九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

参院選前の一論文紹介   ドストエーフスキー

2010年07月15日 21時26分19秒 | 国内政治・経済・社会問題
 さざ波通信というページからの一論文を、またご紹介します。菅政権を批判しながらもそれに過半数を取らせるべきだという珍しい論文です。政治って、白黒を単に喋ることではなく現実を変えることだという、そんな立場の文章だといつも教えられる考え方の文章と読んでいます。また、皆さんとちょっと討論してみたい。


菅の変節があるにしても菅政権に過半数を与えるべきである
2010/7/7 原 仙作

 鳩山政権の崩壊とそれに続く菅政権の成立を見たが、この菅政権はアメリカ・国家官僚・マスコミによる鳩山政権への総攻撃を「学習」し、彼らの軍門に降り政権を維持しようという変節をとげたことは今では明瞭だと言わねばならないだろう。もはや「国民生活が第一」という民主党の政権公約が反故にされてきているのも明らかである。

 そこから政権交代派の中に路線論争が起きているのが現状である。一つは菅政権の打倒派であり、菅政権に過半数を与えてはならないという主張であり、他方は選挙戦渦中の小沢も言うように民主党に過半数を与えるべきだという議論である。
 菅政権が参議院で過半数を取れなければ、法案は一本も通らず短命政権と化し、政治状況は混迷を深め、死にかけた自民党が息を吹き返すばかりか、「みんなの党」のようなあやしげな政党が暗躍し、魑魅魍魎の政界再編が進行し、結果として官僚主導の政治は盤石なものになる。
 他方では、菅政権に過半数を与えれば、消費税増税を含めて第二自民党の政治が進行するという状況である。どちらを選択しても「国民生活が第一」という政権交代に託した国民の期待は裏切られてしまうことになる。むろん郵政民営化見直し法案も陽の目を見なくなるであろう。国民は悩ましい選択を強いられる状況に追い込まれている。

 しかし、こうした政治状況は「同じ穴のムジナ」の政権交代だから、はじめからわかっていたことだと言って共産党支持を呼びかけたところで政治状況は何一つ変わるわけではない。改選議席の4が5に増えたところで政治状況は国民にとって一歩でもましなものになると予想できるほどの議席数ではないし、政治状況のこの混迷に手を貸してきた共産党の対応を政権交代派の国民は見ている。ましてや、国民諸階層の大衆運動の急務を訴えたところで参議院選には間に合わない。

 したがって、問題は次のように立てられることになる。すでに失われてしまった「国民生活が第一」という政治理念を掲げる政権を奪回する近道はどこにあるか、ということになる。
 その解答はただひとつしかなく、菅政権に参議院の過半数を与えることである。まずもって、混迷する政治状況を単純明瞭なものに整理すること(敵の範囲を狭め敵を明確にすること)からはじめるべきである。菅政権が過半数割れでは既得権益勢力の範囲と暗躍の領域は大きく広がるのであって、これでは勝ち目はない。菅政権が過半数を獲得すれば、菅政権は望む政策を実行できるようになり、タケノコ新党の暗躍や自民党の復活を封じることができるばかりか国家官僚に対しても優位な地位に立つ条件が整う。

 そうなれば、政権政策をめぐる闘争は民主党内の党内闘争におよそ限定できることになるであろう。変節した菅とそれと結託した仙谷・枝野一派は民主党内では少数派であることをよく見ておく必要がある。「国民生活が第一」という政治理念がどれほど本物であるかは、そこで明らかになるであろう。
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要注意!みんなの党当選者、改憲派は自民より多い  大西五郎

2010年07月14日 19時30分59秒 | Weblog
(大西五郎さんの了解を得て、掲載します。らくせき)

 参議院選挙が終って、みんなの党が一挙に10人の当選者を出し、
メディアは「みんなの党大躍進」と報じています。
しかし、みんなの党は今ひとつ党の性格がわかりません。

毎日新聞は参院選公示後に立候補者全員に
重要な政策課題についての考えを聞くアンケート調査を行い、
438人中416人から回答を得ましたが、
そのうち当選者について回答を集計した結果を
13日の朝刊で紹介しています。

それによりますと、
「国民投票法施行を機に改憲を進めるべきだ」自民91%、みんな89%
 まず、5月に国民投票法が施行されたのを機に
「改憲を進めるべきだと思いますか」の質問に、
全当選者の60%が「進めるべきだと思う」と答えています。
そのうち自民党当選者の91%、
みんなの党当選者の89%が「思う」と回答しています
(民主の63%、公明の44%が「思わない」)。


  「憲法9条を改正すべきだ」みんなは自民(85%)より多い89%


 次に「憲法9条は改正すべきだと思いますか」の質問に、
「賛成」48%、「反対」42%で、
07年の参院選、09年の衆院選の調査では改正派が少数だったのに、
今回は逆転しました。
「改正賛成」は自民党当選者の85%だったのに、
みんなの党の当選者の89%と自民党より多い割合になっています
(民主の76%、公明の67%が「反対」)。

自民の87%、みんなの56%が「集団的自衛権行使の禁止は見直すべきだ」

 集団的自衛権の行使を禁じる政府見解についても、
当選者の49%が「見直すべきだ」と答え、
「見直す必要はない」の42%を上回りました。
自民党の87%、みんなの党の56%が「見直し派」でした
(民主66%、公明89%が「見直す必要ない」)。

メディアが持ち上げた「第三極」の実態

 今度の選挙報道では、消費税問題で民主党菅政権に逆風が吹いたとして、
みんなの党が自民にも民主にも飽き足らない人たちの
受け皿になっていると盛んに持ち上げました。
「消費税増税の前にやることがあるだろう」
「官僚支配からの脱却」ばかりが紹介され、
なにが基準かわからないままに「アジェンダ」
「アジェンダ」が一人歩きしましたが、
みんなの党の候補者が自民党以上に9条改憲派であることは
明らかにされませんでした。

 みんなの党には、憲法9条を守る立場からは警戒が必要です。

     

口当たりの良い政党は要注意ですね。
しかし口当たりの良いことが言えるのは見習う必要もありそう。
                     らくせき


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「ねじれこそチャンス」という 沖縄の声     只今

2010年07月13日 20時43分55秒 | Weblog
 「沖縄を裏切ったのは民主党であって喜納さんではないのに、つらいです」(池田香代子)といった喜納昌吉落選悔しの声と共に、
選挙区ではなぜ共産党と社会大衆党(社民党)は統一候補が出せなかったか、といった声が聞かれましたが、それはそれ
 “ねじれこそ チャンスあり” という『沖縄タイムス』の社説に出会いました。

 《(前略) 菅内閣は「普天間」で抜き差しならない状態になる。
 9月に民主党の党首選名護市議選があり、11月には県知事選と日米首脳会談が控える。民意と対米交渉のはざまで菅首相も身動きがとれなくなれば、進退問題に及ぶ可能性すらある。 (中略)

 民主党内にも「県外・国外」を主張する議員は少なからずいる。それが勢いづけば、党首選で菅首相の足元を揺るがすかもしれない。 (中略)

 自民党本部の方針に反して「県内移設反対」を訴え当選した島尻安伊子氏は党内で孤立しかねないが、中央で理解を拡げることが使命だ。 県選出議員は、再度、党派を超えて県外・国外で手を組んではどうか。》
 
   
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政局は混迷するか?    らくせき

2010年07月12日 16時16分26秒 | Weblog
大敗した民主党、ねじれ国会を乗り切るため、
新たなパートナーを探さざるを得ない。

(1)「部分連合」の道。政策ごとに考えの近い野党と連携するもの。
これは、民主党にとって一番、安全な道。

(2)「連立」。公明党など新しいパートナーを探す。
すぐには難しいが、可能性は充分。

(3)「大連立」。民主党と自民党が手を組むもの。
これは小澤さんの今後にかかっていそう。

民主党はまもなく代表選を。
臨時国会、代表選と、民主党の力量が試される。

どんな!が待っているのか?
政界再編は避けられそうもない・・・・

経済界ばかりじゃなく、一国民としても、国の舵取りは
しっかりして欲しいが・・・

当分、難局に道すじをつけるのは困難。
こんな時が危ない。

平和はつらいものだが、それに耐えねばならない  先人の言葉。



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サッカー 南ア大会を振り返る  文科系

2010年07月12日 13時50分28秒 | スポーツ
 スペイン・オランダの決勝戦には荒れ気味の予感がしたのだが、事実荒れたゲームを審判がよく『ドラマみたいな展開に興奮しました』(カジュさんのコメントより)というゲームに維持できたものだと振り返ることが出来た。ゲームの「荒れ」と「接戦の好ゲーム」とは、本来紙一重なのだと思う。この荒れぶり、ちなみに僕のメモではこうなっている。
 イエローが確かオランダ10対スペイン4。108分には、イエローが重なってオランダにレッド。「これで勝負あった」と思ったもの。そして、イエローがこれだけ多いにせよ、あれだけ走らされたオランダがよくここまで持ったものだと、感心もしていた。ファンボンメルが効いていたと思う。

 今大会を振り返っていて、これからのワールドカップにこんなことを思った。
①スペインや日本のような、「ボールは疲れない」(オシムの言葉)組織的やりかたが更に大事になっていく。
②技術と走力両方における、絶対的スピード。前者はスペインや日本やメッシ、後者はスペインやロッベンやクリロナ、石川直宏。そういう選手を発掘すること。
③最後に、日頃のゲームでぎりぎり反則を我慢する国。南米はここを改善しないとベスト4にはもうなれなくなるのではないか。残った16強の中で、スペインのファール、イエローが最も少なかったことこそ、明日のサッカー強国のあり方を暗示しているのではないか。他方、ブラジル・ルイスファビアーノの「ハンド2回経由シュート得点」などは、信じられないようなものである。日本で見ても「反則無しに敵のボールを奪える」阿部勇樹(阿部を評価して推薦し続けてきたシャムスカの言葉)。彼のアンカーマン抜擢、大成功は、長年のこういう修業・態度を背景としたものであるのは間違いないだろう。
④こと日本に関しては、こういうことか。
A もっとヨーロッパ、南米などと競ったゲームを体験していかないとこれ以上強くなれない。そういう意味でお互い強くなった日韓戦は非常に貴重である。
B 選手の国外進出も、以上のような近未来要素が育つような国を選ぶべきだろう。上記のような特長を有していて、それらの点で若手が育ちつつある国などのことだ。
C 予選を通り抜けた16チームで、日本はこんな驚くべき好記録を残した。「枠内シュート率1位」。以前の日本には考えられなかったことであって、これも本田の影響なのかと、いぶかっている。が、ここで生まれたこの特長は、とにかく大事にして欲しい。

 以上のような近未来を示してくれた大会! 最もクリーンなスペインの初優勝。イタリアとフランスの予選落ち。イングランド早期敗退。ドイツの変身、安定化。4位チームのフォルランがMVPに輝いたこと。ちなみに、彼もウルグァイ・タバレス監督もなかなか重厚で、品格を感じさせてくれた。さらには、アフリカはガーナの高度なパスサッカーや、アジア2国の予選通過。などなど、とにかく、歴史に残る、サッカー史を変えるような大会だったとずっと思い起こすことだろう。
 初優勝したスペインは現在、失業率20%という経済どん底の真っ最中。この渦中の人々、特に若者、老人などが、少しは慰められたろうか、どうだろうか?
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自民がいちばん    らくせき

2010年07月12日 08時57分14秒 | Weblog
選挙の結果は予想より劇的でした。
自民が改選1番。

民主は2番でした。

でも比例の票の得票率を見ると
自民はここ3回、ずっと得票率を減らしています。
減らしている政党に、共産と社民がありました。

この3党には未来はなさそうですね。

豹変しないかぎり・・・

   

菅さん、草冠(民草)を忘れたらダメという教訓。
官報コンプレックスの勝利かも。

今回の選挙結果の裏に、強力なリーダーシップを
求める潜在意識があるとしたら、ちょっと不気味かも。

共産党・社民は、なぜ、国会議員の歳費削減が打ち出せないのか?
国民に媚びないほうを取ったのか?
国民のココロが読めなかったのか?
ここに豹変の鍵があったのに・・・

自民は谷垣さんで、どこまで豹変できるのか?

楽しみです。









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WC決勝戦は「反則」が左右!  文科系

2010年07月11日 19時05分01秒 | スポーツ
 今夜は、サッカー・ワールドカップの決勝戦。オランダ「トータルフットボール」の流れを汲む、言わば「兄弟対決」のようなもの。「全員守備・全員攻撃」「攻撃的」「見ていて面白い」「美しいサッカー」などの形容詞が付いてきたのが、この両チーム。勝負弱くて、もろい印象までも同じだ。ところで今大会は今や、重大な相違も生まれている。ファールの多さだ。かなりダーティーに変わったオランダと、クリーンなスペイン。この違いがどう結果を分けるか、そこが今夜の最大問題! 審判の能力こそ、実に勝敗の岐路となりそう。

 さて、朝日新聞8日の16強資料から作ってみた数字だが、オランダは1ゲーム当たりファール数が悪い順で7番目。イエローカード数に至ってはワースト3番目である。対するスペインは、いずれも16強中最もクリーンなのだ。因みにこの数字対比はこうである。1ゲーム当たりファール数は、スペイン10に対してオランダ16、イエローに至っては同、0.5対2.5、なのである。これでは、審判がよく見ていないととんでもないことになりそうではないか。
「よく見ていないと、オランダのファール得!」
「よく見ているなら、オランダに退場者!」
 なお、今回の審判たちが厳しく見ていることを、オランダはよく知っている。ブラジル・オランダ戦が「ファール合戦」だったからである。このゲームを日本の西村主審がきっちりと裁いて見せて、イングランド、ドイツなどからは最高評価を受けている。そして、ファールがちょっと多かったブラジルが、負けた。ブラジル側に退場者が出るというおまけまで付いている。ドゥンガ監督がゲーム後こう述べたのには、そんな背景もあったはずだ。
「審判がゲームを止めすぎて、調子が狂った」

以上のような背景からも僕は、スペインの勝ちと見た。オランダは初めの方で笛を吹かれて、調子が狂う。ファールに過敏になっているうちに、自由にパスを回されて、得点されてしまう。もともとパス回しはスペインが上なのだ。
 ちなみに、オランダのロッベンが、こんなことを語っているそうだ。
「“いいサッカーだね”は意味がない」
「美しい試合をして負けるより、最悪のプレーでも勝つ方がいい。決勝まできたら内容なんて関係ない。結果がすべて」(以上、スポニチ)

 あとから追加ですが、同じスポニチ・アネックスのニュースに、スペイン側のこんなニュースがありました。上のロッベンの言葉とは、なんと対照的な!
『スペインの前線が見せる完成度の高さはバレンシア所属のDFマルチェナも「バルサの選手(6名 文科系)は互いを完ぺきに知り尽くしている」と認める相互理解がカギ。その様式美は現在のクライフ氏(オランダ人、スペインはバルセロナのやり方の基礎を築いた 文科系)に「オランダよりスペインが理想」と言わしめ、リバプール所属のFWフェルナンド・トーレスは「スタイルを忠実に貫くべき。死ぬ(負ける)のなら理念に従って死ぬつもり」とまで言い切った』
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 「それでもやはり」というスポーツ選手のアピール    只今

2010年07月11日 13時12分07秒 | Weblog
 イタリアのスポーツ界をめぐる「文化系」さんと「さんこ」さんの対話にコメントしましたが、舌足らずの向きあり、補完させてください。

 米国主導のアフガニスタン攻撃が始った2001年、イタリア国会もイタリア軍部隊の派遣を決めました。
 この同じ日、トッテイやカンナバロなどセリエAの選手や中田英寿の「パルマ」や「ASローマ」のサッカーチームも団体として参加署名する「平和アピール」が、246人の連名で発表されました。
 そのアピールは次のようなものでした。

 【現在、誤解を受けることなく、平和について語ることは困難ですがそれでもやはり、私たちスポーツマンは、この戦争が終わり、
 ほかの戦争を引き起こさないことを願って、人道団体エマージェンシーを通じ、アピールを発表したいと思います。
  平和を望むということは、あの襲撃によって命を落した人々の追憶を尊重しないということではありません。
  平和を信頼するということは、大勢の無垢の犠牲者のことを悲しまないということではありません。
  平和を求めるということは、あらゆる形のテロに対して断固として反対することをしないということではありません。
  平和を期待するということは、あらゆる人種あるいは宗派の人間を信頼するということです。
  対話と差別撤廃は、どのような武器よりも多くのものを達成するのです】

 以上が全文です。直訳のせいか、それとも素人の筆だからかぎこちないところがありますが
 最初の2行に、こうしたアピールをこれまでしたことのないスポーツマンの切実な気概とモラールが感じられます。
 なお、中田英寿は、イタリアの新聞のインタビューに次のように答えています。

 【相手がぼくの同国人を殺したから、ぼくも相手国人を殺す。そんなことをしたら一体どうなってしまうんでしょう。
 ミサイルや銃弾より言葉を役立たせなければ、戦争に終りはなくなる。】

 この国(日本)で、このような行動をスポーツ選手がとろうとしたら、雇い主は黙っているかどうか、そんなことを考えてしまいました。
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釜山への旅⑤   釜山   らくせき

2010年07月11日 08時25分27秒 | Weblog
釜山に近づくにつれて、高層マンションが次々に目の前に。
韓国の南の玄関口、人口は380万の大都市。
港には、山が迫っており、その山は中腹までマンションや住宅がびっしり。
世界第5位の港湾都市であり、超過密都市でもある。

フェリー乗り場も国際色豊か。
入国すると、すぐにオジサンが近づいてきて、
円をウォンに両替よ、と近づいてきます。
銀行の窓口で1万円を両替、127000ウォンでした。

港のお隣は、ジャガルチ市場(シジャン)つまり魚市場。
3階建てのビルの一階や、周囲にはお店がずらり・・・
とれたての魚、貝、イカ、生きているタコなど。
おばさん(アジュンマ)の威勢のいい声が買物客に飛んでいきます。

店先に並んでいる魚を買うと、その場で料理、奥の部屋で味わうことが出来ます。
仕事が終ったサラリーマンが、夕食をかねてやってくるそうです。
ここの人々は、港町のせいか、開放的で、
言葉も日本でいえば大阪弁にあたるとのこと。

  真剣なうなぎ逃げ出す魚市場

釜山ではホテルに泊まり、朝食はパン。
魚介類の続いた胃袋は少しほっとしたようです。

街を走る車は、日本でいえば3ナンバー。軽乗用車はまったく見当たらない。
スピードを出しているうえに、割り込みなど、運転が荒い。
一旦事故が起きるとダメージが大きいので、小さな車は敬遠されているそうです。

30年前に訪れた時のウォンをガイドさんに見せたら、?・・・という反応。
みたことがないとか。
また当時、タクシーは相乗りだったが、今は禁止されているという。
今では、日本の都市よりも元気でエネルギーに満ちている。

前のガイドさんは、観光地を訪れると
「ここは秀吉に焼かれました」と説明していたのが印象的でした。
今回は「この橋は日本人が造りました」と。
インフラの整備に日本人の力があったことを解説。
時の流れを感じました。

韓国では「顔が広い」ことを「足が広い」というそうです。
旅の仲間のKさん、とても足が広く、
知り合いの知り合いというSさんが、
倭館の址を案内して下さいました。

観光名所となっている龍頭山公園一帯が倭館のあったところ。
公園のタワーにのぼって説明をうけました。

朝鮮は、対馬藩主らに官職を与え、日本国王の使として、
倭館での交易を認めました。
日本人は、倭館を出ることは許されず、
ここに住んでいたのは、対馬藩から派遣された交易官や通詞。
小間物屋、仕立屋、酒屋などの生活に欠かせない商人。
さらに医学や朝鮮語を学ぶ留学生。
400人から500人が滞在していたとか。

当時、朝鮮は医学先進国であり、医術を習ぶために倭館に来る者が多かった。
また雨森芳洲が、対馬に朝鮮語学校を設置すると、
優秀な者は、倭館留学も認められた。

交易は、日本が銀を輸出して、朝鮮人参の他、主に生糸、絹織物などの
中国製品を輸入していた。
対馬藩は、この中継貿易によって巨額の利益を上げたのです。

    

Sさんは、若い頃、日本を訪れたことがありますが、
シマチョゴリの女性が近づいてくると、さりげなく避けたという。
北の人と仲良くしていることが分かったら手が後に回ってしまった
と、・・・笑っていました。

倭館は、長崎の出島とほぼ同じ時代に建設され、明治になって廃止されている。
Sさんは、この200年あまりは、平和の時代であり、
韓国と日本の友好のシンボルとして、倭館の復元が夢であるという。
出島の現地にも出かけており、この夏、その研究結果を学会で報告するとのこと。

平和のシンボルとしての倭館、というアイデアに感服。
対馬と釜山がとても近く感じられました。

   ひとつぶの梅雨を額の倭館かな

旅の間、お天気には恵まれてきましたが、ここに来て雨。

       

市内は地下鉄工事の真っ最中。
最近、土の中から大量の頭蓋骨が見つかったという。
朝鮮に出兵した秀吉の軍が、朝鮮から逃げ出す際、殺した人たちの骨という。
400年あまり前の戦争は、決して終ったことではない、と改めて感じました。

市内には、忠烈祠と呼ばれる、倭軍と戦った英雄たちを
顕彰する施設があります。
広い公園にもなっていて、子供たちが先生に引率されて
祖国防衛に立ち上がった英雄の話を聞いていました。
幼い頃から、こうした歴史教育が行われているのが韓国なんだと
ここでも認識を新たに。
両国の間に横たわる歴史認識の違いを克服していくのは
なかなか大変な課題と感じました。
   
帰りのフェリーは、夕方に釜山を出て、翌朝、博多に着く韓国の船。
大きな荷物を3つも担いでくる「カツギや」のおばちゃん3人と一緒に。
3人とも元気一杯。乗船も人より一歩先んじ、エレベーターの順番も仕切っている。

   フェリーのなかで

博多について乗ったタクシーの運転手さん、
カツギやは、昔は日本からパンティストッキングを買い込んで売る、
稼ぎの良い商売だったけれど、今では本当に数が減ったと。

博多の街は雨。釜山に比べると本当に静かな街でした。

帰宅してから「壬辰戦争」という本に出会いました。
韓国の歴史学者が中心になって「壬辰戦争」を研究したもの。

日本では「秀吉の朝鮮出兵」「文禄・慶長の役」
韓国では「壬辰倭乱・丁酉倭乱」
中国では「抗倭援朝」と呼ばれている戦争。
私も文章にする時、ちょっとしたトマドイというか、ヒッカカリを感じました。
それは、歴史学者を悩ます大問題でもあったのです。
これまでそれぞれの国という枠組みのなかでのみ
論じてこられた戦争に共通の名前を与えること。
これが研究への第一歩でありこと。

「壬辰戦争」という名を与えたのが、韓国の学者であること。
これは倭館の復元を夢見るSさんのように、
韓国で最先端の動きが始まっていることを強く感じました。

これで旅の記録は終わります。読んでくださってありがとうございます。



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釜山への旅④ 続・対馬   らくせき

2010年07月10日 09時34分12秒 | Weblog
対馬は、一時は7万の人口があったが、いまは半分以下の3万という。
厳原の港の近くには、ボラが上って来る小川があり、
両側には昭和を思わせる町並みが続く。
寅さんの映画のロケに使われた醤油屋さん。
こし餡をカステラの皮で巻いた「かすまき」を売るお菓子店。
(これ、意外に美味しい)
ホテル、バーなどが軒をならべている。

漁業の盛んだった頃には、漁師さんたちで朝まで賑わったとか。
現在は、昼間はもちろん、夜もあまり人影がありません。

港を見下ろす高台に西山寺があります。
対馬藩の朝鮮外交の窓口のあったところ。
あじさいの花が咲く閑静な境内に立っていたら、観光客の一団が。

添乗員に「こんにちは」と挨拶したら、返事がありましたが、
ちょっとアクセントが違う。
一行は、添乗員ともども、韓国からやってきたツアーだったようです。

   夏座敷対馬を風が吹き渡る

韓国から対馬に観光客がやってくるようになったのは、
21世紀に入ってから。
韓国の経済成長にともなって、海外旅行を楽しむ人が増えたこと。
釜山から50キロにある外国という手ごろさ。
さらに対馬の自然が韓国の人たちを惹きつけたようです。

そのきっかけとなったのが、
1990年に日本を訪れた韓国の盧泰愚(ノ・テウ)大統領の
宮中晩餐会のおける演説でした。
盧泰愚大統領は、対馬藩にあって外交交渉にあたった雨森芳洲の名をあげ、
その哲学である「誠信の交わり」を賞賛したのです。
この時、居合わせた日本のほとんどの国会議員は
芳洲の名を知らなかったとか。

もちろん対馬でも知る人は多くはなかったそうです。
長寿院にある雨森芳洲の墓を案内してくれたガイドさんも
全く知らなかったと話していました。

雨森芳洲は滋賀県の出身で、朝鮮語を学び、対馬藩に仕えた人。
朝鮮出兵後の最初の朝鮮通信使とともに江戸に向かっています。
外交の精神は、お互い欺かず、争わず、
真実を持って交わる誠の心であると説き、実践しました。

新井白石とも同門で、外交について、論争をしたと伝えられています。
1755年に88歳で永眠。
250年を経て、眠っていた芳洲が甦ったのです。

   登りつめ芳洲の墓今年竹

     

厳原では、毎年8月の祭に、朝鮮通信使行列を再現。
韓国からの参加希望者も増えているそうです。

小さな寺の境内を訪れたら、新しい石碑が建立されていました。
殉国の碑でした。
義兵抗争で日本の官憲に捕らわれ、死亡した崔益鉉の顕彰碑。
いま対馬では、朝鮮に関係した記念碑があちこちに建てられいます。
静かに歴史の読み直しが進んでいるようです。

   殉国の風にやさしさ白むくげ

韓国からの観光客の急増は、当初は地元から
歓迎されるばかりではなかったそうです。
観光の目的のひとつが山登り。
しかし、残されたゴミの山。
釣り。韓国では撒餌が盛んで、大量の撒餌で、
海が死んでしまう恐れがあるといいます。

トイレに紙を流さない生活習慣の違いもトラブルの原因に。
対馬の人たちは、マナーや習慣の違いについて説明、
最近では改善されてきているそうです。

対馬への観光客は日本人より韓国からの人が圧倒的に多く、
経済効果は20億円に。
対馬の経済にとって欠かせない収入源になっているとのこと。

対馬の最北端から韓国までは、わずか50キロ。
韓国展望台から釜山市の町並みを
かすかに眺望することができました。

比田勝港から釜山への高速船に。
船には、釣りを楽しんで帰国する人たちの姿が。
今年の通信使祭の打ち合わせに釜山へ向かう
旅行代理店の社長さん一行と乗り合わせて、
入国の手続きの案内をしていただきました。

旅の最後の目的地、釜山までは1時間余りです。
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長友佑都がイタリアに決まったが  文科系

2010年07月10日 06時54分56秒 | スポーツ
 代表で注目度が急騰した感がある長友佑都の移籍が、イタリアに決まったらしい。僕はこれには重大な疑義がある。以下のようなことを周囲の大人がなぜ密かに言ってあげないのだろうかと、大不満、大疑問だ。「問題のミラン」などが本田にも、食指を動かしているらしく、僕はこれにも大反対。その次第を書いてみたい。

 イタリアのサッカー界は近年、えらく腐敗している。審判買収などの八百長が後を絶たず、降格チーム続出などという有様。サッカー戦術新機軸の発展などもこのところ皆無であって、若手は育たず、その結果が今回の「高齢者中心で、1次リーグ敗退」だろう。ドイツ大会の好成績は「衰退への最後の名残」とも見え、中田英寿が渡った98年イタリアの面影などは今やどこにも見られない。短期間のうちにインテルの世界的大躍進をもたらした大監督モウリーニョもハッキリとこう明言して、この国を去った。
「イタリアのサッカー界は大嫌いだ。サッカージャーナリストたちは、売春婦と一緒!」
 彼は、世界的大監督。知性あふれるこのモウリーニョがイタリアはこりごりとばかりにスペインに逃げ出したのも、ある体制に反発したからであるのは、明白。世界サッカー史に残る大功績を去年挙げながら、わずか2年の存イでスペインへ去ったのだった。

 なぜこんな事になったのか、日本のサッカー界も他山の石として考えてみるべきだろう。考えている人もいるとしたら、長友に助言する人がなぜいないのだろうか。僕なら彼にこう語る。
 
 イタリアは止めておけ。
 イタリア・サッカー界は、首相兼マスコミ帝王、ベルルスコーニが影で大きすぎる実権を握っている。「権力は腐敗する」と言われるが、大権力の腐敗は急で、激しいだろう。ベルルスコーニは、少女売春、不純異性交遊とかで妻にも逃げられるほどのやりたい放題。品性上きわめて問題の多い人物であって、影では一部マフィアとさえつながっているのではないか。サッカー協会の役員たち関係者にも、こんな彼の系列の人、太鼓持ちがきわめて多い。つまり、彼を頂点とするイタリアサッカー界は、日本話題の大相撲腐敗に通ずるところを有していると僕は推察している。これではまともなサッカーは育たず、若者をダメにする者やダメになる若者も多いというもの。ギリシャのような国の危機さえ、こういう人物統治下のイタリアには目前に迫っているのではないか。失業率2割のスペインよりも、もっと陰にこもっていて、もっと広汎に、かつもっと危機的に。

 こんな所に修行に行く年数は、前途有為な青年期を傷つけるだけだろう。こんな国には行かないほうがよい。イングランド、ドイツ、スペインなどから声がかかるまで修行して待っていたらよい。そう思うのである。日本サッカー界は、イタリアに行こうとする若者にこういうことも参考意見として教えてあげるべきではないのか。

 
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ピアノを輸出した業者が逮捕された。  らくせき

2010年07月09日 16時38分26秒 | Weblog
ピアノを北朝鮮に輸出した日本の業者が逮捕されました。
背景について朝鮮日報の記事を紹介します。

  

北朝鮮による2回の核実験に対する制裁のため断行された
国連安全保障理事会(安保理)の対北制裁決議第1718号、1874号によって、
米国と欧州連合(EU)が2006年から北朝鮮に対する
輸出禁止品目に指定したぜいたく品が、
より具体的かつ広範囲になっていることが分かった。
国連加盟国はさまざまな分野で、「対北輸出禁止ぜいたく品リスト」を作成、
履行しているという。

EUは珍しく、純血種の馬を輸出禁止にしている。
また、金正日(キム・ジョンイル)総書記の好物といわれている
キャビアやトリュフ、高級ワインも北朝鮮への輸出が禁止されている。
ニュージーランドははちみつ、ロシアはコニャック、日本は牛肉とマグロ、
オーストラリアはロブスターなどを輸出禁止にしている。

米国の輸出禁止品目は、特に宝石類に関して金、銀、ダイアモンド、
サファイア、ルビー、エメラルドなどを具体的に明示している。
電子製品も液晶テレビ、DVDプレーヤー、携帯情報端末(PDA)、
個人用デジタルオーディオプレーヤーなどが含まれている。
カーペット、高級万年筆、貴重なコイン、100年以上たったアンティーク、切手なども、
米国をはじめ、各国が輸出禁止のぜいたく品に含めた。
たばこ、香水、高級衣類も、多くの国家が北朝鮮へ流通できないようにした。

高級ピアノと豪華ヨットが輸出禁止品目に含まれた結果、
北朝鮮にこれらの製品の輸入を断念させる成果を挙げたことが分かった。

国連安保理の調査団によると、
駐オーストリア北朝鮮大使館は2007年、
16万ユーロ(約1760万円)相当のスタインウェイ製高級ピアノを
輸入しようとしたが摘発、押収された。
また09年には、北朝鮮が2隻の豪華ヨットを輸入しようとしたが、
イタリア税関によって阻止された。

    

こんなに禁止されても北朝鮮はがんばっているんですね・・・


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人民日報より   らくせき

2010年07月09日 16時25分10秒 | Weblog
今年に入ってから中国による日本国債の買越幅が急増しており、
1-4月の累計額は5410億円に達している。

日本財務省のデータによると、今年1-4月に中国が購入した日本国債のうち、
期間1年以内の短期債務が中心で5177億円、10年前後の長期債は234億元。
4月単月で見ると買越額は1978億円で、海外勢では英国に次ぐ2位。
1-4月の買越額だけで2005年の2倍以上となっている。

日本国債は外国人保有率が低く、3月末現在、わずか4.6%に留まっている。

中国の外貨準備に占める米ドル資産の割合は確かに高すぎるし、
中国が保有する米ドル資産は他国に比べても確かに多い。
中国がこのほど一定量の日本の国債を買い増したことは、
外貨準備を分散するための一つの試みといえる。

中国の日本国債に対する態度は大きく変化したといえる。

    

日本にとっては良いニュースか?
当面、買い手を探しているわけですから良いニュース。
しかし長い目で見れば、判断は難しい。
早く赤字国債の増殖を止めないと、もう末期ガン状態?

消費税も上げざるを得ないでしょう。
国民の暮らしを壊す税負担となりそうですが。

軍事費や官僚の給料に大幅な仕分けがつけられないのであれば。

民主も自民も消費税というけれど、その前に国会議員の歳費を
10%カットとはいわない。
どこの政党も言わない・・・
彼らが国民のことをホンキで考えているとは思えない。

政党として税金を貰っているという謙虚さがゼンゼンない。
貰っていない党はりっぱ。
でも、どうして歳費削減を提案しないのかな?









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釜山への旅③ 対馬   らくせき

2010年07月09日 16時10分33秒 | Weblog
対馬へ向かうフェリーの2等船室。
ベージュのカーペットの上に、
一枚50円の毛布を借りて横になる。
一眠りで厳原港に。
山が迫った小さな湾であった。

厳原は、島の南にあり、対馬藩時代には府中とよばれていた。
明治になって今の町名に改称されたという。
三方を山に囲まれ、小さな川を挟んで両側に家並みが細長く続く港町。

武家屋敷だった石塀が、ところどころに残り、
城下町の面影を今に伝えている。

まず、藩主、宗家の菩提寺となっている万松院を訪れる。
寺には朝鮮から贈られた品々が展示されている。
樹齢数百年という杉に囲まれた石段を登ると、歴代藩主の墓。

初代は小さな墓石、二代、三代と大きくなる。
とくに三代藩主の墓は大きく、絶頂期であったという。
国境の島、対馬藩は10万石の格式を誇ったが、
お米のほとんどとれない対馬の財政を潤していたのは
朝鮮との交易であった。

対馬藩は、朝鮮出兵には反対であった。
しかし逆らうわけにもいかず、キリシタン大名の小西行長とともに
先陣として朝鮮に出兵を命じられている。

7年間に及ぶ戦争は対馬藩にも大きな痛手だった。
平和が戻っても、対馬藩は疲弊していくばかりであった。
それは朝鮮との行き来がまったく出来なくなってしまったからである。

    薄明の湾をへだててほととぎす

旅の3日目の朝、厳原八幡宮を散歩していたら妙な社を見つけた。
祭神は小西マリアという。

対馬初代藩主は、宗義智。
奥方は小西行長の娘・マリア。
義智も洗礼をうけてキリシタンになっている。
朝鮮との戦争が終った後、豊臣政権は内部分裂、
関が原の戦いで徳川家康が実権を握り、
西軍に組した小西行長は斬首された。

義智は、お家の安泰のために信仰を捨てマリアを離別している。
義智の死後まもなく社は建立されたという。
キリシタンを祭神として祀るのもオカシナものではあるが、
融通無碍な日本人らしくも感じられる。

天下をとった徳川家康は、朝鮮との国交回復へ動き出す。
しかし交渉は第一歩から暗礁に。
対馬藩が送った使者は殺されてしまう。

さらに、日本も朝鮮も、お互いに相手が
書簡を送ってくるのを待っている。
先に送ったほうが格下とされるからである。

メンツを重んずる両国。
ついに宗義智は、国書を偽造。国交の回復に道筋をつける。
背に腹はかえられぬ苦肉の策。
(これは、のちになってお家騒動があって発覚。
お家断絶の危機に陥る。)

国交が回復、秀忠の将軍襲名を祝って朝鮮から通信使がやってくる。
終戦から10年後のことであった。

対馬藩は、釜山の交易の拠点でる倭館を置き、
独占的に朝鮮との貿易を許される。
これは藩に大きな利益を与え、3代にわたる
全盛期を迎えることになる。




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中庸の人、鈴木邦男       只今

2010年07月09日 06時04分36秒 | Weblog
 一片の遺骨もない父親が、ひよっとしたら居るのかもしれない、と千鳥ヶ淵戦没者墓園と靖国神社に行って来ました。
 帰りは飯田橋に出ようと遊就舘の裏口を出ると、人通りの少ない通りに機動隊の車と警官の姿あり。何だろうと逓信病院の四つ角まで来ると、ここにも機動隊車と警官。
 通りかかった女子学生に「何かあったのですか?」と聞くと、「あそこです」と指さすので、「あぁそうですか、ありがとう」と判った風をしたが、「あそこ」がどこかわからず、堀端のベンチに座って地図を拡げると、あそこは「朝鮮総連」だった。
 
 帰名してこのことを話したら、名古屋にも同様な場所がある。それは東区東桜に在る名古屋中国領事館の近辺で、そのことを知るネットのサイトがあるというのでノックすると、そこには、こうあった。

 【領事館には規制線が張られており、不審者は執拗な職質などが励行され進入を抑えられます。しかし規制線内には公共施設としての「東桜コミュニティセンター」があり、ここへの通過を警察は阻止できません。
 コミセンでの政治活動は禁止されていますが、文化活動は奨励されています。日の丸研究会とか機知に富んだ文化オフを企画して、領事館前では「フリー・チベット」午後からの駅裏の韓国領事館には「竹島返せ」の街宣を。】
 
 暗然としましたが、7・7日付『中日新聞』に、新右翼団体「一水会」顧問という肩書きの鈴木邦男氏の呼びかけを見て、ほっとした。
  
  【右翼は、権力と闘うのが本来の姿だが、最近はインターネットで上手に同調者を集め、単なる「弱い者いじめ」でしかない行動も増えている。「日本を守っている」という満足感があるのだろうが、思い上がりで「憂さ晴らし」をしているだけだ】

 
  
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