路地裏のバーのカウンターから見える「偽政者」たちに荒廃させられた空疎で虚飾の社会。漂流する日本。大丈夫かこの国は? 

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【中山知子の取材備忘録・09.10】:リスクもはらむ大臣待機&待望組の初入閣 岸田首相9・13内閣改造で「悲願達成」は何人誕生?

2023-10-02 00:10:20 | 【社説・解説・論説・コラム・連載】

【中山知子の取材備忘録・09.10】:リスクもはらむ大臣待機&待望組の初入閣 岸田首相9・13内閣改造で「悲願達成」は何人誕生?

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【中山知子の取材備忘録・09.10】:リスクもはらむ大臣待機&待望組の初入閣 岸田首相9・13内閣改造で「悲願達成」は何人誕生? 

 時の総理大臣によって内閣改造が行われる季節が、またやってきた。岸田文雄首相にとっては首相就任直後の第1次、衆院選勝利後の第2次と組閣を行った後、昨年8月に始まった現在の第2次改造内閣に続くもの。現在の内閣は、昨年の参院選を経て、安倍晋三元首相の銃撃事件で表面化した世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と自民党議員との関係を見直すことも目的の1つだった。

岸田文雄首相(2023年6月撮影)

       岸田文雄首相(2023年6月撮影)

 この時に9人が初入閣したが、3人が政治とカネの問題や失言で事実上更迭に。この3人(寺田稔氏、葉梨康弘氏、秋葉賢也氏)は、当選回数などから「大臣適齢期」とされ、各派閥が入閣させたい顔ぶれ、初入閣を待っている、望んでいるという意味で呼ばれる「大臣待機組」「大臣待望組」の一員でもあった。

 「待機組」「待望組」とは、衆議院で当選5回以上、参議院で3回以上で、閣僚経験がない議員を指すといわれる。近年、行われてきた内閣改造では、その都度、60人とも70人ともいわれる「待機&待望組」からどれくらいの人が大臣に起用されるかという問題が、関心が注がれる側面の1つになっている。直近では、第2次安倍政権時代の2018年10月の内閣改造で、19の閣僚ポスト中12人が初入閣したが、この時に60代以上が9人いた。その前の内閣改造時の初入閣は、6人。当時の取材メモを読み返すと「ベテランの在庫一掃内閣」の言葉があった。待機&待望組が押し込まれた、という印象しかなかった。

 2018年の内閣改造で初入閣した「待機&待望組」の1人が、東日本大震災に関する失言で約半年後に五輪相を辞任した桜田義孝氏。震災に関連してでは、2016年8月の内閣改造で復興相として初入閣した今村雅弘氏も、後に失言で大臣を辞任した。今村氏も当選7回(当時)の「待機&待望組」だった。

年長の初入閣組が、さまざまな問題で任期をまっとうできず、辞任するケースが最近は少なくない。先日の「汚染水」発言が問題視され、謝罪と撤回に追い込まれた野村哲郎農相も、78歳での初入閣だった。

 大臣待機&待望組が大挙して起用される背景には、所属するベテラン議員の起用を要望する派閥への「配慮」ともいわれる。国会議員になった以上、大臣に上り詰めるのは1つの目標でもあるのだろうが、当選回数を重ねていても、資質がある人もいれば、必ずしもそうでない人もいると聞いたことがある。内閣のメンバーの顔ぶれが「派閥均衡型」などといわれるようになって久しいが、「自分が求めるより、相手が求める人」(政界関係者)を起用せざるを得ないのは、政権を安定的に運営していくため、派閥への一定の配慮が必要なためとも聞いた。

 今回は特に、岸田首相が国民民主党を連立政権に組み込むのではないかとの見方があったことから、自民党内では「大臣ポストが減る」など不満の声も出ていたという。結果的に、環境が整わず、今回の国民民主党の連立政権入りは見送られる見通しとなり、岸田首相は13日に内閣改造に踏み切る見通しだ。そうすると、「待機&待望組」の顔ぶれに関心が集まるようになった。顔ぶれリストの1つを見ると、当選5回以上の衆議院議員はかなりの数にのぼり、7回以上もそれなりにいる。参院議員の当選3回以上も一定数いる。こうしたリストも眺めながら、首相は大臣を決めていくものなのだろうか。

 かつて小泉純一郎首相は、派閥の論理にとらわれない閣僚の「一本釣り」などで、内閣の布陣に独自色を見せたこともある。ただ最近は「派閥均衡型」が定着し、岸田内閣の布陣も、その流れに乗った顔ぶれだ。年功序列や論功行賞…こんなワードは、内閣改造の時期の永田町では重視される言葉になる。永田町の常識、社会の非常識ともいわれる。内閣支持率が好調ではない岸田首相が踏み切る内閣改造。時にリスクもはらむ「大臣待機&待望組」から「悲願の初入閣」となる大臣は、どこまで生まれるのだろうか。【中山知子】(ニッカンスポーツ・コム/社会コラム「取材備忘録」)

中山知子の取材備忘録

 ■中山知子の取材備忘録

 ◆中山知子(なかやま・ともこ) 日本新党が結成され、自民党政権→非自民の細川連立政権へ最初の政権交代が起きたころから、永田町を中心に取材を始める。1人で各党や政治家を回り「ひとり政治部」とも。現在、日刊スポーツNEWSデジタル編集部デスク。福岡県出身。青学大卒。

 元稿:日刊スポーツ社 主要ニュース 社会 【話題・コラム・「中山知子の取材備忘録」】  2023年09月10日  11:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。


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