この拙稿は、ここでも1月9日の「世界から日本、9条を見る」などで触れた本「なぜ日本経済が21世紀をリードするのか」(NHK出版新書 徳川家広)のさわり部分の要約紹介である。この題名は、売ることをも意識してか描かれている内容から見るとやや誇張と思うが、副題とか構えとかからそれなりの内容のものと判断させていただいた。上の表題はこの本の副題を採用させていただいたものだし、この人の構えはちょっと長期のスパンであって、アダムスミスなどから始まるその時代区分などに関わってこう記しているのが僕には面白かったからである。
『21世紀に入って、すでに10年以上が経過しているのに、21世紀を「予測」する本を書いてしまいました。実はこの時代区分の方法には、イギリスのマルクス主義の歴史家エリック・ホブズボームという偉大な先達がいます。ホブズボームはフランス革命から第一次大戦の勃発までを「長い19世紀」、そして第一次世界大戦の勃発からソ連の崩壊までを「短い20世紀」と呼んでいます』
歴史の長期的時代区分とは、歴史の何を最も重視するかによって変わってくるものである。著者が、産業特に労働力の代替物としてのエネルギー開発に目を付けているのは明らかであって、このこと自身がそれなりの見識と思うのである。
さて、サブプライムバブルが資本主義経済の一時的病なのかその崩壊が始まる徴候なのかは今、大論議が要るところだろう。作者はこれを「終焉に向かう資本主義」の病理そのものと見て、こう論じている。
『マルクスの指摘した生産過剰の問題、ケインズが指摘した需要不足の問題が、蘇ってきたかのようです。(中略)企業は雇用を破壊して一時的には利潤を増やせても、中長期で見れば消費需要は落ち込み、最終的には消費によってのみ実現される利潤も、当然ながら低下する運命にありました』
こう述べた上でこの著作は、イギリス、ユーロ、アメリカ経済の今後を予測し、これらと対比して日本の相対的優位性をいろいろとあげている。そして最後に「ポスト資本主義への二つのシナリオ」を提示するのだが、それはまず世界のエネルギーの将来が上手くいった場合とそうでない場合に分けられている。その上で、上手くいかなかった場合、日本の前途は大きく開かれていると語る。こんな具合に。
『日本は相対的に見て、受けるダメージがいちばん低い国になります。日本は現に、GDP1ドルを生み出すのに必要なエネルギーが世界でいちばん低いという、きわめてエネルギー効率の高い経済を誇っています。火力発電でも製鉄でも、必要なエネルギーは世界最低なのです。エネルギー価格が上昇していった場合、日本企業が受けるダメージは相対的に軽く、国際競争に勝ち残る可能性も、その分だけ高いということになります』
この点で例えばアメリカなどはエネルギー効率が大変悪い国だと述べられた上で、近くドル体制が崩壊すればエネルギー輸出国にならざるを得ない国だとも述べられることになる。
そして、世界のエネルギー開発が上手くいった場合としてまた、二つの道が提示されている。資本主義の失敗の教訓を上手くくみ取った場合と、そうでない場合との二つだ。
後者、つまり『再度資本主義の過ちを犯す危険性もある』場合については、こんな表現になっている。
『エネルギーが労働を代替えし、失業者を制御するために戦争を起こし、あるいは人口を容赦なく管理し弾圧する警察国家が成立するといった、暗澹とした未来図が想像されます』
エネルギー開発が上手くいってかつ資本主義の教訓から人類が学べた場合はどうだろうか。この部分はおかしな記述としか僕には思えないのだが、まー書いてみよう。
『(その場合も)決してハッピー・エンディングというわけには、いきません。人類の文化は資源の希少性を前提にして発展してきたものなので、貧困や欠乏が解消された社会において、人が果たして幸福を実感できるものなのかどうかが不明なのです』
こういう時代のことならマルクスやケインズだったらこう描くことは明らかである。生活必要が満たされ始めた人々は、人間にとってポジティブなものを求め、深めあっていくことになる。労働時間を減らしあって、趣味や、家族や友人との語らい、文化や芸術に楽しんだり、哲学をしたりもするだろうと。
経済学の本と言っても、「目前の景気がこうなる」とか「自由主義競争永続・万能論」式のものとかではなくって、長い経済学史の伝統を踏まえて人類の近い未来を考え合うような本が読んでみたいものだと思っている。
『21世紀に入って、すでに10年以上が経過しているのに、21世紀を「予測」する本を書いてしまいました。実はこの時代区分の方法には、イギリスのマルクス主義の歴史家エリック・ホブズボームという偉大な先達がいます。ホブズボームはフランス革命から第一次大戦の勃発までを「長い19世紀」、そして第一次世界大戦の勃発からソ連の崩壊までを「短い20世紀」と呼んでいます』
歴史の長期的時代区分とは、歴史の何を最も重視するかによって変わってくるものである。著者が、産業特に労働力の代替物としてのエネルギー開発に目を付けているのは明らかであって、このこと自身がそれなりの見識と思うのである。
さて、サブプライムバブルが資本主義経済の一時的病なのかその崩壊が始まる徴候なのかは今、大論議が要るところだろう。作者はこれを「終焉に向かう資本主義」の病理そのものと見て、こう論じている。
『マルクスの指摘した生産過剰の問題、ケインズが指摘した需要不足の問題が、蘇ってきたかのようです。(中略)企業は雇用を破壊して一時的には利潤を増やせても、中長期で見れば消費需要は落ち込み、最終的には消費によってのみ実現される利潤も、当然ながら低下する運命にありました』
こう述べた上でこの著作は、イギリス、ユーロ、アメリカ経済の今後を予測し、これらと対比して日本の相対的優位性をいろいろとあげている。そして最後に「ポスト資本主義への二つのシナリオ」を提示するのだが、それはまず世界のエネルギーの将来が上手くいった場合とそうでない場合に分けられている。その上で、上手くいかなかった場合、日本の前途は大きく開かれていると語る。こんな具合に。
『日本は相対的に見て、受けるダメージがいちばん低い国になります。日本は現に、GDP1ドルを生み出すのに必要なエネルギーが世界でいちばん低いという、きわめてエネルギー効率の高い経済を誇っています。火力発電でも製鉄でも、必要なエネルギーは世界最低なのです。エネルギー価格が上昇していった場合、日本企業が受けるダメージは相対的に軽く、国際競争に勝ち残る可能性も、その分だけ高いということになります』
この点で例えばアメリカなどはエネルギー効率が大変悪い国だと述べられた上で、近くドル体制が崩壊すればエネルギー輸出国にならざるを得ない国だとも述べられることになる。
そして、世界のエネルギー開発が上手くいった場合としてまた、二つの道が提示されている。資本主義の失敗の教訓を上手くくみ取った場合と、そうでない場合との二つだ。
後者、つまり『再度資本主義の過ちを犯す危険性もある』場合については、こんな表現になっている。
『エネルギーが労働を代替えし、失業者を制御するために戦争を起こし、あるいは人口を容赦なく管理し弾圧する警察国家が成立するといった、暗澹とした未来図が想像されます』
エネルギー開発が上手くいってかつ資本主義の教訓から人類が学べた場合はどうだろうか。この部分はおかしな記述としか僕には思えないのだが、まー書いてみよう。
『(その場合も)決してハッピー・エンディングというわけには、いきません。人類の文化は資源の希少性を前提にして発展してきたものなので、貧困や欠乏が解消された社会において、人が果たして幸福を実感できるものなのかどうかが不明なのです』
こういう時代のことならマルクスやケインズだったらこう描くことは明らかである。生活必要が満たされ始めた人々は、人間にとってポジティブなものを求め、深めあっていくことになる。労働時間を減らしあって、趣味や、家族や友人との語らい、文化や芸術に楽しんだり、哲学をしたりもするだろうと。
経済学の本と言っても、「目前の景気がこうなる」とか「自由主義競争永続・万能論」式のものとかではなくって、長い経済学史の伝統を踏まえて人類の近い未来を考え合うような本が読んでみたいものだと思っている。