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書評 「アメリカ帝国の終焉」③  文科系

2021年05月06日 10時23分06秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 
「アメリカ帝国の終焉 勃興するアジアと多極化世界」(進藤榮一・筑波大学名誉教授著、講談社現代新書、2017年2月20日の第一刷発行)の要約、書評第3回目だ。

今回要約部分、各節の表題を上げておく。第1章2節「解体するアメリカ」、3節「過剰拡張する帝国」、第4節「情報革命の逆説」、第5節「失われていく覇権」。そして、第2章に入って、その1~3節で、「テロリズムという闇」、「テロリズムとは何か」、「新軍産官複合体国家へ」。

オバマは、アメリカの荒廃に立ち向かおうとしたが、全て破れた。金融規制も医療制度改革も骨抜きにされた。その結果が、今回の大統領選挙の荒れ果てた非難中傷合戦である。2010年に企業献金の上限が撤廃されて、この選挙では70億~100億ドルが使われたという。1996年のクリントン当選時が6億ドルと言われたから、政治がどんどん凄まじく荒廃してきたということだ。

帝国は、冷戦に勝ってすぐから、その世界版図を広げ続けてきた。1991年、湾岸戦争。1992年はバルカン・東欧紛争から、95年のボスニア紛争。01年にはアフガン戦争、03年にはイラク戦争。11年がリビア空爆で、14年がウクライナ危機、シリア戦争。

「専制国家を民主主義国家に換えて、世界の平和を作る」とされた、帝国の「デモクラティック・ピース論」は全て破綻しただけではなく、3重の国際法違反を犯し続けてきたこともあって、帝国への憎しみだけを世界に振りまいてしまった。第1の違反が「平和を作るアメリカの先制攻撃は許される」。そして、ドローンなども使った「無差別攻撃」。最後が「国連の承認無しの加盟国攻撃」である。この3様の国際法違反などから、イラク戦争開始直前に行われた中東6か国の世論調査にも、こんな結果が出ている。「イラク戦争は中東にデモクラシーを呼ぶ」を否定する人69%で、「イラク戦争はテロを多くする」が82%だ。「米国に好感」に至っては、エジプト13%、サウジ4%である。つまり、その後の自爆テロや難民の激増は、必然だったとも言えるのである。

一体、テロとは何だろう。シカゴ大学の「テロと安全保障研究調査班」が、ある大々的な調査を行った。1980~2013年に起こった2702件のテロを対象にして、様々な要素(候補)との相関関係を出していく調査である。その結論はこうなったと紹介されていた。
『問題は占領なのだよ!』

喧伝されるように「文明の衝突」などでテロが起こるのではなく、祖国の占領、抑圧、困窮、それらへの恨みなどが生み出した「弱者抗議の最終手段」が自爆テロなのだと。ちなみに、占領地の現状はこんなふうだ。
バグダットの米大使館は国連本部の6倍以上の規模であり、加えてイラクには数百の米軍基地がある。と、こう報告したのは、クリントン政権下の大統領経済諮問委員会委員長、ジョセフ・スティグリッツ。基地には、3000~3500メートルの滑走路各2本、トライアスロン・コースあり、映画館やデパートまでも。米軍関係者が、要塞並みの防御壁の中で、これらを楽しんでいるとも続けている。かくて、06年の米軍海外基地建設費用は12兆円。

次に続くのは、この帝国の終焉が3様の形を、経済力の劣化、社会力の脆弱化、外交力の衰弱を取るということだ。
経済力は、高値の兵器に企業が走って、民生技術が劣化しているということ。
社会力は、戦争請負会社の繁盛。米中心に世界にこれが50社以上あって、総従業員は10数万人。冷戦後の軍人の新たな職業になっていると語る。ここで問題が、新傭兵制度。高い学資、奨学金によって年1万人以上生み出されているという借金漬け大卒者が食い物になっている。学生ローンの総残高が実に144兆円とあった。自動車、カードとそれぞれのローン残高さえ、各120兆円、80兆円程なのだ。かくして、中東からの帰還兵は累計200数十万人。言われてきたように、PTSD、自殺者も多い。

外交力の衰弱については、2例があげられている。一つは、外交即戦争ということ。この象徴が中東関連の戦費であって、今や累計9兆ドルに膨れあがった。先のスティグリッツ報告が出た当時08年には3兆ドルと報告されていたのだ。外交衰弱の2例目は、TPPの挫折。膨大な年月と人、費用を費やして追求してきたものをトランプが破棄した。

こうして、第2章の結びはこんな表現になる。
9・11とアフガン戦争から15年。イラク戦争から13年。戦争がアメリカをすっかり換えてしまった。もはや世界秩序維持を図るどころか、破壊するだけ、世界の憎まれっ子国なのである。
こういう観点からこそ、トランプのいろんな「強がりの言葉」を解釈してみることも可能だろう。
『世界の警察はやめた。その分、同盟国に応分の軍拡を求めたい』
『中東7か国国民は、米国に入ってはならぬ』
『日中は保護貿易を止めろ』
『IMFの言う事など聞かぬ。むしろ脱退したい。国連からさえも・・・(と言う雰囲気を語っている)』
これが、ここまで読んだ来た僕の、最も鮮やかな感想である。
 
(続く 後2回)
 
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僕の愛読ブログを紹介します  文科系

2021年05月05日 12時03分08秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 今年でブログ16年目になる僕は長い間、他のブログなどは見たことがなかった。ランキングにも興味はなく、「イイネ」などもやったことがない。が、去年7月に、愛読し始めていた三つのブログをここに紹介した。イイネはもちろん、時々コメントも付けさせていただいてきた。いずれもグー・ブログだが、ここと同じ「文科系」という名前でコメントを付けている。

・心臓手術からフルマラソンへ
 関東は大和市のお方で、僕にとってはまー、同じ心臓手術を経た、ランニング(とサイクリング)同志でもあります。また、両親、兄上の介護、看病をも務められているその日々に、ランと自転車に水泳と、日夜励まれて、一見して分かる古き良き、勤勉な「日本人」! いわゆる「竹を割ったようなご人格」にも見えるお方です。
 
・行雲流水の如くに
 北海道は札幌の郊外、どこかの山近く?で庭仕事やいわゆるワンダーフォーゲルにも励みつつ?、政治評論と写真のブログを展開されておられる、僕よりも10歳近く年下のお方? 「北海道の緑?」が美しすぎる、写真が良い。このバラが良かったとコメントすると、次にそれに近いものを写してくださったりするから、嬉しい「お友達」。日本政治評論では僕にちょっと近いところがあるのかな?等などと勝手に思っております。

・つれづれなるままに心痛むあれこれ
 大阪は、硬派の日本近代史学者? 漢字が多すぎる長文で、若い人でなくともちょっと引けるところがあったりもしますが、実証的な文章は本物。日本史の見方は、僕に非常に近いものがあります。「似非右翼・安倍は馬鹿すぎることでもあるし、どうしても許せない」と、そんな公憤をお持ちの侍です。


 さて、この後も味を占めて、この三つ以外のブログもいろいろ覗くことになったので、中からご紹介したい。「おぢの山暮らし」は北海道は羊蹄山の麓、ニセコにログハウスを購入された、新雪大好きなスキー狂のおぢさん。と言っても1951年生まれで、僕よりちょうど10歳若く、文章は何と言うか面白い。とても面白い文章を書かれるのに、僕と違ってなんとなく謙虚なお人柄。上の「行雲」さんと並んで、ドカ雪の様子など全く違う季節がよく分かるのが、旅行しているようで楽しいんです。他に毛色の変わったところでは「しんばし写真館」。名前で東京の方かと思ったら、「自己紹介鳥取県大山周辺の野鳥の追っかけをしています(笑)(夏はチョウも追っかけますよ~)」とかで、特にトリの写真の専門家で、もう、完全なプロ。例えばこの4日のブログでは、マミジロキビタキとかの大写しが5枚です。トリ、自然が好きな人には堪らないと思いますよ。映像ドドッ素人の僕にしてみれば、こんな写真が撮れるんだと、いつもいつもおどろいています。
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書評、「アメリカ帝国の終焉」②  文科系

2021年05月05日 10時00分44秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 
 今の世界には、ポピュリズムとテロという二匹の妖怪がうろついているという。そして、この二匹が同じように出没した世界が過去にもあったと。19世紀末から20世紀初頭にかけて世界のグローバル化が進んだことによって大英帝国が崩れ始め、アメリカが勃興し始めた時に。なおこのポピュリズムには、著者は独特の定義を与えている。形はどうであれ「民衆が民衆の手に政治を取り戻すという意味でのポピュリズム」(P21)と。
 ストライキを巡って市民と軍隊が市街戦を繰り広げたような米ボルテイモア。世界でも、ロシア皇帝やフランス大統領の暗殺、1901年には米大統領マッキンリー、1909年には安重根による伊藤博文暗殺。米フィリッピン戦争もあったし、中国では義和団蜂起も。

 さて、20世紀初頭のアメリカ・ポピュリズム時代も、現在と同じ三つの社会本質的特徴を持っていたと、次に展開されていく。①新移民の急増、②巨大資本の誕生、③金権政治と、印刷発達による日刊新聞や雑誌などニューメディアの登場、である。ただ、20世紀開始当時のこの3点は、今のトランプ時代とはここが違うと述べて、ここから著者はトランプ政治の正確な規定をしていくのである。

 なによりもまず、往時のこの3点はアメリカを帝国に押し上げたのだが、今はその座から降ろそうとしているのだとのべて、その上で各3点の違いを展開していく。
①往時の新移民は白人人口に算入される人人であって、アメリカ社会に包摂され、帝国建設の原動力になって行った。
②過去が大工業国になっていったのに対して、今は金融だけ、物作りは縮小している。物作りが縮小して金融がマネーゲーム中心に空回りしたら、まともな職など無くなってしまう。この点で筆頭国といえるのが米英日だと思う。
③は、ニューメディアとの関わりでこれを文化問題とも観ることができて、今の米国内は文化戦争になっていると言う。国民的文化同一性が崩れているとも換言されている。つまり、国民分断が極めて深刻だと。
 この③の国民分断について、今回の大統領選挙の得票出口調査結果分類を例に取っているのをご紹介しよう。トランプ対ヒラリーの各%はこうなっている。黒人8対88、ヒスパニック29対65。ところが、白人票、男性票ということになると実に各、58対37、53対41とあり、女性票でも42対54と、トランプが結構善戦しているのである


「トランプのつくる世界」とはこんな物として描かれている。普通に新聞で触れられていない記述を中心にまとめてみる。
 まずこのこと。30年前に新自由主義を初導入したレーガン政権と「ポピュリズム右派」など非常によく似た点が多いのだが、ソ連の斜陽が始まった時に数々「成功」したように見えるレーガンに対して、トランプが国力衰微の中で生まれた政権だという例証として、以下が述べられる。
 IMF報告の購買力平価GDPで、2014年には中国に抜かれた。その傾向から17年、19年には各、2500億ドル、4500億ドルという差が広がっていくと予測されている。つまり、中国が「世界の工場」になっているだけでなく、「世界の市場」にもなっていることの意味の大きさを強調している。
今の有効需要が少ない世界で大市場というのは、アメリカが日本の王様である理屈と同じような意味を持つのである。世界金融資本にとってさえ。つまり、マネーゲーム以外のまともな投資先がなければ、所詮金融もまともには活躍できないということである。
 また、軍隊重視には違いないが、「世界の警察を返上した」ことに伴って他国にも強力にそれを求め、国内経済第一主義の中でも国内インフラ整備には邁進して行くであろうということなど。これもトランプの大きな特徴である。

 こうして、結ばれる著者の世界政治用語は、「米英中ロの多極化」という「新ヤルタ体制」ができるだろうと書かれてあった。


 さてでは、次にアメリカの衰退ぶりを改めて確認していく部分の紹介。世界一安全な日本(人)では考えられないような内容である。
 まず、物作りの大工業国家・旧アメリカの象徴デトロイトの荒廃ぶりだ。
 荒廃した旧市街地へ入りかけると、道路脇にこんな看板が立っていたという。「これから先、安全について市は責任を負いません」。警察が安全責任を持てないから、自分は自分で守れと警告しているのである。ちなみに、市域の3分の1が空き地か荒れ地で、街灯の30%が故障中、警官を呼んで来る時間が平均27分というのだから、無理もない。全米都市中2位の殺人発生率を誇るデトロイトのすぐお隣には、殺人発生率1位都市もあるのだ。GM発祥の地フリント市である。
 デトロイトの人口も最盛時185万から70万に落ちて、9割は黒人。普通の会社の従業員などは郊外の「警護付き街区(ゲイテッド・シティー」から通勤してくると続いていく。

 
 このデトロイトを象徴として、米国二重の困窮という事項が次に解説されていく。一つが物作りの零落、今一つが連邦政府が地方政府を支援不能となったのに市民の互助活動も廃れたという、連邦赤字と市民社会劣化である。食うに困る人々だけの貧民街に公共財が何もなくては、政治など吹っ飛んでしまうということであろう。


(続く、ここまでで約4分の1。あと、3回続くと思います)


 追加としての感想
 なお、この本を読んでいると、ここ「9条バトル」で僕が書評で紹介してきたいろんな著者が出て来て面白い。まず、その国連調査報告を紹介したノーベル経済学賞受賞者ジョセフ・スティグリッツの言葉が出てくるし、最近長々と紹介した「金融が乗っ取る世界経済」、ドナルド・ドーアの言葉も。さらには、最も最近の書評、エマニュエル・トッドへの言及。これは、トッドの学問の限界を指摘した学問的内容をもって、1頁近く言及されている。この内容は、僕がここでトッドの書評を書いたときに言及したことと同じ内容だと思われたものだ。トッドの「専門領域」からすると、各国のことについては何か言えても、その相互作用や世界・国連の動きなどは語れないはずなのである。例えば、経済についてはピケティやスティグリッツ、クルーグマンらを読めばよいとトッドは語っているし、国連のことは門外漢だと自認しているようだ。
 そして何よりも、この書の「おわりに」に、こんな献辞まであった。
『最期に、出版のきっかけを作って下さった孫崎享先生と・・・に深謝します』
 孫崎の著書もここで何回扱ったことだろう。
 ただし、これらのこと全て僕にとって、この本を読み始めてから分かった、偶然のことである。
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書評 「アメリカ帝国の終焉」①  文科系

2021年05月04日 12時33分57秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 
 次の書評予告をしたい。ここでの僕の書評は、ご存知の方も多いはずだが、ただ感想,意見などを述べるものではなく、最近は先ず要約を何回にも渡って行う。そして最後に少しだけ意見を述べてみると、そういったものだ。今回は「アメリカ帝国の終焉 勃興するアジアと多極化世界」(進藤榮一・筑波大学名誉教授著、講談社現代新書、2017年2月20日第一刷発行)。この内容を5回にわたってご紹介する。
 著者略歴だが、1939年生まれで、京都大学大学院法学研究科で法学博士をとって、専門はアメリカ外交、国際政治経済学。ハーバード大学、プリンストン大学などでも研究員を務めて来られたアメリカ政治経済学専門のお方である。

 先ず初めに、例によってこの書の目次をご紹介する。

はじめに──晩秋の旅から
序章 トランプ・ショック以降
第一章 衰退する帝国──情報革命の逆説
第二章 テロリズムと新軍産官複合体国家──喪失するヘゲモニー
第三章 勃興するアジア──資本主義の終焉を超えて
終章 同盟の作法──グローバル化を生き抜く智恵
おわりに


 さて、今日第一回目は、「はじめに」を要約して、その主要点を本書内容でもっていくらか補足することにしたい。言うまでもなくこの書は、トランプが当選した後に書き上げられたもの。そういう「最新のアメリカ」を描き出す著作全体をこの「はじめに」において著者が上手くまとめ上げている、今回はそういう「はじめに」の紹介である。

 「はじめに」はまず、『この40年近く、何度も往復した太平洋便で見たこともない光景』の描写から始まる。
 15年晩秋に成田で搭乗した「マニラ発、成田経由、デトロイト行き」の『デルタ航空便でのことだ。乗客の九割以上がアジア系などの非白人だ。ネクタイを締めたビジネスマンではなく、質素な服装をしたごく普通のアジア人たちだ』と書いて、アメリカの非白人が全人口の38%に上ることが紹介されている。
 次に、この訪米「第二の衝撃」が続くのだが、それは全米随一の自動車都市だったデトロイトの光景である。
『ミシガン中央駅は、かつて世界一の高さと威容を誇り、米国の物流と人口移動の中心を彩り、「工業超大国」アメリカの偉大さを象徴していた。しかしその駅舎は廃虚と化し、周辺は立ち入り禁止の柵で囲まれている』
 そして、最後「三つ目の衝撃」は、『首都ワシントンに入って見た大統領選挙の異様な光景だ』そうだ。『広汎な民衆の不満と反発が、職業政治家と縁の遠い候補者たちを、大統領候補に押し上げているのである』。
『既存政治を罵倒する共和党候補で富豪のドナルド・トランプも、民主党候補で「社会主義者」を標榜するバーニー・サンダースも、党員歴を持っていない』・・・と語られてある。

 そしてこの『大衆の反逆の源は、二つのキャピタル、資本と首都──の有り様である』と続けられる。「金融に買われた」、『その醜悪な首都の政治の実態』という二つのキャピタルだ。こういう政治が『「世界の警察官」として二十世紀に君臨した大米帝国の終わりと二重写しになっている』として、次の文脈へと展開されていく。

『人を納得させる力、イデオロギーを不可欠の要件とする』と形容が付いた『ソフトパワー、理念の力』も失われて、デモクラシーを広める力もないと。その下りには、こんな傍証が付いていた。
『かつて米国はベトナムで、「デモクラシーを広める」ためとして、一五年の長きにわたって、自陣営に一〇〇万人もの死傷者を出し、敗北した』が、アフガニスタンから始まった中東戦争はこの一五年を既に超えているが、
『多くの人命を奪い、膨大な予算を投じたにもかかわらず、アフガニスタンでもイラクでも、リビアやシリアでも、デモクラシーを樹立できず、内戦とテロを進化させ、テロと混乱を中東全域に広げている』
 こうして、この「はじめに」の結びは、こうだ。
『二〇一五年、晩秋のアメリカで見た風景は何であったのか。トランプの登場とは何であったのか。それは欧州の動向とどう結び合って、世界をどこに導こうとしているのか』


(続く、このあと4回続きます)

 補足 なおこの進藤榮一氏の書評がこのブログに既に一つ存在している。「アジア力の世紀」(岩波新書)を、14年5月5、8日に要約、紹介しているから、例によって右欄外の「バックナンバー」から、年月日で入ってお読み頂けるようになっている。ちなみにこの書は、このブログ11年ほどの数十冊に及ぶいろんな読書・学習の中で、世界情勢を学ぶ上で最も参考になったベスト5に入る1冊である。例えば、僕の中では、ノーム・チョムスキーの「覇権か、生存か──アメリカの世界戦略と人類の未来」(集英社新書)に、比肩できるような。数字を挙げた実証を中心に書かれているという意味では、チョムスキーよりも現代的説得力を持っているとも付け加えておきたい。
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「暴力」と化した日本政府  文科系

2021年05月04日 12時03分08秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 管政権は今や、暴力で成り立っている政権と言いたい。そもそも安倍政権から続くこの政府の特徴、「説明しない」、「その説明にかかわる証拠、資料を隠す、改ざんする、破棄する」、「従来の議会運営の規則、慣行を無視する」・・・、国会、言論の府を相手にしてまともな言論を妨害するこんな暴挙がまかり通ってきたというのが、そもそもおかし過ぎる。今のその典型が、コロナ蔓延下の五輪強行開催である。
・そもそもこれだけ人が死んでいる時の世界祭典というのが、どんな民族、宗教の良識にも反する。                                                              
・まして、この蔓延下で開催するというのは、「未必の故意」の大量殺人決意に等しい。
・あまつさえ、これだけ医療崩壊が起こりつつある中で五輪村に医師、看護婦を大量派遣せよなどと言い出したが、その分死んでいく国民周辺にどういう言い訳ができるのか。
・こんな決定全てを「私には止める権限がない」などと、例によってとんでもない詭弁さえ使い始めた。

 このような五輪姿勢は今や、モリカケ、桜、検察庁や学術会議への不当介入などなどにおいて、国家の最高権力を持つとされる議会をないがしろにしてきた内閣数々の暴力の、その延長姿勢にしか見えないのである。

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僕のサッカー好き原点・「中田英寿のメモリー」  文科系

2021年05月03日 10時23分07秒 | スポーツ
 

 これは、06年ワールドカップ直後に僕の同人誌に書いたものだが、再掲させていただく。日本サッカーは、彼にどれだけ感謝してもしたりないはずだと、そういう思いで書いた物だ。サッカーが盛り上がって欲しい時になると、いつも思い出すべき事と、自分に言い聞かせている内容である。
 
【 最後に、〇六WCドイツ大会終了を待って、二九歳でサッカー界からの引退表明をした中田英寿のメモリーを記しておく。彼が日本サッカーにどれだけの革命をなしたかという諸事実の記録である。

 この20歳のジャパン登場がどれだけ衝撃的だったか
 九七年、フランスワールドカップ・アジア予選途中で絶望的な苦戦続きから加茂・代表監督解任という結末、窮地が訪れていた。前回の「ドーハの悲劇」を経て、「今回こそは、WC日本初出場!」という国民の期待が崩れかけていた瞬間である。この瞬間に、突如出現した新米の二十歳。チーム危機の中、実力でレギュラーをもぎ取り、あまたの先輩たちが即座に「チームの司令塔」と自然に認めて、その後数ゲームで日本初出場という結果を出して見せた「日本の救世主」。日本中を大フィーバーさせたのも当然のことだろう。この二十歳の出現がなければ、フランスでワールドカップ日本初出場という歴史自身がなかったはずなのだから。クライマックスとして上げられるのが「ジョホールバルの奇跡」、対イラン第三代表決定戦。得点したのは中山、城、岡野。この三得点それぞれへの最終パス(アシスト)は全て中田が出したものだった。
 さて、この彼、その後も日韓、ドイツと三回のワールドカップを引っ張り続け、さらに希有のアスリートであることを証明し続けて見せた。これが、中田の二十歳から二九歳までの出来事なのである。そもそも「三大会連続出場」は他に川口、小野だけだし、「三大会レギュラー出場」ともなればもちろん、中田以外にはいない。こうして、日本サッカー界の常識を覆した革命児と表現しても、サッカー界の誰一人反対はできないという選手なのである。
 これは今回に付ける注だが、その後三大会連続名選手がもう1人生まれた。長谷部誠である。彼はしかも、三大会連続キャプテンだ。長谷部については、このブログで、岡崎慎司に次いで多くのエントリーを書いているのでお読み願えれば嬉しい。その長谷部が、常にこう語っている。「ヒデさん、日本サッカー界に必ず戻ってきて下さい!」。と、ヒデはそんな長谷部の憧れの選手でもあったのである。

 サッカー選手として、どんな特長をもっていたか
 二十歳の彼のパスは、「『追いつけ!』という不親切この上ないもの」と日本の評論家たちから総スカンを食った。が数年後にはもう、彼のパススピードでしか世界には通用しないとは、周知の事実となった。
 「フィールドを鳥瞰していることを示すようなあの広い視野はどうやって身につけたものなのか?」。こちらは、反対者のいない関係者全員が初めから一致した驚きの声だった。どんなプレー中でも背筋を伸ばし首を前後左右へと回してきょろきょろする彼のスタイルは、その後日本の子ども達の間に広がっていったものだ。正確なロングパスは正確な視野からしか生まれないのだから。
 「人のいない所へ走り込まないフォワードにはパスをあげないよ」。これも今や、「フォワードは技術以上に、位置取りが全て」という、日本でも常識となった知恵だ。これについては日本FW陣の大御所、中山雅史のこんな証言を読んだことがある。
 「中田が俺に言うのね。『そんなに敵ディフェンダーをくっつけてちゃ、パスがあげられない。どこでも良いから敵を振り切るように走ってって。そこへパスを出すから。そしたらフリーでシュート打てるでしょう』。俺、そんな上手くいくかよと、思ったね。でもまー、走ってみた。きちんとパスが来るじゃない。フォワードとして『目から鱗』だったよ!」
 この出来事が中田二十歳の時のことだ。十年上の大先輩によくも言ったり!従ってみた中山もえらい。中山のこの「えらさ」こそ、三九歳の今日まで現役を続けられている最大の理由と、僕には思えるほどだ。封建的な日本スポーツ界では、希有なエピソードなのではないか。

(なお、これも今回付ける注だが、中山が2回得点王になったのは、この年98年と、2000年のことだ。31歳、33歳のゴンのこの得点力急増に従って、いわゆる「J至上最強チーム・ジュビロ磐田」が生まれる。このことについて、間接的にせよヒデの影響があったのは間違いない。僕はずっと、そう観てきた。)

 中田はまた、今では当たり前のことだが当時としては珍しく自分個人用のサッカー専用体力トレーニングにプロ入り以来毎日、汗を流し続けている。「走れなければサッカーにはならない」、「外国人には体力負けするなんて、プロとしては言い訳にもならないよ」。自らのプレー実績で示してきたこれらのことの背景こそ、このトレーニングなのである。

 こんな特徴・「世界」をどのように知り、身につけたのか
 さて、これら全ては今でこそ日本でも常識になっているものだ。しかし、中田はこれら全ての「世界水準」を二十歳にして、どうやって身につけたのか。「世界から習った」、「例えば十六歳で出会ったナイジェリアから」などと彼は述べている。ほとんど世界の相手を観察してえた「知恵」なのである。もの凄い観察力、分析力、練習プログラム考案力、自己規制!それら全てにおいて、なんと早熟だったことか!この上ない頭脳の持ち主が、観察のチャンスに恵まれたと語りうることだけは確かであろう。

 スポーツマスコミを軽蔑していたから、ナカタ・ネットを作った
 彼はまた、世の全てが媚びを売るがごときマスコミへの反逆者でもある。「嘘ばかり書く」、「下らない質問ばっかり投げてくる」と主張し続け、「こんなものは通さず、自分の大事なことはファンに直接語りたい」と、スポーツマン・ホームページの開拓者にもなったのだった。弱冠二一歳、九八年のことである。それも、日本語、英語、イタリア語だけでなく、中国語、韓国語版まで備えたサイトに育ち上がって行った。国際人というだけではなく、アジアの星にもなっていたということなのだろう。
 他方、日本のサッカーマスコミは未だに程度が低い。テレビのサッカー中継でも、ボールばかりを追いかけているように見える。サッカーの神髄はこれでは絶対に見えてこないはずだ。この『ボール追いかけ』カメラワークは野球中継の習慣から来ているものだろう。野球はどうしてもボールを追いかける。その習慣で、サッカーでもボールを追いかける『局面アングル』が多くなっているのではないか。それにもう一つ、新聞などの野球報道でも、勝ち負け、得点者に拘りすぎているように思われる。サッカーの得点は、ほとんど組織の結果と言って良いのだから、フォワードよりも組織を写して欲しいと思うのだ。得点を援助したラストパス、いわゆる「アシスト」報道がないのも、日本の特徴だろう。

 ありがとう、中田英寿。僕をこれほどのサッカー好きにしてくれて。僕の生活にサッカーを与えてくれて。】

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今夜、サッカー好き必見番組!  文科系

2021年05月03日 10時06分55秒 | スポーツ

 今夜10時からNHKのBS1で、こういう番組がある。
『サッカーの園 究極スーパーサブの真実! 岡野が語るW杯初出場』

 この題名は、言うまでもなく1998年フランス大会でW杯へ初出場という、日本サッカー史最大の出来事を扱っている。1997年11月16日、マレーシアはジョホールバルにおけるアジア最後の出場枠、第3代表決定戦。相手はイラン、3対2で勝った。その決勝点3得点目が、言わずと知れた快速・岡野雅行の「滑り込み」得点なのだ。ついでに言っておくと、この3得点は全て、当時20歳で予選途中から彗星のように現れてエースと誰もが認めた中田英寿のアシストによるもの。このアジア予選がここまで来るまでにも、ほぼ絶望のチーム絶不調・敗退寸前、監督解任・急遽の「オカちゃん」、20歳の救世主・ヒデの抜擢、「ヒデ・名波・山口のトライアングル」などなど、劇画そのもののような話題満載なのである。

 この場面を知らずして、日本サッカーを語るなと言う程のもの。なんせ、一つのスポーツ競技会でオリンピックにも匹敵するような世界サッカーに日本が初めて迎え入れられたもの。ちなみに、集団スポーツ競技で世界210か国・地域に順位が付くようなものは他には皆無である。

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川崎の得点力の秘密  文科系

2021年05月02日 23時34分11秒 | スポーツ

 これは、29日にエントリーした『サッカー川崎の「絶対的」強さはここ』の続きに当たるエントリーになる。僕はここで「川崎の、今ここでパスが受けられるという『フリー』の概念が、他のチームよりももっと深く探究されたものだ」と書いた。ところで、この0対4を反省した名古屋の吉田豊がこう述べていた。
『僕らのプレスが甘すぎた。もっと厳しく行かなければいけなかった』
 さて、これで川崎のパスを名古屋は切れるだろうか。半分は正解だが、あと半分は難しいと思う。これは既に有名な話だが、川崎のパスは必ずしも「身方の足下」に出すものではない。ほんの小さなスペースに、出し手と受け手双方合意の上で早いパスを出す場合も多いのだ。憲剛の後継者・大島僚太が小さなスペースを使うことができるというのは有名な話で、相手が気づかない小さなスペースに走り込む人間に川崎特有の速いパスを出す時、マーカーがそれについて行けるだろうかという話になるのである。29日のエントリーでも、2010年代表パラグアイ戦における憲剛と香川の「パス・レシーブ」を描いたが、これはいわゆる「足下に出すパス」ではない。「小さなスペースにダッシュしていく身方の足下に出すパス」なのだ。これに対して、相手マーカーは予め「そこに走っていく」とは分からず、まず走る前の位置に詰めるのだから一瞬遅れるのが当たり前だろう。こんな相手のやり方に対してただ「密着マーク」というだけでは、止められるものではない。「このレシーバーが今どのスペースを使おうとしているのか」が分からなければ、プレスが遅れる理屈になるのである。

 4日のこの戦いも、残念ながら名古屋は勝てそうもない。こちらが気づきにくい小さなスペースにダッシュしていく相手チーム選手の鼻先に出すパスをカットできるというのでなければ、パスもシュートも止められないのである。

 Jのいくつかのチームが、川崎のこれを一定阻止できるようになれば、日本の世界順位は一桁になるのではないか。

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河村たかし氏の慰安婦問題不見識   文科系

2021年05月01日 02時03分09秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

 河村たかし名古屋市長は慰安婦問題について「軍が作った制度ではない」と述べているが、この認識自身が誤りである。昨日このブログに掲載した二つの文書がそれを示している。

1937年12月21日付で在上海日本総領事館警察署から発された「皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件」。今ひとつは、この文書を受けて1938年3月4日に出された陸軍省副官発で、北支那方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒、陸支密第745号「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」

 ちなみに、彼の南京大虐殺否定論も既に誤りと明らかにされたものだ。日中両国政府が主導した、両国の学者研究会で、「捕虜を含めた大虐殺は最大20万もありうる」となったのだから。

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ブログ方針を換えました  文科系

2021年05月01日 00時48分11秒 | その他

 もうお気づきの方も多いと思いますが、ブログ方針を一つ換えました。

①誰のコメントも載せるという方針から、選択制に。

②これに伴って、「編集画面へ誰もが入れる、つまり、誰もがエントリーできる」という方針をもまた、なくしました。

その理由は以下の通りです。

 

 このブログ創設以来16年目ですが、ほぼ初めから一人の「名無し君」がづっと居着いて人として恥ずかしい文章も乗せ続けていました。「あんなお人は、ここの品を落とす。それが目的なんだから、弾き出せ!」という声が常に出ていたのですが、「誰でもコメントだけでなく、エントリーもできる」という亡くなった「管理人」、この親友の意思を尊重したかったからです。ですが最近になって、こんな事が二つ起こりました。だれかが編集画面をいじったのです。「コメント選択制」にしたのに、また「コメント全て掲載」に戻した人が居る。コメント選択制にしたのは、名無し君を一つの名前で描かせようと考えて、goo本部と相談したその結果からなのでしたが。なお、選択制と言っても、亡くなった親友の意思を活かして、書かれた全てのコメントを今後も掲載するつもりです。「名無し」君と、その変名が疑われるもの以外はほぼすべて。ただし、明らかにオフザケ、冷やかしとしか読めぬものは、カットします。名無し君は、これまで通り「通りすがり」で書くならば原則載せますが、「冷やかし、おふざけ」はカットとします。よろしく。

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