「河野談話も内閣で継承」文科相、検定基準の見解めぐり(14.4.10 朝日新聞)
(ころころと変転した文科相の認識)
下村博文文部科学相は9日の衆院文科委員会で、慰安婦問題をめぐる1993年の河野官房長官談話について「(談話)そのものは閣議決定されていない。しかし、質問主意書に対する答弁で、談話を受け継いでいる旨を閣議決定している」と述べた。第1次安倍内閣は2007年、「歴代の内閣が継承している」との答弁書を閣議決定している。
1月の教科書検定基準改定では小中高校の社会科(地理歴史科)教科書で「閣議決定その他の方法で示された政府の統一的な見解がある場合、それに基づく記述」をするよう定めた。下村氏は07年の答弁書の内容について「検定基準上の『閣議決定等により示された政府の統一的見解』に該当する。教科書検定にあたっては慰安婦問題についての政府の基本的立場を踏まえて実施する」とも答弁した。
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これだけ読むと下村文科相は当然のことを言ったように感じますが、実は下村文科相の村山談話、河野談話に対する認識がころころ変わっているのです。
まず最初に下村文科相は3月26日の衆院文部科学委員会で、「河野談話と村山談話は基準における『政府の統一的見解』にはあたらない」と述べました。(3月27日朝日新聞)
しかし4月8日に記者会見を行ない、3月26日の国会答弁について「事実誤認だった。村山首相談話は閣議決定の上で発表された」と述べて、自らの発言を訂正しました。
アジア諸国に対する「植民地支配と侵略」への反省とお詫びを表明した村山談話は1955年8月15日、村山内閣が閣議決定しました。一方、慰安婦問題をめぐる河野談話については、閣議決定はされていませんが、93年8月4日に宮沢内閣の河野洋平官房長官が記者会見で発表。河野談話に関わった石原信雄・元官房副長官は今月2日の国会で「閣議決定したものではないが、内閣全体の気持を代弁したものだ」と述べています。(4月9日朝日新聞)
それがさらに、「河野談話を受け継いでいることを閣議決定している」と三度見解が変わったのです。最初の「閣議決定していない」は、両談話は教科書検定の基準に当てはまらないので、教科書で取り上げなくてもよい、いやむしろ取り上げるなという意向を表明したものです。しかし村山談話が閣議決定されているという事実を知らされて、村山談話だけは認めましたが、次に河野談話も歴史を誤魔化すことはできず、内閣の見解だったことを認めざるを得なかったのです。
戦後レジームからの脱却を唱え、「植民地支配と侵略」の事実を認めたくない安倍首相に忠誠を誓う立場からの発言だったと思いますが、文教と科学の最高責任者が教科書問題に関わる誤った歴史認識を持っていたということで、ただ答弁を修正すればいいというような問題ではありません。文部科学相としての資質を問われる問題です。
大西 五郎
(ころころと変転した文科相の認識)
下村博文文部科学相は9日の衆院文科委員会で、慰安婦問題をめぐる1993年の河野官房長官談話について「(談話)そのものは閣議決定されていない。しかし、質問主意書に対する答弁で、談話を受け継いでいる旨を閣議決定している」と述べた。第1次安倍内閣は2007年、「歴代の内閣が継承している」との答弁書を閣議決定している。
1月の教科書検定基準改定では小中高校の社会科(地理歴史科)教科書で「閣議決定その他の方法で示された政府の統一的な見解がある場合、それに基づく記述」をするよう定めた。下村氏は07年の答弁書の内容について「検定基準上の『閣議決定等により示された政府の統一的見解』に該当する。教科書検定にあたっては慰安婦問題についての政府の基本的立場を踏まえて実施する」とも答弁した。
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これだけ読むと下村文科相は当然のことを言ったように感じますが、実は下村文科相の村山談話、河野談話に対する認識がころころ変わっているのです。
まず最初に下村文科相は3月26日の衆院文部科学委員会で、「河野談話と村山談話は基準における『政府の統一的見解』にはあたらない」と述べました。(3月27日朝日新聞)
しかし4月8日に記者会見を行ない、3月26日の国会答弁について「事実誤認だった。村山首相談話は閣議決定の上で発表された」と述べて、自らの発言を訂正しました。
アジア諸国に対する「植民地支配と侵略」への反省とお詫びを表明した村山談話は1955年8月15日、村山内閣が閣議決定しました。一方、慰安婦問題をめぐる河野談話については、閣議決定はされていませんが、93年8月4日に宮沢内閣の河野洋平官房長官が記者会見で発表。河野談話に関わった石原信雄・元官房副長官は今月2日の国会で「閣議決定したものではないが、内閣全体の気持を代弁したものだ」と述べています。(4月9日朝日新聞)
それがさらに、「河野談話を受け継いでいることを閣議決定している」と三度見解が変わったのです。最初の「閣議決定していない」は、両談話は教科書検定の基準に当てはまらないので、教科書で取り上げなくてもよい、いやむしろ取り上げるなという意向を表明したものです。しかし村山談話が閣議決定されているという事実を知らされて、村山談話だけは認めましたが、次に河野談話も歴史を誤魔化すことはできず、内閣の見解だったことを認めざるを得なかったのです。
戦後レジームからの脱却を唱え、「植民地支配と侵略」の事実を認めたくない安倍首相に忠誠を誓う立場からの発言だったと思いますが、文教と科学の最高責任者が教科書問題に関わる誤った歴史認識を持っていたということで、ただ答弁を修正すればいいというような問題ではありません。文部科学相としての資質を問われる問題です。
大西 五郎