意を少し怠るようになってからがチャンスと思っていた。このような試合を期待していた」
「戦術的に優れたチームであり、相手として大変だった。僕のマークについた鈴木はとても素晴らしい選手だ」
(鈴木啓太。守備的で地味な選手だが、オシムの秘蔵っ子。対戦する外国の名監督が常に誰よりもほめる『闘士』。「点取り屋」しか見ない日本スポーツ文化にとって、彼が世界最優秀選手からこんなにも褒められたのは、僕にとって実に嬉しい事だった)

最後に僕としての総評
浦和は守備を固め、速攻で切り返すチーム。ボール保持率の差が大きい割りに、シュート数の差が少ないのは、浦和のやり方で結構互角に戦ったということだ。前半は特に互角に戦っていたと思う。
後半に浦和は攻め始めた。そしてカカの言葉でも分かるように、その隙を突いて68分、右サイドで坪井とトゥーリオを振り切ったカカからのパスをセードルフが決めて得点。後の浦和は、疲れ切っていたけれど持ちこたえたという印象だった。
①何よりも瞬間スピードに差を感じた。そのスピードで走りながら、柔らかくボールを扱えるのである。
②上記①の後半はこういうことを示している。ボールを「止めて、蹴る」という基礎技術の差。その柔らかさ、自由自在性が極めて高いということだ。日本人がゴール前を苦手とするのは、緊張したとき、全力走のときに、やはりプレーが乱れるということなのであろう。

「全力走、全力競り合いなどの下でなお、柔らかくプレーできる技術」。これがキーワードなのだと思った次第である。

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再び「国際社会」の意味を問う   楽石

2007年12月14日 09時09分05秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
どこの新聞か知りませんが、「国際社会」を
自分の論理に都合よく引用するのはやめて欲しいものです。

日本人は敗戦を経験、戦後の復興のなかで
「国際」とつくものに弱いのです。
そこを突いて、コトバの定義もはっきりしない
「国際社会」を使わないように。

あの「国際社会」は「アメリカ帝国」とほとんど同義語でしょう。
そのなかに中国やロシアは入っていますか?
アジアのほかの国々は?

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