九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

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撤退する前に立証を へそ曲がり

2007年12月22日 11時59分31秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
「保守系」さんがしきりにご推薦の「週刊新潮」12月20号を手に入れました。12月6日に九段会館で行われた「参戦勇士の語る『南京事件』の真実」という会ですね。
“兵士9人が見た”とのタイトルが出ていますが実際には6人(うち2人は文書発言)になっています。
 一方、同じような記事が「WILL」の12月号・緊急増刊にも出ています。こちらは「生き残り参戦勇士が語る『南京事件』の真実」となっており、9人全員の発言になっています。氏名も全く同じです。
 内容がすごく違っているので、同じ取材記事だろうかと思ってしまいますが、どちらも“自分たちはそこにいなかった・遭遇しなかった。したがって事件はなかった。”という言い方になっています。
 
 そこで撤退前の「保守系」さんに立証してほしいことが3点あります。

① 兵士9人は当時、南京のどの地域にいたのか。名前だけでなく、出来れば「図」で示して欲しい。

②「週刊新潮」の記事の終わりに防衛研究所客員研究員の「原 剛」氏が“証言者が属していた部隊以外にも部隊はあったので、これをもって‘虐殺はなかった’というのは無理がある。一部をもって全体を語ってしまっています」と言っておられますね。さらに氏は、捕虜を中心に2万人程度の虐殺はあっただろう、と語っています。
 そうなると、あなたの言う「事件はなかった」という持論との間に矛盾が発生しますね。この整合性をどうするかを明確に述べる責任があります。きちんと答えて下さい。

③「WILL」の12月号・緊急増刊の該当ページ内には南京市民との平和的な交歓風景の写真が出ています。
 ・街頭で床屋が営業している。
 ・南京の防空壕から出てきた女性たち(12月14日)
 ・水餃子の店・日本兵のお客第1号のようだ(12月15日)
 ・お菓子をもらって大喜び(12月21日)        などなど
 ところがこれらを見ても、この写真が南京であるとか、まちがいなくこの日付であるという根拠が見つからないのですよ。違った日の違った町の風景をはめ込むことができますからね。

「事件はなかった」と確信を持っているあなたのことだから、必ずや立証出来ることでしょう。もし出来なければ、「嘘の塊」のようなガセネタ本など推奨しないこと。


ついでにこんな話を紹介しましょう。同じようなところにいて、どうしてこんなに体験が違うのでしょうか。 
 
 元内閣官房長官・自民党幹事長「野中 広務」氏の体験談です。雑誌「世界」1月号(岩波書店)に掲載されていたものです。

◆南京で立ちすくんだ後援会員◆

 私は南京には、最初は1971年、次が1981年、次が1996年と3回行きました。
 最初に南京を訪れた時のことです。当時、京都府会議員をしていた私は、200人ほどの後援会員とともに上海・蘇州・南京への旅行を行いました。
 まだ中国との国交回復前のことで、まだまだ、かっての戦争の傷跡が残っておりました。欝蒼とした樹木の中を自転車だけが走っているという光景でした。
 同行した後援会員の中には、戦争に従軍した体験を持った方が何人かいらっしゃいました。
 ちょうど南京市に入り、南京城壁にさしかかった時、そのうちの1人が突然うずくまって、体をガタガタ震わせはじめたのです。しまいには、土の上に倒れて体を震わせて動かないのです。私はびっくりして、看護婦に強心剤を打たせました。数10分が経過してからようやく落ち着きました。
「どうしたんだ」と聞きました。すると彼は「私は戦争の時、京都の福知山20連隊の一員として南京攻略に参加し、まさにここにいたのです。いま南京に来て、当時を思い起こし、地の底に足を引きずり込まれるような状態になり、体が震えてきたのです」と話し、当時の体験を話してくれたのです。
 
◆女や子どもまで焼き殺した◆

「南京の城内に入った時、土嚢が積まれた家がありました。扉を開けて中を見ると、女性と子どもがいるばかりだったので、わたしは上官に『ここは女、子どもばかりです』と言って扉を閉めようとしたのですが、上官が『何を言っておるのだ、その中に便衣兵いるのだ、例外なしに殺せ、容赦するな』と言って命令を下し、私たちはみんな目をつぶって、火をつけてこの人たちを殺してしまった。戦争の中で一番嫌な体験です。
 戦争から帰って来てもずっ心に消えないまま残っていて、私の夢に現れてきます。今日この地に来て私はまた30年程前の話を思い出して、本当に恐ろしくなったのです」
と話したのです。


 戦争の記憶が風化する中で、「南京で虐殺などなかった、これは捏造されたものだ」という評論家もいます。
 私も事件当時、まだ子どもでした。南京が陥落したとき、提灯行列に喜んで参加しました。松井石根大将が南京に入場する姿を写真で見ました。今も鮮明に覚えています。
 私が村山内閣の自治大臣・国家公安委員長を拝命いたしました時、地元でお祝いの提灯行列をすると言ってくれましたが、その時あの南京攻略戦で提灯行列に参加したときの思い出が脳裏に浮かびました。それで「やめてくれ」と地元のみなさんの好意を断ったのでした。


さて、保守系さん、今度は私の提案です。笠原十九司氏の書かれた「南京事件論争史」(平凡社新書 840円+税別)を手に入れて下さい。急いでですよ。その中のP20~44)を読んでください。『南京事件を知っていた政府・軍部指導者』というところです。
 ここを読んで詳しく反論して下さい。「平凡社」は左翼出版社だから読まないなんて言わないこと、“事件はなかったと思う”なんて【思い込み】の方法はとらないこと、関係ないことは書かないことです。お待ちしています。では・・・・・。
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中日新聞を読んで   楽石

2007年12月22日 10時31分35秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
まず、中日新聞の特集記事。
薬害肝炎の和解が決裂した背景を取材したもの。
厚生労働省からは福田総理に
「薬害被害者の救済だけで、2兆円かかる」と
説明したという。
これにビックリした総理は政治決断を回避したらしい。

弁護団によれば、この数字の根拠はあいまいとのこと。

記事の最後はこんなコトバで、結ばれている。
「責任を認めなければ反省は生れない。
反省がなければ薬害は繰り返される」と。

そこでまず頭に浮かんだのは、銃乱射事件。
事前に近所の人が危険を通報していたのに
有効な手を打たなかった警察。
この問題は、事件報道の影にまわってしまったけれど
責任という観点でみれば、事件そのものと同じくらい
大きなニュースバリューがある。

さらに飛躍すれば、戦争責任の問題にも通じる。

責任を認めなければ反省は生れない。

とても良い記事です。

福田さんは、やはり官僚の手のひらからは出られない
政治家ですね。あまり長くないな。


    

もうひとつは、沖縄の集団自決問題。
教科書検定審議会が再提出された教科書に
「強制」という明記した記述を認めなかったという記事。

第二社会面?にNHKの会長問題と並んでいるが、
新聞として、この扱いで良いのか?
疑問が残る編集紙面です。








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岩国市の問題    楽石

2007年12月22日 10時12分10秒 | 国内政治・経済・社会問題
岩国市に対して国が補助金を出そうとしない問題。
その法的な根拠について質問したところ、
大西さんから、弁護士さんに訊ねた結果が来ましたので、
報告します。

  中止の法的根拠ですが、ないに近いと思われます。
  ただし、地方自治> 体が国を訴えた場合、門前払い判決となっているため、
  なかなか、思い切った行動に出ることは難しいと思います。

とのことでした。
国は法のもとにあるべきなのに、どうも裁量権とかいって
気ままに権力を振り回していますね。

憲法が国をしばっているのに、憲法の番人がね・・・


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岡田監督の動向から(4)  文科系  

2007年12月22日 08時55分17秒 | スポーツ
「南アワールドカップにおいてこのチームで、世界を驚かそう! 日韓ワールドカップで韓国が世界4位になったのだから、それ以上を実現して!!」
岡田武史監督が選手との初顔合わせで語った言葉だ。いろんな解釈がありえようが、僕は本気に受け取った。また、本気と受け取ることは十分に可能だとも認識している。今日は、その内容を書いてみたい。

日本の「サッカー解説者」と称する人々は余りにも「外国崇拝」に陥っていると思う。また、スポーツ解説者人種って、「そのスポーツ要素を全体として見ることができて」かつ「根本も抑えている」という話を案外語れないものだとも思う。「名選手必ずしも名監督ならず」ということわざもあるし、「できることと表現力とは別」という事実もある。そのスポーツ全体を見て、それを表現するって、そういう勉強やインテリジェンスが必要なのである。解説者の話や、もちろん僕の話も、そのままには信用されぬほうが良い。
現在世界ナンバーワン実力者監督、英クラブ・チェルシーの前監督モウリーニョや、ご存知のトルシエなど、若いうちから選手を諦めて監督を目指した人も多い。草サッカーしかやったことがない名監督もサッカー界には多いはずだ。それだけの人材が集まっているということである。余談だが、野球、相撲も含めて「閉じた世界には、閉じた人材」と、僕は思う。だからこそ、あのナベツネに牛耳られて、改革が何も進まないという面があるのだとも思う。

さて、岡田監督の言葉だ。
①日本は現在、世界33位の国、ヨーロッパと米大陸の国を除くならばナンバーワンだ。
②古豪国では、代表よりもクラブの方が大事であり、例えば、現在世界最強クラブがひしめいているイギリスの国代表は強くない。クラブに外国人も多く、自国選手を育てる余裕もないほどなのだ。対する日本や韓国は、国全体が代表を盛り立てる習慣がある。
③先の浦和・ミラン戦を皆さん、どう思われたろうか? 決勝のミラン・ボカ戦と比較された方もいらっしゃるだろう。僕はカカとインザキを除いたら、3チームの点は同じようになったと思う。世界40位ぐらいの差なんて、そんなものだ。そこでの差別化要因は何か、それがサッカー界最大の問題なのである。
④「それは、前衛の方の個人の力だ」と語る人が多い。カカのような選手を待望するわけだ。ただしこれは、現代日本人には難しい。そこで、オシムは好きな日本人を分析して考えた。
⑤「組織的連動と勤勉で『人もボールも速く動くサッカー』」を。これは、「日本人的に点を取る方法」にもなりうるものだが、なかなか点には結実しなかった。それがアジアカップまでの段階である。
⑥アジアカップ以降のオシム最後の2ゲームは画期的であった。世界20位のスイスを含めて4点ずつ取ったのである。何が起こったのか?(この点は10月26日当ブログ拙稿を参照)
⑦賢い岡田武史(12月1日「心配性」さんの投稿への拙コメント参照)は以上①~⑥をちゃんと見て、しっかり分析もしている。それが就任時の以下の言葉である。
「オシムジャパンは『過渡期』にあったと理解している」
事実最初の合宿で岡田がやったことは以上すべてに合致している。守備は殆ど見ないで、攻撃ばかりを見ていたというのだ。「守備的な人」と言われたあの岡田がである。

カカや全盛期ロナウジーニョのような選手は稀有である。しかしながら、「組織的連動と勤勉で『人もボールも速く動くサッカー』」を「ゴール前でも演じて点を取る」これは、日本人だからこそその世界最先端を可能とするやり方なのだと思う。

オシムと同様に賢くて、オシムと同様にサッカーが好きな好きな岡ちゃん。公約のように、南アワールドカップで世界を驚かせてくれ!
コメント (3)
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