「保守系」さんがしきりにご推薦の「週刊新潮」12月20号を手に入れました。12月6日に九段会館で行われた「参戦勇士の語る『南京事件』の真実」という会ですね。
“兵士9人が見た”とのタイトルが出ていますが実際には6人(うち2人は文書発言)になっています。
一方、同じような記事が「WILL」の12月号・緊急増刊にも出ています。こちらは「生き残り参戦勇士が語る『南京事件』の真実」となっており、9人全員の発言になっています。氏名も全く同じです。
内容がすごく違っているので、同じ取材記事だろうかと思ってしまいますが、どちらも“自分たちはそこにいなかった・遭遇しなかった。したがって事件はなかった。”という言い方になっています。
そこで撤退前の「保守系」さんに立証してほしいことが3点あります。
① 兵士9人は当時、南京のどの地域にいたのか。名前だけでなく、出来れば「図」で示して欲しい。
②「週刊新潮」の記事の終わりに防衛研究所客員研究員の「原 剛」氏が“証言者が属していた部隊以外にも部隊はあったので、これをもって‘虐殺はなかった’というのは無理がある。一部をもって全体を語ってしまっています」と言っておられますね。さらに氏は、捕虜を中心に2万人程度の虐殺はあっただろう、と語っています。
そうなると、あなたの言う「事件はなかった」という持論との間に矛盾が発生しますね。この整合性をどうするかを明確に述べる責任があります。きちんと答えて下さい。
③「WILL」の12月号・緊急増刊の該当ページ内には南京市民との平和的な交歓風景の写真が出ています。
・街頭で床屋が営業している。
・南京の防空壕から出てきた女性たち(12月14日)
・水餃子の店・日本兵のお客第1号のようだ(12月15日)
・お菓子をもらって大喜び(12月21日) などなど
ところがこれらを見ても、この写真が南京であるとか、まちがいなくこの日付であるという根拠が見つからないのですよ。違った日の違った町の風景をはめ込むことができますからね。
「事件はなかった」と確信を持っているあなたのことだから、必ずや立証出来ることでしょう。もし出来なければ、「嘘の塊」のようなガセネタ本など推奨しないこと。
ついでにこんな話を紹介しましょう。同じようなところにいて、どうしてこんなに体験が違うのでしょうか。
元内閣官房長官・自民党幹事長「野中 広務」氏の体験談です。雑誌「世界」1月号(岩波書店)に掲載されていたものです。
◆南京で立ちすくんだ後援会員◆
私は南京には、最初は1971年、次が1981年、次が1996年と3回行きました。
最初に南京を訪れた時のことです。当時、京都府会議員をしていた私は、200人ほどの後援会員とともに上海・蘇州・南京への旅行を行いました。
まだ中国との国交回復前のことで、まだまだ、かっての戦争の傷跡が残っておりました。欝蒼とした樹木の中を自転車だけが走っているという光景でした。
同行した後援会員の中には、戦争に従軍した体験を持った方が何人かいらっしゃいました。
ちょうど南京市に入り、南京城壁にさしかかった時、そのうちの1人が突然うずくまって、体をガタガタ震わせはじめたのです。しまいには、土の上に倒れて体を震わせて動かないのです。私はびっくりして、看護婦に強心剤を打たせました。数10分が経過してからようやく落ち着きました。
「どうしたんだ」と聞きました。すると彼は「私は戦争の時、京都の福知山20連隊の一員として南京攻略に参加し、まさにここにいたのです。いま南京に来て、当時を思い起こし、地の底に足を引きずり込まれるような状態になり、体が震えてきたのです」と話し、当時の体験を話してくれたのです。
◆女や子どもまで焼き殺した◆
「南京の城内に入った時、土嚢が積まれた家がありました。扉を開けて中を見ると、女性と子どもがいるばかりだったので、わたしは上官に『ここは女、子どもばかりです』と言って扉を閉めようとしたのですが、上官が『何を言っておるのだ、その中に便衣兵いるのだ、例外なしに殺せ、容赦するな』と言って命令を下し、私たちはみんな目をつぶって、火をつけてこの人たちを殺してしまった。戦争の中で一番嫌な体験です。
戦争から帰って来てもずっ心に消えないまま残っていて、私の夢に現れてきます。今日この地に来て私はまた30年程前の話を思い出して、本当に恐ろしくなったのです」
と話したのです。
戦争の記憶が風化する中で、「南京で虐殺などなかった、これは捏造されたものだ」という評論家もいます。
私も事件当時、まだ子どもでした。南京が陥落したとき、提灯行列に喜んで参加しました。松井石根大将が南京に入場する姿を写真で見ました。今も鮮明に覚えています。
私が村山内閣の自治大臣・国家公安委員長を拝命いたしました時、地元でお祝いの提灯行列をすると言ってくれましたが、その時あの南京攻略戦で提灯行列に参加したときの思い出が脳裏に浮かびました。それで「やめてくれ」と地元のみなさんの好意を断ったのでした。
さて、保守系さん、今度は私の提案です。笠原十九司氏の書かれた「南京事件論争史」(平凡社新書 840円+税別)を手に入れて下さい。急いでですよ。その中のP20~44)を読んでください。『南京事件を知っていた政府・軍部指導者』というところです。
ここを読んで詳しく反論して下さい。「平凡社」は左翼出版社だから読まないなんて言わないこと、“事件はなかったと思う”なんて【思い込み】の方法はとらないこと、関係ないことは書かないことです。お待ちしています。では・・・・・。
“兵士9人が見た”とのタイトルが出ていますが実際には6人(うち2人は文書発言)になっています。
一方、同じような記事が「WILL」の12月号・緊急増刊にも出ています。こちらは「生き残り参戦勇士が語る『南京事件』の真実」となっており、9人全員の発言になっています。氏名も全く同じです。
内容がすごく違っているので、同じ取材記事だろうかと思ってしまいますが、どちらも“自分たちはそこにいなかった・遭遇しなかった。したがって事件はなかった。”という言い方になっています。
そこで撤退前の「保守系」さんに立証してほしいことが3点あります。
① 兵士9人は当時、南京のどの地域にいたのか。名前だけでなく、出来れば「図」で示して欲しい。
②「週刊新潮」の記事の終わりに防衛研究所客員研究員の「原 剛」氏が“証言者が属していた部隊以外にも部隊はあったので、これをもって‘虐殺はなかった’というのは無理がある。一部をもって全体を語ってしまっています」と言っておられますね。さらに氏は、捕虜を中心に2万人程度の虐殺はあっただろう、と語っています。
そうなると、あなたの言う「事件はなかった」という持論との間に矛盾が発生しますね。この整合性をどうするかを明確に述べる責任があります。きちんと答えて下さい。
③「WILL」の12月号・緊急増刊の該当ページ内には南京市民との平和的な交歓風景の写真が出ています。
・街頭で床屋が営業している。
・南京の防空壕から出てきた女性たち(12月14日)
・水餃子の店・日本兵のお客第1号のようだ(12月15日)
・お菓子をもらって大喜び(12月21日) などなど
ところがこれらを見ても、この写真が南京であるとか、まちがいなくこの日付であるという根拠が見つからないのですよ。違った日の違った町の風景をはめ込むことができますからね。
「事件はなかった」と確信を持っているあなたのことだから、必ずや立証出来ることでしょう。もし出来なければ、「嘘の塊」のようなガセネタ本など推奨しないこと。
ついでにこんな話を紹介しましょう。同じようなところにいて、どうしてこんなに体験が違うのでしょうか。
元内閣官房長官・自民党幹事長「野中 広務」氏の体験談です。雑誌「世界」1月号(岩波書店)に掲載されていたものです。
◆南京で立ちすくんだ後援会員◆
私は南京には、最初は1971年、次が1981年、次が1996年と3回行きました。
最初に南京を訪れた時のことです。当時、京都府会議員をしていた私は、200人ほどの後援会員とともに上海・蘇州・南京への旅行を行いました。
まだ中国との国交回復前のことで、まだまだ、かっての戦争の傷跡が残っておりました。欝蒼とした樹木の中を自転車だけが走っているという光景でした。
同行した後援会員の中には、戦争に従軍した体験を持った方が何人かいらっしゃいました。
ちょうど南京市に入り、南京城壁にさしかかった時、そのうちの1人が突然うずくまって、体をガタガタ震わせはじめたのです。しまいには、土の上に倒れて体を震わせて動かないのです。私はびっくりして、看護婦に強心剤を打たせました。数10分が経過してからようやく落ち着きました。
「どうしたんだ」と聞きました。すると彼は「私は戦争の時、京都の福知山20連隊の一員として南京攻略に参加し、まさにここにいたのです。いま南京に来て、当時を思い起こし、地の底に足を引きずり込まれるような状態になり、体が震えてきたのです」と話し、当時の体験を話してくれたのです。
◆女や子どもまで焼き殺した◆
「南京の城内に入った時、土嚢が積まれた家がありました。扉を開けて中を見ると、女性と子どもがいるばかりだったので、わたしは上官に『ここは女、子どもばかりです』と言って扉を閉めようとしたのですが、上官が『何を言っておるのだ、その中に便衣兵いるのだ、例外なしに殺せ、容赦するな』と言って命令を下し、私たちはみんな目をつぶって、火をつけてこの人たちを殺してしまった。戦争の中で一番嫌な体験です。
戦争から帰って来てもずっ心に消えないまま残っていて、私の夢に現れてきます。今日この地に来て私はまた30年程前の話を思い出して、本当に恐ろしくなったのです」
と話したのです。
戦争の記憶が風化する中で、「南京で虐殺などなかった、これは捏造されたものだ」という評論家もいます。
私も事件当時、まだ子どもでした。南京が陥落したとき、提灯行列に喜んで参加しました。松井石根大将が南京に入場する姿を写真で見ました。今も鮮明に覚えています。
私が村山内閣の自治大臣・国家公安委員長を拝命いたしました時、地元でお祝いの提灯行列をすると言ってくれましたが、その時あの南京攻略戦で提灯行列に参加したときの思い出が脳裏に浮かびました。それで「やめてくれ」と地元のみなさんの好意を断ったのでした。
さて、保守系さん、今度は私の提案です。笠原十九司氏の書かれた「南京事件論争史」(平凡社新書 840円+税別)を手に入れて下さい。急いでですよ。その中のP20~44)を読んでください。『南京事件を知っていた政府・軍部指導者』というところです。
ここを読んで詳しく反論して下さい。「平凡社」は左翼出版社だから読まないなんて言わないこと、“事件はなかったと思う”なんて【思い込み】の方法はとらないこと、関係ないことは書かないことです。お待ちしています。では・・・・・。