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沖縄の新たな怒り へそ曲がり

2007年12月23日 12時22分08秒 | 国内政治・経済・社会問題
「週刊金曜日」11月16日号の「 メディア・ウォッチング13〈拡大版〉」に琉球大学教授の高嶋伸欣氏が《本筋をはずれた県民大会批判》というタイトルで、9月29日の「沖縄県民大集会」についての一部雑誌や新聞の暴論を批判しています。対象は「週刊新潮」11月1日号・「WILL」12月号・「わしズム」24巻・「産経新聞」11月3日朝刊などです。

 沖縄ではまだ怒りの炎が燃えあがっている。これまでは主に政府文科省の不誠実で無責任なごまかしの対応に向けた怒りだった。昨今は、「産経」・「週刊新潮」などの保守系メディアや、一部文化人による県民侮蔑の言動への怒りが加わった。
 
 まず、9月29日の県民大集会の参加者は11万人どころか1万7千人か2万人だという暴論を、藤岡信勝氏が公にすると、一気に保守派論壇に広がった。9月30日の「琉球新聞」朝刊が2頁ぶち抜きで掲載した上空からの俯瞰写真を、熊本大生たちが1人1人数えたとか、警備会社のプロが分析したなどと、一見もっともらしい。
 しかし、しょせん全景写真ではないし、斜め写真では立っている人の間に地面に座っている人が多数混在しているのを判読できるはずがない。それに同写真が撮影された午後4時頃は、集会そのものが中盤だった。会場向けバスが起点で満員状態になり途中のバス停では乗れずに長い列ができるなど、予定より大幅に遅れて到着する人の波が、まだ続いていた。
 大会終了の午後4時45分を過ぎても、ようやく到着するという人が少なくなかった。これらのことは30日の地元紙紙面からも読みとれる。その程度の状況分析もしていない。この数値を出した側に公正さなど、微塵も感じられない。
 もともと藤岡信勝氏は、この15年間の言動において、主張をくるくると変え、未確認情報を断定的であるように撒き散らすとうことでは、札つきの人物だ。そのデマゴギーに付和雷同するかどうかで、われわれは新たな人物識別材料を入手できることになる。
 その点で何ともお粗末なのが「週刊新潮」だ。10月18日号で参加者数論争は「 朝日と産経の『ガキのケンカ』」と軽く切って捨て、それなりの見識を示した。ところが11月1日号では、「 本当は1万8179人だった/11万『沖縄県民大会』」と、むきになって暴論による沖縄叩きを展開している。こちらが同誌の本省らしく見えるが、まるで“二重人格”だ。

◆沖縄県警が集計結果を公表しなかったわけ◆

 ところで『産経』や『世界日報』がしきりに強調している沖縄県警独自の集計4万2千人参加についても、疑問視されている。内部情報などによれば、警察庁から事前に集会の規模予想を報告するように求められた県警は「約3万人」とし、その前提で警備計画も了承されていた。
 それが当日は、その報告数値を早々と突破された県警が、4万2千の段階で集計を止めたのだと関係者の間で語られている。事前報告の数値とあまり違ってしまっては警察庁から県警の情報収集能力を疑われる、あるいは叱責されるからだという。
 その失態をごまかす意味もあって、県警は集計結果を公表せず、発表すると大会主催者から抗議される恐れがあると、漏らしている。
 いずれにしても、県警集計の4万2千人は精々中間集計であって11万人と同列には論じられない。
 ちなみに、この県警未公表数値を「WILL」07年12月号誌上で中村粲氏は「警察の発表」としている。これだけ未発表だある意味が話題にされているのに平気で誤った内容で他者を批判するようでは、中村氏に説得力などない。それにこの主張を掲載した同誌編集長花田紀凱氏の責任は重い。
 もともと同誌の場合は他者を攻撃する特集を1つの個性にしているものの、内容に事実誤認が少なくない。その点で総会屋雑誌と同類とも思われているのだから、いまさら驚くことではない。

◆県民愚弄の「WILL」◆
 しかし、その「WILL」でもこの12月号の県民大会バッシングは、常軌を逸している。
 たとえば、渡部昇一氏は参加者数問題をくどくどと「朝日新聞」叩きにすり替えた後に、突如として沖縄戦で犠牲になったのは、沖縄県民だけではないと主張する。
「沖縄の住民の死傷者は全部合わせても、東京大空襲の一夜の爆撃にも及ばない」「ですから本土は無事で沖縄だけが戦場だった」「かのような誤解を生んでいるのです。」
 誰がそのような誤解をしているのか。沖縄側が強調しているのは被害者の数ではなく、日本軍が住民を殺害し、「集団自決」に追い込んだことだ。「広島」「長崎」とはこの点で、決定的に異なっている。
 加えて渡部氏は資源もない沖縄が「豊かであり得たはずがありません。ですから『基地問題』で騒げば必ずカネが出るということを学び」「卑しくなっている」と言う。
 さらに、同誌上でケーブルTV『日本文化チャンネル桜』の水島 総社長は、太田海軍中将による「沖縄県民、かく戦えり」の有名な訣別電報を引用して、軍民一致協力して米軍の猛攻と戦ったと強調と、、県民は「戦争被害者などでは無く、誇り高い日本国民として戦ったのである」という。
 そして、「その名誉ある沖縄県民の子孫が、今、被害者として、反戦平和を叫ぶ偽善者として、先祖を裏切り、援助金を求める醜悪な姿を、全国民の前に晒しているのである」とし、少しは「恥ずかしいと思っていただきたい」とする。
 ここまで県民全体を愚弄されて黙っている程、われわれは腰抜けではない。反論権の行使や名誉棄損への対応など、あらゆる法、手段を講じるつもりだ。
 それにこれは、沖縄県民だけの問題ではない。こうした誹謗中傷を傍観するのであれば「本土」の人々も責任を問われる。特に言論の自由の程度を超えたこの暴論を放置するのであれば、ジャーナリズムは自浄力がないに等しい。

◆ヤクザ顔負け小林流暴論◆
 『WILL』12月号程の露骨さではないものの、同様に極めて悪質なキャンペーンが、小林よしのり氏の『わしズム』第24巻(11月1日発売)で展開されている。
 テーマは「 全体主義の島『沖縄』」だという。その内容は、前出の水島氏のそれと大差ない。特攻隊や女子学徒隊など純真な若者たちを中心とした尊い犠牲を尊崇することなく騒ぎ立てる沖縄は、歪んだ全体主義社会なのだという。
 かって小林氏はその著書『沖縄論』(小学館)で、米軍支配に抵抗し続けた瀬長亀次郎氏を英雄として描き、多くの若者たちを引きつけた。しかしその瀬長氏の抵抗は「愛国心」の発露だとして馬脚を現してしまった。人権獲得の信念を「愛国心」にすり替えるのは鷺をカラスと言うのに等しい。
 今回もそうした詐術が通用するはずがない。県民大会がどれだけ多様な人々の結集によっていたのか。それぞれ個々主張、見解の差異を認識しながら、不当な検定意見撤回と記述復活の点で一致した集会だった。それに至るまでの過程でどれだけ協議を重ねたか。命令一下直ちに人々が集合したのではない。
 ヤクザ顔負けの小林流暴論にわれわれはひるまない。もっともらしいイラストでイメージづけし、一方的解釈のコメントで批判力を持たせない小林流デマゴギーがどこまで通用するか。その限界を思い知るだろう。
 同『わしズム』誌上で小林氏に同調しいる人々は、前出の渡部氏や水島氏と大差ない小林氏の主張に、どこまで付いていく気なのか。是非見解を公表してほしい。
 ところで『産経』は、これらの動きに便乗し、まだ『朝日』叩きをくり返している。11月3日の同紙コラムで、石川水穂記者(論説委員)は大阪の「大江・岩波裁判」の原告側主張に即して『朝日』『沖縄タイムス』の「両紙に誤報を訂正する良心があるのなら、57年前の記述についても、きちんと検証すべきである」とした。
 だがそう言う石川記者自身、2000年8月2日に『朝日』『毎日』を批判した署名記事で教科書検定の際、「教科書検定をつける」のは「教科書調査官」だとする誤った説明をしている。その誤りを我々は当時からくり返し指摘しているが、同記者と『産経』は現在まで訂正していない。記者としての「良心」のない者に他者を批判する資格はない。まして「良心」云々など厚顔無恥の限りだ。このような論説委員がいるのでは『産経』の若手記者が気の毒だ。『産経』こそ全体主義化してないだろうか。
 
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NHK短歌より   楽石

2007年12月23日 11時36分57秒 | 文芸作品
今朝の投稿歌のなかにあったものです。

  またひとり未来をおしむ人が来て核廃絶の署名をして行く
 
沖縄県の西平さんという方の歌。
(書き写すのが遅れたので、ちょっと違っているかも)

選者も言っていましたが、「未来を惜しむ」という表現が新鮮でした。

   

まもるさんも、シール投票などをしていらっしゃいますが、
未来を惜しんでのことでしょうね。



コメント (7)
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日本サッカーに衝撃 急発展の予感   文科系

2007年12月23日 11時02分14秒 | スポーツ
皆さん昨日の天皇杯サッカー、鹿島・ホンダFC戦をごらんになられたろうか。物凄いゲーム! 噂に聞いていたこのホンダ、僕にはちょっとない衝撃だった。まず、噂の訳を確認しよう。

「3部リーグ」5位のアマチュアがJ3チームを破る

ホンダFCはアマチュアであり、選手全員が毎日、仕事もしている。今期は、J2の下のJFLで5位のチームでしかない。 僕は失礼ながら、このチームのゲームなど観たこともない。そんなチームがこの天皇杯になって、まず東京ベルディ、次が柏、そして名古屋グランパスと、次々とJプロ・チームを破ってきた。グランパスなどは0対2で負けている。天皇杯とJリーグ、いや日本サッカー界に大きな衝撃が走っていたのだ。
昨日のゲーム、延長戦に入り、その後半5分ほどに途中出場の鹿島・柳沢がやっと1点を入れた。退場者を出して既に30分近くを10人で互角に戦っていたホンダを相手に、アップアップの得点だった。観終わって、この衝撃の内容を僕は理解した積もりだ。スポーツの世界でも良くあることだが、「一つのチームが化けた」のであろう。難しく言うと、巨大な「質的変化」である。この「変化」、来年の日本サッカー界全体を大きく変える予感がする。それぐらいの衝撃だった。一体、何が起こったのか。今日は、その次第、内容を書いてみたい。

遅く見えた鹿島 ホンダ戦の分析

①とにかくこのチーム、走ること! そして、速い速い。敵味方2人でボールを競り合うときなど、出足も球際でも鹿島の選手がのろく見えるのである。まるで、ダッシュ力のある選手ばかりを集めたきたと、そんな感じ。この走力、1人少なくなった最後30分も含めて、1人多い鹿島を圧倒していたから、物凄い体力でもある。これは、長期間かけて鍛えないとできないことなのだ。
②次に、その走力が「組織的」に使われている。久しぶりに鹿島をJリーグで優勝させた名監督にこんな安堵のため息をつかせたのだから間違いのないところだ。「格下とは思っていなかった。相手は組織的だった。柳沢はクレバー。すばらしいプレーをしてくれた」(朝日新聞)
③攻撃の組織性はこうだ。ワンタッチ、ツータッチで素早く、簡単に前の味方にボールを預けながら、とても速く攻める。2人、3人が猛然と「良いスペース」に走りこんでいかなければ、不可能なことである。そして、ジャパンが最近になってやっとできるようになったことまで、「できるだけ多数でゴール前へ詰め、連動する」、このことまでをやって見せるのである。
④守備の組織性はこうだ。DFの最終ラインを高く押しあげて、相手ボールをすぐに囲い込む。それも、走力を生かした全員守備である。味方DF陣の前に来た敵ボールを、戻ったFWが奪うという場面も度々で、千葉のFW巻のこの長所からFW全員が学んでいるのだろうと、僕は感じたものだ。ゴール前の守備では、スライディングなどが多くて、激しくて、強いのも特徴。誰かが「相手に当たっていく」のである。鹿島FWマルキーニョスや田代が簡単にボールを取られていて、驚いた。

これは、オシムサッカーの「典型」

さて、分かる方には分かるように、これはオシムサッカーである。「日本人の勤勉に走力を加味して、組織的に連動しあい『人もボールも動くサッカー』」、「それをゴール奪取の方法にもする」と。これにさらに、スピード、ダッシュ力が付け加わっているのだから、強いはずだ。どういう監督か知らないが、オシムサッカーをよく学び理解して、スピードのある選手を集めてオシムをせっせと写してきたに違いない。それが次第に開花して、グランパス戦辺りからJリーグ列強以上のチームに化けた。そんなふうに僕は理解した。

日本サッカーが変わる

さて、このチームが日本サッカー界に与える影響は甚大だと思う。僕が、ベルディやレイソルやグランパスやアントラーズの監督だったら、必ずこう考える。
《 決してJリーグ並みの才能はなかったはずのアマチュア選手たちで、どうして「急に」あんなに強いチームを作れたのだろうか。その分析ができ、その「組織的長所」でウチを手直しできるならば、ウチももっともっと強くなれる。必要があるならば、「あーいう選手」に一部を切り替えることも検討しよう。これは、中長期計画でもやってみる価値はあるぞ 》 
どの国でも、衝撃的チームが現れると、その国のサッカーが変わっていく。ポルトガル人の名監督モウリーニョを入れたイングランドのチェルシーが爆発して他の3強を刺激し、クラブサッカーとしてはイングランドがいまや世界最強になったようなものだ。
こうして、来年のJリーグには、激変の予感が生じた。オシムサッカーの『日本人との相性』を、ホンダFCの闘いの分析によって取り入れ直したチームが、急に伸びていくと思う。浦和、ガンバ、鹿島、川崎、清水、どの列強も、すぐに「古い名前」になりうるだろう。そんな「今」が来たのだと思う。これは、オシムの功績なのだが。
コメント (2)
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